【サプライズ訪問】

拓馬様を感じます。


正門を越えて中御門邸敷地に入りますと、拓馬様の気配においが強くなりました。北北東に2.5ほどの距離、南無瀬組の方々にお使いいただいている屋敷からです。

穏やかな気配におい……うふふ、本日のロケは滞りなく終了したのですね、後でログを確認することにしましょう。


すぐにでもお会いしたい――はしたない心を抑え、身を清めるべく母屋へ向かいます。

世界文化大祭の準備に、新体制のブレイクチェリー女王国への対応。業務が立て込み、ワタクシと言えど疲れを覚えます……ですが、それを拓馬様に悟られたくはありません。拓馬様には一番のワタクシを見てほしいのです、そのために湯船に浸かって身綺麗になりましょう。




お風呂をいただき、自室で髪を乾かしていますと。


ブーンブーンブーン。

バイブ音がしました。条件反射で下腹部に手を伸ばしかけましたが、そうではありませんね、携帯電話の方でした。

着信画面を見ますと、ワタクシの秘書官からです。


「こんばんは。どうかなさいましたか?」


『夜分、失礼致します。急ぎお耳に入れたい事がありまして……イルマ新女王についてです』


イルマ・ブレイクチェリー。目を輝かせていた幼き日の少女と、目を隠した底知れぬ女王。二つの顔が脳裏をよぎり、ワタクシは額を押さえました。


「――彼女がなにか?」


『先ほど我が国に入国されたそうです。護衛も付けずにたった一人で』


「誠でございますか……そのような事、ワタクシは存じておりません。どなたか事前に連絡を受けていた方は?」


『誰も、完全なサプライズです。今頃外務省は蜂の巣を突いたように大騒ぎでしょう』


「……それで、イルマ女王は空港にいらっしゃるのですか。お考えは分かりませんが、丁重におもてなしをしなくては」


『申し訳ありません。空港の職員が少し目を逸らした隙に姿をくらましたそうです。大事おおごとにすれば国際問題に直結しますので、捜索方法を検討しています』


「ああ、なんてことでしょう」


畳に伏したい衝動に駆られますが、踏み留まります。気をしっかり持ちましょう。この程度、拓馬様のやらかしに比べればお可愛いことです。


「時間を掛けてはいられません。ワタクシから公安部の責任者に連絡を入れます。あなたは報道規制を――」


秘書官と今後の対応を決め、ワタクシは電話を置きました。

拓馬様にお会いするのは後回しですか、そうですか。大変悲しゅうございますが、優先順位を誤るわけにはいきません。


公安部の方へ電話を――


ブーンブーンブーン。


電話を掛けるより早く着信が来ました。お相手は、当家に長年仕える使用人……っ、背筋に怖気が走ります。拓馬様が現れてから日常的に走るようになった困ったさんです。

けれど、拓馬様が醸し出す怖気に比べれば春の日差しの如く、今は耐えましょう。


『緊急事態でございます』


電話を取るや否やの一言には、焦りが込められています。


「ご説明を」


『招かれざる来客です。とびきりのVIPです。正門前にスタンバってピンポンしております』


「お心をお静かに。どなた様がいらっしゃったのですか?」


尋ねながらも確信はありました。このタイミングで予期せぬ来客、となればその御方は。


『イルマ・ブレイクチェリー女王でございます。アポなし国賓訪問です』





★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★





イルマ様とお会いしたのは、ワタクシが十の時です。

場所はオイシュットダンシュイン城。母を始めとする当時の領主の方々と共に、国交正常化三十周年の記念式典で伺った時の事です。

つつがなく式典とメディア対応が終わりまして、会食のお時間まで小休憩が挟まれた際に。


「ゆら様。式てんでいっしょでしたが、あらためまして、イルマ・ブレイクチェリーともうします!」


トコトコと駆け寄っていらっしゃったイルマ様から、六歳ながらにご立派な挨拶をいただきました。

あどけない顔つきですが、深く輝く利発的な瞳に次代の女王の片鱗を見たものです。

あの頃のイルマ様は礼儀正しくお元気で真っすぐで、十のワタクシが老婆心を抱いてしまいそうな可能性に満ち満ちていました。



かつてブレイクチェリー女王国の第二王女にして、不知火群島国の初代国主。あの人格破綻者のユノが掘った二国間の溝は、数百年の時を経てようやく埋まりました。ワタクシたちは対等な友人として手を握るようになったのです。

しかし、それは海外貿易を円滑に進めるための形だけの和解。長い年月いがみ合う人の心は易々と融和へ向きません。現に、三十周年記念式典の会場ですら不知火群島国側に向けられる視線には冷ややかなものが含まれ、他の御方より幾分聴覚が鋭いワタクシが耳をすませば心無い内談を聞き取れました。


そのような中だからこそイルマ様の光は眩しく、ワタクシは未来に希望を抱けたのです。


「しらぬいぐんとう国の方々は理性てきで男性としんらい関係をきずき、安定した国家きばんを手にしています。その根ていには男性をいつくしむマサオ教の教えがあるのでしょうか。よろしければゆら様のお考えを――」


「ブレイクチェリー女王国の医療分野、特に生殖補助医療の技術発展には目を見張るものがございます。国は民あってこそ生けるもの。今後の少子化対策をイルマ様はどうお考えで――」


今でも鮮明に思い出せます。短い時間でしたが、イルマ様とワタクシは互いを尊びながら二国の未来を語り合いました。

国を想い、民を幸せにしたい。理想主義と一笑に付すことは出来ません。六歳の言の葉の節々には深く広く温かいお考えがあり、ワタクシこそ沢山の学びを得ました。この方が不知火群島国にとって良きパートナーとなるか、良くも悪くも一目を置く指導者となるか……それは分かりかねますが、大樹の芽を見つけたワタクシの心は確かに躍ったのです――が、残念ながら数年後。

ブレイクチェリー女王の手によって芽は刈り取られました。

イルマ様は表舞台からお隠れし、それっきりお名前を聞くことはありませんでした――――拓馬様の行動記録に唐突に現れるまでは。





「突然の訪問、お応えいただきありがとうございます。ご無礼をお許しください」


「いえ、ようこそお越しいただきました」


あの利発的な瞳は分厚いベールに包まれ、あどけなかった口元は精巧な笑みが貼り付いています。

お召し物は袖の長い灰色のワンピース。首、腕、指に装飾はございません、一国の主でしたら意匠をこらした名品の一つや二つ身につけるもの。そうでなければ国の格が疑われてしまいます。それを排したということは……潜伏に重きを置いた、ということでしょう。


「長旅でお疲れではないでしょうか?」


「不知火群島国の快適な交通機関のおかげで体調はすこぶる良好です。のお膝元とは思えない安定した国家基盤、さすがは由良様」


いきなり、タクマさん、ですか――へぇ、そうですか。


「ワタクシの力ではありません。この国の人々の理性の賜物でございます」


「その理性を保てるのは由良様の先導あっての事でしょう。我が国はまだまだタクマさんへの免疫が弱く、タクマさんの映像や写真を見るまでもなく『思い出しタクマさん』で失神する人が後を絶たない始末で」


「あらあら」


――あらあら、初手から随分お気軽にお呼びになるんですね、タクマさんって。もしかして仕掛けています? 煽っています? うふふふ、まだお若いのに大変良き度胸をお持ちのようで。

あまりにタクマさんタクマさんおっしゃりますから。


「イルマ様、粗茶でございます」


「ありがとうございます、いただきます」


ご面倒なお口を塞ぎつつ、まずは一心地を。

それから――


「本日はどのようなご用向きでしょうか」


早々に本題へ移らせていただきます。よくよく考えれば、お約束も無くいらっしゃった方に遠慮する必要がございますでしょうか?

イルマ様に常識が伴っていましたら、今頃ワタクシは拓馬様と月を眺め語り合う風情の真っただ中のはず。ええ、至福の時を謳歌していた事でしょう。

刻一刻と、拓馬様との逢瀬をゴリゴリ削られる……んくぅ……耐えがたい苦痛です。故にイルマ様は敵です。お早く真意をゲボらせてお帰り願いましょう。


「タクマさんとの一時ひとときにお邪魔してしまい申し訳ありません」


「っ!」


拓馬様が中御門邸に居ることを知っている。それを承知でこのような強硬策を……


「手短に済ませます。悪い話ではありません――少なくとも不知火群島国にとっては」

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