夢回廊

泡沫恋歌

一ノ回廊 砂漠の女

 おや? あなたは……

 眠っている間に『夢回廊』に迷い込みましたね。


 この夢は、永遠に醒めない無限の夢なんです。

 だから、もうここから抜けられませんよ。


               *


 ――こんな夢をみました。


 気がつくと、そこは見渡す限りの砂の海であった。

 地平線の向こう、遥か彼方まで砂に覆い尽くされた世界。天上にはナイフのような新月とスワロフスキーみたいに星々が煌めいている。

 ――ここは何処だろう? 

 自分は駱駝らくだの背に揺られていた。アラビンナイト風の衣装を身に着けて、まるで東郷青児とうごう せいじの描く女のように、深いうれいの睫毛をしばかせて砂の大地を眺めて……。

 ――もしかして、ここは砂漠なのかしら?

 駱駝の手綱を見知らぬ男をひいている。それはシンドバットのようなターバンを巻いた異国の若い男だった。


「眼を覚ましたのか」と気配に気づいて、声を掛けてきた。

 知らない国の言葉だったが、何故か意味は理解できる。ここはどこですかと自分が訊ねようとしたら、男はくぐもった声で、

「おまえと今日で百日ひゃくにち、砂漠を旅している」と云った。


 まさか、こんな灼熱しゃくねつの砂漠を百日も旅ができる筈がない。

「昼間のおまえは小さな木彫りの人形で、日が暮れて月が出ると人の姿に変わる。きっと、これはシバ神の呪いなのだ」

 そう云うと男は足元の砂に目を落とし、哀しげに溜息をついた。


 どうして、この男と砂漠を旅しているのか、シバ神の呪いとは何なのか、疑問ばかりでいくら夢とはいえ、不思議な話だと自分は思っていた。

「シバ神の踊り子に恋をして、おまえを神殿から連れ去った。だが昼間の太陽がおまえを人形に変えてしまう。日が暮れて人の姿に戻っても、わたしが触れようとすれば、たちまち人形の姿に変る。どんなに愛していてもおまえとちぎることもできない」

 異国の男は肩を震わせ泣いている。

 ――ああ、なんて酷い呪いなのだろう。

 これはシェーラザードが、夜伽よとぎに王に聞かせたアラビアンナイトの一話なのかも知れない。


「砂漠の蜃気楼が見せるオアシスに、呪いを解く泉があると訊いた。その泉で沐浴もくよくすれば、ずっと人の姿のままでいられる。今日で百日も探しているが何処にも見つからない」

 疲れ果てた男は、駱駝の手綱を放しガクリと膝を折って、そのまま砂にうつ伏して砂を掴んで地面に叩きつけている。

 この男の絶望感がひしひしと伝わるが、自分は何もできず。

 ――ただ茫然と眺めていた。


 やがて、東の空が白んできた、ああ、もう夜が明けてしまう。

 木彫りの人形に変る前に、この男に何か云って置かなければ……だけど、いったい何を云えばいい? れるばかりで言葉が出てこない。

 男はあれから砂漠の砂にうつ伏したままで微動びどうだにしない。ひとりで駱駝の背からスルリと降りると、男の肩に自分は手を掛けた。

 瞬間、男の姿はスッと消えて、砂の上に木彫りの人形がコトリと落ちた。


 人形に変ったのは自分ではなく、男の方だったのだ。

 もしかして男の方から見たら、自分が木彫りの人形に変ったように見えるのかも知れない。

 砂の上に落ちていた男の人形を拾って、そっと胸に抱く。

 そして駱駝の手綱を取るとゆっくりと歩き始める。永遠に見つかりそうもない泉を探して――。


 今日で百と一日、自分は人形の男と砂漠を旅している。

 東の空には、血のように真っ赤な太陽が昇ってきた。灼熱の太陽がジリジリとこの身を焼き尽くすようだ。




   ※ この夢の続きは『九ノ回廊 みどりの太陽』に繋がります。

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