清楚 VS パンツァー

寸田川先生の扇動を凄訴せいそしたのは、不知火群島国の実質的な君主であり、世界文化大祭実行委員会の責任者でもある由良様だった。


いつの間にか起立した由良様が抗議の声を上げる。シリアスな場面でも一挙手一投足が清楚で思わず見とれてしまう――ごめん、嘘。自分を騙して安心したかったが『清楚』じゃないわ。


いつもと違う。

別に憤怒の形相はしていない。肩を強張らせてもいない。目が笑っていない、ということもない。

本当に外見は変わっていないのだ。でも、決定的に異なる。


上映中に発生した闇は、会場が明るくなると同時に消えた。霧散した、と言うより由良様の中に吸収されたように見えたが、無論錯覚である。

そんな闇の代わりに、視認できないナニかが由良様から発せられている。こう、奇妙な漫画やスタイリッシュRPGに出てくる特殊能力的なものが……



「おや、由良様。ボクらの作品にご意見があるのでしたら、採点表にお書きください。議論をふっかけられるのは困りますね」


言葉はヒョウヒョウとしているが、寸田川先生の口元は引きつっていた。

仙女のように穏やかな物腰の由良様、いつも通りの美清楚な佇まいにもかかわらず、いつもにはない重圧感が放出されている。これには傍若無人な変態脚本家だろうと及び腰になってしまうようだ。なお、重圧を至近距離で受けている俺の腰はとっくに抜けている。


「採点するまでもありません。寸田川先生の御作品は過度な影響を観客にもたらします。世界の人々が鑑賞するフロンティア祭には不適切です」


「そりゃあメッセージ性の強い作品だから、多少の影響は仕方ない。でも、ボクらの渾身作を危険物と決めつけるのは酷い侮辱ですよ。なにを根拠に?」


「周りを見渡しても、同じ発言をなさいますか?」


「むっ……」


死屍累々の会場の中で、寸田川先生は言葉に詰まった。

審査員やスタッフの多くは気絶か頭パァンの現状。控えめに言って地獄である。


由良様の矛先は天道家の姉妹にも向けられた。


「祈里様、紅華様、咲奈様。この御作品が上映されれば、観客はあなた方に負の感情をお持ちになるでしょう。思いの強い方々は敵意を抱くやもしれません。お慕いしている祈里様や妹様方に危険が及ぶのは見過ごせません」


やっぱり由良様はお優しい方だ。仲の良い祈里さんの身を案じて、あえて苦言を呈しているんだな。個人的な怒りや恨みとかまったく感じられないぜ! そうなんだぜ!


「ゆ、由良様、お気持ちは大変有難く頂戴しますわ」

祈里さんも席から立ち、由良様と相対する。


かつて不知火群島の像の授賞式において、像のレプリカをもらう側と与える側に分かれ微笑み合った祈里さんと由良様。二人は歳や境遇が近いことで前々から友好を深めていたらしい。それなのに、今や互いの心に大きな溝が生まれてしまった。何という悲劇だ……俺が自分のパンツを祈里さんの顔面に浴びせて下着求道者パンツァ―にしてしまったばかりに……


「ですが、ご心配には及びません。私も紅華も咲奈も、きちんと死にますから!」

「――はい?」

何も知らない人が聞いたら『何言ってんだ、こいつ』と思うだろう。


「祈里姉さん、落ち着いて! 端折はしょった言い方じゃ、あたしたちが自殺志願者みたいじゃない」

「そうだよ。死ぬって言っても作品中のことですから。わたしはタッ君を残したまま居なくなったりしないもん」

紅華と咲奈さんがテンパり気味の姉のフォローに入る。


脚本を読んだ人間しか知らない事実がある。『深愛なるあなたへ』の結末についてだ。

ヤンデレ物というのは大体悲劇的な結末を迎えるもので、『深愛なるあなたへ』もご多分に漏れない。


端的に言うと、結局たんまと三姉妹の監禁ライフは破綻する。

三姉妹は、たんまにどれだけ依存しても近親きんしん不謹慎ふきんしんなお突き合いだけは拒むのだ。その倫理観は鋼よりも硬し。

いくら尽くしても三姉妹の心が自分のものにならない。たんまは病みに病み、ヤンデレとして熟していく。


さて、行くところまで行ったヤンデレには十八番おはこがある。

そう――『無理心中』だ。


現世でうまく行かない。しゃーない、来世に切り替えていこっ。

ヤンデレは重い癖に軽率な行動を取りがちである。


たんまは早乙女家の屋敷に火を放ち、姉妹共々死のうとする。火の勢いは凄まじく、屋敷全てが朱に染まり、三姉妹とたんまがいる監禁部屋は火に囲まれた。柱は強度を失い、どんどん崩れていく。焼死が先か、天井に圧し潰されるのが先か。早乙女家の命運は尽きたかに見えた。


危機的状況が極まった時、三姉妹たちはようやく悟る。自分たちが如何にたんまの心をないがしろにしてきたのかを。そして、たんまこそ命よりも大切な存在だと。

炎で拘束具を焼き、解放された三姉妹は火と瓦礫からたんまを守るべく、彼の上に覆い被さる。どんなに熱かろうと、どんなに痛かろうと、たんまだけは死なせない。


炎より熱い彼女らの想いが奇跡を起こした。


早乙女家炎上。生存者はいないかと思われた火事だったが、焼け跡からたんまは救助される。意識はないものの命に別状はない。

残念なことに、彼を命懸けで守り通した三姉妹は亡骸となって発見された。


数日後、たんまは病院で目を覚ます。

彼は記憶喪失になっていた。自分が誰なのかも、姉や妹がいたのかも覚えていない。


もしかしたら、三姉妹が最期に望んだのかもしれない。

たんまには自分たちのことを忘れて、一から幸せに生きてほしいと。


深愛から解放された彼は、狂気に満ちた人相が嘘だったかのように無垢な顔で、病床の窓から青空を見上げるのだった――




と、まあこんな終わり方をする。

なかなかに酷い。散々暴れたたんまに優し過ぎるエンディングだ。因果応報? 知らない言葉ですね。

こんなもんが日本で公開されれば、劇中の炎上以上にレビュー欄が炎上するかもしれない。


だが、不知火群島国の感性から言うと「イイハナシダナー」になるらしい。


「三池さんの……もとい早乙女たんまの寵愛を受けた三姉妹の扱いが絶秒ですね。身内に手を出さない異常な倫理観にはドン引きですけど、ともあれよくぞ襲わなかった、と拍手を送りたくなります。たんまと結ばれないエンドなのも高ポイントです。監禁生活イチャイチャしたまま話が終わったら観客の怒りが爆発しますから。それを回避し『たんまを守って昇天』を落としどころに選ぶのは素晴らしいの一言! たんまが姉妹の呪縛から解放され、まだ見ぬ未婚女性とくっ付くと予感させる終わり方も見事ですし、後味スッキリですね!」


後味スッキリ? せやろか?


脚本を読んだ音無さんの感想に、俺は同意することが出来なかった。しかし、他人の気持ちを完全に理解するのは土台無理な話だ。特に肉食女性の思考は謎に満ちており、解明する気にもなれない。肉食女性の代表である音無さんがそう言うのならそうなんだろう。俺は考える事を放棄した。



『深愛なるあなたへ』の脚本を読んだスタッフたちもおおむねエンディングに納得した。

反発したのは天道家の姉妹くらいだ。


「なんですのぉぉ! このバッドエンドはぁぁ!?」

「お父さっ……んん、たんまを勇敢に救って奇跡の生還で良いんじゃないの!」

「寸田川先生の脚本にケチを付けたくはないけど、限度ってものがあると思うなぁ……ネェ?」


寸田川先生に直談判する彼女たちだったが。


「じゃあ、決めるんだね。『劇中で死ぬか』、『現実で死ぬか』」

と、究極の二択を突きつけられ、散々迷った挙句に渋々と前者を選択した。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「――このような経緯で、ストーリーにおける不遇を甘んじて受け入れ、私たちは我が身を守ることにしました。それだけではありません。パイロットフィルムは短期制作の都合上、天道家の屋敷を撮影現場にしましたが、本編を撮ることになった暁には専用の舞台を用意します。襲撃者になりえる者たちに当家の情報を与えるわけにはいきませんもの。他にもフロンティア祭での上映後しばらくは姉妹それぞれにボディガードを付けるなど護身に努める予定ですわ」


「……そうでございますか」

祈里さんからの説明を受け、由良様はゆっくりと頷いた。

これで納得してくれた、のだろうか?

祈里さんたちの顔が期待で僅かながら綻ぶ――が、由良様の次なるお言葉は「ですが」だった。



「観衆に対する悪影響は如何なさるのですか? 拓馬様の名演によってお倒れになられたり、我慢の限界に達し暴れられたり……数分間のパイロットフィルムでこの有様なのです。本番では内容を膨らませ一時間半ほどの映像になられると思います。果たして耐えられるでしょうか? さらに、フロンティア祭の会場限定で上映したとしても、拓馬様の主演作となれば流出は避けられません。世界中の人々がこぞって違法鑑賞することでしょう。被害の規模は想像を絶するものになります。開催国として各国にどうお詫びすれば良いのか、ワタクシには正答が予想もできません」


由良様が懸念点をゆっくりと挙げていく。その言葉はどこまでも正論で、その声色はどこまでも耳に優しく、頭パァンしていた審査員たちを「……はっ!? 言われてみれば! 世界滅亡の危機だわ!」と正常に戻していく。


まずい、せっかくの洗脳が!? ええい、このままでは負けてしまう――と、焦ったのだろう。寸田川先生が慌てて口を開く。


「あ、安全対策も色々考えていますよ! 例えば映像の最初に『この作品にはインモラルなシーンが多数含まれています。心臓や頭の弱い方は視聴を控えてください』ってテロップを入れるとか! あと、不知火群島国の責任問題にならないよう『警告を無視した問題行為には如何なる責任も負いません』と注意文を載せるとか! そうだ、BGMには物語の雰囲気ガン無視で心を落ち着かせる自然サウンドを採用するのはどうかな!」


「それだけでございますか?」


「だ、だけじゃないさ! も、もちろん! 視聴のお供にって、南無瀬組御用達の興奮抑制剤をおススメしよう!」


「真矢様」

「ひ、ひゃい!」


いきなり話を振られて、真矢さんが噛み噛みの返事をした。南無瀬家の血を引き、怖いお姉さま集団を操る真矢さんでさえこのビビり様だ。


「興奮抑制剤はどなたでも服用出来るのでしょうか?」

「い、いいえ。拓馬君の魅力をシャットアウトするんです。その強力さ故に本来なら禁止されているのですが、医者を強めに説得して処方してもらっています」


由良様の前ではエセ関西弁キャラを投げ捨てるのが真矢さんのスタイルである。

毎度この新鮮さにときめくのだが、今は由良様のプレッシャーや真矢さんの言った『強めに説得』が気になって新鮮さを味わう余裕がない。


「お子様やご年配の方が服用すれば、どうなります?」


「不感症になりかねません。人によっては逝きる気力を無くしてそのまま……」


「ありがとうございました。寸田川先生、聞いての通りです。興奮抑制剤は現実的ではございませんね。そもそも、視聴者の数に対してお薬が圧倒的に不足するでしょうし」


逃げ道をどんどん潰され、寸田川先生や祈里さんたちの顔色が青くなっていく。

だが、まだ諦めない。ここで敗北すれば、母である美里さんに婚活を仕切られてしまう。チームの代表である祈里さんが由良様に喰らいついた。


「由良様がご指摘するように、私たちの作品には問題点が多少ありますわ」


「多少、でございますか?」


「し、しかし、私たちの物語にはタクマさんの新たな魅力がこれでもかと詰まっています! 皆さんの失神や暴走はそれだけタクマさんの演技が素晴らしかったからです! 多少、世界が混乱するくらいでタクマさんの名演をお蔵入りするのは、私の方こそ見過ごせませんわ!」


き、祈里さん、そこまで俺のことを。

説得の出汁だしに使われたのがいささか引っかかるものの、ほんの少しだけ俺の胸は高鳴った。妹たちやチームの矢面に立ち、スーパー由良様に対峙する祈里さんの姿はどこぞの戦乙女のように気高く美しい。


『ほ~ん、ええやん』

復活したばかりで療養中のジョニーも、祈里さんの華麗さに元気を取り戻す。

祈里さん、あなたは決める時は決める人なんですね。ただの下着をハァハァする人じゃなかったんだ。


が、忘れてはならない。天道祈里という女性は、上がった評価をすぐさま下げる手腕に長けていることを。


「それにですわ! この作品の原案を考え、撮影中に次々とアイディアを出してノリに乗り、当初の脚本よりも私たちを苛烈に襲ってくださいましたのは何を隠そうタクマさん! そんなタクマさんの熱い劣情を、由良様は一刀両断なさいますの!?」


HAHAHA、祈里さんったら……え? ちょ! はっ? そのキラーパス、殺傷能力高過ぎなんですけど。


「ノリに乗って苛烈に……あらあら、拓馬様。ヤリがいがあったのですね、祈里様たちを襲うことに」


由良様のご尊顔が俺の方を向いた。一見、穏やかなままだ。眉は吊り上がっていないし、目だってにこやか、唇をギュッと噛んでもいない。

だが、由良様のご機嫌は確実にお麗しくなかった。


『ほな、また』

圧倒的危機を前に、ジョニーがパンツの中へ沈んでいく。ちくしょう、俺もどこかに沈んで隠れたい。


「ち、違うんですよ。いや、行為自体は間違ってないのですが、あれはあくまで早乙女たんまがやったことで……」


「たんま様は拓馬様ではないのですか?」


「そ、そうなんですけど! それだけ役に入れ込んでいたワケで」

苦しい、自分で言っていてかなり苦しい言い訳だ。


「ほら、お聞きの通り! タクマさんは強い想いで私を襲っていましたの! その尊い意志を無視して判断を下すのは女としてどうかと思いますわ!」


やめてぇぇぇぇ!! これ以上、俺を起点に由良様を追い詰めるのはやめてぇぇぇ!!


「き、祈里様のおっしゃる事は承知しました。けれど、ワタクシは中御門の領主として、不知火群島国の災禍となりえる火種を取り除かねばなりません。拓馬様のお気持ちを無為にするのは……心苦しいですが」


初めて由良様のお顔が歪む。心臓を押さえて、本当に心苦しそうだ。


「あ、あの由良様……そう思い詰めないでください。ヤンデレは俺自身もやり過ぎたと」


「そうですわ! 良いことを思いつきました!」


「ちょ、祈里さん! 人の言葉を遮って何を!?」


「観客を制御する方法を思いつきましたの! これならタクマさんの愛欲作は晴れて上映出来ますし、由良様がお心を痛める必要はありません」


「えっ? 興奮抑制剤も無しにそんな方法が!?」


今日の祈里さんは一味違うぜ。持ち前のヘタレが感じられず、何だか頼もしい。

まるで、そう、まるで――――たんまの歌によってヘタレ性が抹消されたかのように――――あれっ?



悔やむとすれば、俺の席と祈里さんの席が離れていた事だろう。

もし、近くにいれば気付いたはずだ。由良様のプレッシャーによって祈里さんは当の昔に我を忘れて、お目目をグルグルさせていたことを。





「観客をコントロールする鍵は――おパンツ様ですわ!」


その時、世界が静止した。

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