7『追加課題』

「――まあ、そんなわけで紋章術には駄目な部分だけじゃなくて、ちゃんといい面もあるの」




「先輩?」




 春花の奇行にドン引きする響に、脇から声がかけられた。そちらを見れば、今の今までキュルリンを乾かすことに集中していた奏の姿がある。


 すでにその作業は終わったらしく、キュルリンは宙に浮きながら、水をかけた張本人である春花をにらみつけていた。




 奏は手近な椅子を持ってきて、響の隣に座るようにしてテーブルを囲うと、未だ紋章の美しさに惚れ惚れしている春花を見据えた。




「先生、私も加わりましたし、そろそろ本題に入りたいんですけど」




「別に、私は了承済みなのだし、そっちで勝手に進めてくれてもまったくもって構わないのだけれど。ああ、この曲線……フヒッ」




「いや、でも顔合わせみたいなのとかあるじゃないですか。じゃないと訓練所じゃなくてここに来た意味がないですし」




「それはそちらの都合で、私に関係のある話ではないと思うわ。あと紋章と愛をはぐくんでいるところを邪魔しないでくれるかしら?」




「……取引、なかったことにしますよ?」




「それは困るわね」




 もごもごと、紋章の描かれた紙に顔をうずめて、こちらを全く見ないで会話をしていた春花は、奏の発言を聞くや否やその紙を投げ捨てた。


 紋章の扱いがぞんざいなのはいいのだろうか。本人は気にも留めていないようなので気にしないことにして、会話は再開される。




「また何のことか分からない単語が出てきたんですけど、取引って?」




「そう、まずはそれについて説明しなきゃね。三日前にお願いしたんだけど、先生ったら、嫌だの一点張りだったの。何を言っても聞いてくれないみたいな。ていうかそもそも会ってくれなかったし」




「はあ」




「だから方向性を変えてみることにしてみたの。メリットを提示して同意を得るって方向に。これが上手くいってね?」




「いや、あの……」




「あ、そうそう、言い忘れてたけど、私は紋章術の授業取ってたから先生のこともここのプレハブのことも知ってたのよ。先生って授業の時しかこの部屋から出ないし、出ても下の階までだから、知ってる人ってほとんどいないのよね、ここのプレハブで紋章術を教えてるってことも含めて。紋章術を取る生徒って少ないのもあるし」




「あの、先輩。そうじゃなくて」




 自分が説明下手なのを自覚して気を付けているからか、説明不足を感じ取って付け足してくれるのはありがたいが、残念ながらそこではない。


 首をかしげる奏に、助け舟を出したのは春花だった。




「佐倉さん、私は別にここから全く出ないわけじゃないわよ? 家には帰るのだし」




「家って、学園の目の前にあるアパートですよね? 外出のうちに入りませんよ」




「外に出ることを外出という以上、あなたの論はまったく筋が通らないわね」




「あの、二人とも、どんどん脱線していってるんですけど……」




 助け舟というか、文句だった。出不精と言われたのが気に食わなかったらしく抗議する春花に、奏が応じる。置いてけぼり感が凄かった。




 響の指摘に、春花は不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、奏は素直に聞く耳を持ってくれた。会話を中断して、響に視線を向ける。


 ようやく質問する機会が得られて響は胸を撫で下ろし、




「そもそも取引の内容が分からないんですけど」




「えっと、そういえばそこ説明してなかったわね」




「キュルッ」




「キュルリン、どうして今まで大人しくしてたのに私をからかう時だけ元気なの?」




 茶々を入れる(?)使い魔を叱り、奏は響に向き直ると、




「菖蒲くんは、今は色々な事を学んでるわけだけど、必要なものの全部を私が教えられるわけじゃないでしょ? 本を読んでもらってるのなんかは、そういうことなの」




「はあ」




「それで、紋章術ってマイナーだし、普通は実戦で使われることなんてないから、ぴったりだと思ったのよ」




「邪道に、ですか?」




「その通り。だから三日前、長津田先生にお願いしたの。『私の弟子に紋章術を教えてあげてください』って」




 つまらなそうに聞いている春花に、響は視線を向けて確認。講師は小さく頷き、




「何言ってるのかしらこの子はって思ったわ」




「…………」




 それはそうだろう。


 大人びた風貌で実力が確かとはいえ、奏は高校二年生。弟子など、世迷いごとと切り捨てられてもおかしくない。


 実際響も最初に聞いたときは理解に時間がかかった。




 春花は大きくため息をついて、それから大げさにかぶりを振ると、




「私は確かに、紋章術の良さを知ってもらうために講師をしているけれど、わざわざ一人の生徒のために授業なんかやりたくないわ。そんな時間があれば気ままに紋章の美しさを再確認……」




「ああ、そっちですか……」




 響の想像は的外れだったらしい。




「まあそんなわけで、先生ったら中々首を縦に振ってくれないんだもの。仕方なく『序列決定戦で私の弟子が上位になれば、紋章術の汚名を晴らせますよ』ってメリットを教えたの」




 つまり、序列決定戦という"戦闘"で、響が紋章術を使って勝利すれば、「戦闘面では役立たず」というレッテルを引き剥がせる、ということだ。


 なるほど、筋は通っているが、何気に響の勝利前提なのがおそろしい。今さら「二〇位以内」という目標を変えるつもりはないが。




「そういうわけだから、菖蒲くんは週二回、ここに来て先生の授業を受けること。いいわね?」




「……今の状況にさらに追加ですか」




「そ。時間は限られてるんだから」




「しかもここですか」




「そう。大丈夫、入り口の紋章は切っておいてくれるはずだから」




「あの、その時先輩は?」




「うーん、私がいる意味もないし、来ないと思うけど」




 つまり、この怪しい講師と二人きりということだ。


 プレハブに流れる陰鬱な空気が、目の前の講師であることは疑うべくもない。だが、そうと分かっても一人で入りたい場所ではない。




「あの、他の場所にするってことは……」




「当たり前だけれど、私はここから出たくないわよ?」




「…………」




 せめて一階に、という響の試みは、あっけなく散った。






 * * *






 プレハブから外に出ると、太陽はそのほとんどを地平線の下に隠していた。




 本来なら『魔獣訓練』に使われていた時間だったが、せっかくだからということで第一回の授業を受けていたのだ。


 細かな文字を読み解くことが多い紋章術は、目に負荷をかける。疲れた目を休ませようと、眉間を抑えている響に、隣を歩く師は問う。




「どうだった? 長津田先生の授業」




「なんていうか、ものすごかったです」




 相変わらず紋章に顔を押し付ける等の変態行為には余念がなかったが、授業そのものは分かりやすく丁寧だった。紋章術に対する深い愛と理解が成せる技だろう。




「でも、紋章術って本当に必要だったんですか?」




「それはもちろん。最終的にどう使うかは君次第だけど、選択肢としてね。紋章術って実技じゃないから、菖蒲くんでも頑張れば出来るようになるわ」




「はあ、そうですか」




 響が努力しようと上達の兆しを見せないのはあくまで魔術の行使なので、紋章術のように頭を使うものであるならばその限りではない。勉強を続ければ、習得することが可能だろう。


 だが、それを戦闘で扱うイメージが欠片も浮かばない。まさか試合会場に先んじて仕けておくわけにもいかないだろう。




 首をひねって唸る響。そもそも紋章を描くには、響自身が、下級でも魔術を習得しなければ話にならない。


 そう考えればハードルは存外高い。集中して魔術訓練を行った方がよいのではないか。


 少なくとも、元素の生成くらいはあと一週間で習得しておきたい。隼人含むクラスメイトとは、すでにかなりの差がついているのだから。




 そう考えたところで、響は言おう言おうと思っておいて、言いそびれていたことを思い出した。




「あの、先輩。今日はありがとうございました。正直、あまりいい気はしてなかったので」




「? うん。どういたしまして」




「まあ欲を言えば、もう少し早く出てきてくれてもよかったんですけど」




「……? うん」




「でもいいタイミングでしたよ。先輩、教室の近くにはいなかったのに、どうやって様子を知ってたんですか?」




 放課後、隼人に絡まれた時のことに礼を言う響。しかし奏は不思議そうな顔で、




「えっと、菖蒲くん。なに言ってるのか分からないんだけど……」




「え? 俺が馬鹿にされてるとき、キュルリンを差し向けてくれたじゃないですか」




「うん?」




 そのおかげで、無事教室を抜け出すことができたのだ。その後に待っていたのが、あの紋章術講師だったのだから、プラスマイナスはゼロだが。


 感謝の意を示す響。しかし奏は、より困惑を深めると肩に乗ったキュルリンに目をやり、、




「キュル、キュルルルゥ。キュッ」




「えっ、そんなことがあったの?」




 相変わらずどうして会話が成立しているのかは不明だが、奏は途端に深刻そうに眉間にしわを寄せる。それから響に向き直ると、




「ごめんなさいね。キュルリンにお使いは任せたけど、それは菖蒲くんのことを助けるためじゃなくって呼び出すためだったのよね」




「呼び出すため?」




「そ。私たちが師弟だってこと、あまり知られるわけにいかないから。だから迷い込んだのを装って、菖蒲くんを連れてきてって」




「じゃああれって偶然ですか?」




「そうなるわね。ていうかキュルリン、そういうのはもっと早く言うの。私も怒るときはあるんだからね」




「キュルッ」




「怖くない? 私怒ってもそんなに怖くないの? もう、そうやって馬鹿にしてっ」




「キュルッ!?」




 奏のお仕置きデコピンが、キュルリンの眉間に炸裂。小動物は大きくのけぞった。




「それと菖蒲くんも。いじめられたら先生に相談。私でもいいから」




「……いじめっていうか馬鹿にされただけですよ」




 それは響にとって別段珍しいことではない。今日のようにあからさまに悪意を向けられることは比較的少ないが、それでもここ二カ月でそれなりの数経験した。




 そしてそれを、自分が”落ちこぼれ”だから仕方がないとして耐え続ける程度には、響も達観している。


 だが奏はそうもいかないようで、眉をひそめて難しい顔を作ると、




「とにかく、いじめでもなんでもいいから、あった時は先生か私に相談。いいわね? じゃないと私怒るから」




「それは、分かりました」




 今の表情も、怖くしようとして失敗していた感があった。なるほど、カーバンクルの目も侮れない。


 むしろ奏の場合は、普通に無表情でいる方が、冷たい印象がして怖いと思うのだが。性格の問題で、割と表情は変わるが。




 ともあれ、師弟の関係は、まだ始まったばかりだった。

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