蒸発にうってつけの日

「……結婚か……はぁぁ」


自室の畳に寝転がり、物思いに耽る。


結婚。愛し合う者同士が今生こんじょうを共にする誓い。

人生の一大イベントであり、政略結婚や略奪婚など例外はあるものの祝福されるべきものだ。


だが、俺にとって結婚は禁忌の呪文である。口にすれば最期、災いが大手を振って駆け付けるだろう。


実際に、


「タクマくんってぇ、結婚する気はなぁい? 誰かとガツンってぇ結ばれてくれると助かるんだけどぉ? タクマくんが既婚になればぁ、脳内夫を持つ人たちも目が覚めるとぉ思うのぉ」


と、あけっぴろげに咎人とがびとムーブをかました心野こころの甲姫こうひめさんは消えた。


「「「あっ゛?」」」


「ヒッ!? ちょ、ちょっと待ってぇん! 性急なお願ぁいなのは分かってるぅけどぉ、一考の余地はぁぁぁんんんぅ!!」


(怒りで)沸騰した(893に囲まれると)対象は蒸発する。常識だ、小学校の教科書にも書いてある。

そういうわけで闇の物理法則に従い、甲姫さんは居なくなった。

いや、ネガティブになるな。きっとテレビ局の外に叩き出されただけさ。

組長の娘すらお隠れにする南無瀬組だけど、一応正式で公認の組織だし、国際団体の『キューピッド』と角が立つような事はしないはず……しないよね?



「アホなこと聞かせてもうてごめんなぁ、拓馬はんは何も気にせんでええよ」


「人生は出会いと別れの連続。その一幕が終わっただけの事、三池氏には次の舞台がある」


「そんなことより、むかっ腹できっ腹になっちゃいました。ちゃっちゃと帰ってご飯にしましょ!」


笑顔の仮面で憤怒を覆う真矢さん、椿さん、音無さんに「命までは獲ってませんよね?」と確認する胆力は持ち合わせていない。

甲姫さんが極刑に処されていない事を願いつつ、俺は興奮冷めやらぬ南無瀬組を刺激しないようお行儀良く帰宅した。



「……結婚ねぇ」


そして現在。

甲姫さんの遺言を検討できるほど余裕を取り戻した俺は『結婚』に思い巡らせている。


不知火群島国の成人男性は五人の妻を娶らなければならない。結婚は強制だ。

しかし、俺は外国人扱いを受けており、不知火群島国の法は適用されていない。甲姫さんの最期の願いなんぞ聞き入れる責任はない……が、不知火群島国の婚姻数や出生数の激減まで関係ないと切り捨てる図太さは無かった。こちとら元凶だ、いずれ日本に帰還するにしても『立つ鳥跡を濁さず』のスタンスでいきたい。もちろん濁すだけの跡が残るようにもしたい。


「要はみんなを結婚へ焚きつければ解決だよな」


パッと思いつくのは歌による洗脳だ。結婚ソングは腐るほどあるし、肉食世界向けにアレンジして町に垂れ流せば……って、イカンイカン!

真っ先に洗脳が頭に浮かぶって、アイドルとしてどうよ? マサオ教とのイザコザ以降、洗脳へのハードルが下がった気がする、戒めないと。

人型の肉食獣に見えても大切なファン、身体と思想の自由は尊重して然るべきだ!


それに俺の歌は威力があっても、望み通りの方向に聞き手の思考を誘導出来ない。

もし、歌の効果でみんなが結婚にノリ気になっても、俺を結婚相手ターゲットしたら事態悪化だ、世界の滅亡が早まる。


「要はみんなを結婚へ焚きつければ解決だよな、人権を考慮して、俺以外の相手と」


「だったらキャンペーンはどうでしょ?」


「結婚にお得感を付けて、未婚者ホイホイすべし」


壁に耳あり、障子に目あり。俺の部屋は怪談ばりに耳目がつどいやすい、独り言を吐けば感知されるのは自明だった。


隣室に繋がるふすまの隙間からダンゴたちの眼光が照射されている。


「キャンペーンって、なにかアイディアがあるんですか? あっ、部屋に入ってOKです」


盗み見と盗み聞きはスルーだ。ノータッチ事案にいちいち目くじらを立てていたらストレスフルな渡世とせいを送っていけない。時として鈍感は正義であり、敏感はおおむね悪だ。


「お邪魔。夜分に失礼」


「こんばんはぁ、今夜も性地巡礼です」


勝手知ったる他人の部屋。ダンゴたちは俺を挟んで陣取り、持ち込んだマイ座布団を敷いて着座した。


椿さんも音無さんもお風呂を済ませているからか、清潔感のある甘い匂いがする。

ダンゴたる者、護衛対象を不快にしないよう身なりに気を遣うらしい。南無瀬邸に帰ると、二人のうち片方は俺の護衛を続け、もう片方は湯を浴びるのがダンゴたちの習慣だ。だらしなそうな様子に反してダンゴたちの制服は皺がなく、今だって就寝兼護衛用の(ダンゴ曰く)高機能性パジャマはおろしたてのようだ。


些細な行動や振る舞いにも思いやりが含まれていて頭が下がるな、と感謝する傍ら「トラは獲物に察知されるのを防ぐため、狩りの前は水浴びをして己の匂いを消すらしいですぜ」と下半身ジョニーのマメ知識も聞き入れる。やらかしや自爆を防ぐのは、たゆまぬ警戒心ってそれ一番言われているから。



「既婚者キャンペーンをやるんですよ! キャンペーン期間中に限り、既婚者の家庭にタクマグッズをプレゼントって。あっ、南無瀬組は無条件にゲットできる感じで」


「グッズ内容は熟慮を重ねるとして、いずれにせよ非売品かつ限定版にすべし。入手機会はキャンペーン期間のみ。ファンが垂涎で脱水症になる希少度が望ましい」


「な、なるほど! 実施すれば未婚の男女を結婚へ駆り立てられそうですね…………けど」


「「けど?」」


「結婚って人生最大の岐路です。その後の生き方が大きく変わる分、誰もが考え、悩みぬいた末に一生のパートナーを決めるものだと思います。それをグッズで釣って急かして……本当に正しいんでしょうか? 結婚した人たちが『あの時、焦って結婚するべきじゃなかった』って後悔して不幸になったら、どう詫びればいいか……」


毎度のごとくノリと勢いで解決してはいけない案件だ。ファンの脳や性癖を壊してきた俺だが、人生まで壊してはいけない…………ん? すでに半壊かもしれないな? まま、全壊は避けよう、そうしよう。


俺の懸念をダンゴたちは「ああぁ……」と仄暗い溜め息で返した。


「三池氏は男女比1:1のトロピカル理想郷ニホン出身。無用な危惧で心を痛めるのも分かる……だが、止めてほしい。自覚のないマウントは血管に悪い」


「三池さんの発言は、砂漠で遭難して死にそうな人へ『口に合うかなぁどうかなぁ~っ』って水を差し出すか迷っている人のソレです。三池さんだからこそ我慢しますけど、男に困っていないどっかの女王が同じ事を口にしたら……あたし、自分を抑えられる自信がありません」


「……こ、これは誠に、申し訳ありませんでした! 平にご容赦を!」


しまった、浅はかだった。不知火群島国における『結婚』は可燃性ガス、一歩間違えればリアル炎上を招きかねない。

持っているだけで着火率マシマシな日本の常識はポイッしよう。



すっかり板についた土下座で、お二人の留飲を下げて、議論再開。



「いいですか、三池さん! この国も、イカレた女王国も、どこもかしこも『結婚』は即男即結そくだんそっけつ! チャンスと見るや結びつくんです! 雁字搦がんじがらめで絶対に逃がさないように! もしかしたらもっと美味しい男がいるかも……とか選り好みする夢女は夢見たまま永眠しろってんです!」


すげぇや。地球で発信すれば全方向にケンカを売れて満員御礼だ、異文化感が最高潮だぜ。


「既婚女性の多くはバカではない。夫の心と下半身が折れる愚は出来るだけ犯さず、自制心を持って犯す。男性が『あの時、結婚するべきじゃなかった』と後悔するのはデフォだが、出来るだけメンタルケアもする」


はぇぇ、すんごく信用ならない『出来るだけ』、迷惑メールの広告の方がまだ信憑性がある。


「タクマグッズで未婚者を釣って誰が不幸になるんですか!? 妻も夫も共有の媚薬をもらってお熱い性活が送れてハッピーじゃないですか!? 良かったですね! あたしは全然良くないですけど! お幸せに! チクショーメー!」


「未婚の同志が既婚側へ抜け駆けしていくのは心身に変調を来しそうだが、これも三池氏をトラブルから遠ざけるため。そう思えば、私の心は凪のように穏やか……に……ぐ……ぐにゅ……ぐごごご……」


「ちょ、まっ、音無さんも椿さんも落ち着いて」


全然留飲下がってないやん! どうすんのコレェ!?

ダンゴたちも未婚者。そんな彼女たちに結婚可燃性ガスをたくさん吸わせてしまった、早く換気しないと大爆発だ!


「ねえねえ三池さん。日本にお帰りになるまでのお試しでいいんです。あたしとプレ結婚しませんか? 気に入らなければ返品オーケーですから」


嘘だ、絶対トリセツに『一点モノのため返品不可』と書いてあって、揉めに揉めての消費者庁案件だ。


「二重の意味でよくない。三池氏で抜くのも、三池氏から掛けられるのも私。水(意味深)が合うナカで仲ヨシッ姦計」


下ネタの洪水やめてくれ、頭がどうにかなっちまう。


ズズーっと両サイドから這い寄るダンゴたち。かぐわしいケモノ臭に脳が混乱する。彼女たちの瞳はどこまでも必死、だからこそ瞳に映る俺の必死を物語っていた。


「ふ、二人とも深呼吸で冷静に……あっ、タクマニウムの吸引は危険なので息を止めて脳を一休みさせましょ。ほら、一緒になって組員さんに噂とかされると死ねますし」


両サイドからのプレッシャーでギチギチと肩身が狭くなる、脱臼しそうだ、誰か助けてくれっ――――と。


「ほーん、音無はんも椿はんも好き者やなぁ。風呂上がりに汗かきたいんか? ええで~、せっかくやから汗以外も流そか……血とか……脳漿のうしょうとか」


――俺の悪運もまだ息災らしい。


絶対絶貞の瞬間、救いの女神にして、地獄への水先案内人がご降臨になされた。






☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆






今日は、よく人が蒸発する日だ。


先ほどまでの喧騒と発狂と慟哭が嘘のように静まり返った部屋で、いなくなってしまった人たちの事をしみじみと思い出す。


「結婚はセンチコロシタルな話題やさかい、気軽に口にするもんやない。特に夫人枠まっさらな拓馬はんから結婚の話をされるんは頭に毒や。ダンゴたちやなくても凶行に走るで」


「……すみません。不知火群島国の出生数を知ってしまったら、何か対策しなくちゃと思ってしまって」


「既婚者へのキャンペーンかいな……アイディア自体はええんちゃう? 実行までに何度も煮詰めなあかんけど核の部分はしっかりしとるし……え、ええで……みんな幸せになって、うちは賛成やで……ェぇ」


あっ、真矢さんが震えている。気丈にも理解あるマネージャーの仮面を被り続けているが、身体は限界が近い。込み上がる悲しみに耐えるように、全身がガクガクと軋んでいらっしゃる。

なにやってんだ、俺。結婚は可燃性ガスって知りながら、また充満させる気か! 

ただでさえ真矢さんは複雑なお年頃なんだ、早く換気するんだ!


「そ、そういえば! 来月からいよいよ西日野にしびの領でのアイドル活動が始まりますね! 楽しみだなァァ!」


強引に話を変える。ワザとらしくてもいい、真矢さんが爆発してダンゴたちの後を追うよりマシだ。


「……にしびの……せっ、せやせや……西日野。拓馬はんにとって未踏の大島や、気合入れて殴り込むで!」


自分の変調に気付いたのだろう。真矢さんは気恥ずかしそうに取り繕いつつ話題に乗ってくれた。




不知火群島国は五つの大島と、無数の小島からなる群島国家だ。

大島は中央に中御門なかみかど、南に南無瀬みななせ、東に東山院とうざんいん、北に北大路きたおおじが点在する。

そして、西にあるのが西日野にしびの

各島は、国の中枢、漁業を中心とした食料庫、若き男女を集めた学園都市、マサオ教の総本山と特徴を持っており、それは西日野にも当てはまっていた。



「西日野に行くんなら『キューピッド』に気ぃつけんと」


「えっ? どうしてキューピッドの名前が出てくるんですか?」


「西日野には不知火群島国内のキューピッド活動を司る本部があんねん。第二、第三の甲姫はんがうちらの前に現れて、ふざけた提案をしてくるかもしれへん。要注意やな!」


第一甲姫さんの元気な顔を見たいんですが、無理そうですかねぇ。


「十分に注意します……ところで、どうして本部が西日野にあるんですか? 本部って言えば普通は中御門なんじゃ?」


マサオ教の本部が北大路にあるのは、そこが宗教発祥の地であり、後輩ヒロシの狂気発症の地だからだ。

でもキューピッドは世界各地にあるわけだし、不知火群島国で創設されたわけでもない。なんで西の島に本部が?


「ええ質問やけど、うちが言わんでも分かるはずや。『キューピッド』が何の組織かと、西日野領が持つ役割を考えればな」


キューピッドが…………たしか、人口維持組織だっけ。


そして、西日野領は、この国で一番大陸に近い場所に位置する――


不知火群島国は『双姫の乱』という内乱を起こした由乃ゆの様率いるテログル……もといレジスタンスが、逃げおおせた先で建国した。

内乱時、由乃様は混乱に乗じ姉の婚約者であるヒロシを略奪した。おまけに、後に自分とヒロシの仲睦まじい姿を絵画にして、姉へ送ったらしい。国家規模のネトラレ絵画レターである、鬼かよ。


そんなわけで不知火群島国が建国された当時、大陸との関係は最悪だった。

そのため、大陸に近い西日野に与えられた役割は――


「そうか、西日野と言えば。軍の拠点が多いですし、人口維持組織の『キューピッド』に通じるところがありますね」


「事前学習はバッチリみたいやな。うちが西日野での活動を後回しにしたんは、国防関連のイザコザに拓馬はんが巻き込まれるんを嫌ったからや。今でこそ不知火群島国は大陸と仲よぉやっとるけど、あの国の本心は分からへんし」


なるほど、俺の来島順番にはちゃんと理由があったんだな。

『キューピッド』はまだしも、あの国が俺のアイドル活動に介入してくるとは思えないけど、一応気に掛けておこう。


あの国――――ブレイクチェリー女王国を。

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