Mスコンの狙い

パイロットフィルムの上映会。

祈里さんチームのヤンデレ作品は『こんなん人類社会に甚大な被害を与えるだろ、いい加減にしろ!』と封印指定になり、勝利の栄冠は美里さんチームに輝いたかに思えた。

が、その時。なんと勝利者であるはずの美里さんが「待った!」をかけたのである。


「祈里の作品が世間的にNGなのは分かっております。ですので、あたくしから提案したい事があります――もっとも特別なことではありませんわ。所謂いわゆる折衷案です」


「折衷案……?」


俺を含め、多くの人が疑問を呟く。


「皆さん。二つのパイロットフィルムを観て、どちらが強烈な印象を受けました? ご帰宅してご家族に上映会の感想を尋ねられたら、どちらの作品を大いに語ります? あたくしに遠慮せず、自分の気持ちに素直になって考えて」


美里さんの柔らかな声が響く。


上映会前に寸田川先生が、


「ボクの作品はこれまでにない要素を取り入れた意欲作なのさ。それだけにネタバレ厳禁! 先に脚本を読まれるとパイロットフィルムのインパクトが半減してしまう。ボクはね、審査員の皆々様に真っ白な状態で作品を楽しんでほしいんだ」


と、『深愛なるあなたへ』をアピールするべく弁舌を振るっていたが、美里さんの声はそれとは比べ物にならないほど没入感を誘う。さすがは世界的な大女優と言うべきか。声のトーンや感情の込め具合、間の取り方が絶妙で催眠作用があるみたいだ。


美里さんは「どちらの作品が印象に残りました?」と敵味方のスタッフを問わず、果ては中御門家の使用人まで無作為にインタビューしていく。

それに対する回答は。


「美里さんには申し訳ないですけど、娘さんチームの方が心に残りました」

「途中から気絶していましたが、目覚めが快調だったので早乙女たんま君に一票」

「タクマさんの逝き者係っぷりが神だったので圧倒的後者。私もタクマさんに監禁されて一緒に炎上したい」


と、満場一致で祈里さんチームだった。


美里さんは悔しがることもなく、コメントを受け入れ大きく肯く。


「愚問に答えていただき感謝します。さて、この上映会はフロンティア祭の出展作を決めるもの。祭典で一番評価されるのが『今までにはない革新性』である事は、今更言うまでもないことですわ。翻ってあたくしの作品『親愛なるあなたへ』はどうでした? 息子役に本物の男性を起用している事はこれまでにはない試みですが、ストーリーは別段珍しいものではありません。類似する過去作は幾らでも挙げられますわ。まあ、息子の揺れ動く心の機微など寸田川先生の描写力は従来作より随分秀でていますけど」


「むぅ……」

自作の寸評を聞き、寸田川先生が複雑そうな表情を浮かべる。


「けれど、革新性を評価基準にした場合、『男性が病的なまでに愛してくる』という祈里たちのコンセプトには敗北を認めざるを得ません。たとえそれが映像兵器だとしても……一人の演者として、かの名作を落とすのは賛同出来かねます」


「お、お母様……」

「美里、伯母さん」

「ふぅん……んん、みさと伯母さまぁ」


厳しい先代が自分たちの汗と涙とそれ以外の体液の結晶を擁護してくれた。感動が込み上げているのか、祈里さんや紅華が目頭を熱くしている。最年少の咲奈さんだけは一瞬めた目をして、取り繕うように瞳をうるうるしている――そんな風に見えたのは俺の勘違いだと思いたい。


「美里様のお気持ちは承知しました。では、そろそろ『折衷案』についてお聞きしたいのですが」


湿っぽくなった上映会場で、冷静に物事を推し測ろうとするのは由良様だ。お優しいだけではなく、情に流されない一面が彼女が一国の主であることを証明している。


「あら、前置きが長くなって申し訳ありませんわ。折衷案を噛み砕いて言いますと『二作品のテーマを合成して毒素を緩和する』となります」


「二作品のテーマ、とおっしゃいますと……?」


「あたくしの作品は『男子の巣立ち』、祈里たちの作品は『男子の妄執』。これらを併せます」


美里さんのアイディアをまとめると、このようになる。


①三女一男の四人暮らしだった早乙女家に母親を追加する。

②三姉妹が婚約者にゾッコンとなって、早乙女たんまが嫉妬によりヤンデレ化するまでは従来と一緒だが、発情していない母親だけは息子の異変に気付く。

③母親が息子をメンタルケアすることで、従来よりたんまの狂気が薄まる。

④それでもたんまは暴走して、母親をムチで叩き、三姉妹にも危害を与えようとする。

⑤傷つきながらも説得する母や姉妹たちの想いが届き、たんまは改心して自らも巣立つため婚活を始める。


救いのないヤンデレ物語に救済キャラの母親を置くことで、ストーリーをマイルドにしてバッドエンドを避けるということか。

早乙女たんまが家族への依存を止め、まだ見ぬ女性と出会うべく婚活するエンディングは、肉食女性の観点から言えば希望に満ちており後味スッキリだろう。


「ストーリーの細かい部分は寸田川先生に任せるわ。やれるわね、先生?」


「いいのですか、ボクなんかに一任して。また好き勝手書くかもしれませんよ」


「今の先生なら大丈夫だと判断したわ。今回のことで大いに反省したのでしょ? 『人間は毒を含んでこそ人間らしくいられる、しかし、決して手を出してはいけない猛毒が世の中にはある』。以前テレビ局で会った時に先生自身が口にしていたことよ。あなたならインパクトを残したまま毒素を弱められる。あたくしは信じているわ」


「信じる……へえ、美里さんとは長い付き合いですけど、そんな事を言われたのは初めてかもしれませんね。どういう風の吹きまわしなんだか」


必死で憎まれ口を叩く寸田川先生だが、喜色を隠せずにいる。実績もコネもなかった若き寸田川先生の才能を見抜き、業界のトップへ引っ張り上げたのは美里さんらしい。

かつての恩人に向ける寸田川先生の感情は捻じ曲がっているようだ。だが、美里さんが絡むと先生の変態性がナリを潜めるので、俺としては美里・寸田川はベストパートナーだと思うんだな、これが。


「寸田川先生の脚本のチェックはあたくしが随時行い、由良様にご報告しますわ。もちろん内容が検閲に触れるのでしたら即座に抗議してくださいませ――さて、このようなプランで進めたいのですがよろしいでしょうか?」


「そうでございますね……」


美里さんのプレゼンは大方終わり、由良様へ是非を問うことになった。


それにしても、俺たち南無瀬組が若干蚊帳の外になってないか? こっちにも大いに関わる話題だぞ。


「真矢さんはどう思います? わざわざ勝利を譲ってまでヤンデレに価値を見出した、と美里さんは言ってますけど本当ですかね?」


由良様たちのやり取りを離れて見ながら、隣の真矢さんに話しかける。


「なわけない。相手は長い歴史の中で変態DNAを丹精込めて繋いできた天道家。美里はんのことや、自分も拓馬はん演じる早乙女たんまに痛めつけられたい、って私利私欲で動いとる」

真矢さんが半眼でムスコンでドMの美里さんを注視する。


「だいたい『深愛なるあなたへ』をマイルドにするのに、わざわざ母親を出す必要があります? 三姉妹やたんまの性格をマイルドに変えればいいじゃないですか」

俺の背後に陣取る音無さんも美里さんに懐疑的だ。さんざん変態一家に苦労してきた身としては穿うがった見方をしてしまうのは仕方ない。


「まあまあ、お二人とも。いきなり否定から入るのは人間不信の第一歩です。美里さんの提案の意図が、ヤンデレの革新性を惜しんでのことか。はたまた、自分の性癖を貫くためなのか。それを確かめるまでは信じる心を忘れてはいけません」


「今日の拓馬はんは、えらい大人やな。目に達観したモノを感じるで」

「人を疑うのって疲れますよね。三池さんが心労マッハならあたしの膝枕を無料レンタルしますよ。ストレス解消効果アリアリなので、すぐさま頭を預けてください! 後頭部じゃなくて顔面から来る変則パターンも大歓迎です!」


座っていた椅子を蹴散らして床に正座し、鍛えられてボリュームのある太ももを露わにする音無さん――から目を逸らしながら俺は起立した。


「美里さん! 南無瀬組からも今の折衷案について質問があるんですが、よろしいでしょうか?」


「あら、ごめんなさいね。肝心のタクマ君を蔑ろにして話を進めていたわ。あなたの意見も是非参考にさせて」


慈母のように温かみのある笑顔。こんな顔を向けられたら普通心がポカポカするもんだけど、相手が高純度のムスコンなのでまったくポカしない。

加えてドMな性質を持ち合わせているとすれば……この質問で美里さんの真意が読み取れるはずだ。


「祈里さんたちの作品をマイルドにする、というアイディアの中で一つ疑問を持ちました」


「なにかしら?」


「早乙女たんまが母をムチで叩く展開が追加されるそうですが、話をマイルドにするならムチは不要ですよ。明らかにハード向けですのでカットしましょ、カット」


「それをカットするなんてとんでもないわ!!」


正体現したね。

雄叫びを上げ、美里さんはガンと机に拳を下ろした。やはりムチに叩かれたい一心での参入希望か。


「タクマ君! あなたは何か誤解しているわ! ムチというのは拷問器具だと思われているけど実は違うの。痛みを伴いつつ人と人を繋げる愛の結び紐みたいなアレな感じなのよ!! そもそも古来よりムチは――」


これは生粋ですわ。ムチの有用性を熱弁し始めた美里さんから距離を取りつつ、俺は彼女との付き合い方を見直そうと決意した。




★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★




「ふぅむ。最終的には美里氏の折衷案が採用されたと」


『基本はね。でも、南無瀬組も積極的に口を出す形になったよ。そうしないとヤンデレ物がハードSM物になりそうだから』


体調不良により南無瀬邸で療養中の私に、相棒から電話が掛かってきたのは夕餉ゆうげの終わる時間帯だった。

気になっていたパイロットフィルム対決は、明確な勝者も敗者も出さない結末を迎えたらしい。


「美里氏がM属性だったとは、たまげた。そんな兆候はまったく見られなかったのに」


『三池さんに出会ったのが運の尽き、もといノーマルの尽きってことだね。さっすが三池さん、性癖の開拓者! 特に天道家の人たちは凝り固まった精神をしているから掘りがいがありそう』


凝り固まった精神か……凛子ちゃんの言う『天道家』には私も入っているのだろうか。


『とりあえずパイロットフィルム対決に負けなかった、ってことで現天道家に結婚相手を宛てがう話はなくなったよ。一応、三池さんの目的は達成されたね』


現天道家……私の元姉妹たちが望まぬ結婚をしないよう三池氏は不必要な苦労を背負ってくれた。己惚れでなければ、私の心が痛まないように。

私は三池氏にお礼を言うべきなのだろうか? しかし、どのつら下げて「ありがとう」と言えばいいのか分からない。


『あ~、それにしても疲れたぁ。ここ最近は中御門領に居るから、南無瀬邸が恋しい』


「こっちに帰って来るのは明日?」


『そうだよ。今夜は中御門家に泊まって、明日の昼過ぎに戻る予定。あたしたちがいないからって三池さんの部屋を物色していないよね、静流ちゃん?』


「男性のプライベートエリアを荒らすのは人道に反する。そんなこと(押し入れの布団に顔を突っ込ませて呼吸した以外)はしない」


『ふ~ん。ほんとにぃ?』


「当然。信じてほしい」


『……分かった、静流ちゃんのことを信じる。まっ、それはそうと三池さんの部屋に静流ちゃんの匂いがないか、帰ったら現場検証ね』


おおう、これは信じていないと同義。凛子ちゃんの嗅覚は警察犬が涙目になるレベルなので危険。


『ふわぁ~、静流ちゃんが元気そうで安心したせいかな? 眠くなってきた』


「パイロットフィルム関連で疲れが溜まっていたとも推測。今回は本当に迷惑をかけてしまった。凛子ちゃんに感謝と謝罪を」


『いいって。困った時はお互い様ってね――と格好付けたいんだけど、やっぱり静流ちゃんがいないと護衛が大変だよ。早く復帰してね』


「……うむ」


『ふぁ~、そろそろ電話切るよ。じゃ、また明日』


「うむ。また・・


そうして、凛子ちゃんとの『最後』の電話は終わった。

私は携帯電話の電源をOFFにして、旅行用バッグを肩に掛けた。

一年間過ごした自室を見回す。ふすま一枚隔てた向こうは三池氏の部屋。桃源郷をウォッチするのに最高の環境だった。

もうここに椿静流の私物はない。凛子ちゃんは物を多く持たないタイプだから、畳と机だけの簡素な光景が広がる。


私の手には二枚の封筒がある。

一つは凛子ちゃんへの謝罪の手紙。これは机に置いておく。

凛子ちゃんは手紙を読んでどう思うのだろうか。怒るか、失望するか、悲しむか……ごめん、謝っても許されないが、ごめん。


もう一つの封筒には辞表が入っている。

これから南無瀬組トップの妙子氏に提出しに行く。事が済めば、椿静流は男性アイドル・タクマのダンゴを解雇される。

これでいい。バグまみれの『椿静流』は、三池氏の足を引っ張るだけの存在に成り下がった。消えなければならない。


三池氏には何も残さない。いや、残せない。

別れの言葉を残してあわよくば彼の心に居座ろう、と画策する外道にはなれない。三池氏の思いやりを踏みにじった悪女が何を今更……な話だが。


名残は尽きないが行こう。

私は部屋を出て、妙子氏の執務室へ向かった――が、ちょっと待つべき。その前に三池氏の部屋に寄り、タクマニウムとの別れを惜しみながら全力で深呼吸に勤しもう。

キッパリ別れたいが、高濃度タクマニウムの摂取機会など二度とないかもしれない。うむ、未練がタラタラしても仕方ない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る