ジョニーよ、今、蘇る時(前編)

「性欲を持て余したい」


「突然なにを言い出すのかね、三池君?」


南無瀬邸に帰還した夜。

俺はみんなの目を盗むようにおっさんの部屋へ向かった。眠れる獅子となってしまったジョニーを起こすためだ。

不知火群島国の男性は常日頃、複数の奥さんとベッドの上で格闘している。肉食女性たちのことだ、「インターバル? 知らない言葉ね」とばかりに毎日連戦を要求しているに違いない。男性の下半身はどんだけ酷使されているのだろうか。


明け方にゲッソリしながら台所に立つおっさんを見ていると、いつも股間の縮む思いをする俺である。

そんな経験豊富な不知火群島国の男性なら下半身を元気にする秘訣を知っているはずだ。


「――と、言うことで何か良い薬はないですか?」


「いきなり薬に手を出すのはどうかと思うんだがね」


俺だってこんな歳で薬に頼らなければならないのは不本意だ。でも仕方ない。早急かつ確実に効果が出るのは薬に限る、と思う。


「陽之介さんのお相手は妙子さん一人だけですが、夜中に聞こえてくる物音から察するに激戦にぐ激戦を繰り広げていますよね。だったら持っているんじゃないですか、アグラ的な物を」


「なんだねアグラ的な物とは……まあ、精力剤ならあるにはあるが。しかし、この手の薬は医師の診察を受けてから処方される物なのだよ、その人に合った薬がね。僕用の精力剤が三池君の身体に害を及ぼさないとも限らない」


「むっ……」

正論だ。焦って他人の薬を飲んだ挙げ句、体調不良になったら目も当てられない。

「ちなみに処方してくれる病院なんですけど、お医者さんは女性ですか?」


「当然ではないかね。男医なんて聞いたことがない」


やっぱりか。女性のお医者さんに「ジョニーの調子が悪いんです。てくれませんか?」なんて恥ずかし過ぎて言えねぇ。

それにお医者さんが未婚者だった場合。

「それはイケませんね! しっかり触診と食診して本当に大きくならないのか試してみます!」と熱心に診られるのは火を見るより明らか。御免こうむりたい。


「話を聞くに三池君の下半身が沈黙を保っているのは精神的なストレスが問題なのだろう? どうだね、周りの人への不満が溜まっているのならここで全部吐き出してみては。少しは発散できると思うのだよ」


「ふ、不満なんてありませんよ。皆さん、俺のために頑張ってくれているのに」


「謙虚は美徳だが、度が過ぎると自分をさいなむことになる。アイドルはただでさえストレスの多い仕事と聞く、ここにいるのは同性である僕だけだ。三池君が何を言おうが僕の心に仕舞っておこう」


おっさんがダンディーボイスで、かたくなな俺の心を解きほぐしてくる。くっ、これが大人の包容力というやつか。


「で、ですが……」


「言い辛いのなら、全部コレの所為にすればいいのだよ」


いつの間にかおっさんの手にはガラスのボトルが握られていた。甘そうなピンクの液体が中で揺れている。


「お酒ですか?」


「三池君はイケる口かね? これはアルコール度数は低めで、ジュースのように飲みやすい。初心者にもオススメの一品なのだよ」


飲酒問題で芸能界を追われた未成年アイドルは多い。

日本にいた頃の俺は元旦の席だろうと、酒は避けるようにしてきた。

しかし19歳で不知火群島国に迷い込み、すでに一年近くが経つ。実のところ、俺はお酒を飲んでもよい年齢になっていた。


だが、おおっぴらに「俺、成人しました!」と言うのは先を見据えられない子どもの言動だ。肉食女性に俺が成人になったと知られれば。


成人→大人の仲間入り→大人とは子作りをするもの→おう早くパンツ脱いで仰向けになれよ


という思考を辿られる。実際押し倒して一発を狙う不届き者は南無瀬組にいないだろうが、今以上に周りの女性たちがそわそわするだろう。


また、俺より十歳年上のマネージャー兼プロデューサーの前で年齢の話題は出すべからず。というのが南無瀬組の暗黙の了解になっている。

「こんなおばさん、拓馬君には相応しくないよね」とエセ関西弁キャラを忘れて絶望した顔で落ち込まれたらフォローが大変だし、「うち? うちは29歳と400日やで」とか開き直られでもしたら「おいおい」とツッコめる自信がない。


そういう理由で成人したことを周囲に黙り、酒を飲まずにきた俺だが。


「じゃ、じゃあ一杯だけ」

ここにはおっさんしかいないし、飲まなきゃやってられない気分だ。一杯くらいならいいよね。


「さあさあ飲みたまえ」

おっさんがグラスに酒をそそぐ。それを有り難く受け取り、俺はマジマジとピンク色の液体を見た。シュワシュワと小さな気泡が昇っている。これが酒か……


「弱いリキュールだから安心するといい。何かあっても僕が介抱しよう」

おっさんの優しい声に後押しされて、俺は酒に口を付けた。


「んっ!」美味い。

甘いが甘ったるくなく、喉越しは爽やかだ。本当にジュースみたいだな。


「……ふぅ」

あっという間にグラスは空になった。少し胸の辺りが熱っぽくなっているが、頭がグラグラすることもなく、『酔っ払う』という感覚はない。


「良い飲みっぷりではないか」


「想像したよりずっと飲みやすくて美味しいです。これって結構高いお酒じゃないんですか?」


「気にしないでくれたまえ。三池君に飲んでもらえるなら本望なのだよ。それよりもう一杯どうかね?」


「ありがとうございます。じゃあ、もう一杯だけ」


おっさんのご厚意に甘えながらお酌してもらう。実に気分がいい。肉食女性の目に晒されず、安心して飲むお酒の何と素晴らしいことか。


「俺ばかり飲むのは申し訳ないですよ。陽之介さんもどうぞ」


「おっ、ありがとう。なかなか注ぐのが上手いではないか。ではお返しに今度は僕が」


「おっととと。あはは、何だか楽しいですね。肉食的な縛りから解き放たれて清々しいです」


「男同士で飲み明かすというのは、こうも愉快だとは僕としても発見だ。今夜は大いに飲み明かそうではないかね」


「はい、お供します!」


おっさんの部屋の棚にはお高いボトルが並べられており、俺たちは次々とそれらを開けていく。どうも俺はアルコールに強い体質らしい。吐き気や眠気は湧いてこず、ひたすらハッピーな気分だ。

頭が少しボーッとしてきて、音無さんや椿さんを布団の中にカモンしても構わないほど大らかな心持ちだが、まあ大したことはないだろう。


「こちとらアイドルとして注目される職業ですけどね、もうちょっと遠慮があってもいいんじゃないですか! みんな隙あらば獣の眼でこっちを見てさ、野菜食べて草食動物の気持ちを知るべきです!」


「そうだそうだ。全面的に同意なのだよ」


「俺を父や弟やパンツホルダー扱いをして勝手に発情する輩がいるのは勘弁してほしいです! 俺はタクマであって、それ以外の何者でもないんですから!」


「分かるぞ分かるぞ。僕もたまにシチュエーションプレイを要求されて、無駄に演技力が付いてしまったのだよ」


口を開けば無限に愚痴が出そうだ。人の悪口や陰口を言うのは世間的に難色を示されるが必要悪なのかもしれない。

だってこんなにも心がスッとして軽くなるのだ。


「よーし! ノッてきましたYO!」

不満をある程度ぶちまけて発散した俺は、素面シラフでは出来ないことをやってみたくなった。


「一番、三池拓馬! 今から度胸試しをしますッ!」


「うむうむやりたまえ、三池君のちょっといいとこ見てみたいぞ!」


そんなこんなで俺とおっさんは笑い合いながら、痛快に一晩を過ごしたのであった――と、俺は記憶している。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「……あ、あったまいてぇ」

じんじんする頭の痛みと、そこに降り注ぐ太陽の光で目を覚ます。


畳の上で眠っていたようだ。窓の外を見るに、とっくに夜は明けている。

身体に掛けられた毛布はおっさんが用意してくれたのかな。


「おはよう、三池君。気分はどうかね?」

先に起きて、パジャマを着替え洗顔を済ませたらしいおっさんがこちらを見下ろす。


「うう、これが二日酔いってやつですか? 頭痛がして、胸の辺りがむかむかします」

「これでも飲んで、気分を整えたまえ」

おっさんがマグカップを渡してきた。


「ありがとうございます」

身体を起こし、カップを受け取る。淹れたてのコーヒーの湯気が頬に当たって気持ちがいい。


ゆっくりとコーヒーを口に入れる。

にがいが、心地よい味が身体中に浸透していく。不快感が薄まっていき「……はぁ」と思わずため息が出る。

むかむかする胸だけど、ストレスが発散されたのか昨日まで溜まっていたシコリみたいなものはない。これでジョニーがシコれれば文句はないが、さすがにそれは期待し過ぎか。


「楽になってきました。二日酔いにコーヒーは効きますね」


「……三池君。昨晩のことを覚えているかね?」


「昨晩のこと?」


なぜかシリアス調のおっさんに首を捻りながら、俺は思い出す事に努めた。


えーと、ジョニーの件でおっさんに相談しに来て、勧められるままに酒を飲んで、夜通し騒いだんだっけ?

「パイロットフィルム対決まで日がないのに何やってんだ俺……」と危機感を抱くと同時に「こういう経験も悪くはないよな」とも思う。


「陽之介さんとお酒を注ぎ合って、互いの愚痴を言い合いながら楽しく喋ったんですよね。あんなに笑ったのは久しぶりでした」


「……その様子だと記憶は残っていないようだね」

おっさんが「なんてことだ」と呟きながら顔を手で覆った。


「えっ、な、なんですか。その不吉なリアクションは? お、俺、何かやっちゃいました?」


「僕の口からはとても告げられない。この映像を観てくれれば、全て分かるのだよ」


俺から目を合わさないようにして、おっさんが自分の携帯を差し出してきた。

そこには――


『イエェーイ、陽之介さん! 映ってますかぁ?』

顔を真っ赤にして、すっかり出来上がった俺がいた。アヘッてダブルピースしている様は、自分ながら目を背けたくなる、これは酷い。


『うむふむ、バッチリ映っているぞぉ、三池くぅぬ!』

撮影側に回ったおっさんの声が聞こえる。こちらも随分酔っているようで呂律が怪しい。


『ではでは! 三池拓馬! 今から度胸試しをします!』


度胸試し? 不穏しか感じない単語だ。


『俺は考えました。今回の下半身消沈現象は、周りの女性が俺をきちんと魅了しないからだと! 女性たちの深刻な魅力不足が原因だと! 俺は悪くねえっ! 俺は悪くねえっ!!』


なん……だとっ。


『でも、優しい俺は彼女たちを見放しません。どうすれば男のハートを射止められるかレクチャーしてやります! 光栄に思って、どうぞ』


己の下半身の不出来を周りに責任転換し、おまけに上から目線でレクチャーする発言。

なんだこのダメ男は……って、レクチャー?


酔いが一気に醒めた。

この酔っ払い、ま、まさか……


『ってことで、今から電話しまぁーす! ちゃんとスピーカーモードにするから陽之介さんにも聞こえますよ~』


映像の中のクズ男が陽気な手つきで携帯のボタンを押して。


『もしもし、タッくんタクマお兄ちゃん。こんな夜更けにどうしたの?』

ブラコン少女を呼び出した。


『もっしも~し! タックマでぇす、こんばんはぁ~。咲奈ちゃんの声が聞きたくて電話しちゃったぞ~』


『ええっ!? タッくんタクマお兄ちゃん!? 様子がおかしいよ!』


『俺は俄然平常運転です! それより、おかしいのは咲奈ちゃんだよ~。俺をタクマお兄ちゃんタクマお兄ちゃんってわざとらしく呼んでさ。自分を偽っておいて、俺を魅了するなんて六年早いゾ!』


六年か。このゲス男のストライクゾーンに入るのは十六からなのか。

俺は携帯を全力でぶん投げたくなった。おっさんの物じゃなかったら、とっくに南無瀬邸上空で放物線を描いていただろう。


終了ボタンを押して、苦痛から解放されたい。けど――


「三池君自身の罪なのだよ。まだ序の口だからしっかり見つめるのだ」

おっさんが同情たっぷりの潤んだ瞳で、しかし厳しく現実と向き合うべしと言う。


「こ、これで序の口?」

二日酔い起因じゃない吐き気に襲われつつ、俺は再び映像を観た。


『わ、わたしが偽る? なにを言っているのか分からないよ、タッくんタクマお兄ちゃん


『あ~! また誤魔化した。あははは、咲奈ちゃんったら悪い子だなっ。本音を言ってごらん。ねっ、咲奈お・ね・え・ちゃ・ん♪』


「うおえぇぇ」 

もうマジ無理ぃ、吐きそう。

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