【とある姉妹と黒一点アイドル②】

上映会のため仕事が遅れ、今日は残業になってしまった。


「疲れたぁ、ただいま~」

マンションに帰る……ん、変だな。室内が暗い。この時間なら妹はとっくに帰宅しているはずだ。

現に靴はあるし、居間の方からテレビの音がする。それなのに電気が点いていない。


不審に思いながら居間に入ると。


「ぎょぎょ。ぼく、ぎょたく君。よろしくぎょぎょ」

「よろしくぎょぎょ」


こちらに背を向け、妹が『みんなのナッセー』を観ていた。

私の存在にまったく気づいていない。

真っ暗な部屋で、唯一の光点となっているテレビの前に正座して「ぎょぎょ」と呟いている。


やがて録画した分が終わると、すぐさまぎょたく君登場まで映像を戻してまた観る。

きっと妹はこの流れを日暮れ前から何回も繰り返しているのだろう。



私が壁際のスイッチを押して、室内が明るくなる。そこで初めて妹が我に返ったように私を知覚した。


「お姉ちゃん……あ、お、お帰りなさい」振り返りながら言う。


「ダメじゃない。暗い部屋でテレビを観ちゃ」と注意しようと思っていたが、妹の顔を見て言葉が出なかった。


妹は泣いていた。

目は真っ赤になっているし、可愛い顔がクシャクシャになっている。

ずっとずっと何時間も泣いているのか。


妹は学園島へ行く能力がありながら我が家の財力に恵まれず……みすみす男性と接触するチャンスを逃してしまった。

その妹が男性演じるぎょたく君を観て、なにを想ったのか――私の心が痛む。


「晩ご飯は出前にしよっか」

それが私の言える精一杯だった。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




食欲が満たされ、傍目妹の様子は平静になった。


「ぎょたく君。本当に男性だったね」


「うん。おとぎ話の登場人物みたいに格好良かった。教室のテレビで観ていたんだけどね、みんなあんなイケメンお目にかかったことがないって飛び上がったり、のたうち回ったり、運動場を疾走したり、意味なく放送室をジャックしたりで大変だったよ。何人か倒れて保健室に運ばれてた」


子ども番組のキャラのはずなのに、多感な十代にぎょたく君は刺激があり過ぎたか。


「ぎょたく君の人って何者なんだろ?」


妹の疑問に「タクマって人よ」と私は答えた。


「えっ、どうして知っているのお姉ちゃん!」


「夕方に『みんなのナッセー』のホームページにアクセスしたらぎょたく君のキャラクター紹介が追加されていたのよ。そこに小さく『南無瀬組 男性アイドル事業部所属 タクマ』って載っていたの」


「南無瀬組? あの公式ヤクザの?」


「その南無瀬組よ。なぜかあの団体、男性アイドル事業部なんてものを立ち上げたみたいなの」


「じゃ、じゃあもしかして南無瀬組について調べたら、タクマさんの情報が何かあるかも」


それは私も考えた。

ただ、これ以上仕事を放棄するわけにはいかない、と職場ではあえて検索をしなかったのだ。もし見たら終電コースだっただろう。


自宅なら万が一のことがあっても平気。

ノートパソコンを居間のテーブルに起き、手早く南無瀬組と入力してネット検索をかけてみる。


すると、検索画面のトップに『南無瀬組ホームページ』がヒットした。


「南無瀬組のホームページなんてあったんだ」


妹が横から不思議なものを見たような声を出す。

私もあんなおっかない組織を調べようと思ったことがないので、まったく知らなかった。


ページを開くと目に入るのは、カタギじゃない黒服の女性たちの活動報告や写真……そこをスルーして『男性アイドル事業部』の文字をクリックしてみた。


画面が切り替わり、血と硝煙の雰囲気が途端に花と木漏れ日のそれにチェンジする。


『タクマ』と名前が添えられた一人の男性の写真がページの中心に張られていた。

ぎょたく君メイクのない顔を引き締めつつ、清楚な微笑を浮かべていらっしゃる。


魚男子も悪くないけど、素の人間スタイルも非常に良い!

やっぱり人間は人間とお付き合いしないとね。

全財産を献上して「一戦お願いします」と土下座したくなる。


タクマ君の紹介欄には、名前と身長と体重くらいのデータしかない。男性なのだからこれだけ開示してくれただけでも有り難い、のだけどもっと彼のことを知りたい!

出身とか、年齢とか、好きなタイプとか……

ああ、未婚か既婚かも知りたい。

彼の器量とビジュアルだったら世の女性は血で血を洗いながら殺到するだろう。十中八九既婚者だ――が、本当に既婚なら立ち直るのに半年は必要になる。今からでも休職届けを書かなきゃ。


「お姉ちゃん、ここ!」

妹が紹介文の下を指さす。指摘されて気づいたが、『ご挨拶』と文字が載っている。


なんだろう……とクリックすると、タクマ君の写真が突如映像として動き出した。


「こんにちは! 僕のページに来ていただきありがとうございます! 改めて自己紹介します、タクマです。この度、南無瀬組男性アイドル事業部のアイドルとしてデビューすることになりました。まだまだ駆け出しの未熟者ですが、みなさんの生活に僅かでも彩りを添えられるように頑張ります! あ、結婚はしていません、独身です。お手つきもされていません。あの……これって言わないとダメなんですか? ともかく、どうぞ、よろしくお願いします!」




…………


………………


……………………



目が覚めると二時間経っていた。

隣にはまだ気絶中の妹が横になっている。


まさかのまさかの未婚者であるタクマ君の紹介映像。

あれの最後にタクマ君は深々とお辞儀をして、もう一度パソコンの画面を隔てた私たちに満面の笑みを照射してきた。


私の脳はその衝撃に耐えられず、電力を使い過ぎてブレーカーが落ちるように緊急停止した。

軍事転用すれば戦争の常識が変わりそうな快楽兵器である。

おかげで二時間、姉妹共々居間で朽ちていたわけだ。


私は妹を起こそうと手を伸ばしたが、途中で止める。妹があまりに安らかな顔をしているから、タクマ君の夢から覚ますのは悪いと思った。


この幸せそうな表情を、これからも守りたい。

それが私に一つの決意をさせた。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




ぎょたく君ことタクマ君の戦慄のデビューから一ヶ月。

世界初の黒一点アイドルに対する報道は不気味なほど少ない。

唯一の男性アイドルが過激な取材報道で心を病まないため、という配慮ある南無瀬組によって厳しい情報規制が行われているからだ。


規制は徹底していた。

タクマ君の動画や写真を許可無くネットに上げたら即削除。

タクマ君関連の二次創作は健全なものだけ認められ、性的なものを描いた作者は南無瀬組によって 無茶星様しやがって になった。



そんな情勢の中――

ついにナッセープロダクションが攻勢に転じた。


ぎょたく君グッズの販売である。

ぎょたく君のぬいぐるみを筆頭に、パジャマ、下着、靴に靴下、鉛筆、消しゴム、ソーセージ、チョコレートなど挙げればキリがない数の品を売り出してきた。


当然、ナッセープロダクションの物販サイトを始め、南無瀬領の通販サイトはどこも即日売り切れだ。

ナッセープロダクションは地元第一を掲げ、南無瀬領に住む人へ優先的にグッズを売ることにしているらしい。

それが本当なら他の島民は深刻なぎょたく君不足に陥っているだろう。

私は南無瀬領で生まれたことを神と母親に感謝した。



そして。

「いよいよ明日か」

私は母親が存命なことも忘れて、カレンダーを親の仇のように睨んだ。


明日、南無瀬市有数のショッピングモールにて、ぎょたく君の新グッズの数々が通販に先駆け販売される。

中でも目玉は『等身大ぎょたく君』だ。

優美なぎょたく君が私の家に来る、そう思うだけで女性ホルモンが煮汁になって溢れそうになる。


何が何でも手に入れて、妹にプレゼントするんだ。

それこそが学園島に妹を行かせられなかった、無力な私の償いなのだから。



グッズ販売は平日である。

それを見越して一週間前、私は有給届けを直属の上司に提出しに行った。


「有給の理由は何ですか?」


「書いている通り、私用です」


「困りましたね。なぜか部署の皆さん、その日に有給を出そうとしていました。今は繁忙期で猫の手も借りたいのに、ふざけた話です。なぜ休むのかを訊いてもしどろもどろでしたから、気の毒ですが有給届けは受理しませんでしたよ。で、もう一度訊きます。あなたの有給の理由は何ですか?」


ここでもっともらしい事をでっち上げても上司には通用しないだろう。ならば!


「…………店頭販売限定ぎょたく君フィギア」


「ぬっ!」上司は咳払いを一つして「……もう一声」


「…………ぎょたく君マグカップ」


「仕方ありませんね。部下のプライベートを守るのも上司の務め。あなたの抜けた分はしっかりフォローしましょう」


こうして私は有給をもぎ取り、決戦の店頭販売に臨むこととなった。

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