5『落ちこぼれの苦労』

 何事にも例外というのは存在する。


 「響を"いない者"として扱う」ことについて言えば、声の主こそが相応しい。




 明るく脱色した頭髪。耳にはピアスをつけ、制服は校則をギリギリ逸脱する程度に着崩している。


 どう見ても模範的な学生とは乖離したその風貌からは、響を嘲る微笑が張り付いていた。




 二人の取り巻きを従えた男子――新垣隼人は、不干渉という不文律を堂々と破り、座っていた椅子から立ち上がると、




「ああ、そういやお前って毎日遅くまで鍛錬してんだっけ? ホント、よく頑張るよなぁ。実らないクセによ」




 あからさまに見下してくる隼人に、響は押し黙る。


 その様子を愉快そうに眺めながら、隼人は距離を詰め、響の顔をのぞき込んだ。




「なあ、今日は何の鍛錬すんだ? 魔術師っぽいポーズの練習か? それとも魔獣相手にできもしない無双のシミュレーションか? 何なら俺が付き合ってやんよ」




 あからさますぎるほど悪意に満ちた言葉。それに響はうつむきがちに、




「……いいよ。そんな練習しないし」




「じゃあなんだよ。やっぱあれか。元素の生成。そろそろ二カ月じゃねえの?」




「まあ、そうだけど……」




「なんだよ、まだやってんのか! これだから”落ちこぼれ”は!」




 げらげらと笑い声を発する隼人に同調し、取り巻き二人もくすくすと声を押し殺して肩を震わせる。


 そうして騒げば、当然クラスメイトのうち数人は、響の方へと視線を向ける。憐憫の皮をかぶった、嘲りの視線を。




「お前、そろそろ諦めた方がいいんじゃねえか? 才能ねえんだし。努力はいつか報われるとか、雑魚の妄想じゃねえか」




「妄想?」




「そうだよ。妄想だ。お前みたいな”落ちこぼれ”がいくら努力したところで、どうにかなるはずがねえって」




「そんなこと、やってみないと分からないよ」




「分かるってんだよ。現にお前は今、元素の生成すらできねえ。毎日毎日あんなに練習してんのに! 俺? 俺はとっくの二カ月前に習得済みだぜ? まったく努力しないでな。ほらよ――火よignis




 魔術陣から出現するのは、まぎれもない火の元素。響よりも数段上の完成度。早さも質も敵う要素がない。




「…………」




「これが”落ちこぼれ”と天才の違いだよ。意味ねえって努力なんて」




 ガンッと、響の脛を隼人のつま先が直撃した。


 力は大したものではなく、軽く小突く程度。それでも惨めさを与えるには充分な威力だった。




 これだけ言われても言い返すことができない。確かに、隼人と響の間には間違いなく差がある。まだ、努力が報われたためしはない。


 周囲の視線が刺さる。目の前の嘲笑が不快で仕方がない。それを、自分が”落ちこぼれ”なのが悪いと受け入れてしまう自分が情けない。




「無駄なんだよ。無駄。お前がやってることは全部無駄。一日一日をゴミだめに吐き捨ててんのと一緒だ。”落ちこぼれ”」




「…………」




「おう、悔しかったら言い返したらいいんじゃねえの? 聞いてやるよ、雑魚が」




「なんでわざわざ話しかけてきてるのかって、それだけは聞いておこうかな」




「はあ? わざわざ話しかけてやってんだろうがよ。雑魚のお前が、孤立して可哀想だから、わざわざ現実を教えてんだよ。俺が。なのになんだよ。不満でもあんのか?」




「…………」




 その言いようで、不満を生まないと本当に思っているのだろうか。


 自己中心的で支離滅裂な隼人に、そう言い返そうとし、しかし響はそうすることをやめた。言い返したとて、ただ事態がややこしくなるだけだ。




 周囲に、止める気配はない。隼人の物言いを、諫めようと行動するクラスメイトは一人もいない。それどころか、状況を楽しんでいる者の方が圧倒的に多かった。


 取り巻きも、今や薄ら笑いを隠そうともしない。目の前にも周りにも敵しかいない。




「キュルッ!」




 この場には似つかわしくない、あまりに異質な声が響き、瞬間その場にいた生徒の思考は止まった。




 声のした方――響のすぐ右横に目を向けると、そこにいたのは紺色の毛玉。響にとってはこの一週間で見慣れた掌ほどの大きさの小動物。




「は? カーバンクル?」




 拍子抜けした声を上げ、隼人は戸惑いの表情を浮かべる。その取り巻きも、周囲のクラスメイトも、おおむね似たような反応だ。




 理由は単純、使い魔という存在の珍しさだ。


 本来ここにいるはずのない生物。羨望や嫉妬を集める類の力。それが奇妙なタイミングで立ち入れば、どうすればいいのか分からなくなる。


 そうした周りの反応には何ら頓着せず、




「キュルル」




 棒立ちになる響に、使い魔は呼びかける。そしてスイと、中空を泳ぐように尻尾を揺らしながら、教室から出て行った。




『…………』




 毒気を抜かれて顔を見合わせるクラスメイト達。それは隼人とて例外ではなく、たった今の意味不明な乱入に回答が得られず呆然とするばかりだった。




 これは奏からの助け舟だと、事ここに至れば響も理解できた。


 立ち尽くすクラスメイトに気がつかれないよう、体を小さくして、響は教室を後にした。






 * * *






 キュルリンは、階段の踊り場にいた。


 行きかう生徒の邪魔にならないよう端によって、ちょこんと行儀よく座っている。




「助かったよ、ありがとう」




「キュル!」




 乱入してくれたことに礼を言うと、得意げに胸を逸らして鳴き声を上げる。妙に人間臭い仕草は、どういうわけか奏と会話が成立していることに、わずかなりとも納得感が生んだ。




「それはそうと先輩は?」




 目の前の使い魔とは別に、感謝を示さなければならないもう一人。周囲を見渡しても、その姿が見当たらないことに響は首をかしげる。


 キュルリンは響が口にした問いに、小さく頷き腰を起こすと、軽くジャンプ。重力に逆らって響と同じ目線まで浮くと、




「キュルッ」




 顎をしゃくってついて来いという意図を示した。




「……?」




 教室を出た時と同じように移動するキュルリン。滑らかな移動は、道行く人の注目を集める。


 それについて行く響は早足だ。階段を下りて、訓練場とは反対の方向へと行くのを、不思議に思いつつ歩いて行く。


 連絡通路を抜け、さらに階段を下りたと思えばひとまず屋外へ。近くにある建物はスルーすると、その奥に小ぢんまりしたプレハブが見える。




「えっと、ここは確か……」




 高校というより大学のキャンパスに似た造りをしている魔術学園は、一学年が五〇〇人という規模に負けないほどの敷地がある。建物もいくつかに分けられているが、中でも人の少ない場所というのはある。そのうちの一つがここだ。


 大きい建物が並ぶ学園において、もっとも小さな建築物。一軒家ほどの大きさしかないプレハブには、悪いうわさが絶えたためしがない。それこそ、学内情報に疎い響が聞き及ぶ程度には。




 曰く、怪しい詠唱が途絶える事がない。曰く、禁術の研究をしている。曰く、神獣を封印している。




 基本的にどれも眉唾で、それどころか最後は二つは明らかにガセ。よくある学校の七不思議のようなものだが、入学して二カ月程度の響の足を遠のかせるには充分だった。




「あの、キュルリン? ここで合ってるの? 訓練所にいるんじゃ……」




「キュルッ!」




「あ、そう……」




 えらく自信満々な返答の意味は、響にも読み取れた。間違いなくここにいるらしい。


 意を決し、響はプレハブの扉を開ける。


 薄暗く、眉唾なうわさも本当なのではないかと思わせてしまうような怪しげな空間だった。中には通路が一本。隣接するように教室らしき部屋が二つと、




「階段……?」




 二階に上がるための階段が一つ。キュルリンは、響の脇を通り抜けると同じくプレハブの中へ。


 そして教室ではなく、階段の方へと歩を――浮いているが――進めた。いくら気が乗らなくとも、響について行かないという選択肢はない。


 キュルリンの後を追って、二階へと上がり、




「うわ……」




 階下よりもなお濃い怪しげな雰囲気に顔をしかめた。通路は同じく一本。しかし扉は一つだけで、それ以外には特に何もない。嫌な空気は、その扉から漏れ出しているようだ。


 キュルリンはあろうことかそのパンドラの扉の前で響を待っており、顎をしゃくって開けろという意を示した。




「俺、ちょっと帰りたいんだけど……」




「キュル」




「分かってるよ」




 嫌な空気に耐えきれず、早々に帰宅を希望する響に、カーバンクルは厳しくも制止の声を上げる。


 仕方ないと割り切れるほどこの雰囲気は生易しいものではないが、それでも響は意を決して扉をノックすると、




「失礼、します……」




 恐る恐る部屋をのぞき込んだ、次の瞬間。




 ――頭上から、バケツ一杯分の水が降ってきた。

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