【最後の挨拶】

「ようこそいらっしゃいました」

メイドが貴賓を招くように丁寧なお辞儀をする。「お帰りなさいませ」ではない。しかし、その態度は主人に対するものに思えた。


「今日一日よろしくお願いする。撮影の前に屋敷内をチェックさせてほしい」

「かしこまりました。どうぞ、心行くまで」


メイドに先導されて天道家の敷地に入る。と同時に南無瀬領では治まっていた頭痛が再発する。

ぐ……かつて育った家は鬼門となって私の前に立ちはだかるというのか。


「南無瀬組の方のお仕事を煩わせるわけにはいきません。祈里様たちにはお客様のお邪魔にならないよう言付けます」

「……感謝する」


表情には出さなかったつもりだが、メイドはすぐさま私の変化に気付いたようだ。天道邸宅にいるだけでもツラいこちらに配慮して、姉妹の再会を防いでくれるらしい。肝心な所では優しい彼女だ、肝心ではない所ではとことん邪悪だが。


「――ん、その包帯は?」

前を行くメイドの片手に包帯が巻かれていた。思わず尋ねてしまう。


「コレでございますか。恥ずかしながら失態を犯してしまい……」

メイドが憂いの表情で俯く。

仕事中に何らかのミスで怪我を? 人格を度外視すれば有能な彼女らしくない。


「先日決定的な現場を見逃してしまったのです。タクマさんのたっての希望で祈里様、紅華様、咲奈様が各々オカズ写真を撮ったそうで。その後『タクマさんからラブコールがあった』と姉妹間で自慢し合ったため自分以外も同様の電話を受けていたことが発覚。速やかに姉妹喧嘩が勃発したようです」


ふむ、頭を働かせなくても容易に想像できる光景である。

「ううぅ」メイドが嗚咽を漏らす。血を分けた姉妹が争い、それを止められなかったことに心を痛めたのだろうか――などと思うわけがない。


「うう、私は通い勤めのため決定的な現場を押さえることが出来ませんでした。耳にするだけで垂涎不可避の愉悦を取り逃すとは断腸の思いでございます。悔しさのあまり壁ドンして手を怪我する始末。私とした事が何という失態でしょう。ああ、もちろんお屋敷の壁ではなく自宅の壁をドンでございますよ。勤め先を破壊するべからず、その辺りの礼節は弁えておりますから」


もっと根本的な礼節を弁えた方がいいのでは? と言おうとしたが止めた。メイドが愉悦道から足を洗い礼節に目覚めるなど、凛子ちゃんの男欲が永遠のゼロになるようなもの。荒唐無稽な夢物語に付き合う趣味はない。





思い出と頭痛に苛まれながら一人で屋敷内を歩いていると、寸田川氏に遭遇した。


「やや、ダンゴ君じゃないか。今日はタクマ君と一緒じゃないのかい?」

ダークブラウンのボサボサ髪とカーディガンをヒラヒラと揺らせ、居酒屋で一杯引っかけたような足取り。目の下のクマからして寝不足なのだろう。


「タクマ氏は後発の車で来る。私は先行して危険な箇所や部外者が潜んでいないかチェックしている」


「へぇ……ダンゴともなると、やることが沢山あるもんだね」


寸田川氏の感想に返事はしない。

先行して撮影現場をチェックするのはダンゴの範疇ではなく、男性アイドル事業部所属の組員がやるのが普通。しかし、今回は私が志願した。天道邸の中で自分が使い物になるか確かめるために……もし、体調が悪化し三池氏の護衛が出来ないのなら降りるつもりだ、この仕事からも三池氏のダンゴからも。


「そうそう、ダンゴ君の意見を聞かせてくれないか? あのヤンデレ物語。僕としては毒を盛り盛りにして刺激十分だと思うけど、君はどう見る?」

「なぜそんな事を一介のダンゴに?」

「君の観察力や感性は人並み以上だ。一緒に仕事をした仲だからよく知っているよ」


一緒に仕事をした仲か。

それは、ダンゴと脚本家としての仲か。それとも役者と脚本家としての仲か。寸田川氏の挑発的な目から察するに後者だろう。

かつて何度も仕事を共にした寸田川氏。彼女が持ちうるコネと財力を駆使し、消えた天道歌流羅の行方を本気で探せば私に行き着いても不思議ではない。


「男性を愛玩物として描く陳腐な凡作と比較し、男性を狂気的に描く寸田川氏の脚本は革新性に満ちている。ヤンデレなる愛に狂った男性はリアリティに乏しく、男形の女優では出来の悪いファンタジーになっていた。が、正真正銘の男であるタクマ氏が演じることで地に足の付いた存在となり、視聴者に未知の戸惑いと高鳴りを与える。不知火群島国だけでなく世界を震撼し、伝説として語り継がれる作品となるのは必至」


「嬉しい事を言ってくれるじゃないか。君がそこまで評価してくれるなら自信がつくよ」

「ところが、寸田川氏」

「ん?」

「今の評価は脚本と役者がハマれば、の話」

「役者がハマらないと言うことかな? 確かにヤンデレの演技は難しいと思うよ。実際、リハーサル時のタクマ君は『浅い』ものだった。本気でなければ狂気じゃないからね――ってことは、タクマ君の演技はまだ『浅い』ものなのかい?」


それは困るな、と零す寸田川氏に告げる。


「反対」

「はんたい? どういうことだい?」


もったいぶった言い方で寸田川氏を翻弄してみる。先ほどから「お前が天道歌流羅だったのは知っているぞ」と暗に言って遊ぶ彼女への意趣返しだ。


「今のタクマ氏は『深い』。脚本にハマり過ぎている」

「へ、へぇ。タクマ君、役作りを頑張ったんだね。作品に含まれる毒が強くなるなら大歓迎さ」


寸田川氏はまだ軽く考えている。自分の脚本の毒で自分が死ぬはずない、という慢心。

今の三池氏を安易に歓迎すれば、待ち受ける未来は『昇天』しかないのに。


「寸田川先生! おはようございます!」

落ち着きと気勢のバランスが取れた挨拶。発信者である兵庫ジュンヌ氏がさわやかな笑みでやってきた。服装が燕尾服なのはお見合いシーンを撮るため、相変わらず礼装が反則的に似合っている。だが、今の私にはそれが死に装束に見えて仕方ない。


「やあジュンヌ君。おはよう、コンディションは万全のようだね」

「はい! リハーサルの反省点を踏まえて仕上げてきました。そちらの南無瀬組の方も今日はお世話になります」

「こちらこそ、よろしく」


ジュンヌ氏は私の過去の名を知らない模様。一応共演した事はあるのだが、あの頃は私が主演で彼女は端役。互いに薄い接点である。


「今日は防弾チョッキの他に防刃ベストも着てきました。筋トレと瞑想で心身の鍛錬も欠かしていません」


ジュンヌ氏は戦場にでも行くのだろうか?


「これでヤンデレの悪意に打ち勝ってみせます。前回のようにあばらの二、三本にヒビの入る無様は晒しません!」


ジュンヌ氏、私より重傷ではないのか?


「頼もしい限りだね。ジュンヌ君ならこの困難をクリア出来ると信じているよ」

「任せてください、先生。この撮影が終わったら、男役として一つ高みに昇った自分をお見せしますよ」


うーむ、ジュンヌ氏がホイホイフラグを積み上げていく。一つ高み、ではなく見果てぬ高みへ至らないか不安。


「ジュンヌ氏。一つ助言がある」

以前、共演したよしみで口を開く。


「南無瀬組の方が自分に何か?」

「私は演技に門外女だが、よければ聞いてほしい」

「ありがとうございます。演技に関して頂けるモノなら何でも頂きます」


気持ちのいい程のハツラツさ。すでに男役として名の知れる彼女だが、おごった様子はない。このまま精進を続ければ、芸能界に長く名を刻むことになるだろう――だから残念。兵庫ジュンヌ氏が『ここまで』なのが。


「防弾チョッキと防刃ベスト。ジュンヌ氏の装備は戦場を意識している」

「はは、物々しいですよね。でも、対タクマ君のためには必要なんです」

「装備を否定しない。むしろ後押し。戦場に行くのならべき事が残っている」


「「為べき事?」」


思い当たらず小首を傾げるジュンヌ氏と寸田川氏。私は言った。


「遺書。戦場に行くのなら遺書をしたためるべき」




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「歌流羅姉さん」

「歌流羅お姉さま!」


屋敷を一巡して異常がないことを確認、後発組の到着をロビーで待っていると【天道歌流羅】の妹二人が駆け寄ってきた。

音信不通だった姉に会えた、二人は緊張と喜びを混ぜた足取りでこちらへ来る。


「くッ!」

それを認識した瞬間、ズキッと頭蓋に痛みが走った。


「ね、姉さん!? ご、ごめん。やっぱりあたしたちに会いたくなかった……よね?」

「メイド、さんが言ったように近付かない方がよかったかな?」


私の歪んだ顔を、紅華と咲奈は『嫌な相手と遭遇して不快になった』と受け取ってしまった。二人は慌てて距離を取ろうとする。


「ち、違う。そうでは」

待て、私は何を言おうとしている。芸能界と姉妹制を抜け、彼女らを深く傷つけた【天道歌流羅】だった私に弁解の権利はない。


「……天道紅華氏、天道咲奈氏」

言える事はこれくらいしかない。

不安げな二人に、私は――


「今日のタクマ氏は大変危険。心を鋼にして逝き残ってほしい。二人の安全を切に願う」

「歌流羅姉さんっ」

「歌流羅お姉さまっ」

姉が自分たちに心を砕いてくれた、と受け取ったのだろう。表情を明るくする紅華と咲奈だったが。


「――なお、タクマ氏を襲った場合は絶対許さない」


むっ、年長者として良い感じにアドバイスするはずが、最後に『女』が出てしまった。

朗らかな雰囲気が一瞬で砕ける。


「や、やる気ね、歌流羅姉さん。けど、同意なら文句は言わないでよ。あいつはあたしをオカズにしてメロメロなんだから」

「どっちのお姉さまも妄想が好きなんだね。タッくんはお姉ちゃん色に染まっていて介入の余地なしだよ」


悲しい、芸にひたむきだった妹たちがすっかり女の顔になっている。


『血は男汁よりも薄し』

男を前にすれば血の繋がりに意味はなく、骨肉の争いが始まる。不知火群島国のことわざの的確さを私が噛みしめていると、外からエンジン音がした。


窓から覗けば、南無瀬組御用達の覆面カーが門前に停まっている。見た目はどこにでもあるワンボックスタイプだが、耐火・耐水・耐衝撃・耐女に優れた性能を誇っている。


三池氏が来た。

関係者との『最後の挨拶』は概ね済ませた。私に出来るのは、これから幕開けとなるヤンデレの惨劇が少しでも穏便に過ぎ去るよう願う亊のみ。

祈里姉さん、紅華、咲奈、みんな……せめて安らかな終わりを。

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