【とある姉妹と黒一点アイドル③】
指を突っ込んで広げたブラインドカーテンから私は眼下のショッピングモールを観察する。
数時間後に戦場となるその場所は嵐の前の静けさの中、朝陽を浴びて悠然としていた。
正面入口を始め、駐車場にグッズ目当ての人影はない。
『グッズ販売待ちの夜間泊まり込みは、周辺住民のご迷惑となるので禁止します。開店三十分前より早く敷地に入った方にはグッズを販売致しません。ご了承ください』
あらかじめショッピングモール側から告知がされていたため、大きな混乱は発生していない……ように見える。
しかし、水面下ではどうだろう。
早朝に散歩と称してこの辺りを歩いた時、街角の様々な場所に人の気配を感じた。
当日の朝に車でショッピングモールに向かう……確実にぎょたく君グッズを狙うならありえない選択だ。
渋滞は必至であるし、混雑した駐車場へ車を停めている間に獲物は根こそぎ奪われてしまうだろう。
で、あるから私のようにショッピングモール近辺のホテルに前日入りしている者は数多い。どこのホテルも平日なのに満室だ。
部屋の壁時計が九時を知らせる。
あと三十分で敷地内への進入が解禁となる。今からでもホテルを出て、ショッピングモール外周を徘徊したい……が、それは危険だ。
散歩の時に目撃したのだが、ショッピングモールの警備に南無瀬組の黒服連中が参加していた。
ショッピングモール側かナッセープロダクションが、南無瀬組に警備を依頼したのだろうか。
彼女らの活動理念から外れそうな仕事だが……タクマ君の人気のほどを身近で確認し分析するため受け持ったのかもしれない。
南無瀬組は恐ろしいが頼もしくもある。
彼女たちが警備するのなら、もし前日からショッピングモール内に潜伏している者がいても捕縛してくれるだろう。
下手な行動をして敵に回さなければ良いのだ。
今は雌伏の時と割り切って、徘徊などの軽はずみなことは控えよう。
そうして、私は敷地内解禁七十秒前にホテルを出た。
ここから私の足で全力疾走すれば、ちょうど解禁と同時にショッピングモールの駐車場に進入することが出来る。
数日前から何度かシミュレートして得た確かなデータだ。
私が走り出すのと同時に、今までどこに隠れていたのか至る所から女性たちが姿を現す。
みんなスプリンターのように激しい運動が可能な服装、もちろんスポーツシューズを履き、練習したのであろう綺麗なランニングフォームで町中をダッシュする。
やはり前日入り組の本気度は侮れない。
私も負けじと手足を動かし、解禁直後の駐車場に身体を滑り込ませた。
計画通り。この勢いを維持して入口まで急行する。
ショッピングモールの入口は数あれど、今回のグッズ販売が行われる最上階の展示フロアに行くのに最も近いのは正面玄関。
だから、正面玄関の入口に並ぼう……と、考えるのは浅慮な者たちだ。
正面玄関から上の階に行くにはエレベーターかエスカレーターを使う必要がある。
エレベーターは中に入ろうと押し合いへし合いとなるのは火を見るより明らか、論外だ。
エスカレーターも多くの者が殺到すれば、途端に進まなくなるし事故に繋がりかねないので賢い選択とは言えない。
よって私は、正面玄関前ではなく、東側の入口に向かった。
ここからなら階段が目と鼻の先にある。
うだうだと機械の上に乗っているくらいなら、己の脚力を信じて階段を駆け上った方が手っとり早くリスクも回避出来る。
事前に何度もショッピングモール内を調査してたどり着いた結論だ、間違いない。
私と同じ考えの者たちが、東側入口に列をなす。
ここにいる者こそ真なる
学校をサボったと思わしき少女から、日向ぼっこしながら緑茶をすするのが似合いの老婆まで。
年齢層は広いが、この戦場において生きてきた時間など何の意味もない。大事なのは目的のためにどこまで本気になれるか、その一点のみ。
ふふ、伝わってくる。
どいつもこいつも良い面構えをして、覇気と肉食オーラを放っている。
相手にとって不足なし。
私は先頭と言って差し支えないポジションにいる。ベストな位置取りだ。
等身大ぎょたく君に近づいた気がした。
――待っててね。お姉ちゃんが絶対に等身大ぎょたく君を取ってくるから――
私は、心の中で妹に誓った。
開店時刻となる。
自動ドアが作動を始め、私たちは一斉に中へ入ろうと浮き足だった。
――と。
カンカン。何か床に落ちる音が。
足下を見ると、手筒花火のような物が床を転がって……まずいっ!
私は急いでそれを蹴った。
手筒は店内に飛んでいき、ぶわっと煙を吐き出す。
煙幕だ!
全員の出鼻を挫くために、汚い手を使う者が紛れ込んでいた。
手筒は私が蹴った物以外にもあったらしく、左右から煙が上がり、あっという間に視界を塞がれてしまった。
「なによこれ! ごほっげほっ! 何も見えないじゃない!」
「きゃあ!? 押さないでよ!」
「ああタクマ様、どうかお導きを」
大混乱だ。
このままではドミノ倒しが起こり、大幅なロスになる。
視界が閉ざされ、呼吸もままならない中を私は駆けた。
列の前方にいたのが幸いした。
煙から脱出する。とにかく階段を目指さなければ。
店内では走らない、という一般的なモラルなんぞ知ったこっちゃねえ!
と、機敏に煙幕を抜けた先頭集団はショッピングモールを爆走中だ。
私も遅れず続く。
階段の手前で。
「うわああん、ママァ、どこぉ!?」
小学生らしき女の子がえーんえーんと母親を求めて泣いている。
この混乱で、親とはぐれてしまったのか、可哀想に――
――などと思うわけわけない。
あれはトラップだ。
この短時間に階段まで来る少女が普通であるはずがない。
おそらく私たちの注意を引き、見捨てる罪悪感と葛藤で減速を促そうとしているのだ。
その間に、少女の仲間が確実にグッズコーナーへ向かうのだろう。
なんて狡猾な。
私が少女の横を通り過ぎる時「ちっ」と舌打ちが聞こえた。
階段を二段飛ばしで上っていると、前を行く一人が振り返って紙パックを地面に叩きつけた。
パックが破れ、べちゃっと液体が階段を濡らす。
これは……食用油か!
ただでさえ危険な階段で恐ろしいことをしてくれるじゃないの。
運動靴を履いた強者たちでは、この滑る難関を突破するのは時間がかかるだろう。
そう、運動靴ならば……
だが、私は違う。この事態は想定済みだ。
見よ、耐油性と耐滑性に優れた機械工場では必須なこの安全靴を。
最高速度は運動靴に劣るが、アクシデントにはすごぶる強い。
これならば油なんぞ大した敵ではない。
油爆弾は他の場所にも仕掛けられていたが、私は構わず階段を駆け上った。
視界の隅で油を撒いた者が黒服に拘束されている。
たぶん煙幕を用いた者も南無瀬組のお縄についただろう。
彼女たちは、階段前の少女と同様に最初からグッズコーナーに行く気がないのだ。
どこかの組織が人海戦術で獲得班と攪乱班に分かれて、確実に大量にグッズを手中に収めようとしている。
個人の私では分が悪い。
それでも……
「タクマさんが活動する南無瀬にいて、わたしは幸せだよ。ね、お姉ちゃん」
妹の儚い笑顔が劣勢の身体を優しく支えてくれる。
妨害は続いた。
足下にロープを張られたり、ナマモノが投げつけられたり、直接タックルをかけられたり――
心も身体も崩れそうになる。
だけども……
「フィギアとマグカップ。確保出来なかったら三日分の食糧と着替えを持って出社しなさい」
上司の薄ら寒い笑顔が……あ、こっちじゃなかった。
えと、妹の笑顔が私を奮い立たせる。
とにかく、負けられない!
最上階のグッズコーナーに着いた。
等身大ぎょたく君! 等身大ぎょたく君! 等身大ぎょたく君! 等身大ぎょたく君! 等身大ぎょたく君!
あった!
すでに何人かが激しく群がっているコーナーの一角。
私の贖罪となるぬいぐるみが置いてある。
「ああああううわあわあぁぁ!!!」
自分でも何を言っているのか分からない。
私は吠えながら突撃した。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
死闘の末、擦り傷だらけの身体で、けれども私は等身大ぎょたく君を抱きしめていた。
「や、やった」
己の勝利を確信する声を出す。
それがスイッチだったかのようにいきなり全身から力が抜けた。
き……切れた、私の体の中で何かが切れた……決定的な何かが……
グッズコーナーの真ん中で倒れる。
起き上がれない。意識が遠のく。待って、まだ支払いを済ませていないの。
今、気を失ったら誰かに等身大ぎょたく君を奪われちゃう……
「限界みたいやな。ちょいちょい、すまへんけど、この女性を介抱してやってや」
「了解しました」
「それとな、これからぎょうさん人が来てグッズコーナーは荒れに荒れるやろ。その前に予定通り抽選会に移行するで。拓馬はんの売り出し方法には、まだまだメッチャ改善点があるのがよう分かったわ」
「では、この女性が持っている等身大ぎょたく君も抽選に回しますか?」
「う~ん。監視カメラで見とったけど、この人は誰にも危害を加えず、ひたすら拓馬はんのグッズを目指してた。こういうファンが拓馬はんには必要なんや。その頑張りに免じて、今回は特別サービスしよ」
私の耳が近くの会話を拾っている。
でも、その言葉の意味を考えるほど、もう頭は働いていなかった……
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ただいまぁ~」
玄関のドアを開けると、すぐに妹が居間から顔を出した。
「お帰り、お泊まり出張お疲れさま……ってお姉ちゃん! どうしたの、その湿布や包帯は!?」
「あはは、ちょっと年甲斐もなくハシャいじゃってね」
「大丈夫なの? 本当に?」
心配がちの顔を反転させるべく、私は扉の外に隠していた巨大な袋を持ち出した。
「わっわっ! なにそれ!?」
「ふふ、開けてみなさい」
居間に移動して、妹が丁寧に袋の封を開けるのを横からニヤニヤと見つめる。
「……これって!?」
妹の目が大きく開かれ、視線が袋の中と私を行き来する。
「いつも頑張っているあなたへのご褒美よ」
学園島に行かせられなったお詫びの品、なんて言ったら妹が恐縮するだろう。だからこんな言い方をする。
「いいの!? 手に入れるの凄く大変だったでしょ! 店頭でしか手に入らないグッズだって……あ、じゃあその怪我は!?」
「細かいことは良いの。私がプレゼントしたかったから勝手に用意したの。それでいいじゃない?」
「お、お姉ちゃん……こんなの嬉しすぎて困っちゃうよ。せめて半分こに」
「いや、いらないから」魚の下半身をもらってもどうしたらいいか分からないし。
妹は
その姿で、数日に及ぶ下調べと決戦の苦労が癒される気がする。
「あの、あのね、お姉ちゃん。聞いてほしいことがあるんだ」
しばらくして妹が決意を込めた声で言った。
「なに?」
「わたし、南無瀬組に就職しようと思うんだ」
「はっ?」
「タクマさんの活動をサポートしたいの。わたしさ、タクマさんのおかげで言葉に出来ないくらい救われた。あの人なら世界中の人を幸せに出来る、大げさかもしれないけどそう思えるの。そのお手伝いがしたいんだ!」
「で、でも、南無瀬組は武闘派集団だから運動音痴のあなたじゃ……」
「今から頑張るの! 今日さ、武道部に入部してきたんだ。これからビシビシ自分を鍛えるからね!」
勉強は出来るけど、もやしっ子な妹の一大決心。
姉としてハラハラしちゃうけど、言い出したら聞かない性格はよく知っている。
「頑張りなさい。泣き言ならいつでもお姉ちゃんが聴くからね」
「もう! こっちがやる気出しているのにネガティブなこと言わないでよ」
「ごめんごめん、うふふふふ」
「むぅ……んふふ、あはは」
等身大ぎょたく君を挟んで、私たち姉妹は笑いあった。
長年のシコリが取れたようで、私は心から屈託なく笑みをこぼした。
深夜。
等身大ぎょたく君がよっぽど嬉しいのか、妹の部屋からギシギシとベッドが軋む音がする。
それを聞きながら、私は三日分の着替えを鞄に詰めていた。
結局、私が買ったのは等身大ぎょたく君だけ。
明日の朝、上司に会うのが怖い……うう。
タクマ君。私も救って、お願い。
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