深淵を被る

「まだ脚本が手つかずってどういう事ですの!? すでに勝負開始から十日が過ぎていますわよ!」

祈里さんのヒステリーな悲鳴が廊下まで響いてくる。


「あっははは、いやはや申し訳ないとは思っているよ。でも、こうティンと脳に来るものがなくてね」

こちらは寸田川先生の声だ。アイディアが浮かばず悩みに悩んだ末、もうどうにでもなれ~と開き直った感がある。


「笑っている場合じゃないですわ! あばばばばば。ど、どうしましょ!? 私のおパンツ様が離れていくのぉぉ!!」


おパンツ様という単語に、軟禁部屋のドアをノックし掛けていた俺の手が止まる。急にドアを開けるのが嫌になってきたぞ。


「執筆の方針を変えることは出来ませんの!?」

「どういうことだい?」

「寸田川先生好みの性悪説全開ではなく、『親愛なるあなたへ』のように人間賛美のストーリーにするんですわ! お得意でしょ、そういうのっ!」

「人間賛美か……書けと言われればすぐに書こう。感動物は嫌いだけど苦手じゃないからね」

「でしたら!」

「でもね。『親愛なるあなたへ』はボクがリミッター全解除で書いた物語さ。あれを感動物で超えるのは至難の業だ」

「何ですの、リミッター? 底を見せないのが格好良いのはオサレ漫画の中だけですわ」


祈里さんと寸田川先生の掛け合いは鎮まることなく続く。

なんか入るタイミングが難しいな。

寸田川先生も祈里さんも騒がしくて困りますねぇ、と同意を得るべく南無瀬組の方へ振り返ってみると。


「……」

「……」

「……」


真矢さんも音無さんも組員さん達も、みんな無表情かつ黙って俺を見ていた。控えめに言って超怖い。

南無瀬組から感情が消え去ったのは、昨日ヤンデレという名案を思いついた俺が意気揚々と組員さんらの前で解説して以降だ。


「三池さんが静流ちゃんのために動こうとしているのは分かっているんです。でも、ヤンデレとかいう超絶ご褒美ネタを天道家の人たちがゲットする――そんなネトラレ展開にあたしの感情が納得しないんです。このままじゃ、あたし何もかも壊してしまいそうで……だから、その前にあたし自身をコロコロします」


そう言ったきり、音無さんの目から光が消えた。同様に他の組員さんも私心をコロコロした。わぁ、みんな本物のヤンデレみたいにハイライトの消えた目だ。すごいなぁ、俺もこういう演技をしないとなぁ(白目)



さて、いい加減ヤンデレ軍団を率いたままドアの前で立ち尽くしてもいられない。


コンコン。


ノックを二回すると、軟禁部屋の喧噪がピタッと止まり。


「やあ、タクマ君だね。待っていたよ」

寸田川先生の歓迎の声が届いてきた。






「こんにちは、寸田川先生。それに祈里さんも」


祈里さんまで軟禁部屋にいたとは想定外だが、丁度いい。

今日、ここに赴いたのは『タクマ・ヤンデレ化計画』を披露して寸田川先生の意見を聞くためだ。チームリーダーの祈里さんも同席するのなら説明の手間が省ける。

ファザコンやブラコンや堕メイドがいないのも個人的にはとても嬉しい。


「タクマ君から『名案を思いついた』って連絡を受けてからというもの、ボクの下腹部は夏期到来さ。真夏の太陽のようにギラギラしたアイディアを期待していいのかな?」


「期待は裏切りませんよ。人間の負の面をこれでもかと描きつつ、鮮度抜群のアイディアです。寸田川先生の好みだと思います」


「おっふ。随分ハードルを上げてくれるじゃないか。そんなにボクを濡らしたいのかい。望むところさ!」


「ちょちょお待ちになってくださいませ!」


下半身をもぞもぞさせる寸田川先生を押しのけて、祈里さんが俺の前に立った。


「今のやり取りを聞くに、タクマさんが私のチームに荷担してくださると! そう解釈してよろしいんですの!?」


ヤンデレのアイディアが固まるまで俺の参加を知らせるのは尚早だと判断し、祈里さんチームには何も伝えていなかったが……仕方ない。


「タクマさんェ! あなたは私にとっての新たな光ですわぁ!」と吠えそうな祈里さんを興奮させないよう言葉を選び、この場で参加希望を出そう。


「勘違いしないでください。力は貸しますが別に祈里さんたちのためではありませんから」


「ツンツンとした言い回しながらそこはかとなく愛を感じますわ。ゾクゾク美ぃ」


ツンデレ対応が通用しないだとっ。それにこのパンツァー、俺を前にすれば噛み噛みトークになるはずが普通に喋っている。現状が困窮過ぎて逆にポジティブになり、おまけに耐男性能力を向上させたと言うのか。

おのれ、ハッキリと主張するスタイルに切り替えよう。


「俺は椿さんのために、祈里さんたちに助力すると決めました」


この場に椿さんはいない。まだベッドに伏せり、やつれては俺成分を摂取して艶を取り戻し、時間が経ってまたやつれ俺成分を摂取する。そのサイクルをずっと繰り返している。短期間で肌年齢が激しくアップダウンしているので心配だ。


「椿……歌流羅がタクマさんを説得しましたの?」


「多くは言えません。詮索はしないでくださいね」

椿さんの体調不良の理由は、元姉だろうと知らせるわけにはいかない。言えば祈里さんに負い目が生まれ、姉妹間の仲がさらに拗れてしまうだろう。


「……承知しました」

祈里さんは瞑目して答えた。去って行った妹の心情をおもんぱかったのだろうか。

「歌流羅の意図はさておき、タクマさんの協力によってようやくお母様に対抗出来そうです。ありがとうございますわ」


「おっと礼を言うのは早いで」

俺と共に入室していた真矢さんが口を開いた。毎度ハキハキとした口調で小気味いいが、目はノーハイライト。そのギャップが大変恐ろしゅうございます。


「拓馬はんをスカウトすんなら契約書にサインしてもらわんとあかん」


「契約書でございますか? お金でしたら言い値で」


「ちゃうちゃう。金なんかどうでもええ。それより拓馬はんとの距離感が重要や。これ契約書な」


真矢さんが数枚に及ぶ高級紙を祈里さんに渡した。


「ええと『撮影以外で不用意にタクマに触れた場合、身体の安全は保証しない』、ひえっ」


天道家の人々を野放しにしていたら、俺は弟で父親でパンツの創造主にされかねない。特殊性癖の変態共を押さえつけるためにルールを設けるのは必須だ。


「な、なんですのコレェ! 『なお天道祈里の属するチームがコンペに勝利した場合でも、タクマとの接触は撮影現場のみとする』って! せっかくコンペを乗り越えてもお預けですの!?」


「コンペ勝負で天道美里っちゅう大敵を打ち負かしたら、祈里はん達は勝った勢いに乗って拓馬はんとディープな関係になるつもりやろ。そうは行かへんで」


「じゃ、邪推でございますわ!」


否定しつつも祈里さんの目はあからさまに真矢さんを避けている。実に分かりやすい。


「他にも注意事項はぎょうさんあるさかい、ちゃんと目を通すんやで。守れん言うなら、拓馬はんの参加はなしや」


「ぐぬぬぬぬ」


昨夜、俺のヤンデレ計画を渋々々々々々々々々々々了解した真矢さんはパンファザブラ変態三姉妹が調子に乗らないよう契約書を作ったのである。

内容に不備がないかの協議は何度も行われ、その場にはなぜか中御門領主の由良様までいた。

ちなみに由良様の目は暗黒に沈んではいなかったが、春の陽光のごとき微笑みがシベリアの雪原染みて見えたのは俺の目の錯覚に違いない。違いないのだ。




「つまらない契約話は後にして、早くタクマ君のアイディアを聞かせてよ。『アイディアの詳細は直接会ってから』って電話で言われてからモンモンが止まらないんだ」


寸田川先生のハァハァ声がだんだん大きくなり、足がどんどん内股になっていく。放っておいたら人間の尊厳を喜んで放棄しそうなので話を進めよう。


「俺が提案する『親愛なるあなたへ』を超えるアイディア、それは――ヤンデレです」


「ヤンデレ……だって?」

聞き慣れない言葉に寸田川先生が眉を寄せるので。


「ヤンデレと言うのは解釈が様々で定義が定まっておりませんが、だいたい『想い人を病んでしまうほど愛してしまった人』を指します。そのためヤンデレはアプローチの仕方が過激だったりします」


ヤンデレについての知識は、日本にいた頃の友人から聞いたものだ。好きな色は緑、携帯にうさぎさんのストラップを付け、ボートを映した環境映像が好きという友人は「ヤンデレについては素人だけどね」と前置きをして、頼んでもいないのにヤンデレ知識を俺に提供してくれた。あの時は迷惑に思ったが、それがこう役立っているのだから人生分からないものである。


「病んでしまうほどの愛ねぇ……その辺りもっと詳しく」寸田川先生の目が鋭くなる。


「例えば、想い人の隠し撮り写真を自室の壁という壁にペタペタ貼って悦に浸ったり」


「んっ?」「えっ?」

寸田川先生と祈里さんが腑に落ちない顔になる。


「他に、想い人の髪の毛や使用済みティッシュを収集したり、想い人を我が物にしようと監禁したり」


「それって一般的ではないですの?」


祈里さんが「そんなのチャンスがあれば誰でもやりますわよ」という顔をする。これである。俺が南無瀬組に対してヤンデレクチャーした時も最初はこんな反応だった。

世界自体が病んでいる肉食世界の女性は、普通の精神状態でヤンデレアクションをするのだ。自分で言って戦慄する事実である。オラ、ヒエヒエすっぞ。


「たしかに一般的でしょうね。女性が男性にする分では。でも、俺のアイディアは逆です。男性が女性に対してヤンデレ行為を働くんですよ!」


「な、なんだとっ……」寸田川先生が内股だった足を直立にして驚愕する。

「くっ、素晴らしいよタクマ君。その発想はさすがのボクでも持っていなかったっ。男性をヤンデレにすれば……」

寸田川先生が自分の世界に没入する。俺のアイディアが活かせる物語を早速作り始めたようだ。


「ちょちょっとお待ちください、タクマさん。え、男性が女性に? ヤンデレ? えっ、え……ど、どういうことですの?」

対して、祈里さんはまだ男性版ヤンデレを理解できない様子。あまりに常識外の発想過ぎてついていけないのか。


祈里さんは、これから劇中でヤンデレ被害者となる人だ。ヤンデレについて正しく把握してもらわないと困る。


俺の目が軟禁部屋の端に置かれた袋を捉えた。袋の口から女性物の衣類が見えている。


「寸田川先生、あの袋は?」


「問題はどうやってタクマ君を病ませるか……ぶつぶつ……ん、袋? それならテレビ局の人が買ってきてくれた物だよ。缶詰のボクの衛生状態を心配してね。まっ、使ってないけど……やはり当て馬を用意して……ぶつぶつ」


俺の問いに答えて、すぐさま自分の世界に戻る寸田川先生。

そうか、未使用なのか。


俺は袋をまさぐって――取り出したるは。


「なっ! 止めるんや拓馬はん!?」

「そうですよ! せめてあたしと二人っきりの時に。部屋に鍵をかけていると尚良し」


察しのいい真矢さんと音無さんは、俺が何をするのか気付いたようだが……すみません、どうせ俺はヤンデレになる身。遅かれ早かれってやつです。


「祈里さん、これが何か分かりますか?」


俺から突き出された物をマジマジと見つめて、祈里さんが答える。


「パンツですわね。女性物の」


「それは正確な解答ではありませんね。これは『祈里さんのパンツ』です。祈里さんが何度も使ったパンツです」


「へっ、私の?」


「俺はヤンデレです。祈里さんのパンツを手に入れたのならやる事は一つ」

畳まれていたパンツを開き、自分の顔の前に持って行く。


ああ、やりたくない。けど、ヤンデレのアイディアを出した時から覚悟していたことだ。

未だ病床の椿さんのためにも、俺は俺を捨てるぞ! 


躊躇ためらいは一瞬。俺は女性物パンツを自分の鼻に押し付けると。




「念願の祈里さんのパンツを手に入れたぞ! クンカクンカ! き、きしゃとしゃんの匂いぃ! はぁはぁくんくんくん!! たまらない!」


変態的行為にふけりに耽ってみせた。

ひと嗅ぎする度に、自分の中の大切なモノが壊れていく気がする。ヤンデレ、こいつを演じるのはハードだぜクンクン。




二十秒くらいパンツと戯れてから俺は祈里さんの顔を見た。


果たして祈里さんは――


「真理に辿り着きましたわ」


森羅万象の境地に至った顔でそう口にして、背中から大の字に倒れた。受け身が取れていなかったので、後頭部をしたたかに打っている。


「き、祈里さん!? 大丈夫ですか!?」


慌てて駆けつけた俺や南無瀬組の面々――に最後の力を振り絞って、祈里さんは言葉を遺した。


「わ、私がおパンツ様の深淵を被る時、深淵もおパンツ様で私を被っている。そういう事ですのね……ガクッ」


どういう事ですの?

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