六章 黒一点アイドルの結婚(狩り)
性の世界
「このライブが終わったら、俺と結婚してくれないか」
会場の熱気が届く控室。私とタクマ君だけの空間。
メイクの最終確認を終え、タクマ君が
け、結婚!?
慌てて首を横に振る。
タクマ君は唯一無二の黒一点アイドル。みんなのタクマ君であり、私一人のタクマ君じゃない。
『結婚』は彼を独占する神すら恐れぬ行為。出来るわけがない。
それに私とタクマ君では釣り合いが取れな過ぎる。自分が彼の横に立つなんて考えたこともなかった。
「想像通りのリアクションだな、プロデューサー。仕事には気を張って鋭敏なのに、自分へ向けられる思いには鈍感か。俺はさ、プロデューサーが思っている以上にプロデューサーに感謝しているんだぜ。『アイドルになりたい』って男が見るには辛い夢を全力で応援してくれた。俺が襲われないようあちこちに頭を下げて、万全の企画を立ててくれた。嫉妬に駆られたファンに襲われ何度怪我しても俺を心配させないよう気丈に振舞ってくれた……気付かれてないと思ったか? バァカ、全部知ってたよ。当たり前だろ、大切なプロデューサーなんだから」
タクマ君が腕を組み、宣言する。
「俺との結婚に拒否権はない!」
その言葉には絶対の自信が宿っている。
「ファンの皆さんには悪いが、今回のライブはプロデューサーに捧げるために計画した。ライブ用の書き下ろし曲も、演出の一つを取ったって全部プロデューサーを思って作った。分かるか、俺にとってプロデューサーは全てなんだ! あなたの心をモノに出来るなら俺は何だってやる!」
カツカツと靴を鳴らし、タクマ君が接近する。
吐息が触れ合う距離。神の造りし精緻な顔立ちで私の視界は覆われた。
「俺を夢中にした罰だ、逃げられると思うなよ」
ドスの利いた声。まるで殺し屋のよう……いや、正しくタクマ君は殺し屋だ。こちらの人生を奪おうとしているのだから。
「ああ……それと」
タクマ君がさらに近付き、その唇を私の耳に寄せて――
「ライブの打ち上げ場所は俺の方で用意している。婚前交渉だ、今夜は寝かさねぇぞ」
殺し文句を囁いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
永遠の暗闇が広がっている。手足の感覚がない、たゆたゆと浮かんでいるだけだ。
私は死んだのだろうか。そうなのだろう。並み居る暴女の群れを突破し、タクマさんを
男を護って殉職、
「――! ――!」
何かが聞こえる。宇宙と同じ暗闇の世界でも音は響くのか……え、これは声?
「―ンゴ―! ――さん!」
慣れ親しんだ声、私に勇気を与えてくれる声、私の大好きな声。
一生忘れないと思っていたけど、死んだって耳に引っ付いて離れない、この声は……
「ダンゴさん! ダンゴさん!」
永遠の暗闇が晴れ、私は見慣れない部屋で目覚めた。
ダンゴは常に冷静であるべき。現状を確認する。
シミ一つない天井、汚れ一つない白のカーテン、同じく白のベッド、身体から伸びる透明なチューブ、吊るされた点滴バッグ。
私は生き延びて、病院に担ぎ込まれたらしい。
「よ、良かったぁ、やっと目を覚ましてくれた」
タクマさんが充血した目で見つめてくる。頬には涙のラインが何本も残っている、随分心配させてしまった。
もう大丈夫だとアピールしようとしたが。
「骨が何本も折れているそうです。無理に動かないでください!」
諫められてしまった。男の涙は反則だ、従わざるを得ない。
「ダンゴさんの奮闘のおかげで俺の貞操は守られました。本当にありがとうございます。何とお礼を言っていいか……」
気にしなくていい。ダンゴとしての職務を全うしただけだから。
「無欲な目ですね。ズルいな、ダンゴさんは……だから……俺は……」
断続的に呟きながらタクマさんは、また泣きそうな顔をした。
タクマさんが毎日お見舞いに来てくれる。
病床の横に陣取り、取り留めない話題を止めどなく発してくれる。
植物が音楽によって成長促進されるように、タクマさんの声が私を快方へ導く。巻かれる包帯は減り、身体の可動域は増え、声を出せるほど回復した。
ありがとう、タクマさん――だからこそ、あえて言う。
毎日来てくれるのは嬉しいが、私はもうあなたを護れない。職務復帰にはまだ時間が掛かるし、もしかしたら後遺症で二度とダンゴに戻れないかもしれない。
タクマさんはこれからもアイドル活動をこなしていく。あなたの進むべき道を塞ぐわけにはいかない、優秀なダンゴは他にもたくさんいる。もう私に構わ――「そんな言葉は聞きたくありません!」
あっ、またタクマさんを泣かせてしまった。
「ダンゴが他にもいる? 俺にとってのダンゴはあなただけなんです! あなたが居ないと俺は仕事一つまともに出来ない! お願いです、俺の前から消えないで! ずっと一緒に……っ!」
ベッドに座っていた私は押し倒された。目の前に瞳に涙を溜めたタクマさんが。
「そうです、俺たちはいつ如何なる時も共にあるべきです。ダンゴさん、俺と……俺と、結婚してください!」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「……ひぃぅぃ~~」
ヘッドギア型のVR装置を外して、俺は面妖な息を漏らした。
様々な感情が混ぜ混ぜになって処理できない。
『まるで実写』の売り文句が使い古された3D表現。だが、今回こそは『まるで実写』の決定版ではなかろうか。
VR画面に映るタクマは当人の俺が見てもタクマだった。
ポリゴンっぽさは全く無く、毛細血管まで再現したような超高精細さには脱帽である。
3Dスキャンスタジオで360°をカメラに囲まれた時はどうなるものかと思ったが、いやはや不知火群島国の3D技術は侮れない。
声は俺自身のものだ。自分で言うのも何だが……上手くなったよな、俺。
一年前、幼馴染モノの音声ドラマを作成した際は、あまりの棒読みぶりに顔から火が出るかと思ったが。
以降音声ドラマの続編を出す中で、コツコツと訓練してきた。その成果が花開いたようだ、誇らしい気分である。
日本にもアイドルとコミュニケーションを取れるゲームはあったが、実写画像を取り込んだものが大半で、このVRゲームのような臨場感や躍動感はなかった。何より没入感が段違いだと思う。
と、ここまでは技術に対する驚きと、成長した自分に対する喜び。どちらかと言えばポジティブな感情だ。
んで、ここからはお待ちかねのネガティブターンである。
「これ、発売して大丈夫なんですか?」
単刀直入に尋ねる相手は、このVRゲーム『タクマといっしょう』の開発責任者の大島さん。もじゃもじゃ頭と大きな黒ぶち眼鏡が印象的な女性で、業界では名の知れたゲームデザイナーらしい。
「大丈夫か、とは異な事をおっしゃる。人間は何を成したかで語られるべきです。少なくとも私は自分の使命のために余命を使いたい」
「死生観を持ち出すほど大丈夫じゃないんですね」
「問題ありません。文句を言う前にみんな物言わなくなりますから」
問題しかねぇやん。
人命軽視の大島さんだが、これでも既婚者である。未婚者ならゲーム開発なんぞ不可能だろう。
「あたしにも! あたしにもプレイさせてくださいよ!」
「ダンゴシナリオ搭載と言われたら、本場の拓馬ダンゴとして検証せざるを得ない」
「ほんならプロデューサーのうちも。しっかり監修するで」
南無瀬邸の客間に同室し、俺と大島さんとのやりとりを見守っていた音無さん、椿さん、真矢さんが口を挟んだ。
三人の視線はVR装置に粘着しており、一刻も早く『タクマといっしょう』の世界へ飛び込みたいようだ。
「ダメです」
「「「ええぇ」」」
「ええぇじゃないですよ! 危険すぎますコレ、煽り抜きにデスゲームやってますから!」
どうしてこんなゲームの開発を許可してしまったのだろう。
違うのだ、始めのコンセプトはもっと穏便だった。あくまでタクマとの『友情』を楽しむゲームだったんだ……
遡ること半年前。
中御門に進出してしばらく経った頃、俺の下に一通の手紙が届いた。
差出人はトム君。以前、東山院で発生した男子クーデターのリーダーである。事件後、昼は夢だったお
そんな彼からのメッセージはこのようなものだった。
『お菓子屋さんで働いていると、お店の人やお客さんから鋭い目で見られることがあります。とても怖いです。でも、タクマさんのピンバッチや小型フィギュアをポケットに入れていると勇気が湧いてきて耐えることができます。本当にタクマさんのご利益には感謝しかありません。ああ、でも――もっとタクマさんを身近で感じられたら、もっと頑張れるし、メアリちゃんとの夜の闘いにも勝てると思うんですけどねぇ……』
なんか凄く催促されているのが気になるものの、この世界の男性のために何かをしたい。
そう思った俺は新ジャンルのグッズ案を周りから募った。で、ゲーム会社からVRゲームの企画が来ていることを知り、大島さんと接触し、そうやってプロジェクトはスタートしたのである。
当初、ゲームは学園物になるはずだった。プレイヤーは『男子』となって同級生のタクマと友情を育む。ちょっと友情の方向性が危ういけど生命は危うくない内容だったのである。
しかし、開発チーム(既婚女性8割、有志で集まったテレワーク参加の男性2割)の間で「学園物ではタクマの持ち味を活かしきれない! つか友情で抑えられるわけないだろ逝い加減にしろ!」との意見が噴出した。
やっぱりタクマと言えばアイドル物でしょ、プレイヤーは『プロデューサー』と『ダンゴ』のどちらかを選択し、それによってタクマとの関係性が変わるとか素敵やん。
開発チームから提示された新コンセプトを、俺が拒否すれば大事にはならなかった――のだが、タイミングがよろしくなかった。
当時の俺は天道家同士のパイロットフィルム対決に巻き込まれたり、由良様に深夜のイタズラ告白電話をしたりで、精神が保てなくなって『早乙女たんま』という役に没入していた。たんまがタクマのゲームに関心を寄せるはずもなく。
「アイドル・タクマとのコミュニケーションゲーム? どうでもいい、好きに作って」
躊躇なくGOサインを出してしまったのである。
俺が平静を取り戻した時にはすでに遅し。
社運を賭けたゲーム開発が進行しており、題材である俺であってもプロジェクトを止められなくなっていた。
「いま開発を中止したら社員たちが路頭に迷います」と言われれば閉口するしかない。
そうして本日、『タクマといっしょう』のプレリリース版を持って大島さんが南無瀬邸にやって来たわけである。
ってかゲームタイトルが重い、重くない?
「テストプレイはやったんですよね? どんな感想が出ましたか? 特に未婚の方の感想を教えてください」
もう一度、ゲームの危険性について大島さんに問う。
「未婚者は一旦置いておきましょう。既婚者の方々の反応ですが、プレイ後に配偶者の下へ直行しました。溢れんばかりの劣情をぶつけるためと思われます。私もぶつけました」
「なるほど。それで、肝心の未婚者の感想は?」
「未婚者はともかくとして……男性にもテストプレイしていただきましたが、メスのお顔で愉しんでいらっしゃいました。プレイ後は自室に
「闇が深いですが死ななきゃ安いと割り切ります。で、未婚者は?」
「そうそう、青少女への影響を考えて、このゲームにはプレイヤーの推奨年齢『20歳以上』と設けています。暴力行為や反社会的表現のないゲームでは異例の配慮です。また性描写は力を入れてカットしました。元の脚本ではシーンの半分でタクマさんが裸になっていましたし」
「元の脚本については聞かなかったことにします……先ほどから未婚者の感想が無いという事は……感想を呟ける人が居ないと言うことですか?」
「うっ!」
大島さんは狼狽した。それが答えだった。
「わたくし共の見立てが甘かったのは確かです。このゲームのエンディングは『結婚』。結婚後の営みには一切触れておりません。結婚は法律的な結びつきで、肉体的な結びつきと異なります。それならプレイヤーも耐えられるとの目算だったのですが」
悔し気に大島さんは吐露する。
結婚か……改めて考えると、肉食世界における結婚とはどれほどの位置づけなのだろうか。
この世界に『離婚』の概念はない。
肉食女性は狂暴だが献身的だ。一度捕らえた獲物は(寝具の上以外では)後生大事に扱う。自分と他の妻以外が夫に危害を与えないよう全力で護る。
夫への愛に性欲が深く関与しているのは明白だが、愛は愛だ。その一途さは尊ぶべきものに違いない。
肉食世界にとって結婚とは、日本人の認識よりずっと重いものなのかもしれない。
「……こちらをご覧ください」
大島さんが差し出してきたタブレットには、ヘッドギア型のVR装置を付けたまま病院のベッドに横たわる女性が数人映っていた。
やはり逝っていたか。
「彼女らはテストプレイを始めてから一度もヘッドギアを外していません。ゲームクリアしてもそのまま周回プレイに移行しています、終わりなき周回プレイに」
お、おう……
「時折失神しますが、いずれ復活してまたプレイを続行します。外部からの呼びかけには一切反応しません。食欲と睡眠欲を忘れてゲームに没頭するだけの生物になってしまうのです」
どうしよう。いつものように「昇天しました」と言われる方がまだ心に優しい。
「ヘッドギアなんて無理矢理外せば良いじゃないですか? 自分たちだけ拓馬さんとの世界に居座るなんて羨まけしからんです」
音無さんが唇を尖らせ言う。私怨まみれだが、もっともな提案だ。
「ヘッドギアの取り外しは試みました。ですが外した瞬間、テストプレイヤーは悲鳴を上げて、プツンと糸が切れたように動かなくなりました。何とか一命は取り留めましたが、意識不明のままです」
う、うわぁ……
「タクマさんとの世界を壊されたショックに心が耐えられなかったようです。無理やり起床させると患者……もといテストプレイヤーへ極度の心的外傷を与えてしまう。わたくし共はこれをセルフ・アンチ・お目覚め現象、略してSAO現象と呼んでいます」
やっぱりデスゲームじゃないですか! やだーー!
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