【厄い男】
『不知火群島国行きの国際線XX便の搭乗手続きの締め切り時刻は――』
いよいよね……
空港に響くアナウンスに耳を傾けていると。
「美里様」
突然、背後から声が。常人なら驚きの反応を示すでしょうけど、あたくしは。
「わざわざ見送りに来てくれたの?」
平常心のまま振り返り、メイドと対面します。常に主人の隙を突こうとする家臣との付き合いも四十年近く経ち、いい加減慣れてきました。
「主の出立に顔を見せないメイドがいるでしょうか。当然のことでございます」
「ふふ、あたくし以外の姉妹の支援もする多忙なあなたがわざわざ来てくれたのよ。その忠誠心を嬉しく思います」
心にもない事を口にするのは心が乾くけど、主人としての面目がありますからね。本当のところ、メイド相手では心の開閉は慎重に行わないと。「それで、あなたの事だから餞別の品くらいは用意しているのでしょ?」
性格のねじ曲がったメイドを長く雇っているのは家事能力を買っているからではありません。このメイド、そして祈里たちに付けている彼女の娘もそうですが、なぜか情報収集能力がずば抜けているの。いったい情報源がどこにあるのか……尋ねたいところだけど、危険な匂いしかしないので踏み込むのは躊躇うわよね。
「以前、美里様から依頼された『三池拓馬』についての情報がある程度集まってきましたので、一度ご報告を」
「三池拓馬……それがタクマ君の本名なのね」
「タクマ様が弱者生活安全協会に保護された時のデータを入手することが出来ましたので、基本的なプロフィールは分かりました」
サラッと言っているけど、とんでもないわね。やはりメイドを敵に回す事だけは止めておきましょ。
「タクマ君の出身地については判明したの? 彼、外国人だという噂をよく聞くけど」
「おっしゃる通り、不知火群島国の生まれではありません。『ニホン』から来たそうです」
「……聞いたことのない名前ね。国名なの?」
「おそらくは」
世界を股にかけて活動しているあたくしは、それなりに地理に明るいと自負しています。そのあたくしでもピンとこない『ニホン』。
黒一点アイドルを輩出した国でもあって、謎めいているわね。
「ニホン……あなたは聞き覚えないの?」
期待せずに尋ねたのですが、予想外にメイドは「……あるにはあります」と深刻そう述べました。
「あら? どこにある国なの?」
「……申し訳ありません、美里様。その質問に答えた場合、お立場が悪くなる可能性がございます。それでもよろしいでしょうか?」
「――ふぅん、そういうモノなのね」
芸能界という魔境に住んでいると、業界の見たくもない暗部を垣間見てしまうことがあります。聞きたくない風聞を耳にして余計な揉め事に巻き込まれた事も一度や二度ではありません。
そんな面倒臭いことを適切に処理するのもメイドの仕事。彼女がわざわざ警告するという事は、タクマ君の出身地は
「タクマ君のパーソナルデータからは離れて、他のことを教えてもらいましょうか?」
好奇心のままに突撃するほど、あたくしは青くありません。ここは話題を変えることにしましょう。
飛行機のフライトまではまだ時間があります。あたくしは空港の待ち椅子に腰を落ち着かせると、メイドの報告を本格的に聞くことにしました。世界が注目する黒一点アイドルの秘匿情報が公共の場で堂々と語られるなど、誰も思わないでしょう。得てして密談というのは雑多な空間で行う方がバレないもの……まあ、TPOをガン無視して、今日も今日とて外でメイド服を着ている駄メイドのせいで、無駄に注目されていますけど。帽子やサングラスで変装している自分が馬鹿みたいだわ。
「次にお知らせしたいのは祈里様チームがタクマ様を味方につけてパイロットフィルムの撮影を行ったことです。場所は天道家のお屋敷で一日かけて。大まかな内容も入手出来ましたが」
「それは報告しなくていいわ。娘たちの内情を根掘り葉掘り聞くほど、あたくしは小心者ではありませんから。それにしても祈里、『前提条件』はクリアしたのね」
「はい、『タクマ様をキャストに加える』。それなくして祈里様チームに万に一つの勝ち目もありませんから。美里様が必要もないのに不知火群島国を離れた甲斐があったというものですね」
「あたくしの目があったらチキンの祈里がタクマ君を誘えるわけないもの。ちょっとホッとしたわ。タクマ君に協力を取り付けたという事は、少なくとも嫌われているわけではないのね」
祈里には次期天道家当主として演技はもちろんの事、天道家というブランドの維持、テレビ局や上流階級との付き合い方など多方面の教育を施しました。あの子は決して器用ではありませんが、努力を続ける才能はあり、何とか見られる程度には知識や技能を習得しました……が、対男性に関してはからっきし。
「祈里様の奮闘が喜ばしいようですね?」
「顔に出ていたかしら。天下の天道美里も人の親ということね」
「でしたら、パイロットフィルム対決で祈里様に花を持たせては……」
「ねえ、あなた。天道家がどうして数百年も栄華を誇っているか知ってる?」
あたくしの問いに、メイドは一瞬戸惑った顔をして。
「お子様方への徹底した教育システムをお持ちだから――でしょうか?」
「間違いではないけど、最適解ではないわね」
「では……?」
メイドが教えを乞おうと殊勝な顔つきになりました。でも七割は演技。優秀なメイドは優秀な聞き役でもあるわけで、主人を気持ちよく喋らせるスキルを所持しているのよね、可愛げのないことに。
「長く繁栄しているのは、旦那選びに失敗しなかったからよ。天道家に取り込むなら一定以上の容姿を有し、ポジティブな気質を持っている男性が望まれるわ」
「タクマ様なら余裕で達成している条件に思えますが」
「確かにタクマ君は絶世の美貌を持ち、魑魅魍魎渦巻く芸能界にたった一人で突っ込むほどポジティブで、カリスマ性はアイドルの枠を超えていて、芸に明るいってレベルではないくらいフラッシュしていて……何だか挙げれば挙げるほど天道家の伴侶としてガチガチに合致してあたくしの勿体ない精神が疼いて仕方ありません――でも、余計な
天道家とタクマ君の血が混ざりあったら、どれほどの逸材が生まれるのか。きっと、歌流羅を超える怪物が現れる……想像すると、あたくしの胸は躍りますわ。
しかし、あたくしの見立てからしてタクマ君に手を出すのは、天道家を隆盛させるどころか滅ぼす危険性があります。
「美里様も承知していると思いますが、タクマ様が所属している南無瀬組や支援している中御門由良様からの妨害は必至ですね。それを除いても、さらに二つの組織からの妨害が予想されます」
「二つ? 随分少ないわね」
「雑多な勢力でしたら天道家でも処理は出来ますので」
つまり、これから言う二つとは天道家では分が悪い相手なのね。
「一つは『マサオ教』です」
マサオ教。まさか宗教団体の名が出るとは……意外ですが、考えてみれば妥当かも。
「マサオ教は男性愛護を旗に長年活動をしています。一見、タクマ様との相性は悪くないようですが……最近、マサオ教の総本山である『
「グループ?」
「カビの生えたマサオより、今をときめくタクマこそ男性愛護の象徴としてふさわしいとする過激派です」
「国教に喧嘩を売るとは、馬鹿なのか肝が据わっているのか判断に困るわね」
「それに伴い、マサオ教徒の中で屈指のマサオ狂徒として知られる『あの方』が怒りを露わにしているそうで……もし、天道家がタクマ様を取り込んだ場合、『あの方』率いるマサオ教との対立が予想されます」
「天道家の家訓に、宗教団体と男性を敵に回すべからず――というのがあった気がするわ。なくても今作ったわ。お相手したくはないわね」
「ですが、もう一つの組織と比べれば、まだ優しい相手でございます」
「ふぅ、そろそろフライトの時刻ね。話はこれくらいにして」
「――『ブレイクチェリー女王国』でございます」
あたくしの茶目っ気のある逃げ口上なんぞ知ったことか、とばかりにメイドが攻めてきます。こちらが怯むと喜々として追い打ちをかける性格破綻者め。って、それ組織ではなく国よね。しかも世界に名だたる大国よね。
「ブレイクチェリー女王国が隣国である不知火群島国に恨みを持っているのはご存知の通りです」
不知火群島国の誕生するキッカケになった『双姫の変』。二人の姫が一人の男性を巡って争い、妹である中御門由乃様が姉を出し抜き男をゲットした痛ましい歴史的事実。それ以来、ブレイクチェリー女王国は『いくら大国でも男を盗られた情けない国、プギャー』と周辺国から物笑いの種にされています。
「ブレイクチェリー女王国の歴代女王たちは、汚名を払拭するために中御門当主の男を奪ってやろうと画策してきました。対して、歴代中御門当主たちは強固な防御陣を敷いて対抗したものです。この攻防劇については歴史書を参照していただくとして……現在、中御門当主である由良様がタクマ様に熱を上げているのは誰が見ても明らかでございます。現ブレイクチェリー女王国の女王が見逃すはずがありません」
「タクマ君を天道家のモノにしようとすれば、あの大国ともやり合わないといけないわけね。滅ぶわよ、あたくしの家」
厄いってレベルじゃないわ。やはりタクマ君はダメ。どんなに天道家にふさわしい男子だろうとアウト・オブ・アウト。祈里には悪いけど、全力で仲を引き裂かないと。
たとえタクマ君が魅力的な男性だろうと、心を鬼にして掛かろう。勿体ない精神を宥めながら、あたくしは気を引き締めました。
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