イルマ女王の友好ツアー
『こ、こんばんは、由良様。今日は電話なんですね』
「申し訳ありません。本来でしたら拓馬様の元へ赴き、おやすみのご挨拶をしたいところなのですが」
『いえいえお気になさらず。由良様はお忙しいですし、電話だって頻繁に掛けていただかなくても……』
「そうはまいりません。今晩は止むに止まれぬ事情がありますが、明日は必ず馳せ参じますから」
『……はい、お待ちしています』
ああ、拓馬様の御声が耳を通して
「拓馬様は本日どのようにお過ごしになったのでしょうか」
『深愛なるあなたへ、の撮影に掛かりきりの一日でした。相方のジュンヌさんの名演に負けないよう俺も目一杯気合を入れて』
「あらあら、目一杯に……それは何とも」
羨ましい――と思うと同時に、ご愁傷さまです――と
ジュンヌ様は拓馬様の周りにいらっしゃる方々の中で、とても安全な御方。好感を抱かざるを得ません。彼女にはこれからも拓馬様の共演者であり、他の役者への防壁として、その理性と善性を奮っていただきたいです。後でお見舞いの品を見繕いましょう。
「――そうなのですね。拓馬様の強いお睨みによって、心臓を押さえてお倒れになったと」
『監督のカット! の直後だったので撮影に影響はありません。ほんとギリギリでした』
「それはさぞご立派な最期だったのでしょう。どのような映像になるのか、怖いですけれど楽しみに――」
「由良様……そろそろ拙も」
『あれ? いま、別の人の声が……何だか聞いた事のあるような無いと懇願したい声が……誰かと一緒なんですか、由良様?』
「何のことでしょう? 拓馬様との大切な場に他の者を入れるなど」
「由良様っ!」
「あらっ?」
振り返ってみますと、どうしてでしょうか? イルマ様がいらっしゃいました、なぜここに? それも圧の掛かった気をお纏いで……あっ。
「も、申し訳ございません、イルマ様。『げぇイルマさ……ま……』拓馬様とお繋ぎするのに少々お時間が掛かりまして」
「忘れていましたよね、拙のことを完全に忘れてタクマさんとのお電話に興じていましたよね」
「そんなまさか……せっかくお越しになったイルマ様を失念するわけがございません」
ほんとにぃ、と疑り深いイルマ様。人を信じられないのは悲しい事です。
ええと、そうでした。イルマ様を拓馬様に接触させて、邪念や欲情を抱かないか観察する――という作戦でした。
お二人の仲人になるなんて……グツグツと煮えたぎる衝動を抑えつつ。
「おほん。拓馬様、急な話ですが、現在イルマ様の訪問を受けておりまして、よろしければイルマ様へご挨拶いただけませんか?」
『いいっ!? 挨拶ですか……わ、わかりました』
拓馬様がとても怯えておられます。
お許しください、拓馬様。図らずともあなた様を追い詰めてしまったワタクシを、イルマ様へ懸想の『け』の字も無いご様子に安堵してしまうワタクシを、どうかお許しください。
「失礼します」ワタクシから携帯電話を受け取り「17日と6時間ぶりですね、タクマさん。イルマです、ご無沙汰しております」と話し出すイルマ様。
会話の内容や仕草に不審なところは感じられません。
『ど、どうも。驚きましたよ、先日お会いした時は王女様だったのに、今や女王様になられるなんて……』
「タクマさんとリンちゃんから元気を頂けたからです。人間、元気になれば王位を獲れるものですね」
『あ、ああ、やっぱり俺と音無さんが原因だったと……』
「お二人が拙の原動力です。お二人の写真を懐に忍ばせるだけで拙は無限の力で永久機関なのです」
『はぇぇ、すっごいエネルギー革命』
耳を澄ましてイルマ様の心音を拾いますが、激しいドラミングはしていません。むしろ人を包み覆い隠すような穏やかな波音となっています。
言語機能に不備はありませんし、セクシュアルな発言も皆無。ハンカチは忘れても拓馬様の写真を肌に括り付けるのは誰もが忘れぬ魂に刻んだ制約ですし、懐に忍ばせる程度のイルマ様は淑女的と言えましょう。
「せっかく同じ敷地に居るのです。直接ご挨拶に伺い、タクマさんとリンちゃんのお顔を拝見したい……」
『ヒエッ』
仕掛けるおつもりでしょうか。無音でイルマ様の背後に回り、刈れる位置を取ります。
「……けれど、こんな時間に訪ねてはお二人にご迷惑ですね。今日のところはお電話にて。リンちゃんにもよろしくお伝えください」
『え、あ、はい?』
「それでは、失礼いたします。またお会いしましょう――」
信じられないほど簡単に別れを済ませ、「お電話をお貸しいただきありがとうございました」と携帯電話を返却なされるイルマ様。不覚にもワタクシは「も、もうよろしいので」と口にしてしまいました。
拓馬様との極上のコミュニケーションを自ら断ち切る? 普通でしたら一秒でも粘ってアレコレ摂取するところです。それをスッパリと……恐ろしい、何なのでしょうかこの御方?
「拙は満足です。幸せなひと時をご提供いただき感謝に堪えません」
妹の音無様も些か人間離れしておりますが、理解の範疇で奇行を繰り返す程度に収まっています。
しかし、姉であるイルマ様は……分かりません、思考が読めません。ご出身が別星系なのか、脳をお焼きになっているのか。明らかな『異質』にワタクシは肝を冷やしました。
拓馬様との名残惜し過ぎる電話が終わり。
「そう言えば、由良様――」
明日も政務漬けだからとお帰りになられるイルマ様が、最後にこう言いました。
「由良様はタクマさんをお好きでしょうか。聞くまでもないかもしれませんが」
「言うまでもありませんが、お慕いしています」
「それは――素晴らしきことです」
お顔に貼り付けた笑みではなく、心からの微笑みをワタクシに向けるイルマ様。
その目線がワタクシの顔ではなく……なぜでしょうか、頭に向けられていることに不審と不穏を抱かずにはいられませんでした。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
不審と不穏を抱かざるをえない。
その原因はイルマ・ブレイクチェリー女王。ついこの間までは王女で、なんだか無気力な人だったのに。女王となってからは人が変わったかのように精力的に動いていらっしゃる。
「コレハ、良クナイ。タクマニウムキメタ女ガ真面目ニ仕事? ゼッタイ裏デ、ハレンチ計画ヲ練ッテイマス!」
こちら、抜け駆け結婚式の
「せやけど不知火群島国にとって有用な取引先、雑に扱うんわ難しいで」
「不知火群島国への友好的な態度が過ぎて、当のブレチェ国では売国奴と非難されている。それをどこ吹く風と跳ね返すスタンスに頑強な信念を感じる」
「厄介な相手、ってことですね……まさか、マサオ教に取り入るとは」
俺の部屋にて、備え付けのテレビを観ながら真矢さん、椿さん、音無サンと感想を言い合う。
テレビでは、イルマ女王がマサオ教の教祖兼タクマ狂信者の北大路しずかさんと娘のクルッポーと握手を交わすシーンが映され、テロップで『圧倒的友愛!』と持て囃している。
先日からイルマ女王は、精力さに一層の磨きをかけ、不知火群島国の各領を巡る友好ツアーを始めた。
ブレイクチェリー女王国と不知火群島国は元は一つの国だったが、由乃様が起こした歴史的ネトラレ事件を皮切りに犬猿の仲。ガチ目の戦争だって何度もあるらしい。
国交正常化してもわだかまりが解消されず、ブレチェ女王が不知火群島国を訪問する事は大変レア、中御門領以外の地に立つことは皆無だった――のに、そんな歴史関係ねぇと言わんばかりにイルマ女王は各領に踏み入ってくる。
さすがに不知火群島国の中枢を無視出来ないので、まず中御門領。先日の真夜中訪問はノーカウント、改めて由良様へ新女王として初対面。両国の女王が正装で並び立つ姿は麗しい一方、隔絶された強者感があって腰の引ける光景だった。
次はかつての戦争の最前線である西日野領。最もブレチェ国へのヘイトが高いこの領を二番目に選んだところに誠意がうかがえる、というのが有識者の意見。同領にある古戦場を巡って、両国の戦没者に哀悼の意を捧げる姿は印象的だった。
さらに少年少女がお見合いに明け暮れる東山院領。若人の出会いを健全に整えるお見合い制度は是非ブレチェ国にも導入したい、と学びの姿勢を示しつつお見合い学校を熱心に見学するイルマ女王。他国の一般人に
そして、今回がマサオ教の総本山である北大路領。
「マサオってこの国の呼び名で、ブレチェ国ではヒロシで通っているんですよね」
「肯定。不知火群島国では、よその女が夫の名を呼ぶのは超絶NG、ぶっコロがす――とキレる由乃様を抑えるべく『マサオ』呼びが浸透した、諸説ある」
「誘拐された被害者に別の名を付けて祀る……ブレチェ国から見ればけったいな宗教やろな。よう握手できるわ」
「握手する価値あり。北大路と親密になることで、ブレチェ国でも大々的にマサオ様グッズが売られる。販売圏が広がってマサオ教はニッコリ、ジェネリックタクマグッズを購入OKでブレチェ国民もニッコリ。二組は幸せなダブルピースをして終了」
「綺麗事だけで終わらせないのはさすがですね」
俺が預かり知らない所で様々な思惑が交差しているようだ。血や涙やその他体液の流れに乗って、金と欲望が行き交う魔境。絶対に近付きたくねぇ。
「デ、最後ハ南無瀬領ネ……上等Death! アノ女ニ、アタシノハウスハ跨ガセマセン!」
ううぅ、そうだよな。こちらが近付かなくても向こうから急接近して来るんだよな。
イルマ女王の来島中は、仕事があるからと別の領に避難するか……
けど、んな浅はかな逃げが通じるのか。相手は気軽に国境をまたぐフットワークふわふわな神出鬼没女王だぞ。
そもそもイルマ女王の目的はなんだ? 俺や音無さんなのか? ワンチャン公明正大な為政者に目覚めたのを期待してはいけないのか?
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