【暗雲の南無瀬島】

「今日はサンキュー、自分で勉強するよりずっと早く深く分かった」


「生徒のやる気があったからだよ。この調子ならすぐにクラスのみんなに追いつけるね」


「おう、これからも頑張るぜ。委員長の稽古は明日の昼休みからでいいんだな? あちきは結構厳しいぞ」


「頑張る、必死で食らいつく」


「その意気だ」


わたしたちは、夕暮れの中を並んで歩いている。

まさか姉小路さんと一緒に下校する日が来るとは思わなかった。


それにしても、わたしはツイている。

わたしが入部した武道部の流派と、姉小路さんが以前通っていた道場の流派は同じだった。さらに姉小路さんは部の先輩方よりも有段者だという。

放課後の道場は誰かしらが使用するので、昼休みの三十分がわたしの特訓時間だ。


姉小路さんの勉強を見るのは、わたしの部活がない日。

だから姉小路さんがわたしの稽古相手になるのも部活のない日。

それで良いと思っていたら。


「ひょろひょろ委員長がこれから強くなろうと思うんなら、時間はいくらあっても足りねぇよ。毎日特訓やろうぜ」


恩を着せない当たり前のような言葉にわたしの瞳がウルッとした。


なんだか不思議。

わたしは力、姉小路さんは知。

お互いが持っていない物を欲して、お互いが教え合って新しい自分になろうと努力する。

それって凄く素敵。


「じゃ、あちきはこっちだから」


「うん、また明日」


校門からしばらく行った住宅地の十字路で、わたしたちは微笑み合い別れた。



足取りが軽い。

強くなるための展望が開けた。新しい友だちが出来た。

今日はとっても良い日だ。


姉小路さんにはお世話になっちゃうなぁ。何かお礼を考えなきゃ。

あ、お昼のお弁当に彼女の好きな物を持っていくというのはどうかな? ナイスアイディアかも。


今晩連絡して好物を訊こう……と、考えたところでわたしはハッとした。


しまった、姉小路さんの連絡先を聞いてない。

仲良くなったのに、肝心なことを知らないだなんてわたしってばうっかり。


姉小路さん、まだ近くにいるかな。

あっちの通りに行ったよね、今から走れば追いつけるかもしれない。


わたしは姉小路さんが消えた方向に小走りで駆けた。


姉小路さん、姉小路さん、う~ん、どこに行ったんだろう?


土地勘のない住宅地の合間を走っていると、姉小路さんを発見するどころか迷子になってしまいそうになる。

やっぱり無理せず、明日学校で連絡先を教えてもらった方が賢明かな。


わたしが追跡を諦め、踵を返そうとしたところで――



「待っていたぜェ!! この"瞬間とき"をよぉ!!」


!?


曲がり角の向こうから怒気を含んだ声が聞こえた。一発で発言者が不良だと分かる。


そろ~と角から顔だけ出して様子を見ると。


「姉小路旗希だな、"孤高少女"の?」


「なんだお前ら、いきなり因縁付けて来やがって」


姉小路さんが数人の女の子に囲まれていた。

襲っている子は制服の丈を長めに改造した服を羽織っている。

背中に大きく書かれている文字は――


あの服装……もしかして、最近噂に聞く『彼女』たち?


「姉小路ぃ、てめぇに覚えがなくてもなぁ。疼くんだよぅ……てめぇをブン殴れって拳がよぉ」


「孤高少女の奴らはどいつもこいつも敵だぁ。許さねぇ!」


「シェアアアあああっ!!」


一触即発。

姉小路さんに飛びかかろうと女の子たちが距離を詰める。


「やめろ、あちきはもうケンカはしないって決めてんだ。何が気に入らないのか言ってくれれば謝る。それで勘弁してくれ」


「詫びて済まねぇんだよぉ。大人しくボコられろっ!」


ここで暴力沙汰になったら、姉小路さんがまた学校に来れなくなるかもしれない。

そんなことはさせない!


「お、おまわりさん!! こっちです! こっちでケンカがあってます」


曲がり角から身体を晒したわたしは手招きをして、不良たちの死角になっている角の先に警察がいる風に演技する。


「あぁん? なんだ鈍臭そうな女ぁ」


「警察ぅ、この短時間で都合良く~?」


「どうせハッタリだぁ。邪魔しやがってぇ、いい度胸だ」


振り返った不良たちが、わたしにガンをつける。

ひええっ、全然騙されてくれない。


「委員長!」


不良たちの視線が外れた隙をついて包囲網を突破した姉小路さんが、ダッシュでわたしの前まで来た。は、速い。


「あっ!? 姉小路! 待ちやがれ!!」


慌て出す不良たちに一瞥することもなく、


「走るぞ、来い」


姉小路さんはわたしの手を引いて駆けだした。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




姉小路さんの脚力は、わたしというお荷物を計上しても不良たちに勝っていた。

住宅地の狭い路地を駆使した逃走劇の末、完全に不良を撒いたわたしは盛大に呼吸をした。


「はぁはぁはぁ、ああ、つ、疲れた」


「すまなかったな、巻き込んじまって」


「い、いいよ。わたしが勝手に首を突っ込んじゃったんだから。むしろ足を引っ張ったみたいでごめんなさい」


「なに言ってんだよ。委員長のおかげで逃げるタイミングが出来たんだ。助けてくれてありがとう。嬉しかったぜ」


面と向かってお礼を言われると照れる。

「ど、どういたしまして」

恥ずかしくてわたしはどもってしまった。


「にしても、ナニモンだ? あんなグループ、見たことがねぇ」


「姉小路さんが施設に入っているうちに作られた過激な集団だよ」


「知ってるのか、委員長?」


「うん。あの特徴的な服装、間違いないよ」


「服装って、長ランのあれか」


「『特好服とっこうふく』って言うの。背中に書いてある文字は見た?」


「いや、そんな暇はなかった」


「書いてあったのは『タクマ命』。そう……あの集団は『特好ぶっこのみのタク』ってグループ。タクマさんを崇拝する過激派だよ」


姉小路さんがゴクリと喉を鳴らして「特好ぶっこのみのタク……でも、なんであちきを狙ったんだ。襲われる覚えは」


「覚えはない、とは言わせないよ。姉小路さん」

わたしはキツメの口調で言った。「漁業組合のCMにタクマさんと一緒に出たよね」


タクマさんが割烹着姿でお出迎えしてくれるCM。

その威力は壊滅的で、この世に楽園があるとしたらきっとあんな感じ、と視聴者を二度と這い上がれない幸せのどん底にたたき落とした。


当初、わたしたちはタクマさんに癒され、溶かされ、とろけた。

でも、時が経つと『タクマさんの魅力を正確に分析せず本能だけで楽しむのは二流』という風潮が生まれ、みんな理性的にCMを観るよう試み始めた。


そうなると、目に付くのは漁師たちの姿である。

タクマさんと競演するラッキーウーマンたち。その中の見覚えのある女の子たちに気付いたのはCM視聴回数が二百回を超えた辺りだろうか。


「クラスのみんなが冷たかったのは、姉小路さんの素行に反感を持っていたからじゃないの。すべてはタクマさんと接点を持ったことに対する嫉妬なんだ。あの『特好ぶっこのみのタク』も同じ理由で孤高少女愚連隊に敵意を抱いているんだと思う」


「そ、そんな……あちきは、あちきたちは」


動揺する姉小路さん。冷酷な事実だ、でも誰かが教えないといけない。


特好ぶっこのみのタク』は氷山の一角に過ぎない。


ぎょたく君に影響を受け、肉を食べるのを止めてひたすら魚を食す集団『お魚天国』。


割烹着の魅力に取り付かれ、お手製の割烹着をタクマさんのぬいぐるみやフィギアに着せる『おとんの会』。


南無瀬領で活動するタクマさんを追っかけて、他の島から移り住みだした『外来派』。


タクマさんの首筋にエロティズムを感じる『タクマさんの首筋をペロペロし隊』。

ちなみにペロペロし隊は、首筋以外にも太股、二の腕、腹筋、うなじ、そけい部など人体の箇所ごとに細かく存在する。


さらにタクマさんが使ったお皿や、座った椅子などを秘密裏に入手し売りさばく『謎のバイヤー組織』もいるらしい。


わたしが知っているのはこれくらいだ。

きっと名が知られていないだけで、タクマさんを敬い、傾倒し、愛で狂っている集団がわんさかいるだろう。


これらの団体は、自分たちこそがタクマさんをもっとも強く想っていると主張し合っているそうだ。

今は抗争にまでは発展していないが、タクマさんが活躍すればするほど爆発するリスクは高まるだろう。


さっきの争いで、姉小路さんたち孤高少女愚連隊も無関係ではいられないことが分かった。



「姉小路さんってお母さんと暮らしているの?」


「え、いやアパートで一人暮らしだけど」


「なら今晩はわたしの家に泊まって。アパートは過激派に見張られているかもしれないよ」


わたしはマンションでお姉ちゃんと暮らしている。

とりあえず今日のところは姉小路さんを保護して、どうするべきかお姉ちゃんに相談しよう。


わたしはそう考えながら、南無瀬島に広がる暗雲に暗澹あんたんたる気持ちになった。

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