月の影

舘口継人

第1章 事実

第1話

「……ひかるくん?」

 誰かに名前を呼ばれた気がして目を覚ます。

 食堂――平たく言えばそういう空間でありながら、学生たちにカフェと呼ばせしめるほど雰囲気を意識したそこはいかにも都会の私大らしい。

 その天窓から差す光が俺の顔に当たる。眩しさに今覚ました目が眩む。

「なーんだ、また寝てたんだ。次の英語始まるよ?」

 俺の顔を覗き込んで話しかけていたのは、町村佐和子。去年からのクラスメイト……というのはよそよそし過ぎるか。俺と彼女は一応、“恋人同士”という関係なのだから。

「んぁ……町村か……悪い、すぐ行く」

 まだ視界がはっきりとしない目を擦りながら、飲みかけのすっかり冷めたコーヒーを飲み干し、町村に続いて教室へと向かう。

「まったく、空きコマの度にカフェで寝てるってどうよ?勉強しろとまでは言わないけどさ、なんかすることないわけ?」

 町村が呆れたように言う。

「いや、無くはないけど……無いな」

 自分でも言っていることがよくわからない。どうやらまだ――

「まだ寝ぼけてるの?」

 ……同じことを考えていたらしい。交際二ヶ月にしてやっと思考がシンクロしてきたようだ。


 町村とは去年、大学の入学と同時に知り合った。

 いくつかの授業が少人数制で行われるこの大学では、入学時に各クラスに割り振られ、基本的に必修の授業はそのクラスで受ける形になる。

 そのクラスの、名前順に指定された席で偶然隣だったのが町村だった。

 一年生の間は特に馬が合うとか、他のクラスメイトより親交が深かったとか、そういったことはなかった。授業中何度か会話をした程度で、むしろ篤人あつとや他の男子達との方が絡みは多かったし、学校外で会ったことも無い。

 そんな町村から、今年の四月、学年が上がった直後に告白された。

 正直、驚いたし、戸惑った。クラスでもかなり真面目な方で、課題などを提出しなかったのを見たことはないし、大概予習も完璧で、高校まではきっと進んで手を挙げるクラス委員タイプだ。その彼女が課題をロクにやりもしない、単位を落とさない程度に授業をサボるような劣等生タイプの自分に好意を寄せていたなど思いもよらなかったし、ましてや俺自身、恋愛なんて毛頭考えていなかったこともあり、答えを保留にしようとしたのに。

「よろしく……な」

 受けていた。本当に俺は何をやってるんだ。

 確かに、告白されたことは素直に嬉しい。町村のことは嫌いではない、というかむしろ好きな方ではあるし、顔だって俺が思うには平均よりずっといい。


 けれど。


 そういう問題とは別の次元で、付き合うつもりなどなかった。

 いや、ただ単に異性と付き合うというのが怖かったのかもしれない。


――――まだ、彼女が、俺の中からいなくならないから。


 それでも(無意識の内にとはいえ)、彼女の告白を受けたのは、俺もどこかで前に進もうとしているのかもしれない。付き合ってみれば何か変わるかもしれない、と。

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