ささやかなお仕事

守漢寺しゅかんじの隣に、愛殿院は建てられていた。

避暑地の別荘のように生活感がない小奇麗な建物だ。守漢寺と違って風情は二の次で、男性が利用するためか侵入者対策の監視カメラや警報装置らしき物が幾つか見える。


「小生の案内はここまで。部外者が居ては積もる話も出来ないでしょう」


愛殿院の敷地を前にしてクルッポーが言った。


この先には南無瀬組トップの娘がいる。それも他領で問題を起こしてお見合い指定校を退学となった南無瀬みななせ陽南子ひなこさんが。

陽南子さんの大スキャンダルは一般に伏せられている。

しかし「部外者が居ては積もる話も……」と濁して同席を避けるあたり、クルッポーの耳には入ってそうだな。頭マサオでも一応次期領主、南無瀬領主のスキャンダルを知っていてもおかしくはないか。


「案内おおきに。愛殿院での仕事が終わったら連絡するさかい」


南無瀬組の恥部を知られている、と察しの良い真矢さんなら気付いただろう。それでも顔色一つ変えずに礼を述べているのはさすがの一言。


「承知しました。では、のちほど」


クルッポーも素知らぬ顔で返事する。


こういうのを『大人のやり取り』と言うのかな。

俺の行動一つ一つにもみんな百面相にならず、ポーカーフェイスを貫いてくれないものか……


そんな儚い願いを抱いているうちに、愛殿院の敷地に入った。


――と、玄関前に見知った人物が……もったいぶらなくてもいいか、『ござる』こと陽南子さんがそわそわした様子で立っている。


「待っていたでござるよ、タクマ殿!」


早い。視認された、と思うや大手を振られ歓迎されてしまった。


「ご無沙汰しています、陽南子さん」


ゆっくり近付きつつ、ござるを観察する。


最後に会ったのは半年前の東山院空港だったっけ。あの頃に比べて、また一段とスレンダーな体型になった気がする。

身長は俺と同じの180くらい。だが、パワーは向こうが上だろう。東山院での『鬼ごっこ』の最中、組み敷かれそうになった嫌な思い出が蘇った。


長い手足やスッキリした短髪からは、格闘的な意味での『出来る』オーラが放たれている。その威圧感を緩和してくれているのが、おっさん譲りの人の良さそうな垂れ目だろう。まあ、本当に人が良かったらお見合い指定校を退学になっていないんだけど。


「真矢おば上も組員の方々もようこそ! 皆様もご健勝のようで何よりでござる」


「おばっ……陽南子も元気そうやな。せやせや、若い子は元気が一番や……はぁ」


センチメンタルな年齢の真矢さんが、顔を引きつらせながら眼前の『若さ』を受け入れようと四苦八苦している。そっとしておこう。


「東山院での一件では、ご迷惑をおかけした。あの事件の中でタクマ殿の薫陶くんとうを受け、拙者は心を改めたでござる。今は殿方たちの生活をサポートしながら心身を鍛え直しているでござるよ」


ほんとぉ?

もっともらしい言い分だが、東山院での彼女は良識的な人間を装いながら俺を襲おうと計画していた。猛省したという態度は真実なのか、確かめるべきだろう。



ござると南無瀬組の再会が一段落したところで、俺は仕掛けることにした。


「ビックリしましたよ。陽南子さんがマサオ教のボランティアに参加していたなんて。前に会った時はマサオ教の話なんて全然していなかったのに」


「たはは、お恥ずかしい。マサオ教の活動に取り組み出したのは北大路領に来てからでござる。今回、領主の娘という事で皆々方の案内を仰せつかったが、その実まだまだ半人前もいい所でござるよ」


「活動期間は短くても男性を護ろうとする気持ちは本当なんですよね? なら素晴らしいことじゃないですか」


「褒め過ぎでござる。ですが、感謝感謝。男性を、ひいては世界中の人々が幸せになる一助になりたい。この気持ちに嘘偽りはありませぬ。今は世間知らずの大言壮語だろうと、拙者は頑張るでござるよ!」


夢に向かって全力の若人わこうど

眩しいほどに陽南子さんは輝いている。そこに暗い思惑が潜んでいるようには思えないが……



「さあ、殿方たちとの顔合わせの前に簡単な施設の紹介をするでござるよ。付いて来てくだされ」


先行する陽南子さんから少し距離を置きながら。


「どう見ます?」


傍らの椿さんに小声で尋ねる。

元・天道家の椿さんは天才的な演技センスを持つ。さらに『相手が演技しているのか見抜く』というチートスキルの保持者でもある。このスキルがなければ、東山院での大事件を解決することは出来なかっただろう。


「東山院の時のように、本心を偽ったり演技をしている兆候はない」


「じゃあ、安全ってことですか?」


「…………分からない」


「えっ? 分からない?」


「演技を見極める要素は『嘘をつく後ろめたさ』と『本心と解離する行動を取る際のタイムラグ』。この二つが僅かでもあれば私は感知できる……が、陽南子氏が心の底から善行だと信じて、客観的に見て悪行を成すのなら感知不能」


自分としては善行で、他人から見れば悪行……うへぇ、善悪反転とかやくの濃厚一番搾りじゃないですかヤダー。


で、でも確証はないし、俺の考え過ぎかもしれない。

確かめようにも善悪が反転していた場合。


「なにか良からぬ事を考えていませんか?」


そう尋ねたとして。


「良からぬ? おかしな事を言うタクマ殿でござる。拙者、お天道様に顔向けできない生き方はしないでござるよ! (なお、生き方の良し悪しは自己判断)」


こう返されるのが関の山だ。


陽南子さんが己の行いを悪行と自覚していないのなら、質問は意味を為さない。それに、こんなあからさまな訊き方は「あなたを怪しく思っています」と自白するも同然なので出来ないけど。





「事前調査は問題ないんやし、陽南子に関しては消極的信頼の立場で接しへんか」


真矢さんも人の子、身内を疑いたくはないのだろう。


昨晩、愛殿院ボランティアの名簿に『南無瀬陽南子』の名前を見つけてから、俺たちは組長であり親の妙子さんに連絡を入れた。ここ半年の陽南子さんの生活態度に不審な点はないか調査するためだ。


結果、怪しい所は皆無だった。


平日は模範生として学業に専念し、休日はマサオ教のボランティア活動で汗を流す。

男性の休養・娯楽を目的とした愛殿院のボランティアになるには、性格診断や性癖診断など厳しい審査を突破しなければならない。陽南子さんは審査最難関である『半裸の男性イラストを30秒眺めても涎を一滴も垂らさない』を受験者で唯一クリアしてみせた。


「恐るべき自制心だ、人間じゃない」「感じないにも程がある。まさか不感症なる空想上の病気を患っているのでは?」と周囲で囁かれるのも何のその、陽南子さんは完璧な淑女として更生したのである……あくまで世間的には。



「疑い続けてもらちがあきませんね。今は仕事に集中して、陽南子さんとのやり取りは最低限に留めます」


アイドル活動を前にして、気を散らすのはお客様に失礼だ。

それに、おっさんから「ヒナたんと会うことがあってもやんわりと対応してくれると助かるのだよ」と頼まれている。願い通り、ヒナたんについてはやんわりと頭の片隅へ追いやろう。



「陽南子氏への警戒は私たちが担う」

「三池さんには指一本、いえ色目一照射だって許しませんから」


こうして陽南子さんへの対応はダンゴたちに任せ、俺はアイドル活動へと思考を切り替えたのであった。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





危惧していた愛殿院でのお仕事だが、予想外にスムーズに進んだ。


愛殿院の施設紹介、男性たちとの顔合わせ、彼らとの合唱。

波風たちまくりな俺のアイドルライフで、こんなに平和だったことがあっただろうか。怖いくらい順調だ。


ボランティアの女性たちは俺との距離が近くても「ぐるるぅ」と唸らず、こちらへ跳躍することもない。さすがはマサオ教の施設で働くだけはある、高レベルの理性者ばかりで一安心だ。

ただ少し気になったのが、俺を見るなりじんわりと女泣きする人がチラホラ居たこと。危険度は低いものの未知のリアクションに、危機管理センサーのジョニーも困惑気味だった。



心配していた伴奏は、一夜漬けの練習成果としては上々にこなせて。


「皆さん、いいですよぉ! 歌えば歌うほど声がきめ細やかになっていきますねぇ! あとはサビの部分だけ! あそこがりきみ過ぎなのでリラックスしていきましょう。まるで自宅で過ごすような感じで……あっ、今の無し。大丈夫大丈夫、ここには皆さんを狙う人は居ませんからねぇ」


途中、俺の失言で男性たちの目から光が消えたものの、総合的にはつつがなく終わった。



仕事が終了すれば、即退散――というのが黒一点アイドル流だが。


「せっかくタクマさんがいらしたのです。お茶の用意をしましたので、是非参加してください」


男性らにそう言われては、招待を受けざるを得ない。

肉食世界では同性との団欒が絶大なメンタルケアになるってそれ一番言われているからね。



愛殿院の食堂に多種多様なお茶とお菓子を持ち寄って、ささやかな茶会が開かれた。

陽南子さんらボランティアと南無瀬組は食堂の中には入れず、完全なる男の園が形成される。


同席する男性は五十人、年齢はバラバラで下は五歳、上は七十歳と幅広い。

日本なら世代が離れすぎていて一堂に会しても話が盛り上がりにくいだろう。が、不知火群島国の場合は共通の苦労を背負っているためか、戦友のように結束力が高い。


「そうか……五人目の奥さんをもらったか。ローテーションに無理はないんだろうな、嫌なことがあっても酒を飲み過ぎるなよ。ちゃんと休肝日と休精日を作っておくんだぞ」


「ほうほう、坊やも十歳になったんじゃな。月日が経つのは早いのぉ。そろそろ女子の中でキセキの年代 (安全期間)を終わり、狂暴化する者が現れる。防犯グッズは必ず持ち歩くんじゃぞ」


「どうしたんだよ、すっかりせちまって……えっ? 薬を使った? 馬鹿、薬は一時的なパワーアップにはなるけど、そのうち耐性がついて効果が下がる。けど、奥さんたちの要求レベルは下がらないんだぞ」


周囲の声に耳を傾ければ、なるほど。戦友のように結束力が高いのは当たり前だった。戦場は異なれど、彼らはいつ終わるとも知れぬ戦いに身を投じる仲間なのだ。


俺の周りは常に数人の男性が集まり、


「タクマさんはなぜアイドル活動を始めようと?」

「そのたぐまれなる勇気は、どこから生まれるんですか?」

「今回の式典参加以外にも北大路で活動する予定はあるんですか?」


と、尋ねてきた。それらの質問に当たりざわりなく答えていて、ふと思う。


そう言えば、陽南子さんはまったく暗躍しなかったな。今も食堂の周りの警備を頑張っているみたいだし。

この茶会が終われば北大路邸に帰るだけ、もう陽南子さんと接触する機会はないだろう。色々不安だったけど心配し過ぎだったかな。やっぱり人間は他人を信じてナンボなんだなぁ……ひっく。



「あんれまぁ、このチョコ。酒が入ってないかい?」


「ブレチェ国に出張した妻の土産さ。向こうのワインが使われているんだ」


「子どもたちが食べたら大変だ。注意しないと」


「…………お、おお、そうだな。すまんすまん……」


んん、なんか身体がポカポカと温まってきたな。

温まると言えば、今日の俺はいまいち場を温めようとしなかった。

せっかくの合唱なのに伴奏だけに集中し、自分は絶対歌わないぞと心に決めちゃって。


いけませんね、お客さんを盛り上げきれなかったとなればアイドルの名折れ。これは挽回案件ですぞ、ふぉふぉふぉ。

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