五章 国教レ〇プ! 神と化した黒一点アイドル

懐かしき夢

落ち込んだ理由は覚えていない。

親との確執か、友人間の不和か、未来への不安か。

ともかく重い足取りで駅前を進んでいたことは記憶に残っている。


「~~~~♪」


雑踏の中で、その歌は不思議と耳に入ってきた。


路上ミュージシャンだ。アコースティックギターをかき鳴らし懸命に歌う男が一人。

声の強弱に粗が目立ち、ギターを弾く指がつっかえたりと技術の低さが垣間見える。


あれは……あの人は……


道行く人々がミュージシャンをチラリと見て、そのまま通り過ぎていく。

未熟な歌では、忙しない現代人を繋ぎ留めることが出来ないようだ。


けれど、俺の足は彼の前で止まった。


「!」


こちらに気付き、彼の目が一瞬大きく開く。ようやく射止めた通行人が、面識のある俺で驚いたのだろう。


「~~~~♪」


それからの歌は、まるで俺のためだけに奏でられるようだった。

歌詞をそらで言える人も珍しくない定番ソングが駅前を賑やかす。

聞き慣れた原曲よりクオリティは低いものの、歌に込められた熱意だけは原曲の水準にあったと思う。落ち込んでいた俺の心が幾分かマシになったのだから。



熱唱が終わって――俺は大きな拍手を送った。


「サンキュー」


ふぅ~と一息ついて、はにかむ駆け出しミュージシャン。


「ビックリしたっすよ、センパイがこんな所で歌ってるなんて……ってらしいと言えば、らしいっすけど」


彼――歳は俺の一つ上で、高校では名の知れた人だった。


「先週から駅前デビューしてな。拍手に見合う歌だったら面目が立つんだが……はは、下手だっただろ?」


「けっこうイケてたっすよ。元気もらいました」


「そうか……ありがとな」


嬉しさと、年下に気を遣わせた気恥ずかしさで苦笑いのセンパイは。


「さてと、今日はこのくらいにして……なっ、飯でも食いに行かないか? おごるぞ」


と、誘ってきた。


「悪いっすよ。センパイ、いつも金欠じゃないっすか」


「バイト増やしたから余裕はある! 遠慮は無しで付いて来い!」


ギターをケースに片付けながら、センパイはかすように言う。いつになく強引だ。


路上ライブの後でテンションが上がっているのかな……この時の俺はそう思った。


でも、今なら分かる。センパイは俺を励まそうとしていたのだ。他人の機微には人一倍敏感なセンパイだ、俺の不調を見抜いたに違いなかった。


「腹が減ったし、こういう時は肉だな! 肉!」


「なら焼肉っすか?」


「おう、もちろん食べ放題だぞ。一皿でお札が飛んでいく店はやめろよ、絶対やめろよ、フリじゃないからな!」


「そこは空気を読みますって」


暗雲たる心は晴れ、俺は笑いながらセンパイの後ろを行く。ギターケースを担いだ、その大きな背中を見つめながら――






★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★






懐かしい夢を見た。

まだ、日本にいた頃の……まだ、純粋だった頃の……まだ、貞操に無頓着だった頃の……懐かしき夢を。


布団の中、郷愁を楽しんでいると。



「あっ、起きました? あなたの音無凛子が今日も今日とて、おっはようございま~す!」


少しだけ開いたふすまの向こうから、挨拶と言う名の覇気が放たれる。発信源は男性身辺護衛官の音無さん、ちなみに決して『俺の』音無さんではない。所有権は拒否上等である。

夜間の護衛監視をしていたにも関わらず音無さんの声には疲れの色一つない。そのパワフルさたるや『おっはようございま~す!』で俺の眠気も郷愁も吹き飛ばすほど。


「おは、三池氏。眠り王子が目覚める瞬間はチェリーみが深い」


朝からワケの分からない事を言い出すのは、男性身辺護衛官の椿さん。元天道家だけあって、小声なのにしっかり聞き取れる発声だ。一時期は「私はロボット」と情緒不安定になっていたが、今ではすっかり肉食安定となった。安定させて良かったのかは考えまい。



こんな頼りになるような最後の一線は許してはいけないような二人で、日本から遠くの世界へ来てしまったことを俺は再認識するのだ、毎日……


さらば、何もかもが瑞々しかった我が青春。こんにちは、何もかもが肉肉しい我が性春。


「おはよう、ございます」


今朝はジョニーが大人しいのでスムーズに布団から出られるな。小さな幸せを噛みしめつつ、俺の一日は始まるのだった。





「ほな、第九十七回、男性アイドル事業部ミーティングを始めるで」


真矢さんの開会の言葉を述べる。

なんだか今日のミーティングは、心を穏やかにして臨めるな。

場所が南無瀬邸の俺の部屋で。参加者が真矢さん、音無さん、椿さんと初期の顔ぶれで。ミーティング内容が天道家へんたいと無縁のためかな。


「前にも言うた通り中御門での仕事は徐々に減らし、新しい領を攻めるで」


タクマ未踏の地では『おもてなし不全によるストレス』が高まっており、対策を講じないと暴動に発展する恐れがあるらしい。火種が自分であることもあって、活動拠点を広げることに文句はない。全国ツアーは一流アイドルを目指すなら避けては通れないしな。

俺の安全第一の真矢さんも、国の一大事になりかねない状況に渋々と新しい領への進出を決めている。


「順当にいって次は『東山院』やな。ほんまは活動済みやけど、タクマ名義ではやっとらんし」


「あの時はお忍びでしたし、『ミスター』に変装していましたね」


去年の12月。俺は東山院の男子たちの依頼で彼の地を訪れ、えらい目に遭った。事態とファザコンの性癖が混迷を極め、最終的にはミスター扮する俺の『世界公開授業』によって収拾したのである。思い出しただけで胃が痛くなる事件だったぜ。


「東山院のローカルテレビ局から企画が来とんねん。拓馬はんが男子校を訪問して、男子たちと共同生活しながら遊んだり勉強したり、悩みを聴いたりするっちゅうな。男子校の中身を放送するとか普通タブーやけど、拓馬はんが来てくるんなら撮影OKっていう学校もあるらしいで」


「良い企画ですね! 男子たちならいきなり襲ってくることもありませんし……たぶん」


「さすがタクマさん! さすタク! さすタク!」と俺を信奉し、籠城事件を起こした男子たちのうっとり顔を記憶から排除し、真矢さんの話に乗っかる。


「そうだ。せっかく男子校に行くのなら、前回やれなかった事をしましょう。俺が弾くギターに合わせて男子たちが歌うとか」


「ほう、三池氏に導かれて合唱する少年たち。男の園は全女性の妄想の極致……これは永久保存不可避」


興味深そうに舌なめずりする椿さんを視界の隅に置き、俺は「……ギター……歌う……か」と自分で口にした言葉を反芻する。



今朝の夢――いや、日本での出来事が脳裏をよぎった。


「三池さん? どうかしました? 今にも自爆エロしたそうな顔で黙っちゃって」


「どんな顔ですかソレ……と、話は変わりますが真矢さん。お訊きしたい事があります」


「なんや改まって。ええよ、何でも訊いたってや」


頼られて嬉しいのか真矢さんが微笑む。


「じゃあ、率直に――」

居住まいを正して。


「俺、そろそろ歌手デビュー出来ませんか? 一般女性が男性アイドル・タクマに慣れて耐性が付いたら歌の仕事もやる、って前に約束していましたよね? アイドルデビューして一年、機は熟したかなと」


この一年、歌や演奏の練習は欠かさず行ってきた。

「お願いだから自室や外ではやらないでおくれよ!」と真に迫った組長・妙子さんの懇願で、練習は防音が施された『処理部屋』と限定されていたが、ともかく実力は上がっている。いい加減、誰かに聴かせて反応を見たいのだ。


「………………」


真矢さんは「何でも訊いたってや」の笑みのまま固まった。微動だにしない顔面を汗が伝っている。


「のらりくらりと避けてきた話題が満を持して強襲。真矢氏のメンタルにダイレクトアタック」

「機は熟した、ねぇ。三池さんの歌だったら熟々じゅくじゅくになるのは間違いないけど」


ダンゴたちが好き勝手にコメントする。


「あ、あんな……拓馬はん」

再起動した真矢さんが申し訳なさそうに言う。「経年劣化ちゅう言葉を知っとる?」


経年劣化……学校の授業で教えられたな。


「長年雨風に晒された壁がボロボロになるみたいに、時間が経つことによって品質は低下する……って意味ですよね?」


「せや。そういう事なんや」


どういう事なんや?


腑に落ちない真矢さんの説明を、ツヴァキペディアが補足した。


「当初、黒一点アイドル・タクマは少々強い程度のおクスリタイプだと考えられていた。幻覚症状を起こすが、いずれは耐性が付くだろうと……しかし、タクマは雨風タイプだった。味わえば味わうほど脳をボロボロにして抵抗力を劣化させていく」


なっ、なんだとっ……


「まっ、重中毒者のあたしたちが何よりの証拠ですね。一年前なら三池さんと十時間離れても蕁麻疹じんましんが出るくらいでした。でも、今は五時間離れたら最後、身体がジンジンして頭がトンじゃいますもん」


自分が弱くなった事を誇らし気に語る音無さん。もし、俺が日本に帰還できたら音無さんは如何なる症状を呈するのだろうか?


「うちの計算ミスやった。拓馬はんの魅力を測り間違えた。今でもファンたちはギリギリなのに、これで歌った日にはどんな変態を遂げるか想像もつかへん」


「……じゃあ、歌手活動なんて夢のまた夢、なんですか……」


重苦しい雰囲気が漂う。アイドル活動の花形と言える歌。駅前で燻ぶっていた俺の歌を、この世界の人々に思いの限り届けたかったのに。


「――あかん」


「えっ?」


突然、真矢さんが呟き。


「あかん、なにアホぬかしとる、うち!」


己を叱咤し、力強く立ち上がった。


「うちは拓馬はんを応援するって決めたんや。拓馬はんがやりたい事を後押しせんでどないする!」


「真矢さん……」


「試しもせんで諦めるのは止めや! やるで、拓馬はん!」


えっ、やっていいの? いいなら全力でやるけど。


「何事も犠牲は付きもんや。聴衆には『どんな結果になろうと主催者に責任は問いません』って誓約書に署名させて、それから……」


真矢さんがブツブツとプランを練り始める。


「せや、遺書も推奨した方がええ」を聞きながら、俺は夢が遠くにあることを感じた。

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