闇よりも深い闇

「審査員の皆様はお手元のシートに点数や感想を御記入くださいませ」


壇上の人となった由良様はそう促し、しばし時を待つ。


「御記入はお済でしょうか……はい、では続きまして天道祈里様、並びに紅華様、咲奈様、拓馬様主演のパイロットフィルムを上映いたします」


司会の仕事を終え、また俺の隣席に戻ってくる由良様。着席なされる直前に『本当に大丈夫ですよね?』と儚い表情で俺を見た。

その不安を払拭すべく『もちろんですよ、任せてください』と大きく肯いてみる。

嘘をつくなら最後まで突き通す。それが男ってもんだからな!


まあ、残り数分でバレる嘘なんだが。

バレた後の由良様のリアクションを予想して戦々恐々としていると、過剰なほどのほほんとした音楽が流れてきた。スライドには天道家の屋敷が、そこに住まう早乙女姉弟らが登場する。

彼女らと彼、仲睦まじい家族の団欒は「あら? 意欲作とか吹いていたのに結局ホームドラマじゃないの」と審査員たちの油断を誘う。

平和なBGMと言い、一見様を誤解させる映像と言い、緩急の取り方がえげつない。寸田川先生たちは本気で審査員の頭をバンするつもりなのか。



お行儀の良いホームドラマ。その化けの皮が剥がれてきたのは、兵庫ジュンヌさん演じる婚約者が登場してからだ。

なお、ジュンヌさんはパイロットフィルム撮影がトラウマになっているらしく、残念ながら上映会には来ていない。


「お誘いしようとしたのですが、上映会の『じょ』を口にした瞬間、ジュンヌさんは雪山の要救助者みたいな様相になってしまって……とても上映会に出てくださいとは言えませんでしたわ」

変わり果てたジュンヌさんを見た祈里さんのコメントである。

ジュンヌさんの一日も早い快復を願わずにはいられない。


スライドにはまだ元気だった在りし日のジュンヌさんが、婚約者として早乙女姉妹と親密に付き合い、たんまのヘイトを稼いでいる。

この辺りから剣呑な空気が映像中に漂い出す。「おやっ? 何か変だぞ」と審査員たちは違和感を覚えるだろう。


そして、露わになるたんまの嫉妬。

婚約者の後ろ姿に向ける彼の形相は我が事ながら凄まじく、審査員の席と美里さんチームの方から椅子が倒れる音がしてきた。

どうやら早くも犠牲者が出たようだ。上映中の暗闇で被害の規模は分からないが、五人くらいはやられただろう。まだ序の口の軽いジャブなのに……が、これからの地獄を見ずに済むので現時点でKOされた人たちは幸せかもしれない。


婚約者の虜になった姉妹たち。彼女たちの気を引こうと必死にアピールするたんまだったが、邪険にされるばかりで心に傷を負ってしまう。

悲しげなたんまの顔がアップになったところで、また椅子の倒れる音が響いてくる。さっきより音が大きい、多分、十人近くが逝った、アーメン。


「これが人間のやることかよぉぉ!!」


悲より怒が勝った者もいたようで、審査員席から幾人かが立ち上がった。興奮のあまりフィクションと現実の違いが分からなくなっているのか、早乙女姉妹を演じた祈里さんたちの方へ向かう襲撃者たち。が、辺りは暗くなかなか近付けない。

そうこうしているうちに――『婚約者を消す』と決意し、自室でヤンデレスマイルをするたんまの姿が映し出されて。


「うっ……アパパパ……パパっ……」

暴れていた審査員のシルエットが銃弾に撃たれたかの如く倒れ伏した。


「愚かですね。三池さんの狂気が放出されているんですよ。身を屈めて、頭を低くしないとやられるに決まっているじゃないですか」

背後の音無さんが軍人みたいな事を言う。

俺はいつの間にか上映会場から戦場に迷い込んでしまったのかな……って、ここは見紛うことなき戦場か。我を忘れた者から逝っちまう修羅場だ。



たんまはトリックを用いて、婚約者の頭に鉢植えを落とし、大怪我を負わせた。

そして、誰も見ていない所でこっそりと「計画通り」とニヤつく。


ここまで来ると、倒れる人は減ってきたが。

「ハァハァハァ」と荒い息が会場中から聞こえてくる。


たんまの行動原理は『深愛』である。姉妹たちへの深い愛が、法律や倫理を超越して犯罪へと彼を駆り立てたのだ。

男性から女性への濃厚でアブノーマルな愛。

肉食世界に、とんと縁のない愛の形である。そんな劇物を短時間で過剰投与されれば、観客たちは新たな感覚にハァハァせざるを得ない――以前、ツヴァキペディアが脚本を読んで漏らしていた事を思い出す。



そういうわけで会場は「ハァハァハァ」がひしめき合う壮絶なものとなっているが、ともあれ寸田川先生の目論見通り審査員たちの頭はクラッシュした。正常に物事を思考出来ないのはハァハァ具合からして確実だ。

これなら祈里さんたちにも勝つ見込みが出てきたのでは……?

横行するクラッシュから目をつむり、俺はポジティブに物事を見ることにした。

この物語はフィクションです。登場する団体・ 名称・早乙女たんまは架空であり、実在のものや三池拓馬とは関係ありません。


「ハァハァ……ここからが地獄やな」

「えっ……?」


すっかり出来上がって荒い息をする真矢さんが、深刻そうに呟く。

ここからが地獄? もう十分地獄だと思うんですけど、こっから更に堕ちていくんですか? ん……そういえば、ここからどうなるんだっけ?


実のところ、早乙女たんまに憑依されていた時のことはアヤフヤだったりする。

婚約者を排除して、インモラルに姉妹に迫った。という結果は知っているのだが、具体的な部分がいまいち思い出せない。まるで俺の心のセーフティシャッターが「思い出したらアカン!」と働いているみたいだ。



――と、スライドの場面が変わった。


婚約者を強制退場させた事で、また温かい家族の日々が戻ってくる。そう思っていたたんま。しかし、事態は彼の思惑通りには運ばない。

怪我した婚約者の事で茫然自失気味の姉妹たちは、たんまに関心を寄せようとしない。居ないもののように無視している。

これによって、たんまの狂気は加速することになった。



早乙女家三女役の咲奈さんが独りで廊下を歩いている。トボトボとした足取りが彼女の消沈さをよく表現してい……って、画面端から急に現れる黒い影! 早乙女たんまである。


「むぐぐぐっ!?」


たんまは俊敏だった。咲奈さんが大声を上げないよう、口を手で塞ぎ、華奢な胴に片腕を回す一連の動きはプロの犯行だ。そのまま奴は、自室へと咲奈さんをお持ち帰りしやがった。


ぽかーん。

――はっ!? あまりに事案な光景で、数秒脳が活動を止めてしまったぜ。

えっ、ええっ……俺、こんな事をやったの。嘘だるぅぉぉぉ!!


「ひひ……ボクはこんなに愛しているのに、ボクを見てくれないみんなが悪いんだ」


たんまはヒステリックな表情で、自分の妹を椅子に座らせ、動けないようガムテープで妹と椅子を絡めていく。

咲奈さんはガクンと頭を垂らして微動だにしない。どうやら意識を失っているようだ――っと、ここで思い出した。


このシーン、咲奈さんは本当に意識を失っていたんだ。当初は意識を失う演技だったのだが――

俺が遠慮なく身体を触りつつ「愛している」と連呼するもんだから、咲奈さんは内股になってもじもじと太ももを擦り始めたのである。

監督が何度も「動かないで!」と指示しても、咲奈さんはもじもじを止める事が出来なかった。


このままでは撮影が進まない。そんな時に頼りになるのが絶対撮影断行マンの早乙女たんまである。


「意識を失った演技が出来ない? それなら本当に意識を失ってもらえばいいじゃん」


たんまは鬼だった。咲奈さんの耳元で「お・ね・え・ちゃ・ん」と甘ったるい弟ボイスをぶつけ、最後に「ちゅ」とキス音を浴びせたのである。


「……タッくぃきゃは……」

反撃の隙を与えない速攻で、咲奈さんは得意のブラ魂を燃え上がらせることも出来ず、あえなく失神した。


こうして、たんまは気兼ねなく妹の身体を縛り上げ、時折頬ずりなんかしちゃって好き勝手やったのである。


「きゃーきゃー!! タッくんったら大った~ん!!」


たんまの凶行が畏怖や憧憬や嫉妬で受け入れられる中、一名だけ喜びの声を上げている。無論、咲奈さんだ。

少女を縛り上げて未発達な身体を好きに弄ぶ。日本でなら間違いなく「もしもしポリスメン」案件なのだが、被害者である少女が大歓喜しているんで、もうこれどうしたらいいか分かんねぇ。



ミシッ。


「うっ……」

右隣から空間にヒビが入る音がした。んなアホな、と思うが本当にそんな音がしたのだ。

祈里さんチームの上映開始直後から右隣は気にしないようにと、自分に言い聞かせてきたのだがそろそろ限界である。


俺はチラッと横目で右隣の――由良様が座っていた場所を確認した。

すると、そこには闇があった。

照明が落とされているわけだから闇はあって当たり前だ。そこかしこにある。でも、由良様の席は闇よりもなお深い闇になっていた。左隣の真矢さんなら薄っすらと表情まで見えるのに、右隣の由良様は身体の輪郭すらよく見えない。


ヒエッ! 由良様の場所だけ空間がおかしな事になっているぞ! ヤバいぞ、次元干渉だ!

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