手のひらの上のコンテスト
男と女と涙、そして酒。
古き良き歌謡曲のド定番のテーマである。
昭和の悲喜こもごもに酒は欠かせない。
この『祝いの酒』は、居酒屋ソングとしてサラリーマンたちが昇進や結婚を祝い、喉を震わせた曲だ。
歌詞には、上がり調子だった頃の日本経済を想わせる箇所が多々ある。
タクマが歌うには不釣り合いの渋い曲だが、グラサンをして髭を蓄えたミスターなら、ダンディズム増し増しで格好がつく。
学生に酒の歌と言うのは不自然だが、大人になる彼女らの前途を祝して……という苦しい言い訳を用いて俺はこの歌を採用した。審査員や少女たちの脳をパァンするのに酒ほど手っとり早く確実な手段はないからな。
「こんな良き日は、友と一杯ひっかけ大いに語り合おう」
歌い出してすぐに審査員たちが顔を真っ赤にした。
恥ずかしくて赤らめたのではないことは一目瞭然。彼女らの頭がフラフラしている。どう見ても酩酊状態です、本当にありがとうございます。
少女たちより普段から酒を
なぜ歌で酔っぱらうのかは心底不思議だが、世の中には『場酔い』というものがあるし、きっとその酷い版なのだろう。
以前、みんなのナッセーで子どもたちをネズミ化したり未開の部族化したことで、俺は自分の歌に対して疑問を持つのはバカバカしいと悟っている。
「飲もう、飲もう、酸いも甘いも酒で流そう~」
サビが来る頃には、一番反応が薄かったお見合い指定校の三年女子にも顕著な動きが見られるようになった。
彼女らの観客席エリアから、
「あ゛あ゛ぅぅぐぅぅふう」
酔っぱらい特有の声なき声が上がり始める。
未成年の少女たちを酔っぱらわせて良いものか――と、この曲を選んだ時に葛藤したが。
「無問題。不知火群島国の法律において、『飲酒』は二十歳になってからと決められている。しかし、三池氏が強要するのは『聴酒』。聴酒に年齢制限が課せられていない。聴酒ならどれだけ未成年を酔わせても大丈夫。三池氏の行為は合法。法律の盲点を
法律の盲点も何も『聴酒』をカバーして法律を作る国があるとすれば、そんな頭のおかしい国には絶対住みたくない。
と思いつつ、椿さんからの太鼓判をもらった俺は聴酒強要に踏み切ったのである。
「てやんでぇバーローちくしょーっ!」
と叫ぶ酒癖の悪い女性や、呂律の回らない口喧嘩を始める輩も出没する。
コロシアム内の治安が一気に低下してしまったようだ。
さらに。
「ヒャッハー! おとこおおおおおっっ!!」
お約束の世紀末ヒャッハー勢も出現する――しかし、こちらも馬鹿じゃない。いい加減、対策は練っているのだ。
「酔いつぶれるまで飲んで、夢に酔おう~」
『祝いの酒』をチョイスしたのは、これが酩酊ソングというだけでなく、お休みソングも兼ねているからである。お前たち、もう寝なさい。
バタッバタッ。
歌の効果でヒャッハー勢が志半ばにして倒れていく。グッナイッ!
酒と睡眠欲に耐える強者も中にはいたが、満身創痍でステージに到着した彼女らを待っているのは南無瀬組の熱烈な歓迎であった……南無南無。
こうして最後のサビを前にして、コロシアム内の五千人は等しく酒に溺れた。無事でいるのは耳栓をしている南無瀬組くらいである。
審査員たちは揃いも揃って審査机に突っ伏しており、採点は不可能な模様。良い夢みろよ!
予想していたとはいえ、目の当たりにすると恐ろしい効果だ。
こんなものが有線で流れようものなら、東山院中のドライバーが酒気帯び&居眠り運転になって、街の至る所に車が突っ込んでしまう。
本当にこの場だけの歌で良かった。
俺はギターを鳴らす手を止めた。
これ以上は危険だ。
南無瀬組の数名に一曲丸ごと聴かせてテストを行ったところ、みんな泥酔して寝るだけで人体への悪影響はなかった。
しかし、人によっては胃の中の物をリバースするかもしれない。それだけならコロシアム内が酸っぱい匂いになるだけで済むが、アルコール中毒で意識不明になったら大事である。
審査員はノックダウンしたわけだし、もういいだろう。コンテストはおしまいだ。
それに演奏を止めた理由はもう一つあった。
「……っ」
昨日の悪寒がぶり返す。昨日よりハッキリとした寒気が俺の全身をかけ巡っている。
気のせいだと思いたかったんだけど、これはヤバいな。
早く切り上げて、休息を取らないと。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
顔を赤くして倒れ伏す人多数の観客席に頭を下げて、俺は静かに舞台袖に戻った。
「お疲れ様ですっ……えっ、三池さん?」
いの一番に駆けつけた音無さんが怪訝そうな目をする。
さすがは俺のダンゴ、こちらの不調を即座に見抜いたようだ。
少し寒気がします――と、素直に申告しようとしたが。それを遮って、
「な、なんてことをするザマスかぁ!!」
「うおっ!?」
カンカンに怒るアンさんが突撃してきた。
口調にたどたどしい所はない。おかしい、なんで
「よ、よくご無事で……」
「私は生まれてこの方、酒に呑まれたことがないザマス!」
酒に強い体質って俺の歌にも有効なんだなぁ。
「これではコンテストがぁぁぁ!」
頭を抱えて吠えるアンさんに、
「ほんますまへん。ミスターはんとしては、精一杯応援する気持ちで歌ったのにこないな事になってもうて」
真矢さんが慰めるように声を掛ける。
「よく言うザマス! だいたいなぜ南無瀬組の人たちは全員無事ザマスか!? この展開を予想して耳栓でもしていたんじゃないザマスか!」
おお、大当たり。さすがは東山院の領主様、怒り心頭しても頭の回転が早い。
「ともかく、この件は後でしっかり追求するザマス! ふん!」
アンさんが敵意を残し去っていく。
「滅茶苦茶怒ってますね~」
「そうっすね、覚悟の上とはいえ、悪いことをしました」
「起きるザマス!」と眠り込むスタッフをしばき回るアンさん――を音無さんと一緒に遠目で見る。
これからが大変だが、ひとまず目的は達した。
おっさんから「アンさんに気をつけろ」と言われていたので何か予期せぬ妨害があるかも……と不安だったがどうやら杞憂だったらしい。
ザマスおばさんは、ザマス口調が特徴の普通なおばさんだったわけだ――そう安堵していると。
「変やな」
真矢さんが呟いた。
「えっ? 何がですか?」
俺の問いに真矢さんは腕組みをしながら……
「いやな、うちの計算ではもっと杏はんは荒れると思っとったんや。コンテストを潰した責任を取れ、開催費を弁償しろ、とにかく土下座だっ! くらいはバンバン言ってくるもんやろ……妙子姉さんにフォローをしてもらう準備をしとったのに、肩すかしやで」
「でも、責任は後で追求するって」
「甘いで拓馬はん。東山院杏のねちっこさは有名なんや。鉄と弱者は熱いうちに打て、の杏はんが糾弾タイムを先延ばしにするなんて変やで」
散々な言われ様だな、ザマスおばさん。
「それは、東山院杏の怒りが作り物だから」
「はっ?」
「ほへ?」
「なんやて?」
これまで無言でアンさんを観察していた椿さんが確信をもって言及した。
「本人は頑張って装っているが、所詮素人の演技。目に充血はなく顔に紅潮が見られない、頬がまったく痙攣していない、荒々しい声を出すものの喋り自体は滑らか過ぎる。怒り状態の人体は特定の筋肉が固くなりがちだが、その傾向も見られない――総じて言うと、彼女には余裕がある」
「ええと、静流ちゃん……つまりはどういうこと?」
「東山院杏にとって、このコンテストを潰されることは大きな痛手ではない。挽回する手立てを用意しているのか……いや、それよりもっと」
椿さんは手を顎に当てる、いわゆる推理ポーズで言った。
「コンテストが潰されることを前提に、何か計画を立てているのかもしれない」
「……くっ」
「み、三池さん!」
悪寒がさらに酷くなり、ふらついた俺を音無さんが支えた。
まずいな、これ。
それはコンテストの疲労だけでなく、自分らの奮闘が誰かの手のひらの上だったような、気持ち悪さが合わさっての体調悪化だった。
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