分からない心

あのドデカい寺を突っ切り、外に伸びる回廊を歩く。

案内役の由良様は足音一つ立てずゆっくりとした動作で、けれどちょうど良いスピードで先導してくれる。彼女の黒の垂髪すいはつや巫女装束が静かに揺れる様には、ついつい見とれてしまう。


後ろ姿も美しい人だなぁ……ボーッとそんなことを思っているうちに。


「こちらが、離れになります。どうぞご自由にお使いください」

由良様が振り返って、お手を建物に向けた。


「これが……離れ?」

離れと言うからには、こじんまりとしたログハウスを想像していたが、いやはやどうして立派な一軒家である。

モデルハウスのチラシのトップを飾りそうな、西洋風の三階建ての屋敷だ。バルコニーまであって、広大な中御門邸宅の敷地を眺めるのに打ってつけだろう。


「ほへ~、凄いですね。こんな所に大陸風の豪邸があるなんて」

音無さんが口をあんぐりと開けて、まじまじと屋敷を見ている。


大陸風か。不知火群島国から海を挟んで西側にある広大な陸地。この国の人たちはそこを『大陸』と呼んでいる。


「中御門家には、海外の方々がよくお泊まりになられますから、それぞれの国の文化にあった離れを用意しております。拓馬様のお気に召さなければ、別の離れにご案内しますが?」


「いえいえ、ここで十分です! ほんと、こんな立派な所に住まわせてもらえるだなんて感動です!」


「まあ」

俺のオーバーリアクションが面白かったのか、由良様はそっと手で口元を隠して笑った。

くぅ~、仕草の一つ一つが上品だ。

隙あらば涎を垂らすダンゴたちと同じ人類なのか疑いたくなるぜ。


「離れの掃除は、ワタクシ共で行います。ここに近付く許可は既婚者の使用人にしか与えておりませんから、どうぞご安心を」


それから由良様は、離れの間取りやインフラ設備の使用法について一通り説明してくれた。一国のトップの方にここまでしてもらえるだなんて、恐れ多いことではなかろうか。

俺以外の組員さんたちも恐縮しきった顔をしている。


「南無瀬組の方々はお客様ですから、畏まらずドシッと構えてくださってよろしいのですよ」


いや、それは無茶振りってもんですよ、由良様。







「説明は以上になります。ご質問やご要望はありませんか?」


「いえ、何から何までして頂き有り難い限りです。誠にありがとうございます」


真矢さんが、俺たちを代表してお礼を言う。由良様相手ではエセ関西弁キャラを投げ捨てる真矢さんである。


「拓馬様や南無瀬組の方々は、この国に元気を与えてくださっています。皆さまのご活躍を思えば、このような支援、大したものではありません。どうか緊張せず、羽を伸ばしてくださいませ」


由良様は最後に「では、ごゆるりと」と完璧なお辞儀をして、去って行った。

彼女の姿が回廊の先に消えるまで、俺たちはみんな無言で見送った。



「……っは~。緊張するな、って言われても無理やろ。うちの心臓ドキドキや」

「綺麗すぎる水では魚は暮らせない、という意味が分かる。彼女の清純さは息が詰まる」

「う~ん、清純かなぁ。何かあるような気がするんですよ、あの人。まっ、あたしの勘ですけど」


玄関を閉めて、俺たちは由良様について感想を述べつつ、居間でくつろぐことにした。

組員全員が座れるほどソファーが充実しており、みんな思い思いに腰を下ろす。


「そう言えば、ここの宿泊費ってどうなっているんですか? かなりお高いんじゃ……」


小市民としてまず気になるのが料金だ。中御門滞在中、ずっと使うのだから目が飛び出るような金額になるのでは?


「それなんやけど、タダでええって」


「タダ!? い、いいんですか、それ?」


「妙子姉さんとしては大枚たいまいをはたく気でいたらしいんやけど……うちらって一応領主直属の組織やん。領主間での助け合いに金銭のやり取りは無粋って、由良様が代金をもらうのを拒否したらしいで」


「に、人間が出来過ぎてはいませんか、由良様って」


年齢は二十五歳だっけか。まだ若造扱いされそうな歳なのに、それほどの品位を持ち合わせているとは……


「そら、中御門の領主と、不知火群島国の代表を兼任するほどのお方や。想像もつかん激務とプレッシャーの中で己を鍛えてきたんやろな」


そうだった、涼しそうなお顔をしていたが、由良様は多忙を極める人なんだ。

そんな人に歓迎を受けて、住居の案内までさせるのは贅沢を極める話ではなかろうか。


「せめて、お礼をしたいですね。金銭がダメなら別の形で」


「ふむ、三池氏。いい考えがある?」


「それはまだ。由良様の望むことが予想出来ませんから、直接本人に訊いてみたいと思います。『俺に出来ることなら何でもしますよ』って」


「「「なっ、何でも!」」」」


南無瀬組の皆さんが赤面をする。一体どんな想像しているのやら……これがこの世界の女性の一般的な反応だろう。

しかし――


「由良様なら俺が『何でも』と言っても無茶な要求はしてこないのでしょう」


「ま、まあ由良様なら大丈夫やろ」

「う、うむ。うらやまっ」

「そうかなぁ……由良様は、あの由乃・・さんの末裔なのに……」


音無さんは、なぜか由良様に懐疑的だが、他の人は概ね俺の案に賛同してくれた。

じゃ、今晩あたり政務が終わった頃を見計らって、由良様を訪ねてみるか。





★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★





「そろそろ着いた頃かね、三池君が由良様のお宅に」


旦那があたいの執務室にやってきた。お盆に載せていた湯飲みをゆっくり机に置いてくれる。


「ああ、ついさっき真矢から定時連絡が入ったよ。由良様にお目通りして、今から居住区の説明を受けるそうだ」


湯飲みを手に取り、一口飲む。熱いお茶が身体を芯から温めてくれて、ほっと一息。そのまま物思いに駆られて、あたいは湯飲みの中に視線を落としてしまった。


「どうしたのかね? 三池君の無事が確保されたのだ、喜ぶところだろう?」


「……あ、ああ。普通はそうなんだけどねぇ」


旦那はこちらの些細な挙動で、心中を察してくれる。

それだけあたいを見てくれているのかと思うと、ついつい布団を敷きたくなるねぇ。今が昼間なのが残念でならない。


「今更ながら、由良様に三池君を預けて良かったのか……って思っちまうんだよ。実は、中御門に進出すると決まった時、由良様に助力を願ったんだよ。三池君に住居を提供してくれないかってねぇ。だが、その時はやんわりと断られてしまった」


「ほう、意外だ。僕は由良様と直接会ったことはないが、話を聞く限り、彼女は三池君のファンだと思っていたのだが。ファンなら彼と一つ屋根の下の暮らしを拒否するはずがない」


「ファンなのは間違いないだろうねぇ。何しろ由良様は三池君のファンクラブ会員で、しかもナンバーが……」


「ん、ナンバーが何かね?」


「……いや、気にしないでくれよ。ともかく、昨夜のホテル襲撃のことを由良様に告げると、ようやく住居の提供を了承してくれたのさ。『拓馬様の身の安全のためならば致し方ありません。背に腹は代えられませんね』ってな」


「何が背で何が腹なのか、僕にはよく分からないな」


「あたいもだよ。由良様の三池君に対するスタンス……好意があるのは確かだろうが、どこか距離を取ろうとする節がある。一体どうなっているのか」


分からない、と言えばもう一つあった。


由良様は結婚適齢期の年齢を迎えても、身近に男性を置こうとしなかった。

もしや男性恐怖症という奇病を患っているのでは、という噂がまことしやかに国中で囁かれている。


領主にとって、世継ぎを作るのは立派な仕事だ。以前あたいが、それとなく結婚を勧めた時でさえ、由良様は曖昧な笑みで「ワタクシには、結婚など過ぎたものです」と言っていた。


そんな由良様が――なぜ、三池君に関心を寄せているのか?


彼が世界で初めての男性アイドルだからか……違う。

思い出してみれば、由良様は三池君がアイドルになる前から彼のことを注目していた。




あれは去年の六月。

ニホンという国から来た三池君がジャイアン支部の騒動に巻き込まれ、あたいらによって救出された――その晩のことだ。


南無瀬領だけでは止まらない大事件ということで、あたいは由良様に事件の経緯とその対応について電話連絡をしていた。


『まさか男性の生活を補助する弱者生活安全協会が男性の盗撮などと……許されることではありませんね』


由良様の静かな声には明確な怒りが含まれている。


「あたいとしても、断固たる対応をします。南無瀬の治安を守る責任者でありながら、このような事件を未然に防げなかったことを恥じるばかりです」


『今はご自分を責めるよりも、盗撮された男性方のケアに全力を尽くしてくださいませ。それで、実際に襲われた男性と言うのは、どのような方なのですか?』


「外国人らしき青年です。名前以外の身元がハッキリしないという事でジャイアンに保護されていました。名前は、三池拓馬。現在、彼について全力で調査しております」


『っ……申し訳ありません、妙子様。もう一度、その方のお名前をおっしゃってくださいませんか?』


「え、は、はい。三池拓馬です」


『たくま……拓馬……拓馬様……ま、まって……うそ……どうして今になって……』


「由良様? どうかなさいましたか?」


『い、いえ……妙子様、よろしければ、今後とも拓馬様の動向をお伝えしてはいただけませんか?』


「はっ? しかし、なぜ……?」


『身元不明の外国人というのは前代未聞です。拓馬様の扱いを誤れば、国際問題になりかねません。お手数ですが、逐次・・報告するようお願いいたします』


「りょ、了解しました!」




由良様は三池君のことをアイドルの『タクマ』ではなく、もっと別の『拓馬』として見ている。

もしかして、由良様は三池君の身元に心当たりがあるのか?


分からない。由良様のお心があたいには分からない。

それなのに、由良様と三池君を一つ屋根の下に押し込めて正解だったのか……


「はぁ、難しいもんだねぇ」


「妙子、あまり根を詰めないでくれたまえ。相談なら乗るし、何か食べたい物があればリクエストしてくれたまえ」


「ありがとう、あんた。あたいは幸せ者だよ」


あの二人の接近が吉と出るか凶と出るか。

あたいたち夫婦みたいに良好な所に収まるといいねぇ……そう願いつつ、あたいは旦那の好意に甘えるのだった。


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