【蜃気楼の王女】

ブレイクチェリー女王国、オイシュットダンシュイン城。


『双姫の乱』で半壊の憂き目にあったものの、その後も王族の居城として何度も修繕・改築された世界有数の名城。


芸能生活の新たなスタート地点としては最高のステージだ……なワケあるか!

最高を上回り過ぎだ! もっと慎ましい場所からリスタートしたかった!


……ううぅ、嘆いても仕方ない。

宛がわれた化粧室ドレッシングルームでドレスアップまで済ませてしまった、もうすぐ本番だ。



「大丈夫、ジュンヌちゃん? 緊張してるかしら?」


尋ねられて、我に返る。

化粧台の鏡に景気の悪そうな顔の僕と、後ろに立つ女性が映っている。


鮮麗なブラウンヘアーはさながら絹の滝、スラリとしながらも要所が飛び出たスタイルは反則級、身に付けた衣裳と宝石をバックダンサーに押し込めて燦然と輝く美貌。

彼女を見たことがない人は居るのだろうか。たとえ居たとしても、彼女を一目見れば知らずとも理解出来るだろう……この人は世界を代表するスターなのだと。


たとえ眩しかろうとスターに背を向けるのは失礼だ、僕は向き直った。


「正直、緊張しています……なにしろ観客が観客ですから」


「そうね、今日のお客は大物中の大物だわ。間違いなく世界でも指折りのVIP……うふふふ、昂らずにはいられないわね! 縮こまるより屈服させてやりましょう、そっちの方が楽しいわ」


凄い御方だ、天道美里さんは。

芸能界の大家である天道家、そんな看板が無くてもこの人自体の魅力が群を抜いている。


一世一代の大舞台を前にしても、美里さんの優雅で不遜な振る舞いは変わらない。

だからこそ嬉しい。幼い頃からの憧れが寸分もたがわず存在し続けてくれる。その輝きを浴びるほど傍に居られる。

正解だった、思い切って活動の範囲を海外まで広げたのは正しかったんだ。


「アドバイスありがとうございます! 僕、やってみます! 不知火群島国ナンバー1と謳われた男役の実力、見せてやりますよ!」


「気持ちのいい啖呵だわ、その意気よ」


「どう転ぼうと死ぬわけじゃありません! 観客が誰で、ここがどこだろうと、恐れることは何もない!」


「若いうちは危なっかしいくらいが丁度良いの。死線の上で踊りましょ」


「そもそも如何なる脅威もタクマ君から受けた殺意のアイビームよりはマシです! ノーダメです!」


「うっ……!」


「美里さん?」


なぜか、美里さんの輝きに影が差した。


「そ、その節は本当にごめんなさいね……あたくしの祈里むすめのせいでしょ。『深愛なるあなたへ』でジュンヌちゃんをタクマ君の恋敵役に抜擢するなんて、死ねと言っているものだわ。タクマ君からの物理的な痛みはご褒美以外のナニモノでも無いけど、ガチの精神攻撃はNGよ。戦争にだって倫理とルールがあるご時勢で条約違反も甚だしい!」


「美里さんが気に病む必要はありません。全ては僕の心の弱さが招いた結果です。まだ後遺症と言うか、たまに思い出しては心臓が止まりますけど、何とか生きています。気にしないでください」


「ジュンヌちゃん! 今日の仕事が終わったら病院に行きましょう! あたくしが世界最高の環境と名医を見繕うから!」 


美里さんが僕を抱きしめて、背中をさすってくれる。

望外な幸福に包まれて、僕は海外進出して正解だったと再び確信するのだった。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★




『深愛なるあなたへ』


家族愛に狂った男性が、家族以外の人々を排除しようと暴れまわる作品。

人類史上最大の問題作の試作パイロット版に出演してしまった僕――兵庫ジュンヌは深刻なトラウマを植え付けられた。


カウンセリングと投薬と悪夢の入院サイクルを乗り越え、何とか芸能界に復帰。

そんな僕に待っていたのは。


「やあ、ジュンヌ君! 元気になってくれたかい? 結構結構。じゃあ早速、この脚本を読んでね。お待ちかねの『深愛なるあなたへ』正式版だよ。君の出番はたくさん用意しているから存分に演じてくれ」


不知火群島国きっての名脚本家・寸田川先生――の皮を被った死神だった。


「僕を高く買ってくださる先生には申し訳ないですが。この通り病み上がりですし、別の男役に声を掛けてはどうでしょうか?」


「ん~それがダメなんだよ~。パイロット版撮影でのジュンヌ君の散りっぷりが広まっちゃってさ、男役はみんな拒否してくるんだ。酷いよね、プロの役者たる者、舞台で死ぬのが本望なのに」


「あくまで心構えの話ですよ、それ。確実な死が待っているのなら誰だって尻込みしますって」


「でもタクマ君と共演出来るんだよ、お得じゃないか! 命を賭ける価値はある!」


「そのタクマ君に心底嫌われる役なんですよ。先生が役者だったら、このオファーを受けますか?」


「ふっふん、馬鹿言っちゃいけない。当然、受けないさ! ヤンデレタクマ君は見るだけでも精神を削られる美の狂気。そんなものから逆に見られる、しかも殺意を持って……オブゥェ、考えただけで血反吐物だね」


さすがは人格を売って物書きの才能を得たと言われる寸田川先生。自分がやられて嫌な事でもグイグイ押し付けてくる。


「オファーの件は後ろ向きに考えさせていただきます。受けるかどうか、まず脚本を読んでみないと何とも……」


寸田川先生が簡単に折れないと察した僕は、判断を先送りにした。


「分かったよ、この場は退こうじゃないか……ふふふ、脚本を読んだらきっと乗り気になるよ。なにしろ自信作も自信作、これ以上の修羅場は無いってもんを書いたからね」


「なんですか、その逆効果な売り文句は…………あっ」


僕とした事が観察を怠るとは……致死率高めの地獄を作っておきながらドヤ顔をする寸田川先生――その瞳はすでに正気ではなかった。

ヤンデレタクマ君のことを最も想い、その一挙手一投足を考えるのは書き手の寸田川先生だ。狂気に思い巡らす人が狂気を孕まないはずがない。

思い返してみればさっきの「オブゥェ」の吐血も妙に手慣れていた。先生はもう限界の先に逝っているのかもしれない。


「読むのが楽しみです、先生の自信作……」


物悲しさを胸に、呪いの脚本を受け取る。


「どうしたんだい、ジュンヌ君? 急にシュンとしちゃってさ、まるで遺作を渡された人のようだ」


「え、縁起でもない! おほん、オファーについては後日ご連絡致しますので……それでは先生、どうかお元気で」




『深愛なるあなたへ』の正式版か……

遺作とは言い得て妙すぎる。本当に先生の最後の作品になるかもしれない。

寸田川先生と別れた僕は、行きつけのカフェでコーヒーを飲みながら物思いに耽る。


出演てみようかな、そうでなくても脚本はちゃんと読んでみるか。


僕は愚かだった。


数ページ読むや否や、頭痛と吐き気と目眩めまいを覚え、さらにタクマ君のターゲットとなる婚約者役が登場したところで発熱、呼吸困難、心肺停止をもよおした。

ああ……屋内のはずなのに空が近い、今にも落ちて来そうなほどに。


同情や博愛精神に塗れた愚者の目を、呪いの脚本が覚ましてくれたのだ。一歩間違えれば目を永遠に閉じることになったけど。


カフェで倒れたのは不幸中の幸いで、すぐに行きつけの病院へ運ばれた。もし自宅だったら発見が遅れてアウトだったかもしれない。



病床で僕は決意した。


「よし、逃げよう」


せっかく拾った命、大事にしなくちゃ。

急いで不知火群島国から飛び立とう。この国で芸能活動をしていたら、いつ寸田川先生と出くわすか分かったものじゃない。

エンカウントすれば人生終了だ。どんなに出演を拒否しても最期にはあの人の狂気に呑み込まれ、地獄への同行人ツレにされる。そんな未来が舞台袖で出番待ちしている気がしてならない。



そして何よりも――不知火群島国にはタクマ君が居る。


『本日、マサオ教降誕記念式典の会場で世界唯一の男性アイドル・タクマさんが突然神を自称し、すぐさま降臨させ、マサオ様と同郷であるとカミングアウトからヌッ友宣言に繋げて最終的にゲリラライブで会場やお茶の間を絶頂させました。マサオ教関係者や歴史学者からなる有識者会議は、発言の真偽よりも【タクマ・マサオの受け攻め】論争で紛糾しているとの事です。個人的には【マサオ×タクマ】しか無いと思います、ありえません、押し倒されるタクマさんこそ至高です。【タクマ×マサオ】派の方々は早く改心して真人間になりましょう』


病室に備え付けられたテレビが意味不明なニュースを流している。


『はあぁぁ!? 【タクマ×マサオ】こそ世界一ピュアな真実だろうが!? 【マサオ×タクマ】にトチ狂ったドタマを修理してやんよ! 永久停止保証だオラァァ!!』


キャスターの発言にブチ切れたコメンテーターが、床に固定されているコメンテーター席をちゃぶ台返ししたところでテレビを消す。


「なに、あれ」


バカな考えかもしれないけど、この国自体が狂気に憑りつかれている気がする。

ここに居ては僕もおかしくなってしまう。

逃げるんだぁ、タクマ君という狂気の届かない所へ。







そうして、海外での仕事を探していた僕は天道美里さんから誘われて、ブレイクチェリ―女王からの依頼を受ける事になった。いくら何でも最初からクライマックス過ぎる。


「美里様、ジュンヌ様。お時間でございます」


美里さんお抱えのメイドさんがドレッシングルームに入ってきた。

彼女は、祈里さんに仕えるメイドのお母さんらしい。飾り気のない黒と白のエプロンドレスを着て、メイドキャップを被った姿は娘さんとソックリだ。

年齢詐称レベルの美里さんほどでは無いけど、瑞々しさは健在な上に落ち着きがあって頼りになりそう。


こんな優秀なマネージャー兼メイドさんを雇用するなんてさすが美里さんだぁ。


「女王陛下がお待ちです……ご準備は、よろしいでしょうか?」


わっ、声が上がるまで気付けなかった。メイドさんと共に一人の女性が入室している。


美里さんの絹と比べるのが失礼なほどボサボサでパサパサの長髪。

前髪は目元を隠すほど長く、表情を読みにくい。

服装はブラックスーツ。南無瀬組のような威圧感はまったく無く、幸が薄くて暗い印象を受ける。


所作もキャラ立ちもしっかりしているメイドさんが横に立つと、彼女の存在が希薄になってしまう。

他人に口出さない僕だけど、もう少し外見に気を遣うようアドバイスを送りたくなる――でも、それは不敬だ。


「もちろんですわ、殿。準備は整っております、最高の一時ひとときをお届けしましょう」


美里さんが胸に手を当て、敬意を込めた返事をする。僕も慌てて「お任せください、王女殿下!」と右に倣う。


「たのしみです」


恐ろしいほど社交辞令なお返事。まったく楽しそうじゃない。

僕はまだしも美里さんほどの輝きを前にして、何の感慨もないとは恐れ入る。


「こちらへ」


ヨロヨロと危なっかしい足取りで先導を始める王女殿下。

身長は僕より少し低いくらいか、平均以上はあるだろうに、その背中は小さく感じる。


噂には聞いていたけど、本当にのか……


彼女の名前は、イルマ・ブレイクチェリー。

『破壊者』と畏怖される現・ブレイクチェリー女王の長女であり、最大の被害者であり、ブレチェ国民から『終わってしまった人』と揶揄される御方だ。


前を行くイルマ王女は弱々しくて、虚ろで、蜃気楼しんきろうのように思えた――――この時は、まだ。

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