【あたしと】俺の初夜への道
タクマとの打ち合わせは、僅か一分間。
そんな短い時間では、頼まれた事の意味を問いただす暇なんてない。あたしは半信半疑のまま再び教壇に立つことになった。
「ベッドに誘うまでには、いくつかのチェックポイントをクリアしなければなりません。面倒と思われるかもしれませんが、最高の初夜のためには必要なことです」
「最高の初夜……」芽亜莉さんたちが目の色を変える。
「初夜にも色々ありますが、今回はホテルを舞台にしたシチュエーションで行きます。ちょうどデートの授業をしていましたので、その延長線上でホテルに行くわけです」
お父さんの呪縛から抜け出したあたしから見て、タクマの演技は拙い所が多々ある。ナイスミドルにしては小さな挙動から若さが漏れている。もっと鷹揚だったり緩慢さがあった方が良い。何より一杯一杯の顔をしていて余裕がないのがまる分かりだ。
とは言え――初夜や、男子をホテルへ誘う方法。
ネットの掲示板でジョーク混じりに討論されて終わるような事を、男の立場で大真面目に全世界へ発信している。
その度胸は悔しいけど認めてもいいかな。
エセアイドルの癖に、無理しちゃって……やるじゃない。
「第一のチェックポイントは『笑顔』です。デートを通じて男子が笑顔になっているか、女子のみなさんはしっかり観察してください。笑顔に出来ない時点で、ホテルへ誘うのは時期尚早です」
そう言って、タクマはあたしに笑いかけた。
うっ!?
ドクンッと心臓が跳ねる。
「このくらい笑顔になっていれば、次の段階に行って良いでしょう」
要チェックや、と言わんばかりに芽亜莉さんたちが手帳や携帯にタクマの教えを書き記す。それを
や、やっぱり卑怯者だ! お父さんの姿で、あんなに微笑みかけるなんて!
落ち着いて! 見た目はお父さん、中身はタクマ。本質を見誤っちゃダメよ!
「第二のチェックポイントは『ボディタッチ』です」
な……なんですって!?
「身体を重ねる前に、男子に触れてみてください。それで嫌がられたら愛が足りない証拠です。細かく説明するより見てもらった方が良いですね。紅華さん、先生を触ってください」
「さ、触るっ! 良いの!?」
理性をキラーするパスに、あたしはすっとんきょうな声を上げてしまった。
「ええ、好きな所をどうぞ」
好きな所を……
まあ人前だし、ここは腕にしておこうかな。という自分の意志とは裏腹に、右手がタクマの股間へと伸びていく。
なんてこと! くぅぅ、静まれあたしの右手ぇぇ!
「――これは悪い例です」
もうちょっとの所で、あたしの手をタクマが掴んだ。ちっ!
「ボディタッチで男子の好感度を測るのは良いですが、タッチする場所には配慮してください。股間はもっての
屈辱だ。タクマの計算通りに動いてしまった。
あいつとは授業を円満に終わらせるための運命共同体だから、屈辱も何もないのだけど……なんか悔しい。
戒めよう。授業のパートナーとして傍目では翻弄されていたとしても、心では屈しない。あたしの純情を弄んだエセアイドルに屈するなんてあってはならない。
絶対に屈しない、絶対にだ!
そんなあたしの誓いをあざ笑うかのように、授業は続く。
ホテルのベッドまでの道は遠く、芽亜莉さんたちの行く手には数々のチェックポイントが待ちかまえていた。
門限は大丈夫か、泊まりでも良いかと訊いたり……手を繋いだり、腕を組んだり……
タクマはあたしを実験台にして、それぞれのポイントを懇切丁寧に語った。
各ポイントの重要性や、やってはいけないこと。
あたしがフラフラとNG行動をすれば、それがなぜ悪いのか、どうすれば男子との愛が深まるように出来るのか――タクマは必死になって説明する。
あたしは言い様に利用され、理性を削る羽目になってしまった。
身体が熱い、何より頭がぐつぐつと
気を抜くと、自分が何をしているのか分からなくなる。
……あれ、そう言えば、タクマの『頼み事』って何だったっけ?
思い出せない。でも、一番大事なことは覚えている。
『あいつに絶対屈しない』、それだけは忘れるものか!
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「これまでのチェックポイントを突破したのなら、おめでとうございます。女子のみなさんと男子のみなさんとの間で愛は十分に深まったと言えるでしょう。いよいよホテルへと舵を切ります。紅華さん、ホテルへのスマートな誘い文句をお願いしますよ」
「……はぁ……はぁ……」
「紅華さん、どうしました? 誘い文句ですよ」
「あう…………やらないか?」
「いけませんね、そうガツガツした言い草では。男子が引いてしまいますよ。みなさん、ここは気負いせずに『ホテル行こっか?』と軽く言ってください。これならもし男子がホテルを嫌がっても『ジョーク、ジョーク♪』とすぐに切り返せます。男子も女子も気まずい雰囲気を最小限に抑えることが出来るでしょう」
授業は順調だ。
紅華も順調にテンパった演技をしてくれている。自分で頼んだ事とは言え、まさかこれほど完璧にこなすとは。
さすがは芸能界の第一線で活躍するアイドルだ。
意図的に目を血走らせ、顔をあんなに真っ赤にするなんて、とんでもない演技力である。
『授業の進行に合わせて興奮してくれ。ベッドシーンの直前になったら興奮がピークに達し気絶する、そういう演技を頼む』
紅華は俺を嫌っているのに、頼み事を着実に行っている。尊敬すべきプロ意識に報いるためにも、俺も全力でミスター先生を演じなければ!
「いよいよホテルに着きました。ベッドは目と鼻の先です」
でも、まだベッドにダイブしてはいけません。ちゃんとシャワーを浴びて、軽く会話を交わして――と口にしながら、俺は紅華の様子を確認する。
ぐらぐらと足にきているようだ。そろそろ倒れる頃合いだな。
あいつが気絶(の演技を)したら、
「どうやら紅華さんは愛で胸が満たされたようですね。ほら、気持ち良さそうに昇天しています。このように愛を深めれば、ベッドインしなくても大きな快楽を得ることが出来るのです」
と言いつつ、当初の予定通り『愛は大事、愛は気持ちイイ、そして男子の夢を支えるのも愛』と話を変えていくのである。
強引と思うことなかれ、これが俺の精一杯なのだ。色々なことがあり過ぎて、俺の胃の危機なのだ。もうこれで納得して欲しいのだ。
――と、いうことで紅華。サクッと気絶してくれ。それで、一気にこの授業を締めにかかるからさ。
「……屈しない……屈しないんだから……」
だのに、紅華はまだ頑張っている。あと小声で何か言っているが聞こえない。
紅華、もういいんだ、もうゴールしていいんだぞ、ってかもう話すネタがないので倒れてください……と願うものの紅華はタフなボクサーの如く立ち続ける。
まだ気絶するには早いってことか? 何かキッカケとなる行動をしなければ紅華は気絶(の演技)をしてくれないのか?
――分かったよ、紅華。確かにトリガーがあった方が、気絶する流れに自然性が出てくるよな。
お前がそこまで真剣に授業を考えているのなら、俺だって本気で応えるよ。
「みなさん、これが最後のチェックポイントです」
全世界放送のため過激なことはやりたくなかったけど、少しだけその範疇からはみ出そう。
「紅華さん、先生を抱きしめてください」
ざわ……ざわ……とセミナー室がざわつく。
「……くっしない……しないぃぃ……」
紅華は動かない。なるほどな、俺の声が聞こえていない、という設定にしているのか。
凄い女だ、どう見ても普通じゃない。昇天間際の人間をこんなに上手く演じるなんて……トップアイドル、天道紅華ッ! 俺は敬意を表するッ!
男の方から動くのは流れに反するが、あいつの名演を台無しには出来ない。俺は紅華に近づき――
「……しない……しな」そっと抱きしめた「ふぎゃあぁあ、やめろぉぉ」
えっ、なんだって?
抱きしめた瞬間、紅華が何か訴えたが、蚊の鳴くような声だったため分からなかった。
「きゃはあ!」「イエァァ!」
それはともかく予想通りの反響だ。若き男女の嬌声やら悲鳴が上がるのを耳にしながら俺は語る、紅華を抱きしめたまま。
「ベッドに入る前に抱きしめ合いましょう。男子が拒んだりせず、互いの鼓動が重なり合えば……もう先生から言うことはありません。ベッドの中で存分に初夜を楽しんでください」
我ながら良いことを言った。紅華も満足しただろう。さあ、ドサッと倒れてくれ、ドサッとな。
「……ぁぁがぁぁ……くぃぃしなぁぁい……」
しかし、紅華は満身創痍ながらも決して膝を折りはしなかった。
何故だ、紅華!? なぜ気絶しない!?
そっとハグでは足りない? ギュッとか? ギュッとじゃないと認めない系なのか?
「ミスター先生。素晴らしい授業をありがとうございました。本当に得るものが多い時間でした。この『鬼ごっこ』が終わったら、お礼は必ずします」
満足げにメアリさんが起立した。その手は隣のトム君をしっかり掴んでいる。
いかん、一段落ついたような雰囲気と残り少ない時間で、生徒たちがセミナー室を出ようとしている。
ちくしょう! もう遠慮している余裕はないぞ!
「……やった……たぇた……あたしは、たぇ」俺は全力で紅華を抱きしめた「うううぎゃあああああ、くっしぃぃぃぃぃ」
おおう!? 熱烈な抱擁を見せつけられ、周囲に動揺が走っている。
紅華は――?
「あうぐぅ……ぐぅ……」くそっ、堕ちない。まだ合格点をくれないのか、気絶のトリガーは何だ!
その時、俺の目が紅華の耳を捉えた。
抱き合っているので、俺の顔は紅華の肩に置く形になっている。あいつの耳はすぐ傍にある。
焦る俺には、もうその方法しか考えつけなかった。
興奮する風な紅華に届くよう、耳の近くで――「大好きだよ」
愛の言葉を囁く。自分が出せる最大限の感情を込めた愛の一言を。
「…………くっし…………かはっ」
ようやく俺は出来たらしい、紅華が意識を失くすにふさわしいと判断する演技が。腕の中の奴の身体が弛緩する。だらんと力が抜けたその身を優しく抱え、敷かれたカーテンの上に寝かせた。
「紅華、さん?」
俺の声に紅華は答えない。驚愕と喜悦の顔を残したまま、意識を手放している――ような演技をしている。事前に打ち合わせた俺でなければ見破れない完璧な偽装気絶だ。
グッジョブ。ありがとうな、紅華。
「い、いま大好きって? それで倒れたの?」
「ええ、逝ってしまったわ。
「言葉攻め、そういうものもあるのね」
少し計画からズレてしまったけど、生徒たちは紅華が逝ったと誤認している。
畳みかけるなら、この時をおいて他にはない!
薄目で見ていてくれ、紅華。
長かったミスター先生の公開授業もこれで終わりだ!
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