【天道紅華の戸惑い】

「ようやく戻ってきましたね。もうトムを連れて結婚しに行くところでした」


セミナー室に入ったあたしたちを迎えたのは、芽亞莉メアリさんのキツい言葉と視線だった。その言動に偽りなく、彼女はイスから腰を浮かして隣の男の子を立たせようとしていた。


「お待たせしてしまい大変申し訳ありません」

タクマが深々と頭を下げて、何度も何度も謝罪の言葉を吐き出している。

ピリピリしたセミナー室の空気を少しでも緩和したいのかな。


「……男性にそこまで謝られては嫌みの一つも言えませんね。しかし、ミスター先生。お時間が心もとないようですが、まだ授業を続けますか?」


芽亞莉さんに言われチラリと壁の時計を見ると、『鬼ごっこ』終了まで後三十分だった。女子は結婚相手をグラウンドまで連れて行かないとダメなのよね。そうなると、授業出来る時間はもっと少ない。


「っ……」

目に見えてタクマが焦っている。唇をぎゅっと噛んで、頬をこわばらせて。


心が微かに痛む。

タクマの授業が遅延したのは、あたしのせい――かもしれない。ちょっとは原因がある――かもしれない。

ほら、お父さんの正体をカミングアウトされて、あたし荒れちゃってさ。落ち着くのに結構時間が掛かったのよね。


あれは騙していたタクマが悪いの……と、責任転嫁したいけど。


「ミスターさん……」

タクマに向ける男子たちの心配そうな目が、あたしを大人にした。


今のあいつはエセアイドルなのに無理して大きな物を背負っている。とても辛そうだ。

仕方ないわね。相方役のよしみで、本物のアイドルこと天道紅華が手を貸してあげる。後で感謝しなさいよ、お父さんの格好のままでね!


「私たちも暇ではありませんし、これ以上得る物がないようでしたら、そろそろ――」

芽亞莉さんにならい、女子たちがイスから立ち上がろうとしたので。


「まあまあみんな待って。時間がないのは分かるから、最後に何か訊きたい事はないの? 言ってくれれば、あたしとミスターさんで実演しながら教えるわよ」


あたしは彼女らの動きを止めにかかった。


「紅華……さん?」


思わぬ加勢に驚いたようで、タクマはあたしを凝視する。お父さんの顔でジロジロ見ないでよ、恥ずか……ムカついて顔が赤くなるじゃない!


「訊きたいこと、ですか?」

「あるでしょ。一つくらいなら教える時間があるし、せっかくだからリクエストしてみたらどうかな?」

「そうですね……」


あたしに促され、芽亞莉さんたちは考え始めた。

ふぅ、授業終了という最悪な事態は避けられたかな。


「ありがとう、助かった」

タクマが小声でお礼を言ってくる。


「勘違いしないでよ。鳴り物入りで授業に参加しておいて、こんな終わり方をしたらあたしの評判が下がっちゃうのよ。別にあんたのためじゃないからね」


あたしは早口でまくし立てた。

後で感謝しろとは思ったけど、もっと人目のない所で感謝しなさいよ。それにあんまり近づくな、調子が狂っちゃうでしょ!


そうこうしていると――


「決まりました」

女子たちの協議が終わった。


「何でも訊いてください。先生が皆さんの疑問をスッキリ解決しましょう!」


首の皮一枚繋がったタクマが元気に言う。ここから大逆転を狙おうとしているのか気合の入りっぷりが伝わってくる。


「スッキリ……是非ともそうして頂きたいですね」芽亞莉さんは意味深なことを呟いてから、こう突きつけた。


「失敗しない『初夜』の方法を教えてください」




「「………………はっ?」」


あたしとタクマは呆然とした。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





「しょ、初夜……ってあの初夜?」


タクマがミスターさんの演技を忘れて聞き返している。

想定外のことが起きたら素に戻るなんて未熟者! と叱りたいところだけど、あたしとしてもこの解答には意表を突かれてしまった。

冷静に考えれば、すでに結婚相手を手中にしている女子が訊きたい事は、初夜に相場が決まっているか。


「初夜でトラブルを起こし、旦那にトラウマを植え付けてしまった。以降、満足な夜の性活が出来なくなってしまった。そういう事例を耳にしたことがあります。私たちは、同じてつを踏むわけにはいかないのです」


トラウマね、念願の夫が手には入ってついつい激しくヤリ過ぎたんだろうなぁ。


「えぇ……で、ですが、これ全世界生中継ですし。子どもも観ていますし」


「何も本番をヤレ、とは言いません。男性の秘部の露出強要は犯罪ですし。あくまで模擬でお願いします。それに正しい性教育をするのは、全世界の子どものためにもなりますよ」


「えぇ……」


「公開演奏や公開授業を開く剛胆なミスター先生なら、さぞ充実した夜の経験をお持ちなのでしょう。ぜひ、初夜について教えてください」


「えぇ……」


芽亞莉さんの強弁にタクマはしばらく「えぇ……」しか言えなくなった。


「はわわわ」

男子たちが青い顔をする。このまま行けば、今晩が彼らの初夜になる。降って湧いた実感に恐怖で一杯らしい。


――って他人事のように観察しているけど。


「しょしょしょやややややや」


あたしも平静さを失っていた。

ないわよ、絶対ないわよ。よりにもよってタクマと初夜ってありえないわよ。


これがお父さんならバッチコイだけどタクマよ。見た目はお父さんだからドストライクでもタクマよ。意外とイケそうだけどタクマなのよ。

あいつと世界中の人たちが観ている中で寝ろって言うの!


「ささっ、お二人ともこの上に」


セミナー室のカーテンが外され、教壇の前に敷かれる。ここで絡むのか……と、あたしが生唾を呑み込んでいると。


「……ん?」芽亞莉さんがポケットから振動する携帯を取り出した。


「もしもし。どうしたの、お母さん? …………えっ、初夜はやり過ぎ? でも、これは模擬だから服も着てやるから…………それでもダメ? なんで怯えた声をしているの…………湯呑が割れた? テーブルも四散したって? テーブルって四散する物なの?」


母親と思わしき相手と電話をする芽亞莉さん。携帯のスピーカーから『ひぃぃ、落ち着いて欲しいザマスぅぅ』と悲鳴が聞こえてくるのはどういう事だろう?


「残念ながら初夜は刺激が強過ぎるようですね」携帯を収めながら芽亞莉さんは無念そうに言い、

「切り替えましょう。初夜のベッドまで誘うやり方でお願いします。寸止めです」

と、続けた。


十分刺激が強くない?


「分かりました。それで行きましょう」

「えぇ……」から復帰した拓馬が冷や汗を垂らしながら答える。

「ただ打ち合わせが必要です。一分だけ待ってください」


「手早く済ませてくださいね」

芽亞莉さんの許可が出たので、あたしと拓馬は部屋の隅に寄った。


「べ、べ、ベッドまで誘うのね。ま、まあ、あたしなら難なく出来るわよ」

「それなんだがな……」

「なによ。その顔は?」

拓馬の目が完全に据わっている、大きな決断をした後のようだ。


「一つ、頼みがある」

「頼み?」

「強引だけど、この授業を理想的に終わらせる手があるんだ。紅華の演技力次第だ、頼む」


あたしの?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る