第6話 魔王様、勇者になる

「また会ったわね」

「その様だな」


 大会の閉会式のため、きらびやかな王族の衣装に身を包み、舞台に下りて来たエミリアがディオンの前に立った。しかし、言葉遣いは街で会った時のままだ。


「優勝おめでとう。やっぱり私の人を見る目は間違ってなかったわね」


 頷きながらエミリアは誇らしげに胸を張った。だがディオンは人ではない。ある意味間違っているということは言わないでおくことにした。


「ふう……しかし姫様、困りましたぞ。完全に予定外の結末ですじゃ」

「爺、こうなったものは仕方がないでしょ。それとも王家の名で開催しておいてここでやっぱり無しなんて、泥を塗る行為よ?」

「わかってはおりますが、やはり国民たちに披露する手前、有名な者に優勝して欲しかったのは否めませぬ……」

「実力は誰もが認めるほどよ。それに悪い奴でもないみたいだし」

「ふむ……まあ、仕方ありませぬな」

「……話が見えないのだが」


 姫と大臣の二人だけで話が進んでいく。ディオンはそれが何のことだかさっぱりわかっていない。


「あれ、この大会の目的、まだ知らなかったの?」

「お前が参加枠を用意するから出ろと言ったのだろう?」

「あー、そっか……実はこの大会は――」


 目配せをされた大臣が話を引き継ぐようにして言う。


「世界を救う勇者になってもらう者を選抜する場なのです」


 聞き捨てならない言葉がその中にあった。


「……今、私の耳が確かなら『勇者になる人物を選んでいた』と言う意味に聞こえたのだが?」

「左様、ディオン殿」

「勇者とは魔王を倒す人物ではないのか?」

「無論、その勇者です」

「停戦中ではないのか?」

「信用しているの、魔王の言うことなんて?」


 エミリアの言葉に、当の魔王であるディオンは押し黙る。


「魔王が戦いを止めた真意は今でも不明なまま。魔界から出てくる気配も見えず我々人類はいつ再び魔王が侵攻を始めるのか怯えておりました。そこで、我らが王は、魔王を倒す勇者を密かに派遣して、魔王を討ち滅ぼそうとお考えになられたのです」

「……それは暗殺と言わんか?」

「魔界に突入してみればわかります。きっと戦いの準備を進めているはずですじゃ。全人類を恐怖に陥れた魔王がこの世界を得ようとしないはずがありません」


 酷い偏見だった。


「……で、その選定の場がこの武術大会だったと?」

「そうよ。最初は名の知れた強者の中から選ぶつもりだったけど、まさかこんな逸材が隠れていたなんてね。あんたなら魔王も知らないはずよ」

「……待て、まさか私がか!?」


 ディオンが気付いた時にはもう遅かった。観客席から注がれる羨望の眼差し。これは世界最強を決めた者への称賛の物ではなく、救いを求める眼だったのだ。


「勇者さま! 魔王を倒し、この世界に平和を!」

「もう、恐怖に怯える日々は嫌です!」

「聞こえるはずよディオン。助けを求める人々の声が。勇者とは人々の夢と希望を背負って邪悪な存在と戦う者。そしてあなたにはその資格があるわ!」

「待て待て待て」


 頭痛がして来そうだった。

 勇者とは魔王を倒す人間の称号。しかし、その魔王は自分自身だ。


「勇者ディオン! グラオヴィール王家の名の下に、あなたを勇者に任命致します!」

「おおおおーっ!」

「勇者さま万歳!」

「世界に平和を!」

「グラオヴィール王家に栄光あれ!」


 国民の大歓声がディオンに向けられる。何とも馬鹿馬鹿しい話だ。彼は今、自分自身を倒す使命を受けたことになるのだ。


「ディオン様―っ!」


 血相を変えたファリンが客席から飛び出してディオンの下へ駆けつける。その表情は泣きそうな、怒っていそうな複雑なものだった。


「どうするんですか、何か大変なことになっちゃってますよ!?」

「……私も想定外だ」


 民衆たちから起こる「勇者ディオン」コールに二人とも頭が痛くなってきた。そうとは知らず、エミリアは人々に向けて演説を行う。


「国民たちよ、この武と魔、双方に秀でた勇者ディオンは必ずや世界に光を取り戻してくれるであろう。だが、その道のりは過酷な物となる。故に王家はここに求めよう、勇者ディオンの盾となり、剣となって魔王を討ち果たすいしずえとならんとする者を! その命を打倒魔王のために使おうという戦士を! 我こそはと思う者は名乗り出て欲しい!」


 声援を送る人々が黙り込む。十六年前まで続いていた戦乱の記憶は今でも消えぬ恐怖となって人々を縛っている。停戦だけでは彼らの生活が元に戻るものではなかったのだ。


「――その役目、この私にお申し付けください姫様!」


 ディオンに倒され、舞台の外で騎士たちに拘束されていた女騎士が声を張り上げた。敗北し、消沈していたその表情は、覚悟を決めた凛としたものへと変わっていた。


「……あなたの名を聞かせてもらえるかしら」

「我が名はアンリ。そして家名は……」


 アンリと名乗った女騎士は、やや躊躇うが、やがて決意したように胸を張り、その家名を告げる。


「アルテミス。アンリ=アルテミスにございます!」


 その名を聞き、会場がざわめいた。


「アルテミスだと……」

「あの……国賊の家の」

「潰された家を名乗るとは、なんという……」

「……この度の非礼、謹んでお詫び申し上げます。ですが、それも全ては勇者となり、家の再興を果たすためにございました! もし……もしも許されるのであれば、償うことが叶うのであれば、私も勇者ディオン殿の魔王討伐の旅への同行をお許し頂きとうございます!」


 水を打ったように静まり返る。歯を食いしばり、国賊と罵られながらも己の家の名を恥じることなく告げた女戦士――いや、女騎士はひざまずき、その真っすぐな視線をエミリアへと向けた。


「……旅は過酷なものとなるでしょう」

「覚悟の上です」

「命を落とすことも厭いませんか」

「勇者を助け、魔王を討ち果たす為ならば喜んでこの命を捧げましょう」

「不甲斐ない働きをすれば、アルテミスの悲願は果たせぬどころか、今度こそ再興の道は断たれるでしょう。それでもあなたは行きますか」

「はい。この命に代えても、世界を救う礎となりましょう」

「……よく言いました。では、アンリ=アルテミスよ、勇者の剣となって戦うことを許しましょう」

「ありがたき幸せ……この最後の機会、決して無駄には致しませぬ」


 首を垂れるアンリの目から雫が滴る。国民たちから拍手が起こるが、声援はない。だがそれでもよかった。彼女は、遂に王家のために、世界のために戦う許しを得たのだから――。


「……ディオン様ぁ、何とかしてくださいよぉ!」

「泣くな」


 とうとうファリンが耐え切れずに泣き出した。当事者の意思は無視され、何やらよくわからないドラマが目の前で展開されていた。


「……ファリン、逃げるか」

「は、はい! そのお言葉、お待ちしておりました!」


 もう一秒だってこんな場所に居たくない。適当に話を合わせて隙を見て逃げ出そう。そう二人は思った。だが――。


「ディオン殿、まずは先程の非礼をお詫びしたい」


 その前に、アンリが立ちはだかった。


「聞いての通り、これより私があなたの剣となって魔王を倒す旅をお助けします。至らぬ身ですが、どうかよろしくお願い致します」


 邪気のない、握手を求める手が目の前にあった。


「……うっかりしていたわ。あなたの希望を聞いていなかったわね」


 エミリアが今更ながらにそう言った。ほとんど確定事項なのだろう。まさか勇者と呼ばれることを拒否する奴はいないだろう。そんな意識が彼女だけでなく、見ている国民たちからもひしひしと伝わって来る。これが集団心理と言うものだろうか。などとディオンは考えた。


「ディオン、勇者として使命を受けることを受け入れるならアンリのその手を取りなさい。勇者は万民を差別しない。しがらみにとらわれないあなたなら、きっと取れるわ」


 それはほとんど「取れ」と言っているのではないだろうか。意思を聞くと言っておいて厚かましい話だった。アンリは手を差し出したままだ。よく見ればその手は少し震えていた。これを握れば同行を認めることになる。つまりは勇者と言う立場を受け入れることになるのだ。


「ディオン様、断りましょう……ディオン様?」


 ファリンの言葉にディオンが何の反応も示さない。不審に思った彼女が見上げる。


「……そうか」


 ディオンは稲妻に打たれたように一つの考えが走っていた。


「ディオン様、どうかしましたか?」

「ファリンよ、世界は今でも魔王の恐怖に怯えている」

「そうみたいですね」

「その恐怖、私の力ならば払拭することができると思わないか?」

「そりゃあ、ディオン様の力があればどんな脅威だって……って、はい!?」


 人間と魔族、その間に立って双方の仲を取り持つこと。それは魔界の長たる魔王でありながら人間たちの先頭に立つ勇者になる自分にしかできない。


「さあ、ディオン」

「ディオン殿」

「あの……まさか、ディオン様?」


 ファリンだけ、凄まじく嫌な予感がした。そしてそれは的中する。


「ああ、こちらこそよろしく頼む」

「んがっ!?」


 がっしりと、ディオンは差し伸べられたアンリの手を握り返した。

 新たなる勇者の誕生に国民たちは沸き返る。大歓声の中、乙女にあらざる悲鳴がファリンの口から洩れた気がしたが、ディオンは気にしないことにした。

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