ヨメヨメ エッサイム!

蛍光塔

プロローグ ヨメが現れた!

「ヨメが欲しいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!」


 と叫んだら、


「わ、私があなたのお嫁さんになってもいいですかっ?」


 ホントに嫁が現れた。



 ヨメヨメ エッサイム 



 普段なら歩くだけでうるさいと壁を叩く隣人も、今日は帰省でいない。

 というより帰省やら旅行やらで、十人以上いる下宿仲間は宝城タカラ以外みんな外泊届を出していた。

 早くに両親を亡くし育ててくれた祖母も高校生の時に他界してしまった為、タカラには帰る家がない。旅行に行く金もない。

 なので、いつもは自室に籠っていてもどこか空気が騒めいている下宿が静まり返っている中、タカラは机に置かれたパソコンに向かって忙しなく右手を動かしていた。

 画面に映るのは、とある春の新作アニメのヒロイン――の下書き。

 線画状態の少女はタカラの手が動く度に色を帯び、瞳が命を吹き込まれたかのように輝きを発する。

 ヒロインだけではなく、背景もアニメに登場した海底神殿の透き通るような蒼を再現しつつタカラは少女と彼女の住む世界を描いていく。

 ――二時間後。

「っし、出来た!」

 完成した二次創作のイラストをすぐさま投稿サイトにアップすれば、ほどなく閲覧数が跳ね上がりコメント欄に次々と感想が流れた。

 ありがたいことに大体が好意的な感想だったが、タカラは基本的に交流というものをしていないのでコメントに返信はしない。

 代わりに画面の前で「ありがたや」と合掌することで感謝を表した。

 パソコン用のメガネから普段使いのメガネに変えて大きく伸びをすれば、黒髪の整ってはいてもどこか地味な容貌のタカラの首にかけられたペンダントが揺れて、涙型の赤い結晶が輝く。その輝きが視界に入り、タカラは右手でそっと結晶を摘み上げた。

 祖母の形見であるこのペンダントは、両親が事故で死に彼女に引き取られた時にお守りとして渡されたものだ。小中高とお守り袋に入れて持ち歩き、大学に入ってからは正しい身に着け方をしている。普段は服の中に隠していたが、今日は何となく目に付くようにかけていた。

 透き通る様な赤い輝きは祖母が自分を引き取ってくれた日の夕焼けを思い出させて、少しだけタカラの胸を締め付ける。

 だが同時に、心を温かなもので満たされるのも感じた。

 両親が死に、一人になる不安にかられて公園で泣いていたタカラを迎えに来てくれた祖母は、そのまま自分を引き取って育ててくれた。

 まだ小学校に上がる前だった為その思い出もかなり朧となり、祖母の白髪が夕日で赤く染まっていた事と渡されたペンダントが夕日に煌めいた事しか覚えていない。

 それでも大切な祖母との思い出を噛みしめていると、新たなコメントが投稿されてパソコン画面に表示された。


『このフェルシャは俺の嫁』


 先程アップしたヒロインのイラストに対してかヒロインの存在そのものに対してのコメントなのか判断に困ったが、添えられたサムズアップのスタンプからタカラはこれもまた好意的な感想と判断して合掌した。

 そして、

「嫁……か」

 そのコメントに連動してはじまった『ふざけるな フェルシャたんは俺の嫁だ』『いいや俺の嫁だ』という画面上での取り合いを放置して、タカラは机の中にしまっていた「それ」を手に取る。

 パソコンではなくアナログで描いた「それ」は先程アップした二次元的可愛らしさを重視したのと違い、写実的な人物画。

 八つ切りの画用紙に鉛筆で下書きされ、水彩で色づけされた少女がタカラに向かって微笑んでいた。


 白銀から濃紺へとグラデーションする長い髪と濃い藍紫の瞳に明けの明星の輝きを秘める美少女。

 これが、タカラの想い人――正確に言うなら脳内に住むタカラの「嫁」の姿である。



 ♦ ♦ ♦

 


 地方から都会の大学に入学し、大学の補助が入った下宿に住みはじめて早二年。

 バイトと勉強の両立は厳しかったが何とか留年せずにすみ、気心知れた友人も数人出来た。

 何をもって「リア充」かは人によって違うだろうが、タカラとしてはかなり充実した大学生活を送れていると思う。

 けれど、タカラの心には決して満たされない穴があいていた。


 足りない。


 具体的に言うと、隣にいて欲しい人がいない。

 こう話すとタカラの友人たちは「彼女が欲しいんだろ」と訳知り顔で肩を叩いてくるが、そうじゃない。

 彼女が欲しいならもっと異性に目が行くだろうがそういうこともなく、付き合いたいという欲求も湧かなかった。かと言って同性にもそんな欲は微塵もでない。

『あれじゃね? 彼女っつーよりモフモフ成分が足りねぇんだよ』

 友人の一人に言われ、犬と猫を飼っているそいつの家に連れていかれたが、その可愛さに癒されてもタカラの心の穴は空いたままだった。

『次元が一つ多かったんだ。ようこそ、二次元の桃源郷へ』

 友人の一人に言われ、そいつのコレクションであるマンガやアニメをしこたま見せられたが、話が面白いと思ってもヤツの言う「二次の嫁」とは出会わなかった。

 それもそのはず。

 タカラには既に心に決めた人がいたからだ。

 甲斐性もない学生の分際で何を言うかと思われそうだが、タカラの心に空いた穴を埋めてくれる存在は生涯の伴侶しかいない、と半ば本能で悟っていた。


 その相手こそ、今タカラが手にした画用紙の中で微笑む少女である。


 当たり前のように物心ついた頃からタカラの中にいた少女は、テレビや漫画のキャラでもない。名前もわからない。

 十七、八に見える少女はずっと姿を変えず、今ではタカラの方が年上になってしまった。

 髪も瞳も顔立ちも日本人どころか地球人離れした夜明けを連想させる銀と濃紺の美少女、というそれこそ違う次元にしか存在しそうにない相手に、タカラは恋をしていた。

 この少女のことを思うと胸が高鳴る。顔が熱くなる。息が苦しくなる。

 明らかに恋の特徴だ。

 ただ同時に、この恋愛が第三者には理解されないこともタカラは痛感していた。

 頭の中にしか存在しない少女を恋愛対象にするのは「やばいヤツ」「いたいヤツ」と認識されるらしい。タカラには当たり前のことが、他の人には異常だった。

 タカラにアニメや漫画を薦めてきた大学の友人でさえ、長年の恋の相手を説明したらリアルに『お、おう……』と言ってドン引きしていた。 

(そりゃ『心に決めた嫁がおるんです。会ったことないけど心の中で微笑んでくれるとです』って言われたらリアクションに困るのもわかるけどさ)

 自ら描いた少女を見つめながらタカラは自嘲する。

 どうにかその彼女を目に見える形で表現したくて、人物画が上手く描けるようにひたすら独力で技術を詰め込み、数え切れないほどの時間を絵の練習に費やした。

 その過程で人物だけではなく風景や建築物も描ける画力を得たし、最近では友人に薦められてハマったアニメや漫画の二次創作イラストを投稿サイトにアップして、そこそこの人気を得ている。

 ただ、まだ目的である心の中で微笑む少女の美しさを十全に表現できるほどの力はない、とタカラは自分の画力の未熟さに落胆していた。

 彼女の髪や瞳の色、慈愛の籠った眼差し、肌の滑らかさ――

 紙の中で微笑を浮かべる少女と心の中にいる少女を比べる度に、更なる技術の向上を誓う。

 そんなタカラであったが、画力を上げることが根本的な解決にならないのは理解していた。

 紙面の中で再現された彼女ではなく『生身の』彼女に会いたいのだから。

 会うだけじゃ足りなくて、結婚を前提として付き合って欲しい。というか、可能なら今すぐ籍だけでも入れたい。

 祖母が死んでから、余計にその想いは強くなった。


 タカラは、『家族』に飢えていた。


「…………い」

 だからだろうか。

 自分以外誰もいない下宿、という状況に気の緩んだタカラの口から普段は秘めていた願いが溢れたのは。

 右足で机を蹴れば、キャスター付きの椅子が床の上を滑り狭い自室の中央にタカラを乗せたまま移動する。

 破れるギリギリの強さでイラストの両端を握り締めると、呪文のように己の願望を垂れ流した。

「ヨメが欲しい家族が欲しい「おかえり」って言って欲しい「ただいま」って言いたいその逆もやりたい一緒にご飯食べたいこどももつくりたい家族が欲しい――」

 一通り呟き、タカラは一度言葉を切る。大きく息を吸うと天井を向き、目をつぶる。

 そして、


「ヨメが欲しいぃぃぃぃぃぃぃぃいぃぃぃっ!!」


 魂の底から叫んだ。

 下宿中に広がる絶叫。


 いぃぃいぃぃいぃぃっ…………


 タカラの叫びが余韻も生んで下宿内に響き渡る。

「…………恥ずっ」

 だがすぐに建物内は静寂を取り戻し、同時に居た堪れない空気が流れた。

「やっぱ、無理なのかな……」

 再び手の中の紙面で微笑む少女に視線を落としながら、タカラは苦い思いを溜め息にのせて吐き出す。

 思いっきり叫んだ反動か、僅かに浮かんだ涙で視界が歪みイラストの少女の笑みが深くなった。

 次の瞬間。

 閃光がタカラの目を貫いた。

「ふぁっ!?」

 間の抜けた声を上げながら目を閉じたタカラの手から、イラストがひらりと落ちる。

 続いてボンっと盛大に何かが弾ける音が室内に響いてタカラの肩が驚きで跳ねる。

 光が消えたことを瞼の裏から感じ取り、恐る恐る目を開けると今度は部屋中に白煙が満ちていた。

「火事!?」

 まさかパソコンが爆発したのか、とタカラは焦りながら椅子から腰を浮かせ机の上を凝視する。

 煙に阻まれてすぐ近くのパソコンすら視界に入らない――そう思ったのだが、違った。

 パソコンとタカラの間に何かがいる。

「…………は?」

 それは、あまりに非現実的なものだった。

 薄まっていく煙からまず見えたのは乳白色を基本とし、袖やスカートの裾に紺色のラインが入った薄地のワンピース。

 次に視界に入ったのはそのワンピースを身に着けている身体。腰は細く胸は大きく、手足はすらりと長い。両手は身体の前で重ねられ、素足のまま床に立っている。

 その次は髪。腰まである髪の先端は夜明け前の海辺の空を思わせる深い青。それが背中の辺りからどんどん淡くなり、肩から上の髪は自ら輝きを放つかのような銀の色を有していた。

「え、な、え?」

 間の抜けた声を漏らしながらもタカラは薄まる煙から現れるその姿を目にして、心臓が馬鹿みたいに早く動き出すのを自覚した。

 もしかしたら、自分は何時の間にか寝ていたのかもしれない。

 頭の片隅でそんな考えが浮かぶが、タカラはそれならそれで目が覚める前に相手の顔が見たい、と強く思った。

 その願いが通じたかのように、最後まで残っていた目線より上の高さで漂っていた煙が消える。

「――っ」

 目が合った瞬間、タカラの息が止まった。

 深く澄み切った輝きを秘める藍紫の瞳が、驚愕に固まるタカラの間抜けな姿を映している。

 硬直したタカラを困惑した様に見つめ、安心させようとしたのかふわりとくちびるをほころばせた。

 その表情。その瞳。その髪の色全てが、タカラの思い描いていたままの姿。


 タカラの心を占めていた少女が、目の前に立っていた。


「…………」

 タカラは理解できない現状に混乱したまま、目の前で微笑む少女を凝視し続ける。

 瞬きしたら、消えるかもしれない。少しでも身動きしたら、消えるかもしれない。

 未だ夢の可能性が大だと思っているタカラは、少しでも覚醒を遠ざける為に微動だにしないまま少女を見つめる。

 思えば、夢と言う形ですら今までこの少女と相対したことはなかった。

(…………っ! もしかしたら話が出来るかもしれない!)

 その事に思い当たったタカラは、目が覚める前にと慌てて硬直から復活し、喉を叱咤した。

「き――」

「あのっ」

 君の名前は? という問いが遮られ、タカラはぱちりと目を瞬かせる。

 はじめて聞いた彼女の声に感動する前に、少女の表情の変化に息を飲むこととなった。

 僅かに下がる眉。赤く染まる頬。震えるくちびる。

 緊張に強く握り締められた少女の両手に、タカラは何を言われるのか分からず喉を鳴らす。

「な、何?」

 ただ、これは夢なのだからきっと自分に都合のいい言葉だろう、とタカラは虫のいいことを考えていた。

 その予想は違わず――

「あの、その、えっと……。

 私があなたのお嫁さんになってもいいですかっ?」


 タカラの願望そのままな言葉が、少女のくちびるから紡がれた。


 その言葉の意味をタカラの脳が咀嚼し飲み込むのに数秒。意味を理解した結果生まれた感情の表現方法としてパカリと口が開き、喉が自分の出せる音域の限界に挑んだ。

 結果、

「ふぁーーーーーーっ!?」

 再び下宿中をタカラの裏返った叫び声が駆け抜けていく。



 そんなタカラの絶叫に呼応するかのように、床に落ちた真っ白な紙がかさりと揺れた。



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