セイソの先っちょ

早まったかもしれない。

後悔を味わうのは慣れているが、今回のは格別だ。

本棚の後ろから姿を現した隠し扉。由良様のプライベートスペースに続く扉から味わう『後悔』は、痺れと息切れと吐き気と全身の震えを引き起こしてくれた。


ヴォヴォッヴォオヴォヴォォォォォ!!


扉が叫んでいる。混沌のい寄る音があるとすれば、きっとこんな音だ。

俺の耳がおかしくなった? 

そうじゃない、逆だ。耳が正常だからこそ聞こえるのだ。

耳は『おい、この先は地獄すら生ぬるいナニかだぞ』と愚鈍な脳へ伝えるため、わざわざ『危険』を禍々しい音に換えてくれているのだ。


耳だけじゃない。第六感やジョニーは「あきまへんあきまへん!」と最大限の警笛を鳴らし、心臓は過去最速のリズムを刻み、胃はキリキリ具合に磨きを掛け、腎臓は尿結石の製造も辞さない構えで、脳へ危険を伝えている。

身体は正直だ、生存第一の立場を崩さない。


有能な俺の器官には非常に申し訳ないが、すまない。147日前のように扉に怯え、尻尾を巻いて逃げるわけにはいかないのだ。


『虎穴に入らずんば虎子を得ず』

ただの好奇心で死地へ赴くほど俺は酔狂じゃない、地雷原でタップダンスするのはそれだけの理由があるからだ。



ヒロシの日記のおかげで、『不知火しらぬいの像』が日本帰還のキーアイテムである可能性が高まった。何としてもお近づきにならなければ!

正攻法ならば、年に一度、各分野で活躍された者に不知火の像のレプリカが贈られる『授与式』を待たなければならない。あの時なら本物の像にさわれる。しかし、式典はまだまだ先の話であるし、そもそも国相手にテロったり、ちょくちょく活動休止する俺が授与式に呼ばれるだろうか……難しいと思う。


なら来年の授与式に招待されるよう品行方正にアイドル活動を続けるか……出来るならそうしたい。だが、北大路での神降臨と薔薇の文明開化によって不知火群島国は大魔境と化した。俺自身がやらかさなくても、誰かのやらかしを喰らい夢半ばで散る(意味深)未来は大いにありえる。


方法を選んでいる暇はない。

正攻法以外で不知火の像に近付くには、由良様に取り入るのが一番!


「由良様、この目に不知火の像を焼きつけたいんです。観覧の許可をください! お願いします、何でもしぁぅんすから(言質を取られないための噛み)!」


必死に頼めばお優しい由良様のこと、きっと便宜を図ってくれるだろう。

が、ここで一つの命題が立ちはだかる。

すなわち『由良様は清楚なのか、肉食なのか』だ。


清楚ならばウマし! その優しさに付け入って、不知火の像に接近し、日本帰還を果たす。

肉食ならばマズし! 中御門家の者であれば不知火の像が『救世主を招くモノ』だと知っている。俺が像に招かれた救世主で、その俺が再び像に触れれば…………由良様が像の効果を本気で信じていなくても、『三池拓馬』と『不知火の像』を結びつけて考えさせるだけでアウトだ。

もし由良様が肉食だった場合、獲物を取り逃がす要素は全力で排除するだろう。不知火の像は俺の手が絶対に届かない場所で保管されてしまう。


だからこそ! 由良様の真意を見定めねば日本帰還は覚束おぼつかない。この隠し扉は、避けては通れない代物だ!

肉食世界で逝かないためにも、俺はく!




「先っちょだけならバレない……ほんのお気持ち程度ならセーフ……」


ポジティブな言葉で己を励まし、俺は隠し扉に手をかけ――「待てよ」


俺の位置は発信機によってリアルタイムで観測されている。

中御門邸マップの不可侵領域に俺が入ったらどうなる? 

これはおかしい、と60秒も経たずに南無瀬組が突撃してくるだろう。領主のプライベートスペースに不法侵入すれば厳罰モノだし、南無瀬組はブチ切れだし、由良様からは警戒されるしで最悪だ――じゃけん発信機はここに置いていきましょうね!


腕時計、足首に巻いたミサンガ、ベルト、衣類の内側、靴のカカト部分。発信機は様々な場所に付けられ、くすり指の指紋を45秒押し当てる等の決められた手順を踏まなければ外れない。もちろん無理やり取ろうとすれば、中御門庭園の掘削音に負けない大音量で警報が発せられる。


発信機は人目につかない本棚の隅に……と。これで良し。


南無瀬組の監視下から外れると、途端に心細くなる。いま誘拐されれば永遠の監禁生活を余儀なくされるかもしれない。

そんな恐怖を抱きながらも、同時に湧き上がるのが圧倒的な解放感だ。

発信機は全部合わせても1キロに満たないのに、身体が格段に軽くなった。それだけ監視生活が心の負担になっていたのだろう。この解放感を永遠にするためにも侵入は失敗できない。



隠し扉は引き戸になっていた。取手が指紋認証になっていませんように! 念じながらハンカチを巻いた手で、恐る恐る扉を引く………………


「や、やったか」


ざっと1分間費やして10センチ扉を動かす。警報の類は無さそうだ。


「このまま何事もなく、お願いします……どうか!」


引き戸のレールにセンサが仕込まれていないか、侵入者対策で由良様の髪の毛がレールや戸車に挟まれていないか、数々の悪い想像がヒエッを加速させる。


気付けば扉を開けるだけで5分も経っていた。すでに疲労困憊、呼吸は苦しく、額は汗ばみ――ってヤバい!


「くそっ、フェロモる!」


ジャケットのポケットから消臭スプレーを取り出し、狂ったように全身へ噴きかけた。肉食獣の嗅覚は鋭い、フェロモンには特に敏感だ。頼む、俺の匂い物質! 今だけは鎮まってくれ!



侵入する前から大騒動だ。これマジけるの? 

弱気な自分が疑問を投げかけてくるが……黙れ! なんかもう後戻りできない気がするし、先っちょをさっさと突っ込もうぜ!



携帯電話のライトを使って視界を確保。扉の先は下り階段になっている。

壁に明かりのスイッチらしきボタンはあるが、馬鹿正直に押したりはしない。痕跡は極力残さないようにしよう。


一歩踏み出す前に背後の引き戸を閉める――と。


ガガガ……扉の向こうから本棚の動く音がした。

なるほど、引き戸と本棚の動きはリンクしているのか。そら隠し扉が見えっ放しになっているのはイカンよな。


やがて扉の向こうは静かになった。対して、庭からの振動や破砕音は隠し部屋にも届く。

よしよし、庭園警備ロボ()の破壊衝動は未だ健在のようだ。時間の猶予はある。手早く由良様の本性を見定めよう!



階段を降り切ると、小部屋があった。12畳くらいか、部屋の端から端まで照らせるようライトを調節して、しっかり全容を把握し――「ひぃぃ!?」


向かって正面の壁に絵が……学校で用いられる画用紙サイズの絵が貼られている! しかも壁の色が分からないほど隅々まで!


「……落ち着け、落ち着け、よく見ろ。全年齢だ」


数が尋常じゃないだけで絵自体はクレヨンで描かれた微笑ましい絵柄だ。人の足の長さが左右で違ったり、首が異様に長かったり、顔のパーツが『 ^_^ 』になったりと子どもらしさが溢れている。幼い頃の由良様が描いた物か?


絵の背景は原っぱだったり、川だったり、お寺っぽい家が描かれているので中御門邸? だったりと色々だが、描かれる人物は決まって二人だった。


一人は髪型がロングだったり、ショートだったり、ポニーだったりと様々だが、服装の多くは白衣に赤袴な女の子。うむ、この子は由良様自身だろう。


もう一人は…………はっ?


もう一人は女の子の2倍くらいの体格で、王子のように金の冠を被っていたり、神のように白きローブを羽織っていたり、ロック歌手のように尖った衣裳を着ていたりと外見は絵によって異なる。だが、首から上は一致していた。


もう一人に顔はなかった。目も鼻も口もなかった。だが、のっぺらぼうというわけではない。顔のパーツの代わりに、名前が書かれている。


『たくまさま』と。あどけない文字で。



「はっ? なんで俺の名前が……?」


絵のタッチからして描かれたのは20年近く前、なんで少女の由良様が俺の名前を知ってんだ?

時間差攻撃の使い手はヒロシだけじゃなかったのか!?


過去からの不意打ちで強い目眩に襲われる。やばい、よろける、何か掴まるものは!


「っ! あぶねぇ」


四隅の一角にあった机に手を突き、事無きを――――ブーンブーンガタガタブーンガタガタブーン!!


「うわあぁあああ!!」


何かが机の上で振動し激しい音を立てた。たまらず俺も激しく悲鳴を上げてしまう。

急いで携帯電話のライトを机に向けると。


「――――あっ」


『たくまさま』とは別の意味で見てはいけない物を見てしまった。


ソレはマイクのような形をしていて、マイクのように声を増幅する働きを持っていた、ある意味で。さらにはバイブレ―ション機能を搭載した優れモノだった。


「これは……マッサージ器だな。商品の名称としては間違ってないはず。由良様はお忙しい御方だし、きっとお身体が凝っていらっしゃるのだろう」


わざわざ声に出して自身に認識させる。ってかこのマッサージ器、先端にイボが付いて……ままええわ(目逸らし)

そういや前に由良様の部屋を訪ねた時、扉越しにバイブレーション音がしたような……ままええわ(記憶逸らし)


マッサージ器はカラオケのマイク充電器と同じく挿して保管する仕組みになっていた。そうか、俺が机にもたれ掛かった拍子に電マが倒れてスイッチが入ってしまったのか。

息子の部屋を掃除するお母さんの心境で、俺はマッサージ器のバイブ機能をオフにして、元の位置に戻した。



さて、他に机には何があるかな……ん? これは!?


幾つかのフォトフレームが立て掛けられていた。中身はアイドル・タクマのブロマイドばかり。南無瀬領でしか売られていない上に数量限定のレア物まで飾られている。


やはり由良様は俺の大ファン…………疑問の余地はなかった。

フォトフレームの一つが雄弁に答えているのだ。フレームの中にあるのは写真ではなく、カードをラッピングする際に使われる小型封筒。

こいつは、タクマファンなら誰もが所持している会員カードの郵送用封筒じゃないか!


会員カードならまだしも、封筒を額縁に入れて丁重に扱うとは……

断言してもいい、由良様はタクマガチ勢だ。保管方法以外にも封筒の表面に証拠が記されている。


『会員番号1 中御門由良 様』


マジか、マジだ……

驚愕以上に疲労感を覚えてしまう。


不知火群島国の人口に近付きつつあるファンクラブの会員数。運営側の南無瀬組は『Extra枠』や『零番隊』を名乗っており、会員にはカウントされていない。

じゃあ、会員ナンバー1は誰なのか……以前、何気なく真矢さんに訊いてみた。



「堪忍な、うちから語れる事は多くあらへん。ただ、会員ナンバー1が拓馬はんの強力なパトロンっちゅうことは言える」


「俺の活動を支援してくれる人が? 全然知らなかったです」


「パトロンはんは、男性アイドルが活動しやすいよう関係機関に働きかけたんやって。それも役員クラスの人たちにな。んでお礼として、妙子姉さん自らがパトロンはんへ最初の会員証を渡しに行ったんや」


「凄い御方じゃないですか! 俺もご挨拶した方がいいんじゃ?」


「パトロンはんへの連絡は妙子姉さん担当や。領主自らが担当する相手、しかも周りに名を明かさない。厄い、厄いで! 拓馬はん、詮索は無しや。世の中には知らん方がええこともある。覚えといてな!」




世の中には知らん方がええこともある。



ごめん、真矢さん。忠告を守れなかった。

知らん方がええことを短時間でドカドカ知ってしまったよ。先っちょどころかズブズブだよ、俺ェ……

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