最悪の話

「母さん、姉ちゃんなにがあったの!」

「会ったのね?」

沈黙は肯定ととったのだろう。小さくため息を吐いた。

「誰にも言うんじゃないよ?」

無言でうなずく。ろくでもないことがあったのはさっきの姉ちゃんの姿を見ればわかる。重苦しい空気を深呼吸して飲み込み、聞く用意が整ったことを無言で告げる。

内容は想像以上だった。結婚してなかなか子供ができないことを夫の親に責められた。それでもついに妊娠したが、生まれた赤ちゃんには障害があったそうだ。夫の母親が姉ちゃんを責めたて、精神のバランスを崩しかけ、それでも赤ちゃんを世話し続けた。本来、姉ちゃんを守るべき夫も親と一緒に責めたて、そして姉ちゃんの必死の世話の甲斐なく赤ちゃんも亡くなった。

そんなときにさらに夫が他の女性を妊娠させたと言われる。欠陥品を押し付けたとおじさんも責められたうえに、ほとんど身一つで離婚されて実家に帰って来たらしい。


あまりのことに怒りすら湧いてこなかった。いつの間にか俺は滂沱と涙を流していた。

さすがにショックを受けた俺に母はそれ以上なにも言わず、風呂が沸いていることを告げ居間から出て行った。

話している母の目にも涙が浮かんでいた。

父が帰宅した。事情はすでに知っているようだ。

近況を語り、ビールで晩酌した父は上機嫌で、息子と酒を飲む夢が叶ったと嬉しそうに笑っていた。

「そういえば勇司よ。お前彼女とかいないのか?」

普段そういう話をしない父の一言にビールが変なところに入って思い切りむせた。

「お前さ、隣のお姉さんが初恋だったろ?」

「とととととと父さんいったいなにを!?」

「ああ、照れんでいい。お隣の話を聞いたんだろう?」

「うん」

「俺が頼む筋合いじゃないかもしれんが、お隣の力になってやれんか?」

「どういうこと?」

「お隣のお嬢さんだがな、心を病んでしまって酷い状態らしい。だがな、お前と話しているときはちょっとだけ普通だったそうだ」

「どういうことなのさ?」

そもそも、お前は知らないだろうが、お隣のおじさんとしか会話できてなかったんだ。家からも出なかったらしい」

「え、そんな酷かったのか」

改めて元夫とやらに怒りがわく。

「多分お前を見て外に出たんじゃってお隣さんは言ってる。そして俺もそう思う」

「うん」

「お前、小さい頃お姉さんに世話になってたろ?恩返しじゃないが、俺もお隣さんとは長い友人付き合いだし、少しでも力になりたいんだ」

「そうだね、俺になにができるかわからないけど、明日顔だして見るよ」

「おお、さすが我が息子!頼むぞ」

上機嫌の父は俺のグラスにビールを注ぎ込んだ。そして手のグラスを俺のグラスに合わせると一気に煽り、そのまま潰れた。

そういえばこの人すっごい下戸だったわ。

母と一緒に父を寝室に放り込み、さっきの話を母に伝える。母からもお願いねと言われた。

お隣の奥さんは姉ちゃんが小さい頃に亡くなっている。母の親友だったそうだ。その後で俺が生まれ、姉ちゃんは俺がお母さんの生まれ変わりとか思ってたことがあるらしい。性別変わってるよ!?

俺も少し酔いが回ってきたので自室に引っ込んだ。うとうとしながら、懐かしい夢を見る。

俺が姉ちゃんにお嫁さんになってくださいと言った。ただ違うのは、俺は今の俺で、姉ちゃんはお嫁に行く少し前の姿だった。少し困った顔で、「ゆーくんが大人になったとき、わたしがまだお嫁に行ってなかったらお願いね」と言った。

姉ちゃんが困りながら俺に言った優しい嘘が何故か俺の拠り所だったのかもしれない。

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