9『実践訓練』
「なるほど、それで遅くなったの」
奏は頷くと、いかにも怒ってますと言った風にとがらせていた唇を元に戻した。
場所はお馴染みの第一訓練場。駆け足で飛び込んだ響を待ち構えていたのは、腕を組んで仁王立ちをする奏――などではなく、普通に本を読んで時間をつぶしていた奏だった。
師は響が来たのを認めると、時計を確認。それから本を閉じて、立ち上がると、少し考えてから自らの怒りを示そうと唇を尖らせたのだった。
真剣な顔から、精一杯の努力が見て取れたものの、悲しいかな子供が拗ねているようにしか見えない。いつだったか、キュルリンが奏は怒っても怖くないと言っていたが、実にその通りだった。
そんな内心が表に出ないように四苦八苦しながら、響は再度頭を下げ、
「すみません」
「いいわよ、響くんが悪いわけじゃないんだし。私が遅くなった時もあったしね。とやかく言えたことじゃないわ」
響が遅れたのもやむなし。そう判断する奏に、その真横から声がかけられる。
「キュルッ」
「偉そうとか言わないの。師匠なんだから。実際偉いんだから」
宙に浮きながらおちょくるキュルリンに奏は物申す。言い分が子供っぽいのは置いておいて、
「前から思ってましたけど、それって、どうして会話成立してるんですか……」
キュルリンの知性が相当なものであることは、今さら疑うべくもないが、その意思疎通方法がどうしても理解できない。どこからどう見ても、キュルリンは鳴き声を上げているようにしか見えないのだが。
奏は響の問いに首を傾げ、それから考え込むように人差し指を顎に当てた。
「うーん。分からないけど、長いこと一緒にいるからなんとなく分かるのよね」
「キュル!」
「……そうですか」
それで使い魔と会話ができてたまるか。
奏の言葉を力強く肯定するキュルリンだが、別にキュルリンの手柄ではない。適当に返事をして、とりあえず納得しておくことにする。
微妙な表情を隠せない響に、不思議そうな顔をしながらも奏は咳払い。話を戻す。
「とにかく、今回響くんが遅くなっちゃったのはお咎めなし。すぐに訓練に入るわよ」
「あ、はい。今日は何を?」
「うん。そろそろ響くんが私に弟子入りして一カ月でしょ? だいぶ成長してきたと思うのよ。最近は魔術の方も結構上達してきたし」
「まあ、はい。まだまだ酷いものですけど」
実際、響は成長したが、周りに比べれば遅すぎる。クラスメイトと比較するなら、二回りか三回り遅れととらえるのが妥当だろう。
基礎の元素の生成を習得したのはつい二週間前。
ずいぶんと手こずったが、なんてことはない。全体的に粗い技術が原因で、一つ一つ悪いところを修正して何とか出来るようになった。
これといったドラマがあるわけでもない、実に地味な努力だと、我ながら思う。
次の段階は、本日の授業でも行使しようとした火球であるが、二週間たった今も完全な習得には至っていない。成功率はせいぜい五割。それも体を動かさず、ただ魔術を放つことだけに集中した場合で、模擬戦のように動き回ると、その成功率は一気に三割にまで落ちる。
クラスメイト――例えば隼人などは、すでにミスなく行使できるまでになり、より効率的な運用やクオリティの向上に進んでいるにもかかわらずだ。
「けど、元素の生成に比べればいいペースじゃない。キュルリンもそう思うでしょ?」
「キュルゥ」
「まあ、そうかもしれませんけど、遅れに遅れてるのは事実ですから。これって普通だったら、一週間くらいのものなんですよね?」
「平均的にはね? 遅い子は二週間かかることもあるわ。私は一回でできたけど」
「…………」
おそらく意図しないで、自分の才能をひけらかしてしまっている奏。邪道に進むと決めた今、響とてこの程度で心をゆすられはしないが、それにしても規格外だった。一日かからないというのは本当に人間の所業だろうか。
「ともあれ、私がいるからそこのところは大丈夫。元素の生成は、そもそも手こずる理由が分からなかったから教えるのにも苦労したけど、攻撃魔術の段階になったらつまずく人も出てくるからね。効率的に教えられるわよ」
「任せますよ? 本当に。自分じゃどうにもならないですから」
「もちろん。師匠に任せなさい」
得意げな師に響は苦笑。悪意がなく、多少の毒を吐いてしまうのは奏の悪癖だ。それも、その冷たげな容姿からは想像もできない親しみやすさや子供っぽさの前では気にならない。
「というわけで、今日からの訓練方法は、昨日までのから一新するわ。少しとはいえ魔術も使えるようになってきたし、ようやくって感じなんだけどね」
肩をすくめてみせる奏。出来の悪い弟子としては、本来の予定を狂わせてしまったことに言葉も出ない。
しかし恐縮する響には反応せず、奏は続けた。
「今日からは、『魔術訓練』から『実践訓練』に移行するわ」
「……え?」
響の間抜けな声が漏れ出た。
* * *
『実践訓練』と言われて、響の頭に思い浮かんだ言葉は、”無理”の二文字だった。
常に動き回ることが求められる実践において、動きながらの魔術の成功率三割の響が何をできるわけでもないのは、先の模擬戦で充分証明された。何もできないでいるところを、散々いたぶられるのがオチである。
であるならば、実戦よりも先に魔術の完成度を上げる方を優先すべきだというのは、子供にも分かることだ。
もう一つ付け加えるのであれば、響の相手をするのが他ならぬ奏だということだ。
学園最強と学園最弱。どう考えたところでもっとも実力差のある二人だ。模擬戦すら成立せず、開幕した瞬間に響が敗北する。訓練になるはずもない。
しかし奏は、そういった響の懸念のすべてを、
「大丈夫、手加減するから」
と言って却下した。
「いや、手加減されてもどうにかなるとは思えないんですけど……」
訓練場の端と端。普通の高校の体育館ほどのスペースを確保して師と相対する響は、往生際悪くも抵抗する。
これはなにも響がヘタレだというわけではない。チワワの身でありながら、百獣の王に立ち向かえと言われた。今の響の状況を例えるならばそんなところが妥当だ。
しかし奏は響の当然出てくる抗議には耳を貸さない。
「いい、菖蒲くん? 君は今、走りながらでも元素の生成ならできるようになってる。その元素の生成を、魔術の行使に変えるだけよ」
「その二つだと、作業量が二倍近く違うんですけど」
「それに慣れるための『実践訓練』よ。菖蒲くんって、頭で考えるところがあるから、直接体を動かしながら鍛錬した方が分かりやすいと思うの」
「うっ」
つい三〇分ほど前にも、美里に同じようなことを言われたのが思い出され、響は軽く息を詰める。
だからといって、頭を空っぽにしても無才に変わりがなかったのは元素生成を練習している時に判明した事実だが。
「あと、単純に魔術が使えることを目指してるわけじゃないから。どういう風に魔術を使ってどういう風に勝つのか。それを勉強するには、実戦が一番でしょ?」
「…………」
奏の言うことの方が筋は通っている。互いのどうしようもないほどの実力差を鑑みなければ、だが。
しかし奏のことだ。手加減すると言ったからには充分実力を抑えてくれるだろう。
いよいよ響は観念。この『実践訓練』を受け入れた。
その様子を見ていた奏は小さく頷き、訓練場の中央左。観客席に陣取っている自身の使い魔を見やる。
「キュルリン、始めの合図は任せたわよ?」
「キュルッ!」
「そのドヤ顔可愛い……。ああ、それと一つ気を付けてほしいんだけど、ここに張られてる結界が壊れないように補助しておいてね?」
「キュル……」
「あの、手加減は?」
訓練場の結界――魔術の余波や流れ弾による建物への影響を遮断、もしくは削減する魔術――は、長津田教諭が言っていたように紋章術で常設されている。
運用目的が運用目的なので、生半可な力で破壊できるものでもないはずなのだが、あろうことか奏は破壊してしまう可能性を示唆していた。
これにはキュルリンも非難の視線を向け、響に至っては不安の眼差しを注ぐ。
「あ、いや、もちろん加減するわよ? だけど念には念を入れてって思うじゃない? 前に壊しかけたことがあれば特に」
「普通は壊しかけませんよ、学生が」
それどころか、そこいらの魔術師でも無理だ。
ますます恐れ入ったものだが、それが自分の訓練の相手とは鳥肌が立つ。
苦笑する奏は、キュルリンが呆れながらも結界の補助を承諾したのを見届けて響に向き直った。
それから表情から親しみやすさを消すと、凛としたたたずまい――魔術師としての奏が顔をのぞかせる。冷たい印象を与える容姿がその仕事に手を付け、まともに相対すれば腰が抜けていたであろう緊張感。
響が向かい合うことができているのは、ひとえに奏が加減してくれているからに他ならない。
実力差――それを肌で感じるだけの時間はそう長く続かない。
「キュルゥッ!」
場を支配した緊張感からすれば、拍子抜けするほど愛らしい声。それに二人ははじかれたように動き出す。
魔術の構築速度では敵うはずがない。威力はなおのこと。だからまずは、第一射目を躱して――。
「――
一柱の光が、響のすぐ横を駆け抜けていた。
後方で爆音が鳴り、遅れて割かれたと気がついた空気が振動する。
それが奏の生成した金の元素――極太の鉄針の射出がもたらした結果であることに、遅れて気づく。
振り返って確認すれば、かろうじて破壊を免れた結界と、魔力を散らして消える鉄針が確認できた。
躱す躱さないの次元ではない。攻撃されたという事実すら置き去りにする一撃。
よもやそれが、響が習得しようとしている、単純な攻性魔術と同じものだと、誰が信じようか。
肌で実力差を感じるなどと考えていた先の自分を殴りたい衝動。それほど、奏の戦闘能力に対する響の認識が甘かったことを痛感させられる。
そんな、なんの誇張もなく人を殺せる魔術を放った師は首をかしげると、
「あれ? 強すぎた?」
家に帰ったら手加減の意味を調べようと、響はそう心に誓った。
* * *
「君はもしかして、罵られて喜ぶタイプの人間なのか?」
美里は眉間にしわを寄せ、ため息をついてそんなことを口走った。
「違いますよ」
「今日また来るようなことがあれば説教すると、そう言っておいたはずなのだがね」
治療の魔術を使用しながら不満を漏らす美里。それに肩を抑える響は視線を逸らした。
「わざとじゃないんです」
「わざとだったとしたら、私は治療そのものを放棄……はしないにせよ、怒りは止まるところを知らなかっただろうね。とはいえ、これは指導者の問題でもあるんだが。そこのところは分かっているな、佐倉奏」
「はい……」
鋭い視線の先、そこには肩み狭そうに座り、完全に委縮しきった奏の姿がある。
ーー実践訓練という名の模擬戦は、奏の手加減を再調整してから行われた。
最初はそれなりに好調に進んでいたのだが、次第に荷が勝ちすぎるようになり、結果として奏の魔術を受けた響は本日二度目の保健室へ。その付き添いに奏がついて来た。
もっとも誰かに見られることを懸念して、奏は響を尾行するような形でここまで来たわけだが。
美里はやれやれと肩をすくませると、
「私が君たちの訓練に口出しするのは筋違いだろうが、さすがに学園最強と学園最弱が模擬戦をするというのはどうなんだ。しかも佐倉奏の方は手加減も下手くそと見た。下手したら死ぬぞ」
「ああ……確かに」
「ちょっ、菖蒲くんっ。確かにあれは危なかったかもしれないけど、当たらなかったし」
「おい。人が死ぬ攻撃をしたのか君は」
さらっとボロを出す奏。硬直してから、傍らにいる使い魔に助けを求めようと視線を向け、
「キュル」
「キュルリン!?」
そっぽを向かれて見捨てられていた。
悲痛な叫びをあげて、恐る恐る美里の方に目をやる奏を、養護教諭は不機嫌露わに鋭く見、
「この治療が終わったら君は説教だな」
「ごめんなさい」
「…………」
弟子の前で情けない姿を見せてよいのだろうか。すでに何度か見ている気もしないではないが。
優秀なのかポンコツなのかいまいち掴めない師である。
「それと菖蒲響。安心しきっているようだが、当然君も説教だぞ」
「……はい」
すでに訪れたのは本日二回目。説教するという忠告を受けてしまっていた以上、響にも逃げ場はなかった。
「キュル……」
そうして美里のお叱りをそろって受ける師弟を見つめ、キュルリンは呆れたように息を吐く。
ーー以後、響の実践訓練は、しばらくの間キュルリンが相手をすることになった。
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