【憑かれた三池氏】

日が暮れて、夜風が天道家の木々を揺らす頃。

永遠とも思える撮影は終わった。

死ぬかと思った。生きていることが不思議でならない。特に最後辺りは早乙女姉妹をたんまがインモラルに攻めるシーンが続き、私の血管が景気よく弾けまくって大変だった。おっと、また耳と鼻から血が……


「お疲れさまでしたぁー!」

快活にクランクアップを祝っているのは三池氏だけで、他の人はと言うと。


「……おわった、おわったのよね? もう空の上から大地を見下ろさなくてもいいのね」

「ここって、あの世? それともこの世? 往復し過ぎて分からない」

「精も根も尽きたのに、お腹だけは幸せに満たされていて精神の均衡がぐごごごご」


一日で何回も臨死体験ツアーに参加すれば、こうもなる。

お疲れさま、の一言では済まされない地獄であった。


「……ふ、ふっふふふふははははは」

突然、祈里姉さんが芝居がかった喚声を上げる。たんまに襲われ過ぎて、とうとう狂ったか?


「勝ちましたわぁ~! お母様がどんな作品を持って来ようと、私たちが命懸け(ガチ)で作り上げた希代の名作の敵ではありませんわ! ふっふふふ、お風呂入ってきます」

「すでに浴槽に湯を張り、脱衣所に祈里様の新しいお召し物をご用意してあります。ごゆっくり」


いつの間にか仕事をしていたメイドが主人に頭を下げる。

ちなみに、三池氏のおにぎりによってスタッフらが生死を超越した後も、メイドはカメラマン役をこなしていた。正規のカメラマンがコロコロ逝くので兼任していたのである。カメラマンはヤンデレビームを直視する過酷なポジション故に致し方なし。


「それではタクマさん、皆様、少々席を外しますわね」

「姉さん、その次はあたしだからね! 手早くお願い」

「え~、私もお風呂入りたい。早くキレイキレイしてタッくんとベタベタするんだ」

「はしたないですわよ、紅華に咲奈。天道家たる者、優雅さと気品を忘れてはいけませんわ」

「散々アヘ散らかした祈里様がおっしゃっても言葉の重みが無重力ですが、それはともかく紅華様と咲奈様のお召し物もご用意しております」

「きぃ~、この堕メイド!」


と、喧噪を振りまきながら祈里姉さんたちは屋敷の奥へと消えていった。

ところで勝利宣言からの風呂行きは、何かのフラグに思えて不安。スポーツのナイター中継的な意味で。


「それにしても、なぜ風呂?」

「ねえねえ、静流ちゃん」

私が小首を傾げていると、凛子ちゃんが寄ってきた。


「ここで問題です。上は大火事、下は洪水、な~んだ?」

「脈絡無くナゾナゾとな?」

「いいから答えてみて」

「う……うむ……」


凛子ちゃんの圧力に押され、私は腕組みをして考えた。

上は大火事、下は洪水。定番のナゾナゾである……答えは『風呂』

――ん、いや問題が違う。あれは下は大火事、上は洪水だったはず。今回の問いとは逆。


「凛子ちゃん、問題をミスってない?」

「ミスってないよ」

「では……うむむ」

一頻ひとしきりり悩んで……「分からない、降参」とお手上げする。


「正解は『あたし』」


凛子ちゃんが答え? 

疑問に思いながらよくよく見ると――凛子ちゃんの顔色は夕暮れに勝るとも劣らないほど真っ赤になっていた。三池氏の痴態を性懲りもなく『全一』理論で楽しんでいた影響だろう。まるで、大火事・・・のような赤さ。


そういうことか。ならば下の洪水とは……


「あっ(察し)」


「南無瀬組にもお風呂かシャワーを使わせてくれないか、って真矢さんが天道家と交渉しているところだよ。代えの下着は被害の少なかった組員さんが買い出ししてくれるってさ」

凛子ちゃんがキャラに似合わない大人びた表情をしている。人としての尊厳を守れなかった悲しみが、凛子ちゃんを強制的に大人にしたのか。


「静流ちゃんはどうする? あたしや組員さんたちの防波堤設置が終わるまで三池さんとロビーで待つ?」

「ふっ、訊かれるまでもない。私は三池氏のダンゴだから」


私はニヒルに笑ってみせ――

「凛子ちゃんと交代でシャワーを使う。下着もよろしく」

南無瀬組の中で最もヤンデレ汚染を受けたのは私。強固と自負する心のダム(オブラート表現)もヤンデレには勝てず決壊した。是非もなし。



そう言うわけで撮影後の天道屋敷は、片付けや湯浴みをする人々で忙しない雰囲気となった。わりと平気なのは「備えあれば憂いなしだね」と言うオムツ標準装備の寸田川氏くらいか。


「次は天道美里との撮影。三池氏はそちらでも全力で行くの?」

凛子ちゃんや真矢氏がシャワーを浴びている間、暇を持て余す三池氏に話しかける。

三池氏の心情としては祈里姉さん側を勝たせたいようだが、天道美里との撮影で手を抜くことはないだろう。三池氏は仕事に対して真摯だから。


「……あ、そうですね。はい、頑張りますよ」

「三池氏?」

「……えと、『親愛なるあなたへ』は素晴らしい脚本ですし、演じられるなんて光栄です」


どうしたことか。三池氏の反応が遅い。心ここにあらず、と言うべきか言葉に熱がない。


「三池氏、体調が悪い? ヤンヤンし過ぎて疲れた?」

「……あ、そうですね。疲れてはいませんよ、充実した気分です」


これは重症ではなかろうか。

私はかねてからの懸念を探るべく、こう質問した。


たんま・・・氏。本日の撮影、手応えのほどは?」


「いやぁ~、俺の中のヤンデレを七割くらいしか出せませんでした。ヤンデレ道は長く険しいですね。ならばこそ探求のしがいがあります! もし、本編を撮影出来ることになったら煮詰めたい要素が七つくらいありまして、寸田川先生と協議して固めていきたいですね。特に」


「待て、待って、たんま氏。落ち着いて」


「は、はい? 俺はいつも通りですけど」


私は額を押さえた。うむむ、これは予想以上。

三池氏の中から『たんま』が抜けていない。役者が役を引きずって日常生活に悪影響を出してしまう、と言うのは耳にする話。しかし、三池氏のソレは度が過ぎる。

酔っ払い電話からの一連の事件を思うに、三池氏は自分の心を守るために相当深くヤンデレたんまに傾倒しているのだろうか。


周囲を警戒する。スタッフたちに私たちの声が聞こえていない事を確認して、やや語気を強めて言う。


「あなたは、黒一点アイドルのタクマ。本名は、三池拓馬・・・・。決して『早乙女たんま』ではない」

「……はい? そんなの当たり前じゃないですか」

「本当に理解している、三池氏?」

「……あ、そうですね。もちろんです」

「本当に理解している、たんま氏?」

「当たり前ですよ!」


OH……

役を引きずるレベルではない、役に憑かれている。行き過ぎた感情移入は当人に甚大な被害をもたらす。それは【天道歌流羅】が身に染みて知っていること。


「お願い、三池氏。元に戻って。実の姉妹に肉欲を催す変態男子ではなく、私たちの肉欲にヒエッるいつものあなたに戻って」


私は繰り返した。何度も三池氏は三池氏だと繰り返した。

何としても三池氏から『たんま』を取り除く。その一心で繰り返した。

無論、南無瀬組の面々にも報告し、様々な手を尽くして三池氏の治療を試みた。

だが、その健闘は報われず――





「何ですか、タクマ君の有様は。椿静流さん、あなたなら分かりますよね。彼がどれだけ危険な状態なのか!」


眼前に機嫌を損ねた天道美里がいる。『椿静流さん』を強調しながら私を責めてきた。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




ヤンデレ撮影の二日後。

私たちは炎タメテレビ局内のスタジオで約一ヶ月ぶりに天道美里と再会した。

魔性の女、天道美里。四十を超える伯母は相変わらずの美魔女ぶりで私たちの前に現れた。

 

「ごめんなさいね。あたくしの都合でパイロットフィルム対決の直前の撮影になってしまって。でも、段取は済ませていますから心配しないで」


天道美里の言葉に偽りなく、スタジオには作中の母と息子が住む平屋が精巧に再現されていた。数分のパイロットフィルムを撮るだけで、これほどのセットを作るとは……どこかのモデルハウスでも借りれば良いのでは?


「おかしな話ではないでしょう? タクマ君の事を想うなら、局内で撮影するのが一番ですわ。彼の安全のためなら家一軒程度の出資は惜しくありません」


威張る事もなく言えるのが天道美里。偉大なる天道家の先代長女である。


「タクマ君の魅力に当てられて気絶するスタッフが出るやもしれません。ですので、多めに手配しておきました」


居並ぶスタッフの数が、祈里姉さん側の倍もいる。それも業界内で名が通った経験豊富なスタッフばかりだ。これほどの人材をサラッと集める天道美里の人脈はさすがの一言。それに三池氏の事をよく調べて対策も行っている。


「こらあかんかもしれへんな、祈里はん」

「ですね、あきまへんです」

真矢氏や凛子ちゃんが祈里姉さんの負けを予感している一方、私は別のことを予感していた。今の三池氏を天道美里が正しく観た時のことを。


私の予感はすぐに現実となった。

撮影の前の台本読み合わせ。三池氏は『親愛なるあなたへ』をしっかり読み込んできた。元々、一ヶ月前から完成していた脚本である。練度ならヤンデレ物より高いはず、だった。


だが、最後まで読み合わせをして――


「南無瀬組の皆さんにお聞きしたい事があります。タクマ君を抜きにして」


天道美里の目は節穴ではない。三池氏の中の『たんま』を彼女は即座に見抜いたのである。


「祈里との撮影で何があったのかは聞きません、フェアではありませんからね。しかし、ネタバレにならない範囲の事は子細教えていただきます。今の状態で演じられてあたくしの作品の質を落とされては我慢ならない――などと、つまらない理由で言っているのではありませんわ。このままでは彼の精神が危ういからです」


天道美里にそう強く詰め寄られれば、いくら南無瀬組でも答えねばならない。


役になりきれない三池氏は、お酒の力を借りて無茶なトレーニングをした。が、酔っ払った彼は周囲に甚大な被害を出してしまい、自己嫌悪に陥ってしまう。そのプレッシャーをも受け入れてナンヤカンヤで役を取り込んだ。


と、いう事を真矢氏が語彙力をフルに使い、三池氏の尊厳が失われないよう説明した。


「何てことを……」

一通り聞いた天道美里は顔を曇らせ、けれど決意したように南無瀬組を……そして、私の中の【歌流羅】を見た。


「役の事ならあたくしに一日の長があります。ここは任せてください、タクマ君を元に戻してみせましょう」


天道美里の提案。力強い言葉は、南無瀬組にとって渡りに舟に思えた。


だが、後になってみれば――それはヤンデレの終焉と、新たなる脅威の胎動を意味していた。

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