ソロプレイの代償

目覚めは清々しいものだった。


カーテンを開けると、秋の陽光が日本風庭園の朝露をきらめかせ、小鳥たちのさえずりは新しい日を祝う賛歌のように聞こえる。


ああ、不知火群島国に来て、これほどフレッシュな朝を迎えたことがあっただろうか。


こんな気持ちになれるのも、昨晩おっさんから借りたお宝本のおかげだろう。

人間、溜め込み過ぎはダメだってことだね。


習慣でもない整理体操を衝動的にやって、よりスッキリ気分になった俺は朝食を取るため廊下に出た。




「おはようございます!」


「ふわぁ! お、おはようございます」


「おはようございます!」


「お、おひゃよございます」


「おはようございます!」


「…………ふぅ」


なんだろう、すれ違う黒服さんたちの様子が変だ。

南無瀬邸に住み始めて半年近く、黒服さんたちとは自然な挨拶が出来るようになっていたのに。

今朝は、俺が接近するなりみんなビクッと身体を震わせ、盛大に赤面している。


もしかして、着衣に乱れがあるのか?

と自分の格好を確認するが、いつも通りの部屋着でおかしいところはない。


「…………こ、これはもしや」

「間違いない。ついに三池さんが本気を出したのか」

「アレは捨てたの、もったいない。これは人類にとっての大いなる損失だ」

「採取キット持ってくる」

「緊急事態だと全員に通達。同時に、ダンゴたちを隔離。絶対に三池さんと接触させるな」

「他に暴走しそうな者は速やかに離脱すること。隣の者が限界そうなら捕縛すること。全員、ヒットアンドアウェイを心がけよ」

「了解」

「逝き残れよ」


何やらボソボソと後ろで話す黒服さんたちに、首を傾げながら俺は広間に向かった。


普段なら広間の席にあらかじめ朝食が置かれているはずなのに、今日は黒服さんたちによる配膳が行われた。


それだけでも不自然なのだが、配膳方法にも違和感を持ってしまう。

茶碗やお皿などお盆に載せて一度に運べば良いものを、なぜか一人一椀、一人一皿、一人一コップとちょっとずつ運んで来るのだ。

そして、全員が俺の前に来ると「クンカクンカ!」と鼻呼吸を荒くする。


なんなの? みんな一体全体どうしちゃったの?


と、これまでの俺なら不信感を募らせ、頭を悩ませるだろう。

しかし、今の俺は気分が良い。

多少のことは「こまけぇことはいいんだよ!」とスルー出来る度量を身につけている。


まあ、この国の女性の奇行は今更だし、気にするほどでもないだろう。

それより食事だ。朝食は一日を元気に生きるための必需品、もりもり食べようじゃないか!


健啖家となった俺に、喜々として黒服さんたちがおかわりを勧めてきた結果、ご飯を四杯も頂いてしまった。

さすがに食い過ぎ……うっぷ。

今日が仕事のオフの日で良かった。少し部屋で休もう。


そういえば、朝から音無さんや椿さん、それに真矢さんの姿を見ない。

昨晩の妙子さんのシゴキでダウンしているのかな?




部屋でのんびりしていると、満腹感も手伝ってか睡魔が襲ってきた。

最近ずっと忙しかったからなぁ。ふわぁぁ……と、うとうとしていると。


「ダンゴが逃げたぞ! A班は追跡。B班は三池さんの部屋の守りを固めろ。C班は庭に出て、外からの襲撃を警戒せよ」


「ダンゴは妙子様による教育的指導で万全ではない。しかし、凶暴化している。油断するなよ」


電気テーザー銃の配備完了。間違っても妙子様の調度品に当てるなよ」


「東廊下で目標『音』を発見! 人間離れした跳躍を見せています」


「落ち着け、『音』だけか、『椿』は?」


「見あたりません。もしやこちらは陽動でしょうか?」


「奴らにそれだけの知能が残っているとは思えん。単純に分かれて行動しているだけだろう」



……なんか、うるさいな。

微睡まどろみの中で、たくさんの人の声が聞こえてくる。

部屋を出て、外の様子を見ようかと思ったが……ううん、眠い。


「ぎにゃああああ!!」


「信じられません。電気銃を撃ち込んでもまだ動こうとしています」


「沈黙するまで撃ち続けろ」


外が一段と騒がしくなったが、どうせロクでもないことだろう、という精神の防衛機能の判断の下、俺の思考は暗闇に落ちていった。





正午に目覚め、軽く昼食を取った後――

豚にならないよう柔軟体操を部屋でやっていると真矢さんが訪ねてきた。

ゼンマイで動くロボット人形のように、カクカクした動きだ。服から伸びる手足の所々に湿布が貼ってあり、痛々しさを増長させている。


「か、身体の節々がごっつ痛いねん。妙子姉さんの辞書に『手加減』はないんや」


どうやら充実したお稽古内容だった模様。


「……うはぁ、噂通りやな。なんつぅ威力なんや、精神安定剤を飲んで来て正解やったわ」


「え、何がですか?」


「あ、な、なんでもない! それよりホラ、オツ姫はんから台本が届いたで」


真矢さんが取り出したのは『みんなのナッセー』特別公演の物だ。

元々、すでに台本は渡されていたのだが、天道咲奈というイレギュラーの急遽参戦によって訂正を余儀なくされていた。

その改訂版がようやく完成したわけだ、早速読もう……真矢さんにお願いして。


「真矢さん」


「分かったで」


この辺りはもう阿吽あうんの呼吸というやつだろう。

不知火群島国の文字が読めない俺のために、真矢さんが台本を朗読して、それを日本語で書き留める。

お決まりの作業だ――が、どうしてだろう。


毎度テーブルを挟んで行う翻訳作業が、今日は隣接して行われている。

真矢さんが当たり前のように俺の隣に腰を下ろした手前、「離れてください」とは言いにくいし。

それにしても真矢さんが近いな。肩がゴリゴリ触れあっている。


まっ、いいか。

今日の俺は「こまけぇことはいいんだよ!」スタイルだからな。

真矢さんのキツネ目がいつもより大きく開かれ、鼻がヒクヒクして、時折口元からヨダレが出ているのも小さなことだ。気にするほどじゃない。


真矢さんの朗読する声が無駄に色っぽかった以外、特に問題はなく翻訳作業は終了した。



やることが終われば、多忙な真矢さんは長居することなく退室するのが常なのだが、


「ほな、うちはこれで」


と、おいとまの言葉が聞けたのは翻訳作業が終わって二時間が経ってからだった。

今日の真矢さんは少しでもこの部屋に残りたいかのように、毒にも薬にもならない世間話を延々と振ってきた。


ここで油を売っていて大丈夫なのか心配になるが、俺としてはマネージャー兼プロデューサーと親睦を深める意味で有意義な時間だったと言える。


ところで真矢さん、会話の合間によく深呼吸していたなぁ。お疲れなのかな?





夕食を終え、後は風呂をいただいて寝るだけ、となった時間。

俺は、お宝本をおっさんに返していないことを思い出した。


この部屋に置きっぱなしにしていたら、いつダンゴたちに発見されるか分からない。


「三池さんってガチムチが好きだったんですか!」

「ほう、これが勝利の鍵」


とか言って、隣の部屋でファイトクラブを始めるダンゴたちがありありと想像出来る。

なので早めに返却するとしよう。


……あれ?

隣の部屋と言えば、今日は一度も隣から気配がしないな。あの二人、どこに行っちゃったんだろう?




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





「こんばんは」


「おや、どうしたのかね? こんな時間に」


幸いおっさんは自室にいた。妙子さんの姿はない。良かった、ベストタイミングだ。


「昨日お借りした本を返しに来ました」


「そうか。もういいのかね?」


「ええ、昨晩は(うちのジョニーが)大変お世話になりました。頑張り過ぎて、危うく寝落ちするところでしたよ」


「若いじゃないか、はは。そうだ、ちゃんと終わった後にお風呂に入ったんだろうね?」


「え、風呂?」


「ソロプレイした後はお風呂に入るのが常識ではないか」


そうなん? 

激しい自己鍛錬だったけど、別に汗をかいたわけでもないからそのまま寝ちゃったぜ。


「……も、もしかして入っていないのかね?」にこやかだったおっさんの表情が固まる。


「はぁ、まずかったですか?」


「あちゃ~」と言いたげにおっさんは手で顔を覆った。


「……三池君。今日一日、周りの反応が変じゃなかったかね?」


「変、ですか。確かにみんなソワソワしていたような」


「女性は、ね。男性の匂いに敏感なのだよ。特にソロプレイした後の男性には独特で甘美な匂いがするらしい。男の僕らでは気づけないがね」


「な、なん……ですって」


「だから事を終わった男性は、お風呂で匂いを落とすのが常識なのだよ。すまなかった、三池君が外国人で世間に疎いのを失念していた。僕がちゃんと忠告しておけば」


う、嘘でしょ。嘘だと言ってよ、おっさん!!


「なら、俺は今日ずっと、周りの人に、自己鍛錬していたのを……」


「大声で公言していたも同然、ということだ。同じ男として深い同情を禁じ得ない」


黒服さんたちや真矢さんの言動がフラッシュバックする。

みんながみんな「あらあら、うふふ。あらふあらふ」という熱視線で俺を見て、鼻呼吸に余念がなかったのはそういうことだったのか。


「うわ、うわああああああ!!」


夜中に大声を上げるなどご近所迷惑甚だしい。

けれど、叫ばずにはいられなかった。


「三池君! 心をしっかり持つんだ!」

「うわあああああんんっ!!」

おっさんの声を振り切り、雄叫びと共に俺は風呂場へと走り出した。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




目覚めは最悪だった。


カーテンを開けると、秋雨が日本風庭園に降り注ぎ、小鳥たちはどこかに行ってしまっている。


ああ、不知火群島国に来て、これほどどんよりとした朝を迎えたことがあっただろうか。



「三池さん、おはようございます……」

「三池氏、おはよう……」


広間で顔を合わせたダンゴたちも元気がない。

昨日姿が見えなかったが、二人に何があったというのだろう?


「失礼しますね」音無さんが接近してきて、クンクンと鼻を鳴らす。


「凛子ちゃん、どう?」

「ダメ、いつものフローラル」

「やはり遅かったか」


ガクッと肩を落とす音無さんと椿さんの意図は何となく読める。

昨日、二人に会わなくて良かった。俺は心から思った。



いけないな、このコンディション。

今日は特別公演の練習がある、落ち込んでばかりはいられないというのに。

どうしても気力が湧いてこない。

こんな状態で天道咲奈を相手に、俺はしっかり出来るのだろうか……






☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





『天道咲奈の日記』



○月×日



今日はみんなのナッセーの練習がありました。

スタジオに入ると、すごく暗い顔をしたタクマお兄ちゃんがいました。


おなかでもいたいのかな、心ぱいになって話しかけたんだけど。


そしたらタクマお兄ちゃんが私に、


(何度も書き直した跡)


ダメだ、うまく書けないよ。


私のからだ、なんだか変!

タクマお兄ちゃんのことをかんがえると、すごくアツくなる。

こんなの初めて……

どうしちゃったんだろう。なんだか自分がこわいよ。


落ちつこう、落ちついて、落ちついて、わたし。

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