下の下には俺(した)がいる

伊多良天狗

1章『落ちこぼれ魔術師の戦術』

プロローグ『あの日の光景』

 ――燃え盛る炎は、どこか幻想的ですらあった。




 炎はあるがままに燃え続け、辺り一帯を焦土と化していく。その様子は、そこに何かがあったという記憶を消していくようだ。




 ──おそらく、少年がそこにいたという記憶さえも。




 揺らめく灯りが、生まれてからの数年を過ごした生活のことごとくを破壊していく中、その少年はぼんやりと、ただ眺めていた。




 火が家屋を飲みこんでいく。


 削り取られた柱が、自重を支えきれなくなって折れ、屋根が落ちた。


 これでまた一つ、炎で残骸となった建物が増えた。




 肉が焼ける臭いが満ち、先ほどまで生あった者も、あっけなく死者の仲間入りをする。


 悲鳴が聞こえる。それも数秒後には焔に飲まれ絶叫へ転じて消える。




 理不尽が支配する世界。理由なき暴力。弱者は弱者であるがゆえに命を絶たれる。


 地獄、というものがあるのなら、今、少年の目に映る光景こそがそうだろう。




 少年の手足も、とうに動かない。


 逃げ疲れた足は投げ出され、這って進むのに使った腕も力なく落ちている。声は枯れ、涙も枯れ、とうとう恐怖にも鈍感になった。




 ぼんやりと、死が間近に寄り添ってくるのを感じながらも、少年は声一つ上げない。


 全てを受け入れたような、達観した表情で、少年の瞳は目の前の光景を写すだけだ。




 ――不意に巨大な質量が付近に降り立った。




 かろうじて保っていた意識は、少年の首をなんとか動かし、その方向を向かせる。


 目にした瞬間、街一つを焼いたこの大災害の元凶が、それだと気付いた。




 四メートルほどもある巨大な体躯。獅子の頭、山羊の胴体、蛇の尻尾を持つ魔獣――キマイラは、自身が巻き起こした破壊を、未だ受け付けぬ少年を見下ろすと、なんの感慨すら抱かずに。


 ただ、そうするべきだからという理由で、目的も何もなく、ただ赤い口内を覗かせる。




 吐かれるのは炎。少年の矮躯など、吹き飛ばして余りある灼熱の業火だ。


 食らえば確実な死。だがすでに感情の死んだ少年には、迫る死など些事に過ぎない。




 だから、幸福にも恐怖を抱かず、終焉を迎え入れようとし、




 ――瞬間、少年の目前に半透明の壁が展開された。




 厚さ一センチにも満たないそれは、直撃すれば家屋も粉砕する火炎を、軋む音を上げながらなんとか阻んだ。


 魔獣は一転、敵意あらわにその壁の主――乱入者を睨みつける。


 その、相手によっては致死にもなり得る視線を、男は平然と受け流した。




「悪かったなぁ。もう大丈夫だから、安心しろ」




 宣言しつつ、魔獣と少年の間に割って入る男。少年を背に庇う形で、戦端は切って落とされた。




 そうして演じられた一進一退の攻防を、少年は一生忘れないだろう。


 戦う背中に、死すら受け入れていた少年の心は喝を入れられ、瞳は自然と力を取り戻した。




 のちに魔獣大災害として、記録に残り続ける災害。その中にあった、記録には残らない一幕。少年の記憶には残り続ける一幕。




 ――それはもう、一〇年前のことだった。

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