二年一組天ヶ瀬唯、一年三組高島紗代、以上二名。(おそらく)校内設備の私的占有、学業から著しく逸脱した行為、他生徒の煽動、などの理由から謹慎二日。

「バ カ だ」

『謹慎になってしまったので木金の部活はお休みとします。ひとりでやってもいいけど』

 そんな能天気なメッセージが唯先輩から届き、俺は思わず呟いた。心の底から呟いた。

 あとひとりで部活なんてそれこそ死んでもするわけないだろ。

 昼休みの暴徒(暴走する生徒、の略)の謹慎。今日の学校中の話題は朝からそれ一本。居ても立っても居られなかった。俺はおそらくああいう行動を起こしてしまう唯先輩に最も近い存在(であるというちょっとした矜持のようなものがあるの)で、いろんな弁明が浮かぶのだけれど、でもちょっと……あまり知り合いだとも思われたくないような複雑な気持ちもあって、とにかく押し黙っていることしかできない肩身の狭さにもやもやとし続けた。


 昨日の昼休み。落ち着いたクラシック音楽は突如爆音のノイズに掻き消された。あと少し大きければ耳を塞ぎたくなる、ギリギリの音量。初めは多くの者が放送機器の不調だと考えたことだろう。しかしその後、まさに不穏、といった音楽が流れ始め、そうしてそこに乗せるように人の声。

 ――以下回想。


『諸君。私の声が聴こえているか。我々はたった今、この学校の放送室を占拠した。ここからは、我々の主張を聞いていただきたいと思う。しばしの間、真摯な心で以て我々の声明を聞いていただきたい。諸君!』

 ……あれ~。この声最近聞いたことあるぞぉ?

 独特のエコーがかけられてはいるが、この声、この特徴のある喋り方、間違いなくつい最近聞いたことがある。

『諸君らは日々、自殺を繰り返している! 自らを振り返ってみてほしい。何かを我慢してはいないか? 正しい言葉を飲み込んではいないか? 理不尽を仕方のないことだと受け入れてしまってはいないか? そんなものは成長とは言わない! 気取って達観するな! 妥協をするな! それは堕落だ! 人間のあるまじき姿だ! 正しさとは――』


 教室中が、いや学年中が……おそらく学校中が、俄かに騒ぎ出す。教師たちは何をやっているのだろう。この放送は一体いつまで流れ続けるのか――――

「――――ははははははは!」

「立ち上がれ同志よおおお!」

 あれぇ? 廊下から、何やら聞き馴染みのある女の子たちの声がするんですが……?

 廊下に目をやった瞬間、颯爽と駆け抜けたふたつの影。過ぎ去りし虚空には大量のビラが撒かれている。廊下に出ると辺り一面文字のびっしり書かれたビラが散らばっていた。その場にいたほとんどの者がそのビラを読んでいる。やれやれと思いつつ舞っていた一枚を掴み、読む。


『遠い地で亡くなった災害の被害者を巡って、不謹慎だと糾弾したり、哀悼を捧げようと「呼びかけ」たりすること。でも翌日には忘れたりしていること。ネットでのちょっとした有名人の自殺についてあれやこれや憶測で語ること。「死ね」と発言すること。人身事故で電車が止まったことに対して憤ること。我々の周りには、本当に多様な死への向き合い方がある。それは時にとても人間的であり、頭ごなしに批判するようなものではなかったりするがしかし、やはり多くの人は本当の意味では死に向かい合っていないのだと思う。ニュースや物語が伝播する死は何処か切実さに欠ける。現代の漂白されきった死には、生々しさというものが欠如している。エンターテイメントや芸術が死を扱うことは多々あるが、それが物語のいち展開、あるいは単なる仕掛けとして扱われるだけでは、人々は所詮感動や恐怖を刹那的に享受するだけで終わってしまうのである。

 自殺者は留まることを知らない。今この瞬間にも誰かは絶望し、諦め、開き直り、塞ぎ込み、狂気に囚われ、妄想に閉じ籠り、漠然とした不安を抱え、未来に対する空虚さに達観し、憤りや虚無の中で、自らその命を終わらせているかもしれない。

 1897年、社会学者デュルケームは『自殺論』を発表した。それから百年後、日本では『完全自殺マニュアル』が話題になった。宗教や国家による個人への規律や戒律が希薄化し、個人主義となった時代。虚無や思索の中で綴る多くの言葉たちが、そのどこまでも個人主義な社会の自殺を浮かび上がらせている。『自殺論』には社会と自殺についての論が緻密に残されているが、それらには時代と国を越えて今に通じる普遍性が含まれていると私は考える――――』


「ああ……唯先輩だぁ…………」

 コピー用紙には唯先輩と高島それぞれが。『自殺』をテーマに自身の意見を書き連ねていた。二つ折りにし、後でじっくり読もうと決めたあと、今起こっていることについて改めて意識を向ける。

 校内のスピーカーから言葉は続く。煽動的で、攻撃的なフレーズの数々。クラスメイトは一周して、何だか楽しんでいるようだった。非日常。不意に訪れた普段なら有り得ない出来事に心躍らせること。きっと皆、退屈な日常を動かす何かを、心の何処かで求めている……ような気がした。

『――同志たちよ、立ち上がれ! その欺瞞を! 世界の表層を覆う無意識な悪意を! 覆せ、叩き壊せ! 抗え! 反抗せよ! 革命を、その魂に革命を!』

 そんな言葉で締められる演説が二巡目に入ってしばらくして、放送は止んだ。

 奇妙な静寂が流れた。学校中の生徒が、次に何か来るのかと身構えた。

『えー、あー、不適切な放送を流してしまい生徒の皆さんにはご迷惑をおかけしたことと思います。昼休みももうすぐ終わりますので、五限に間に合うよう普段通りの行動を心掛けてください……』

 動揺したような教師の声が、弱々しく響き、しばらくして昼休みの終わりを告げるチャイムが流れた。昼休みの暴動とは対照的な、無機質なチャイムだった。いくらかの生徒は肩をすくめた。それは間違いなく、「これで終わりか、残念」という意味が込められていた。


     *


 週明け。

「久しぶりね、和海くん」

 自殺部の扉は勢いよく開かれ、入ってきたのは唯先輩。突き抜けるように晴れやかな表情で、鼻歌なんか歌っている。

「お久しぶりです、お変わり……ありませんね」

 唯先輩は定位置の椅子に座る。真上に掲げられている『死を想え』という部訓も、しばらくぶりの主の帰還を喜んでいるようである。

「先輩のいない間、例の事件の話題で持ち切りでしたよ」

「そうじゃなきゃ困るわよ。話題にしてもらいたくてやったのだから」

「はぁ、ほんと、なんて言ったらいいのやら……」

「和海くんも参加したかった?」

「勘弁してくださいよ。そんなことしたらもう登校できないですって……」

 などと久方ぶりの先輩との会話を噛みしめていると、再び開かれる扉。

「お、よう青木。これからよろしく頼むぞ」

 入室一番たまたま目の合った俺に挨拶をする少女。――新たな自殺部のメンバー、過激ジャーナリズムの申し子、高島紗代。鋭い眼つきと、しなやかなポニーテールが印象的だ。

 高島はちょうど俺の真正面に置かれていた椅子に座る。この部室の真ん中にはコの字型に長机が三本配置されていて、部室の入り口から見てちょうど真正面に唯先輩、右手側に俺、そして左手側の机には高島が座るという構図になっている。

「入部、したんだな……。数寄者だな、お前も」

「素晴らしい部活だと思うぞ、ここは。何より唯ちゃんの想いにいたく共感した」

「心強い味方が増えて嬉しいわ」

「ふたりとも……よくそんな何事もなかったかのように陽気でいられますね」

 その言葉にふたりは顔を見合わせ、にやりと笑う。

「別に間違った主張をしたわけじゃないからな」

 高島があっけらかんと言う。問題なのはやり方です。

「……いやまぁ、確かにあなた方の意見っていうのは主張に耐えうるものだとは思うんですけど……その……、――いや、なんでもないです。先輩方は本当にすごいです」

 この人たちには何を言っても無駄なんじゃないか。世間一般の『常識』なんてものはもしかしたら通用しないんじゃないか。そんなことを思ったら、言い返す気力はなくなってしまった。

 常識。そもそも常識なんてものは、曖昧なものでしかないのかもしれない。透徹した視点で捉えた瞬間に、それは矛盾や欺瞞で溢れ返っていることに気づいてしまう。普通の人間はそれさえ受け入れて(或いは思い至ることなく)生きていくわけだけど、中には先輩や高島のように、それに抗う人もいる。それはそれで……結構素晴らしいことだと、思ったりもする。

 俺は、ちょっとだけ、うらやましいのかもしれない。あんなことを堂々とやってのけてしまう、唯先輩や、高島のことが。

「さあ、自殺部もこれで部員が三人! 嬉しいわ! よし、今日はふたりに何か奢ってあげましょう! ひとり五百円までね!」

「うぉ、やった! 先輩の奢りだぞ青木!」

 高島が無邪気に喜ぶ。

「五百円……」

 あれだけぶっ飛んでいても金銭感覚は現実的なんだなぁと、なんだか笑えた。

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