鎌をかける

不知火群島国の言葉は、なぜか会話可能な未知の言語だ。

アイドル活動中に言葉の壁にぶつかった際はダンゴたちや真矢さんに助けてもらい、日本語に訳しながら何とかやってきた――が、ここに来てその好意が命取りになるとは。


身近に居るから忘れがちだけど、真矢さんはもちろん音無さんや椿さんも優秀なのだ。

高頻度で目を覆いたくなる奇行に走ったり、ピンク色の妄想に耽っていらっしゃるするけど、一流の才女たちなのだ。


彼女たちの前で何度も日本語を使っていれば、文字の特徴を覚えられても不思議じゃない。迂闊!



「怯えんでええ。拓馬はんとマサオ様の関係は口外せぇへん」


「えっ?」


内心で「やべぇよ、やべぇよ」していると、真矢さんが慈悲深き目で微笑んだ。


「マサオ様が拓馬はんと同郷。そんなんバレたらマサオ教が黙ってないやろ。現代神降臨とか騒いで、絶対面倒くさいことになる」


「ですね。三池さんとマサオさんの深い関係が世間に漏れたら、マサオ教以外も黙っていませんし……特にマサオさんと因縁のあるブレチェ国とか」


「宗教問題や国際問題に波及するのは防ぐべし。無用なトラブルは避ける。ダンゴとして当たり前の判断」


おお、なんて話の分かる人たちなんだ。

空気中のタクマ成分を読み取られるのは嫌だけど、こういう真っ当な空気の読み方は好き。


「ありがとうございます! 誤魔化そうとしてすみませんでした。いきなり日本の文字が出てきて、俺……ちょっと混乱して……」


「拓馬はんが故郷を離れて一年以上経つんや。ナイーブになるのはしゃーない」


俺の挙動不審を真矢さんはホームシックと捉えたようだ。その勘違いイイね!


「にしてもあの日記。どうにかして読めませんかね?」


マサオ教の式典に参加するのだから、事前にマサオ様について勉強したい。内容が分からなくても彼の日記を見て、その人格に想いを馳せたい――という口実はどうだろうか?

ううん、すっごいフワフワな出来だな。こりゃダメだ、クルッポーは納得しないだろう。


日本に帰る・・・・・ためのヒントが書かれているかもしれないのに……もどかしいですね」


なかなか妙案が浮かばない。一人で悩むより優秀な三人から意見を募ってみるか。


「日記をレンタルするための理由……真矢さんたちに名案はありませんか? ――――って、ヒィィッ!?」


悲鳴のプロであるはずの俺が、情けないことに通常よりワンランク上の「ヒィッ」を出してしまった。それだけのヤバ味が真矢さんや音無さんや椿さんから発せられていたのだ。


ちょっと目を離した隙に三人は断食五日目の人みたいに痩せこけ、目からは一切の光が失われ、口からは魂的な白いモヤが抜け出ようとしている。口からのヤツは幻覚だと思いたい。


「ど、どうしたんですか!? 唐突に衰弱しきって!」


「――だ、だっでぇ……みいけさぁんが、にほんにかえるって言うからぇ……」


一瞬、誰が喋っているのか分からなかった。地の底から這い出てくるような声だ。口が微かに動いていることから音無さんだろうか。


「も、もうし訳にゃいが直死につながる話題はNG」

「分かってん。拓馬はんがいずれは居なくなるって……南無瀬組でもニホン探索はやっとるし」


まずい、末期タクマ中毒者に辛い未来を想像させてしまったか。


この一年で多くの人と出会った。その人たちと掛け替えのない体験を共有してきた。不知火群島国に思い入れがないと言えば嘘になる。

ここで「日本に未練はありません。俺はこの国に骨を埋める覚悟ですよ!」と言いきれたら、さぞ男前だ。

でも日本には家族がいるし、この肉食世界は一人で出歩けないほどの危険が一杯だし、ノリや勢いで永住を決意するには過酷すぎる。劇的な理由でもなければ『日本帰還』を諦められない。


「日本に帰ることが出来たとしても、不知火群島国にまた戻ってきますよ。ここには俺を応援してくれるファンがたくさんいますから」


日本と不知火群島国を自由に行ったり来たりする。それが可能なら最良だ。都合の良い妄想でも、そうあって欲しいと思う。

大切なファンを裏切りたくはないし――


「ほ。ほんまに? うちらを気遣っての嘘やない? ――拓馬君は大人だから知ってるよね。優しい嘘はただの逃げ、って(標準語圧)」


「海より深い三池さんの優しさに溺れそうです。あっ、とっくの昔に沈没してました、えへへへ……そう言えば、あたしの聴力って犬猫以上で医者をドン引きさせたことがあります。聞き間違いはないのであしからず!」


「三池氏は公明正大。前言撤回などあるはずなし。ちなみに常備携行のレコーダーで記録は完璧。言った言ってないの不毛な論争は回避されて安心」


――このガンギマリなタクマ中毒者を放置して帰国するのは外道というもの。タクマニウムが無くても社会復帰出来るよう治療法を考えないと――なんか日本に帰還するより無理難題な気はする、うへぇ。


「お三方の不安も解消されたところで建設的な議論をしましょう」


ポジティブになれ、俺。ネガティブになったらこの世界、逝き残れないぞ。


挫けそうな心を奮い立たせながら、ふと思う。

日本人のマサオ様はどうだったんだろう? 

一生をこの地で終えたみたいだけど、後悔はなかったのか。マサオ教を立ち上げて『男性の権利向上』に邁進した活力はどこから湧いたのか。

日記を読みたい。偉大なる先人の生き方を学びたい。


「せや!」

真矢さんがポンと手を叩いて提案した。


「日記を読むにしても、無理にあの日記を狙わんでもええんちゃう?」


ん、どういうことだ?


「……むむ、盲点だった。真矢氏やる」

「やられたぁ。知的キャラの称号は一時返上ですね」


思いつく真矢さんも、すぐ思い当たるダンゴたちも頭の回転が早い。

議論に遅れないよう俺も必死で喰らいつこう……無理にあの日記を狙わないってことは……!


「そうか。日記には『48巻』と書いてありました。ってことは少なくとも他に47冊書かれたはず!」


「全部が現存しているかは分からへんけどな。で、残りの日記はどこに保存されてんか……考察すると見えてくるやろ」


「はいっ、俺にも見えます」


そもそもマサオ様の日記が北大路邸に保存されている方が違和感だ。もっと相応しい場所があるじゃないか。わざわざクルッポーに日記を貸してほしいと頼み込んで、スーパー狂信者に進化させるリスクを負う必要はない。


俺は携帯電話を取り出した。

部屋の時計に目をやる。20時か、この時間帯なら連絡を取っても失礼じゃないはず。以前、酔っぱらった上で深夜にイタズラ告白電話を仕掛けた身としては、とにかく礼節を重んじねば。


携帯の画面に、目当ての人物の名前が表示される。あとは決定ボタンを押すだけ。


「向こうに日記があると想定して、問題は読ませてもらう口実ですね」


「お優しい方やし、拓馬はんの望みなら理由も聞かずに貸してくれそうやけどな」

「同意。特に三池氏にはダダ甘な模様」

「真矢さんも静流ちゃんも、この国の人ってなんでか警戒が薄いよね。あたし的には一番気をつける相手なのに」


珍しく音無さんが慎重派に回っている。時々見せる闇にジョニーを再起不能直前まで縮ませられるが、今回は女性関係の話じゃないし大丈夫……と信じたい。


携帯電話を持ったまましばらく頭を悩ませ、誠実な気持ちで真面目に嘘をつこうと腹を決める。


いざ!


コール音が鳴り出す。政務中だったら申し訳ないな、と思う間もなく。


『あ、こほん――中御門由良でございます。こんばんは、拓馬様』


由良様のお声が聞こえてきた。んー、声だけなのにとても清楚。慣れない土地で不安定だった心が、彼女の音色で安らいでいくぅぅ。


「こんばんは、由良様。遅い時間に失礼します」


『お気遣いなさらないでくださいませ。政務も終わって時を持て余していたところです』


こうおっしゃっているが、たとえ忙しくてもこちらを思いやって同様の言葉を紡ぐだろう。ほら、なんてったって由良様は清楚だから。

面と向かった会話なら世間話を交えつつ互いをヨイショするのが定番の流れだが、電話なら早めに本題へ移った方がいいだろう。


「実は由良様にお尋ねしたいことがありまして。よろしいでしょうか?」


『ワタクシに答えられるご質問でしたら、何なりと』


「ありがとうございます。まず前提として今、俺はマサオ教に関わる仕事で北大路に来ているんですけど」


『もちろん把握しております』


もちろん? 今後、北大路領で仕事をするって喋ったことはあるけど、日時とか言ったっけ?


「それでですね。北大路邸で厄介になる過程で、マサオ様の素晴らしさをクルッポーさんからご教授いただきまして」


『ふふ、まくる様ったら早速でございますか……殊勝ではありますが、少々思い込みが激しいところのある御方です。拓馬様、あの子がご迷惑・・・をお掛けしていませんか?』


来た来た! ゾクッ! と来た!

由良様のお声に変わりなく、凪のように穏やかだと言うのに。


いかんですよ、まだ空間が割れたり次元干渉も観測されていないのに、由良様に恐怖するとは不敬ですよ。


ええと「クルッポーが迷惑を掛けていないか」だって? ギリセーフってことにしよう。この返答には人命が掛かっている気がするし。


「迷惑だなんて全然! 非常に良くしてもらっていますよ」


『――あらあら、ホッとしました』


今、あらあらまでに間があったような……ままええわ(事なかれ主義)。


「男性に厳しい時代の中で改革に取り組んだ知恵と勇気と実行力。マサオ様の生き様には敬意を表する他ありません。是非、その深い思慮を学びたくて……もしやとは思いますけど、由良様のお屋敷にマサオ様の私物は残っていませんか?」


『マサオ様は初代当主の伴侶。貴き先祖を無碍には致しません。遺品の数々は宝物庫で丁重に保存しております』


「じゃ、じゃあ。そ、その中に彼が書いた本はありませんでしたか?」


逸る気持ちに言葉がつっかえ気味になる。由良様は俺を落ち着かせるように緩やかな口調で。


『ございます。ざっと100点ほど』


「100!?」


マサオ様は随分と筆まめだったらしい。それほどの量ならば彼がブレイクチェリー国に転移した直後から晩年までの暮らしが書かれているかもしれない。全部に目を通すのは難儀だが、俺の欲する情報が含まれている可能性も上がるってものだ。


「今度伺った時に見せていただけませんか?」


本心ではスキャンしてデータを送ってほしい。であるが厚かまし過ぎるし、由良様のご機嫌を損なうのは絶対に避けたい。


『――――』


由良様からの返事はまだか。もしや大切な先祖の遺品を他人に貸すべきか悩んでおられる? やばい、性急な要求だったか……

ややあって返ってきた言葉は。


『誠に申し訳ありません――』


ちくしょう! ダメか!


『全てをお見せする事は出来ません。現在、中御門邸では宝物庫の整理・清掃を行っていまして、マサオ様の書物の大半は博物館で保管中でございます。ですが、数点は手元にあります』


おおう、由良様ったら心臓に悪い! でも、けど、ってことは!


『僅か数点で拓馬様の知的好奇心を満たす事が出来ますでしょうか?』


「出来ます、それはもう!」


『うふふ。力強く太鼓判を押してくださり、ワタクシの小さき心臓も落ち着きました。一か月もすれば全ての書物が返還されますので、それまでどうかご辛抱を』


「辛抱だなんてそんな! 由良様にはなんとお礼を言えばいいか。この御恩を返すためでしたら何でも――っ」


これまで無言で成り行きを見守っていた南無瀬組三人が厳ついアイコンタクトを仕掛けてきた。


『おう、兄ちゃん。何度同じ注意をすりゃいい? あんま考え無しに喋るんなら性根から修正するぞ! ええな!』


目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものだ。口から物を吐きそう。


「――何でもとはいきませんが、常識的な範囲で可能な限り、由良様のお力になる所存です!」


言い切ると、我が身に突き刺さっていた眼光が弱まった。三人の『説教ライン』を下回れたようだ。やったぞ、生き延びた今日という日に感謝!

にしても内臓に優しくない一日だ。これ以上の衝撃はまさか無いだろうが早々に電話を終えて寝よう。


「無理な願いを承諾していただき、ありがとうございました!」


あとは「由良様は明日も早いでしょうし電話はこれくらいに」と締めに入ろうとした時である。


由良様は周知の如くおっしゃった。


『お礼を言われるほどではございません。むしろワタクシから感謝の意を述べさせていただきます。誠にありがとうございます、拓馬様。誰にも御心を打ち明けられなかった先祖にようやく安寧が訪れるのですね。ご同郷の拓馬様に読んでもらえるのです、さぞお喜びになるでしょう』


―――ん?

――――――んむぅん?

―――――――――――ん゛ん゛むむぅにゅ!?


「…………な、ぜ……いえ、ゆ、由良さまっ? 今の御言葉は……」


『――あらあら・・・・、マサオ様の日記をご用意して、拓馬様がお越しになるのをお待ちしています。夜も更けてまいりました。拓馬様は明日もお忙しいでしょう、今宵のお話はここまでに』


「由良様? 由良様お待ちを!」


俺の呼び止めも空しく、プープーと通話終了の音だけが聞こえてくる。


なんで? なんで? どうして? 

疑問が頭を占領する。


真矢さんたちのように俺が用いる文字とマサオ様の日記から推測した?

それはない! 由良様の前で日本語を使ったことがあったか? あったとしても機会はほとんどないだろ? どうして俺とマサオ様が同郷だって知ってんだ。当の俺だってついさっき気付いたのに……


いや、違う。

由良様が最後に呟いた「あらあら」には、いつものお可愛いイントネーションじゃなくて……喜悦が込められていた。


――まさか、鎌をかけられた?

俺とマサオ様に関係性がある、と由良様には確証がなかった。だから最後に関係性がないと引っかからない「ご同郷」の意味深な鎌をかけた……?


――で、俺はまんまと引っかかり由良様待望のリアクションをしてしまった……のか?

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