第六章 玄冬の『豪』雪 PART8 (完結)

  8.


 ……遅い。あいつは一体何をやっているんだ?


 マスターは時計に目をやった。作戦時間は当に過ぎている。頭に血が昇るのを感じているとフォンから連絡が帰ってきた。


「作戦終了です。遅くなりすいませんでした」


「らしくないじゃないか」


 マスターは低い声でいった。

「警備会社にはばれていないのか?」


「この大雪です。道に迷ったといっただけですんなりと帰してくれましたよ」


 フォンははっきりとした声で告げた。

「ちゃんとヘイの代わりも来てくれましたし、問題ないです」


「目当てのものは?」


「ありました。もちろんヘイについては数日以内に発見されるよう処理しています」


「了解だ。ただちに集合ポイントに向かえ」


「了解です」


 マスターは一つ安堵の吐息をつき、集合ポイントに向かった。

 一時間後、フォンはきっちりと右手に巻物を携えていた。


「これが例のものか」


「そうです。巻物なんて古風な姿で発見されるとは思ってもいませんでしたが」


「他には何もなかったのか?」


「ええ、そのようです。四つの勾玉は全て粉々に砕け散っていました。ヘイがガラス瓶に回収していましたので、それも持っています」


「そうか」


 マスターは口元を歪ませた。

「これでやっと日本に一泡ふかせられる情報が手に入ったな」


「そうですね。オレも早く汚れ仕事から開放されて、親父のようにあごで指令を出せる立場になりたいですよ」


「まあ、そう焦るな。まだまだお前は下仕事を積まなければならない」


「わかっています。冗談です」


 フォンはそういって舌を出した。


「しかし、よくヘイを殺すことができたな」


 マスターがフォンに視線を合わせると、フォンはにやりと笑った。


「当たり前じゃないですか。あいつとは同じ釜の飯を食った中ですよ。ましてや最初から殺すように命じられていたんです。あいつと出会った時から、すでに殺すための下ごしらえをしていたんですよ」


「ほう。参考までに教えてくれ」


「あいつに暗視ゴーグルを必要以上に見せつけたことですかね」


 フォンは大きく口を開けて喋った。

「オレだってもちろん暗闇の中でも自由に動くことはできますよ。暗闇の中で動けることはスパイの必須条件ですからね。あいつにオレがつけているものは暗視ゴーグルだと印象づけておきました」


「それはなぜだ?」


「決まっているでしょう。あいつは暗闇の中で自由に動けることが自慢だったんです。だからオレがゴーグルをつけた瞬間はあいつに隙ができるってわけです。オレはゴーグルがなくても見えるって優越感に浸れるんですよ。もちろん、これ、暗視用じゃなくて遮断用のゴーグルです」


 そういってフォンはゴーグルを外した。その裏のレンズには光を遮断する茶色の皮膜が覆われていた。


「つくづく恐ろしい男だな、お前は。味方で本当によかったよ。ということは閃光弾で目をくらましナイフでやったのか?」


「ええ、心臓を刺しました。自殺に見せかけないといけないので、一刺ししかできませんでしたが……」


 フォンは唇を曲げていった。


「オレはあいつの存在が許せなかった……。親父にしたらあいつは他人の子なんですよ。なのにオレよりもあいつの方を可愛がっていた。作戦のためとはいえ、いい気分じゃないですよ」


 子供のように純粋な心を持っている、と彼は思った。しかしその純粋さこそ狂気に向かってしまえば黒く染まるのも早い。


「光の中で殺せと命じたのは大佐か?」


「……そうですよ」


 フォンは遠くを見つめるように目を細めて頷いた。


「オレはあいつが羨ましい。殺され方まで決められているなんて、愛情がないとできませんよ」


 フォンの思考回路に背筋が凍る。歪んだ愛情にまで嫉妬できる人間はそうそういない。


「あいつが憎くて仕方がなかった。親父を独占していることに歯がゆかった。でもオレはやっと殺せたんだ。あはは、やっとオレは親父のただ一人の息子になれたんだ」


 あはハ、アはあハハハ、アーハッはッハッハ。


 フォンは狂ったように笑い続けた。上官である自分がいる前でだ。彼は咳き込んでも笑いを止めようとはせず、呼吸困難に陥るまで感情に身を委ねていた。


 ……狂ってる。


 マスターが声を掛けようとすると、彼はぴたりと止まった。そのまま虚ろな視線をこちらに向け始めた。


「……オレは親父が好きなんです」


 フォンは崩れるような姿勢でいった。

「だから親父を裏切るようなことは一切しません。いや裏切れないといった方がいいかな。あの人こそ本当の悪魔ですよ。オレなんかはほら、小悪魔レベルです」


「……そうかもしれんな」


 マスターは大きく頷いた。

「大佐ほど恐ろしい人間に私も出会ったことはない。まあ、その話はまた今度でいい。俺は一旦中国に帰るつもりだ。お前はどうする?」


「オレはこっちで巻物の中身を解読します。こっちで残した後処理もありますし……」


 彼は唇を舐めていった。

「ああ、それにこれから先邪魔になる存在を消しておかないとまずいでしょ? リーのターゲットやフェイカーを消しておかないと親父に怒られるんですよ。親父はああ見えて綺麗好きなんです。掃除はきちんとしておかないと」


「いや、それは私に任せて貰おう」


 マスターはフォンに掌をかざした。

「一旦目標物を持って帰らなければならないが、再び日本に戻って来なければいけないしな」


「……そうでした」


 フォンは頭を掻きながら答えた。

「マスターは表の仕事を捨てるわけにはいきませんもんね。では駆除はお願いします。書かれてある文は全て頭の中に入っていますので、このまま持って返って貰って結構です」


 巻物の太さを見て、マスターは仰天した。この大量の情報量を一瞬で覚えることができる人間がいるとは思えない。噂には聞いていたが、呆気なくフォンがいうと、その凄さが霞んでみえる。


「……そうか。すでに中身を覚えたか。やはりお前が味方でよかったよ。それじゃ俺は大佐に報告をしておく。また何か連絡があれば伝えてくれ。必要なものがあれば、すぐに準備する」


「はっ了解しました」


 ……これ以上こいつには関わらない方がいい。


 マスターの勘はそういっていた。



 フォンのいった通り、三日後にリーの死体は確認された。胸にナイフが食い込んでおり出血死だということが表明された。またナイフは自らの手で刺さっていたため、自殺と断定され日本で葬儀をすることになった。


 そして時は過ぎ、四ヶ月の月日が流れた――。

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