【ラストドライブ】

タクマニウムの摂取を終えた私は、三池氏の部屋を出た――ものの名残惜しくなって踵を返し再摂取。

気を取り直して、今度こそ三池氏の部屋をクールに去る――が、後ろ髪を毛根から引かれまた戻り――そんな過程を十往復していたら夜は更けていた。


むぅ、これはいけない。

今晩中に南無瀬邸を出なければ、中御門領から帰ってきた三池氏や凛子ちゃんと鉢合わせしてしまうかもしれない。いい加減に行動を起こさなくては……


最後に一際大きく深呼吸しタクマニウムを身体に馴染ませて、私は妙子氏の執務室へ向かった。


予定よりかなり遅くなってしまったが、執務室のドアをノックすると。


「――誰だい?」


扉の先から妙子氏の声が返って来る。まだ在室だったようで一安心。すでに陽之介氏との寝室に戻っていたら、いくら大人しそうで面の皮が厚い(設定の)椿静流でも訪問は躊躇してしまうところだった。もし、南無瀬夫婦の性活を邪魔したとなれば、ダンゴを辞める前に人生を辞める恐れがある。


「夜分失礼。椿静流です、お話があります」

「鍵は開いているよ。入ってきな」


妙子氏の声には、夜更けの訪問者に対する疑問も不機嫌さもなかった。つまり――


「よお、やっぱり来たかい」

妙子氏は正面の領主机に座っていた。その顔には私の訪問が想定されたものだったという確信が見える。


「真矢からパイロットフィルム対決の結果報告があったんで、そろそろだと思っていたよ」

妙子氏が、武骨な身体を椅子の背もたれに預けた。ガタイの良い彼女がそのポーズを取ると大物感が絶大で、三池氏なら「ヒエッ」の一つでも上げたかもしれない。


「私の行動を予測していたと?」


「世界で唯一の男性アイドルを護るダンゴだ、椿静流については採用前に徹底的な調査をしたからねぇ。元・天道歌流羅が如何なる経緯で天道家を抜けたのかは、想像ではあるがおおよそ見当は付いた。それを踏まえて、最近の椿の様子を観察すればどんな行動に出るかは分かるってものさ」


さすがは南無瀬の組長にして領主。先見の明がある。


「そこまで承知ならば、どうか受け取ってほしい」


私は辞表を差し出した。妙子氏は眼前に突き付けられた封筒をしばらくジッと見つめて。


「いいだろう」

重々しく受諾した。


むぅ、いやに素直。拒絶されたり叱責を喰らう覚悟はしていたのに。


「重ねて申し訳ないが、今からでもダンゴの任を解き、南無瀬邸から退去したい」


「三池君たちに合わせる顔がないってかい? 分かった、好きにしな。後日郵送してほしい私物があるなら先に言ってくれると助かるねぇ」


「…………荷物はコンパクトにまとめて持っていく。大丈夫」


私は困惑した。急に辞表を出して、職場から出て行くという。当然、仕事の直接的な引継ぎもなし。社会人としての自覚が激しく欠けた行為である。

それを妙子氏はネガティブな反応を示さず、全て許容した。

妙子氏からの鉄拳制裁を予期して悲壮な覚悟をしていた身としては肩透かしも甚だしい。


「これは三池氏のダンゴマニュアルデータ。引継ぎ用に用意した。今後、彼を護衛する組員やダンゴが役立ててくれると嬉しい」

私はメモリディスクを差し出した。


「こんなもんを作っていたとはねぇ。どれ、少し中身を確認していいかい?」


「もちろん。しかと見定めてほしいッ」


「お、おう?」


私の異様な迫力に首を捻りながらも、妙子氏は机上のノートパソコンにメモリを挿す。そして、該当データを開いて読み進めるうちに、眉間の皺をどんどん深くしていった。


「…………おい、こいつはぁ」


「察しの通り、非常に危険な代物。三池氏のプライベートが赤裸々に網羅されている」


『みんなのナッセー』や中御門での食レポなど仕事ごとのダンゴの立ち位置を図入りで説明。また、暴女の出現パターンや番組スタッフが肉食化した際の対処法も仔細漏らさず述べたつもりだ。

さらに三池氏の寝相や食事の箸運びから読み取る心理分析を始め、彼の好む仕草や話題を500パターンほど書き、反対に嫌うこともしっかり記している。

タクマのホームページやファンブックからでは分からない彼の個人情報を「これでもかッ!!」と気合を入れて詰めた。魅惑の高密度だと自負できる。

三池氏のファンなら親類縁者を質に入れてでも入手したいデータであることは間違いない。国家機密より厳重に管理すべきなのは確定的に明らか。


「……なんてもんを作るんだい。存在が知られれば、全世界の情報機関が血眼になってうちに侵入してくるじゃないか」


「どう扱うかは妙子氏に一任する。有用なのは保証する」


「はぁ~、大きな置き土産だが、とりあえず受け取るしかなさそうだねぇ」

妙子氏は盛大に溜息をつきながら、メモリを重要書類が保管されているらしき金庫に入れた。


「それで、これから発つようだが、港を目指すのかい?」

肯定する――との内心とは裏腹に私の口から出たのは、「否定する。今晩は南無瀬市内のビジネスホテルで一泊し、明朝に空港から南無瀬領を出る」だった。


この後、妙子氏は三池氏へ電話を入れるだろう。

そうなれば凛子ちゃんあたりが「復帰するのは嘘だったんだね! 静流ちゃんの馬鹿馬鹿! 命は要らないとみた!」と怒りながら海を渡って来る可能性がある。ぶるぶる。

椿静流を終わらせて一からやり直すにしても、いま凛子ちゃんに捕まれば永遠に終わるかもしれない。

よって、妙子氏には虚偽報告をする。


「そうかい、町までは距離がある。組の者に送らせようか?」


「感謝、しかし気持ちだけ受け取っておく。これ以上の迷惑はかけられない――では、今までお世話になりました」


椿静流として本心から頭を下げる。一年に及ぶ南無瀬邸の暮らし。三池氏と隣り合っての生活は、天道歌流羅での人生を勘定しても我が世の春爛漫だったと断言できる。

その環境を整えてくれた妙子氏は、まさに大恩人と言える。


「なあ、椿――」

出口へと向かう私の背に、妙子氏の独白のような言葉。


「お前を三池君のダンゴにしたのは、天道歌流羅のスキルに期待したためだった。あの天才女優が傍にいたら、きっと三池君の芸能活動の助けになる。演技のアドバイスや芸能界での生き方を指導してくれるんじゃないか、ってな。だが、その期待はあまり叶わなかった。お前は元女優であるよりダンゴである事を選んだ」


「…………」


「勘違いしてくれるなよ。失望してんじゃない。あたいが言いたいのは――お前は『天道歌流羅』の呪縛に苦しんでいるようだが、一年間見続けてきたあたいにとっては間違いなく『椿静流』だ。三池君と確かな信頼関係を築いた男性身辺護衛官だ」


妙子氏のソレは激励なのだろうか。彼女の力強い言葉が私の背中を突き刺し、ハートに届く。

私は『椿静流』で良いのか……混じりっ気なしの『椿静流』なのだろうか……


「戻りたくなったらあたいに言いな。悪いようにはしない」


「ありがとう、ございます……」


私は振り返り、熱い瞳の妙子氏と対面し、万感の思いで頭を下げた。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




南無瀬邸の時代掛かった大門を抜ければ、荘厳な空気は霧散し、初夏の生温い風と南無瀬領特有の潮の香りが私を包んだ。

南無瀬邸は南無瀬市を一望する丘の上にある。港に向かうには足を用意した方がいいだろう。

坂道を下りながら、タクシーが走ってないかと視線を右に左に動かしていると……ふと、一年前のことを思い出した。


ダンゴの採用試験に落ちて、凛子ちゃんとヤケ酒を飲んだ夜。

天道の名を捨て、凛子ちゃんに半ば無理やりダンゴ訓練校に引きずり込まれ、就職浪人生となってしまった私。

祈里姉さんたちが知ったら、あまりの凋落ぶりに笑うに笑えないだろう。

そんな人生の負け組だった私が、奇跡と奇跡のグランドクロスで出来た幸運によって三池氏と出会い――絶頂期を迎えた、色々な意味で。


あの奇跡の夜から一年。濃密で蜜月な日々だった。


でも、その日々から脱し、『椿静流』の人生を終わらせなければならない。仕方ない、『椿静流』はバグまみれになってしまった。リセットの必要がある。

次は誰になろうか。まだ、具体的には決めていないが三池氏と関わる立場になりたい……



夜道を切り裂く光が前方から照射され、私は思考の底から意識をもたげた。車のヘッドライトか。坂道を登って来るタクシーが見えた。運転席側に取り付けられている表示板が『空車』となっている。

今後のことは、これから乗る『西日野』行き最終便の船の中で考えるとして……ともかくあのタクシーを確保しよう。


手を上げると、タクシーは滑らかな動きで私の傍らに停車した。後部席のドアが自動的に開く。


乗り込んで……「おやっ?」と小さく戸惑う。

後部座席と前の運転席。その間にはアクリル板の仕切りがあった。運転手がタクシー泥棒や酔っ払いから身を守るための対策として治安の悪い国では使用されているが、不知火群島国では珍しい。


「どちらまで?」

仕切り越しに加えて、運転手がこちらを向かないので声が遠い。


「南無瀬港の第一ターミナルまで」


「承知しました」

タクシーが走り出し、車内には沈黙が訪れる。


手持無沙汰な私は何気なく運転手の後ろ姿を凝視した。

タクシー会社の紺の制服を着て、制帽を被っている。どんな顔だろうかとバックミラー越しに観察するが、運転手は帽子を相当深く被っているらしく顔がよく見えない。


それにしても、どこかで見たことのある背中。

後頭部は帽子で隠されているが、そこから垂れ下がるポニーテールには既視感が止めどなく溢れてくる。

それに「承知しました」という声。聞いたことがあるような――それもほぼ毎日のように――と、言うかさっき電話越しで耳にしたような――


「……あっ(察し)」


走行中のタクシーから飛び降りようとドアに手を掛けるが……開かない。

『開』のボタンを押してみても反応はない。運転席からロックが掛けられている模様。控えめに言って万事休すではないか?


こうなれば、運転手を強襲して無理やり車外に出るしかあるまい。

旅行鞄から厚手のシャツを取り出し、腕に巻いて――私はアクリルの仕切りを思いっきり殴りにかかった。


が、無念。何度叩いても仕切り板に壊れる気配はなし。

狭い車内では腰の入った攻撃が出来ない。それも理由の一つだが、仕切り自体の強度が半端ない。特別な樹脂でも使っているのか?


「お客さん、暴れるのは勘弁してくださいよ~」


「下手な芝居とコスプレは止めて。なぜ、ここにいるの――凛子ちゃん」


「あるぇ? なんでバレちゃったのかな?」


わざとらしい声を出しながら運転手が制帽を取り去る。ミラー越しに現れた素顔は、苦楽を共にしてきた私の相棒だった。


「タクシーや制服を用意する手の込み様。何が目的?」


「やだなぁ~、そんな警戒しないで。大事な親友の門出を祝いつつ送り出したい! っていう善意からの行動なのに」


善意? 邪な企みしか感じられないのだが。


「ふっふふ~~ん」

鼻歌をうたいながら凛子ちゃんはハンドルを操る。私が勝手にダンゴを辞めたことを知らないはずがない……だのに、この上機嫌ぶり。

逆に怖い、生命の危機を感じずにはいられない。


なぜ中御門にいるはずの凛子ちゃんがここに? この車の行き先はどこで、私をどうするつもりなのか? 妙子氏や真矢氏――それに三池氏も関与しての行動なのか?

訊きたいことは沢山ある。しかし、それらの質問が凛子ちゃんを豹変させるスイッチにならないか、との不安で何も尋ねられない。

私は沈黙せざるを得ず、時間がいたずらに過ぎていった――





「ほらほらお客さん。南無瀬港が見えてきましたよ~」


「……なん……だとっ?」


意外や意外。凛子ちゃんは私の注文通りにタクシーを南無瀬港へと走らせていた。


「言ったでしょ。あたしは静流ちゃんの門出を祝いに来たって」


凛子ちゃんが顔だけこちらに向けて、眩い笑みを浮かべる。

なんて友情に溢れたスマイル。こんな友達を疑っていた自分が恥ずかしい。でも、危ないから前見て運転して、どうぞ。


「私はてっきり人気ひとけのない山中にでも連れていくのかと」


「あっははは、静流ちゃんったらあたしを何だと思っているの?」


その問いに答えると、車内のムードが極寒になるからスルー。


「凛子ちゃん……謝罪したいことは一杯あるが、それは南無瀬邸の部屋に手紙として置いてきた。今は、ただ『ありがとう』。あなたに会えて、私は幸せだった」


「うひゃあ、真に迫った声。静流ちゃんはズルいな~。そんな言い方されたら何でも許しちゃうよ~」


ああ、こんなバグだらけの『私』だけど、出会いに恵まれた。本当に幸せだった……

願わくば、リセット後も凛子ちゃんと一から交友を深めたい。


「そろそろお別れだね」


「――うん」


南無瀬港の第一ターミナル。暗い海にこれから乗る客船の明かりが美しく映えている。

タクシーがゆっくりと減速をしていく。


「じゃあね、静流ちゃん。身体に気を付けて」


「凛子ちゃんも。三池氏のダンゴはエクスタシー抜群な分、大変。様々な意味でお達者で」


そうして、私たちは互いを励まし、別れを――







「――なんて良い雰囲気のまま、逃げられると思った?」


タクシーはターミナルを華麗に素通りした。


「…………おぅ」

うん、まあ。

凛子ちゃんの性格からして、こんな都合のいい別れはないと思っていた。


「この先の海岸線にね、倉庫街があるんだ。夜中になると人が全然通らないところ。でね、その場所に南無瀬組の契約している倉庫があるんだって。あとは分かるよね?」


「……あっ(察死さっし)」

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