帰りを迎える人

大部屋とトイレくらいしかない小さな公民館に数十人の漁師の女性が入り、上映会が開かれている。

窓には遮光カーテン、壁掛けスクリーンにプロジェクターの光が当てられCMの映像が流れている……ようだ。


なぜ断定形ではないかというと、俺自身は公民館の入口でスタンバイしているわけで中の様子をハッキリとは把握出来ていない。


「ぎにゃあああぁぁタクマくふぅん!!」

「血が、鼻血が止まんないけど知るかぁ!!」

「お風呂? 晩ご飯? それよりお前だぁぁぁ!!」


など歓声が聞こえるので、盛り上がってはいる……が。


広告代理店が用意したCMパターンをいくつか消化した辺りで、漁師たちの声は鳴りを潜めだした。


……どうしたんだろう?


「あたし、分かります。元々、あのCMは大声で叫んで観るものじゃないです。もっとしっとりと心に響かせるように楽しむものなのです」


寄り添って待機する音無さんが、頼んでもいないのに解説を始めた。拳に力が入っている。


「男女比が1:1の国出身の三池さんには共感が難しいかもしれませんが、この国の女性は『自分の帰りを迎える人』に飢えているんですよ!」


不知火群島国の女性は、母親だけの家庭で生まれ育てられるのが普通だ。


当然、母親は働きに出なければならない。そうなると、姉妹や祖母のいる家でもなければ、学校から帰っても迎える人はいない。


やがて自分が母親になり、子育てを始める。この時期だけ我が子が帰りを迎えてくれるが、いずれ我が子も巣立ち……また誰も迎えてくれない日々となる。それも今度は死ぬまでずっと。


「だから、CMを観て誰もが思わずにはいられない、あんな風に帰りを迎える人が欲しいと。それが『自分の帰りを迎える男性』なら効果のほどは天井知らず! そ、そしてさらに、自分を「おかえりなさい」と笑顔で迎える男性ならば……そりゃもう、フォーーオオオですよ。フォーーオオオ!!」


いかん、音無さんが錯乱し出した。

俺の割烹着を見てから、肉食獣と淑女を行ったり来たりして不安定な彼女である。


「凛子ちゃん、今仕事中。静かに」

「げふっ!」


相棒の腹パンにより、音無さんは大人しさんになった。

ふぅ……これから締めだってのに、慌ただしいな。



「はい、ではみなさん。一番良いと思ったパターンの番号を紙に書いて投票してください」


サザ子さんが場を仕切る声が聞こえる、上映会は大きな混乱もなく幕を閉じたみたいだ。


じゃ、そろそろ出番だな。


「さて、みなさんにはCMに出演していただいたお礼として、ご用意しているものがあります。先に言っておきますが、くれぐれも興奮しないようお願いしますね」


ではどうぞ、の声で俺たちは動き出した。

公民館の入口が開かれ、まず会議用の折りたたみテーブルを持った黒服さんたちが中に入り、素早くセッティングを行う。


次にカセットコンロや調理用大鍋、それにおたまや人数分のお椀が運び込まれ準備完了。


最後に満を持して、割烹着姿の俺が登場である。


これから始まるのは、大鍋に入った魚介スープを俺が漁師さんたちにそそいで配るイベントだ。



実のところ、あのCMには今後火種となりえる箇所があった。

最後のシーン、家に帰ってきた漁師の妻に俺が酒をお酌する場面である。


撮影の時、その場にいたサザ子さんにお猪口を持ってもらいお酌の相手となってもらった。どうせ画面には腕しか映らないし、誰でも良かったのだ。


だが、その認識は甘かった。


お酌の件を聞いた漁師の間で、


「組合長は自分の立場を利用してタクマ君からお酌を受ける役得をゲットした、マジ万死!」


と、不穏な空気が漂い、サザ子さんへの不信任決議にまで発展しようとしているらしい。


これに困ったサザ子さんが、今回のイベントを頼み込んできたわけだ。


俺としても、自分が考えたストーリーに協力してくれた漁師さんたちに報いたいと思っていたので、この要望を快諾。

果たして、俺は給食当番のように魚介スープをよそうこととなったのである。


割烹着姿の俺の登場に、公民館内は騒然となったが恐れていた暴動には発展しなかった。

と、いうより女性たちの興奮のベクトルがいつもの肉食方向と違う。


まるで敬虔な信徒たちが地位の高い聖職者を迎える、そんな空気だ。

俺の前にスープ待ちの列が出来る。

スープ入りのお椀を一人一人に手渡しすると「ありがたやありがたや」と、誰もが拝みながら受け取っていた。


うん、すんごくやりにくい。


そして、漁師さんたちは魚介スープに恐る恐る口を付け――


「あぁ~~たまんねぇ、心が浄化されるぅぅぅ~~」


と、アヘアヘな感じになっていった。


この魚介スープ、大丈夫なの?

変な薬とか入れてんじゃない?



漁師さんにスープを配り終わって、残るは孤高少女愚連隊のメンバーのみ。

ベテランに怒られる漁師役として彼女らにもCMに出てもらった。

漁業組合にとって若い人材の確保は重要なため、若手もいますよ、というアピールに孤高少女愚連隊が動員されたわけだ。


「CM感動しましたっ!」

「あの格好のタクマさんを見て、なんだか生まれ変わった気分です!」

「これからは真面目に生きていきます!」


「頑張ってください」

更正の決まり手は割烹着でした、という少女たちの門出を俺は多めに入れたスープで祝福した。


長かった列もすっかりなくなり……最後の一人、姉小路さんに声を掛ける。


「お疲れさまでした。姉小路さんのアドバイスには随分助けられました。ありがとうございます」


「そ、そんな。あちきは大したことしてないっすよ」


初めて会った時の獰猛な雰囲気は跡形もない。

視線を合わせるのが恥ずかしいのか、伏し目がちにチラチラとこちらを見る彼女と接していると、なんかサービスしたくなる。


「そうだ。アドバイスのお礼をしないと……何がいいかな、まっ俺に出来ることがあったらなんでも」


「三池氏」

「三池さん」

「拓馬はん」


「はうっ! 俺に出来ることがあったら身体で払うこと以外は聞きますよ」


身体の芯をぶっ刺す冷徹な声に、俺は慌てて軽率な発言を訂正した。


「タクマさんにお願いが出来る権利だなんて……あ、あちき、モーレツに感激してます。どんなことにするか、滅茶苦茶しっかり考えてみます」


「え、ええ。なるべく対応できるよう善処します」


スープをこぼすんじゃないか、と心配になるほどウキウキな足取りとなった姉小路さんを見送り――俺は背後を振り返った。


笑みとは本来攻撃的なものである、そんな言葉を思い出させてくれるダンゴやマネージャーにお許しをうために……



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



今日の仕事は心底疲れた。

南無瀬邸へ帰る車の中で俺はグッタリとなる。


「CMのアフターケアまでやってお疲れさんやな、拓馬はんは貴重な男性アイドルなんやから無理したらあかんで」


「そ、そうですね」


スープを配るより、その後に行われた女性への対応講座の方が心身に来るものがあったのだが、んなことはとても言えない。


「けど、サザ子さんたちが喜んでくれて良かったです」


「三池氏は組合の諸氏の『帰りを迎える男性』になってみせた。この意味は大きい」


「CMが放送されたらもっとたくさんの人が救われますよ。三池さん、グッジョブです!」


両脇のダンゴたちに賞賛を受け、気分は高揚する……が、同時にこんなことを思ってしまった。



俺は女性たちの帰りを迎える人になったけど――

じゃあ、俺の帰りを迎える人はいるのか?



割烹着のアイディアを思いついてから、いやその前のおにぎりを握った晩から、日本のことが頭から離れない。


父さん、母さん、みんな……

日本で「おかえりなさい」と俺の帰りを迎えた人たち。

でも、不知火群島国には誰もいない。


郷愁が渦巻く目に、車窓から見える夕日差す南無瀬市の風景が冷たく映った。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



南無瀬邸に到着し、センチメンタルな気持ちを引きずって入口の門をくぐると。


「三池君! おかえり、待っていたぞ!」


おっさんを筆頭に――


「「「「「お帰りなさいやせ、拓馬さん!!」」」」」


黒服さんたちが綺麗に整列して待ち構えていた。



なっ、なんだこの豪勢なお出迎えは!


「CMの仕事がひと段落した記念に、今日は盛大に祝おうじゃないか! さっ、手を洗って大広間に来たまえ。僕が丹精込めて夕食を作った、ぜひ賞味してくれたまえ!」


おっさんの格好に注目してみると、ひまわりのような花が描かれたエプロンを着ている。

おにぎりを作ったのがキッカケで、料理にハマってしまったのか?


「料理って、あの、おにぎり?」


「ははは、僕がワンパターンの男と思ったのかい? 見くびってもらっては困るな。療養している間に色々と本を読んで研究したのだよ。作ったものは、君より先に帰宅した妙子に味見してもらったから味は心配しないでくれたまえ」


「えっ、妙子さんにお手製料理を!? よ、よくご無事で」


「ん~、また熱烈な抱擁を受けたが……ほら、この通り対策はバッチリなのだよ」


おっさんがエプロンをたくし上げると、剣道の防具のようなプロテクターが上半身に装備されていた。


「我が妻ながら愛情表現が過激だからね。だが、喜んでくれたから何よりなのだよ」


はぁ~、夫婦間のアレコレに立ち入るのは不作法とは言え、もう少し穏便な愛のはぐくみ方は出来ないものか。


おっさんは気づいていないようだが、プロテクターには小さくヒビが入っていた。

もって後数回の使用か……




部屋着に着替えて、大広間に行くと竜宮城の歓待と見まごう豪華な料理が並べられていた。

魚が多いのは、おそらく今回のCMのお礼として漁業組合が送ってくれたからだろう。


「来たね、さぁ座りたまえ」


おっさんの歓迎を受け、料理を食す。

おっさんが作ったのは、鮭のホイル焼きみたいな物だったが意外や意外に美味い。

まさかこんな才能があったとは……なんか悔しい、でも食べちゃう。うまうま。



「三池さん! お待たせしました!」


腹五分目になった頃、音無さん、椿さん、真矢さんが大広間にやってきた。

三人とも屋敷に着くとすぐ、いそいそと俺から離れていったから何事かと思っていたのだが。


「あたしたち三人の料理もぜひ食べてください!」

「見た目を気にしてはいけない、味は良い……はず」

「料理は久しぶりやったから、あんま期待せんといてな」


赤、青、黄色のエプロンを付けた三人がテーブルに並べたのは、綺麗に飾られたムニエル、なんかの残骸、そつなくまとめた酢の物だった。


「(一部から目をそらして)わぁ、美味そうですね! でも、どうして三人まで料理を?」


「三池さんを少しでも癒したくて作りました! ここ最近お疲れだったでしょ? CMの案を作った後もずっと思い詰めたような感じで」


「えっ……な、なんでそれを」


「ダンゴは護衛男性のメンタルに敏感でなければならない」


ま、まさか俺のホームシックは察知されていた?


「拓馬はん、こんな懐柔するようなやり方は卑怯かもしれへん。せやけど、一時の止まり木でええねん。もうちっと、うちらに寄りかかってくれんか?」


「……」


心の内を知られていたのが恥ずかしい。

調子の良いことを言っているけど俺を日本に返す気があるのか疑わしい。

三人を始め、南無瀬組の人たちが俺のことを想ってくれて嬉しい。


色々な感情がこみ上げて、なんと返事すればいいか分からない。


だから、俺はとりあえず三人の料理に手を付けることにした。


「ごぼっ! ぐぼぉ!?」


一部黄泉路に誘うような料理があったが、俺は命を燃やして残さず全てを平らげた。


そして……

音無さん、椿さん、真矢さん。

少し離れた所で様子を見ているおっさんと妙子さん。

それにいつも気配を殺して控えている黒服さんたち。


俺の帰りを迎える人たちに向かって――


「料理、ごちそうさまでした。あの……その……あ、ありがとうございます」


と、頭を下げた。



その日から、アイドル活動以外の不知火群島国の生活にも、俺は前向きになった……ような気がする。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



後日。


漁業組合のCMが放送され、多くの漁師希望者が組合事務所のドアを叩いた。


厳選してあの人数なのだから、当初の俺が漁をするCMを流していたらどうなっていたのか……想像するのが怖い。


真矢さんから聞いたのだが、巷では『ぎょたく君』に次ぐ俺の代名詞として『南無瀬の港』という言葉が生まれたらしい。


帰港したい! という婦女子が街中に溢れてそうでガクブルである。

マイサンことジョニーは未だ鎖国中だと言うのに、俺が港呼ばわりされるとはなんたる皮肉だろう……はぁ。


CMの影響は他にもあった。

CMを観た女性たちが淑女モードになり、南無瀬領内の犯罪が激減したのだ。

それこそ車のスピード違反など軽いものまで全て。


「まったく、仕事がなくなっちまうよ」

という愚痴を笑顔で言う妙子さんが印象的だった。



しかし、どんな賢者モードにも終わりがあるように、淑女モードが終わった時。

南無瀬領を大きな問題が襲い、俺は新たな活動を迫られることとなった……

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