夢幻島

 嫌な――不快な音を聞いた。

 何かを食むような水音、硬いものを砕く――何かを貪る、そんな音を――。


 目を開くと飛び込んでくる野生な光景――鋭利な牙の並んだ巨大な口があの獣を貪っていた。

 心臓が早鐘を打つ、冷や汗が頬を伝い、体が震え始める。俺は意識を失っていた、ならみんなは? 今どこに――視線を少しズラすと獣を食んでいた額に三日月のような傷のある巨大なドラゴンの足元にリオ見つけた。

 途端に駆け出す。ドラゴンは突然の事に咆哮するが構っていられない。

 リオ、リオリオリオっ! 無事であってくれ!


 振り下ろされる大爪をかわしてリオを抱えて距離を取る。パッと見怪我はない、胸に手を当てると心臓は確かに動いていた。

 だが安堵はしていられない、他のみんなは――娘たちは――。

 焦って見回すとみんな散らばって倒れている。

 周囲は鬱蒼とした密林のような場所、そこに僅かに開けた場所……地面はぬかるんでいる。

 緑の臭いに混じって潮の香りがする。一緒に飲まれた海水だろう。どうやら別の場所に飛ばされてしまったのは確実らしい。


「悪いが誰一人くれてやるわけにはいかない」

 獣を喰い終わって次にリュン子に目を付けたドラゴンに先回りして彼女を回収する。全員は運べない、せめて一ヶ所に集めて黒雷で障壁を――全員を集めて障壁を張ろうとした矢先にドラゴンが怯え始めた。

 クーニャよりかは小さいがそれでも十分なデカさのあれが怯える何かが――。


「ま、マジか……普段なら興奮してペットにしたいとか言うところだけど……最悪だなこりゃ…………」

 空を覆うのは巨大ドラゴンの群れ、しかもクーニャ並みにカッコいいやつばっかり、もし強さまでクーニャ並みだったら…………。

「あー……あの、もしもし? もしかして神龍ですか?」

 よくよく考えたら世界中で神龍が動き始めているはずだ。そしてあいつは獣を処理した食った、なら敵じゃない――。

「っ! やっぱそううまい話にはならないか」

 確実にこちらを獲物と見定めた紅いドラゴンが突っ込んで来たのを広範囲の障壁で遠ざける。

 雷を見慣れていないようで予想以上に警戒して離れていった。

 しかし焦るのは俺の方だ。その口に燻る赤く揺らめくものに――。


「やめないかッ」

 木々の間から現れた青年の言葉で俺はレールガンを発射直前で止めた。ドラゴンも止まりはしたがその反応は予想外のものだった。

 青年を見た途端に逃げ去っていく。よほど焦ったのか地上に居たものは翼があるのに飛びもせず地を這い逃げ出した。


「助かった……ありがとうございます。いくら守る為でもあんなカッコいいドラゴンを殺すのは躊躇しちゃうしな」

「殺す? 存在を許された者が許されなかった者から命まで奪うというのか?」

 青年から感じる静かな怒りに警戒を強めて黒雷を迸らせる。

 さっきのドラゴンよりもヤバい感じがする。そうこれは……クーニャと初めて対峙した時みたいな圧迫感、なるほど……ドラゴンもビビるだけの力を持ってそうだ。

 考えたくないが、原初のエルフの小世界に入り込んでしまったんだろうか?


「殺気を収めてもらえませんか? 敵対はしたくないけど俺の家族を傷付けようとするなら俺も対処せざるを得ない」

「異邦人よ、何故この夢幻島に現れた? ここは造物主に捨てられた者の楽園、選ばれ住まう場所のあるお前達の踏み入っていい場所ではない。荒らすつもりで来たのならここを見守る役目を与えられている私はお前達を滅ぼすしかない」

 っ! 圧迫感が増した。敵対すればまず無傷じゃいられない、それほどの相手だ。

「すいません! 別にあなた達の住み処を荒らしに来たんじゃない! そこに落ちてる獣の残骸、あれの移動に巻き込まれた事故なんだ。多分ティナが目覚めれば出ていける、それまででいいんだ。だからどうか――」

「……これは、施設内の実験体……? 凍結され外に出される事はなかったはずだが……あの方々はまたもや気まぐれを起こしたか? 毎度意見を変えて纏まりのない……ん? そういえば異邦人、お前はリィテ種ではないな? あの能力はなんだ? 完成と言った時点で世界に広く分布していた人間という種には何の力も与えられていなかった。何故能力を得ている? ――ここでは落ち着いて話が出来そうにないな、私の庵にくるがいい」

 来るがいいって……二十七人も居るのにどうしろと!? とりあえずバカデカい樹木から葉を取り全員をくるんで運ぶ事にした。

 個々の体重なんて大した事じゃないだろうがこれはもうそういう話じゃない……めっちゃ重いんですけどー!? しかもドラゴン達が虎視眈々と狙ってるし。


「早く来い」

「無茶言う――うぅ……これが大切なものの重さか」

 青年は密林の中をずんずん突き進んで行く。

 その後ろをずるずると葉の巻物を引き摺りながら付いて行く、一応ペースは合わせてくれているようでドラゴン達は遠巻きに見るだけで近寄っては来ない。

 周囲の植物、その陰に見える動物、どれもヴァーンシアでは見たことのないものだ。

 もちろん俺が知らないだけの可能性もあるが、それなりに歩き回っていて知っているものを一つも見つけられないなんて事があるだろうか?


「ちょま…………」

「早く来い、あれらは食べたいものを食べたい時に食べる。今はお前とその周りを食べたいようだ。離れれば死ぬぞ」

 それは果たしてドラゴンに依る死か、それとも青年に依る死か。どちらにしてもそんなものは認められない、俺は抗い続けるだろう。

 だが今はとりあえず安全な選択を――。

 青年と話していくらかの情報を得るべきだ。


「ここだ、広くはないがそれはそこに寝かせめておけ」

「ここに……住んでるんですか」

 辿り着いたのは草木で作った本当に簡素な小屋――サバイバルで作りそうな一時的な住み処のようなもの。移動中辺りには文明的な物は何一つなかったが……。

 彼はこの場所を見守るのが役目だと言った。遺跡やそこでの実験生物の事を知っているのなら少なくともエルフ達よりも高齢のはず、そんな長い時をこんな住居で暮らしてきたのか?

「そうだ。雨風さえ凌げればいい、まぁ天候が荒れる事などないがな。私の事はどうでもいい、お前達は何者だ? 箱庭はどうなっている?」

「えーっと、俺は如月航です。箱庭と呼ばれてるのとは別の世界の人間です」

 こちらも聞きたい事はあったが先に彼――ジョシュアの疑問を解消する事にした。

 造物主に関わりがある者にまともな名前がある事に少し驚いたが、名付けられたわけではなく自分で決めた名らしい。名乗るのは初めてだと自嘲気味に笑う彼は少しだけ嬉しそうだった。


 名乗るのが初めてだと聞いた時点で予測はしていたがここは原初のエルフの小世界じゃないらしい。ステラの口振りだと原初のエルフはある程度の集団のようだったし、何より彼が口にした夢幻島と言う名前、これはステラも言っていた。

 実際ここは神龍のなりそこない――神龍を生み出す過程で作られた存在の廃棄場だと言う。神龍は相当の拘りを持って生み出された存在であったからその完成の為に作られた命も他とは別の扱いを受けたのだという。

 処分を口にする造物主も居たらしいが一部が反対して別空間にこの島を作り、生きる場所を与えたようだ。


「見守るって事はジョシュアさんは神龍なんですか?」

「神龍というのがスペリオルの事であれば違う。私はスペリオル完成目前に作られた最終調整用の存在だ。彼らは注力して生み出した種をわざわざ箱庭の外に置いたりはしない。役目を与えられたのは実験体の中で唯一私だけが知性を持ち意思疎通が出来たからだ」

 本当にと決めたものを押し込める為の場所って事か……凍結よりはマシなんだろうけど――。

「そんな顔はしなくていい。普通は処分か凍結だ、であれば小さな自由だろうと与えられただけありがたい事だ。一応この島は破棄された者たちの為に調整され食料用の生物や植物も豊富で生きる環境は整っている、不自由はないのだ」

 そう言った彼の顔は寂しそうだった。

 そりゃそうだろう、数え切れないほどの時間をで生きてきたんだろうから……役目を、生きる場所を与えたとはいえ、知性のある者をたった一人で閉じ込める。それはあまりにも残酷な事じゃないのか? 俺ならきっと耐えられない。きっと気が狂うだろう。


「状況は理解した。ここを侵さないというのであれば、暫しの滞在を認めよう」

「ありがとうございます」

 なんだろう……ジョシュアさんにもし尻尾があったら今忙しく揺らめいてるに違いない。

 やっぱり人恋しかったんだろうか?

「空腹なのか?」

 ひとまず安心なんだと分かったら体が空腹を訴えてきた。そういえば今日はまともに食事してない。

 水晶の傘で買い食いしてたのはステラだけだし、そのあとはすぐに天明の所に行って休む間もなくこれだ。

「よし、飯作るか……シロが簡単な調理道具一式持ち歩いてた気がするし――」

 どうせみんな腹減ってるだろうし準備してしまおう……荷物は散乱したままだから回収に行かないとな。

「ジョシュアさん、ここは神龍の為の島なんですよね? なら他の獣は狩ってもよかったりします?」

「ズィーヴァ種以外は食料、もしくはそれを育む為の飼料として作られたものだ。不都合が出るような事がなければ少し狩るくらいは構わない」

 了承も得たし行くか――お?


「フィオ大丈夫か? 怪我はなかったけど体に異常はあるか?」

「……お腹空いた」

「了解、材料獲ってくるから少しの間みんなを見ててくれ。事情はそっちのジョシュアさんに聞いてくれ」

 フィオが頷いたのを確認して最初の場所まで走った。

 それにしても寂しんぼのフィオが一緒に行くって言わなかったな。リオ達を見てる役が必要だったとはいえ珍しい……違うか、成長しちゃったってことかな。


「荷物発見――シロの荷物は……これだよな」

 調理道具だけじゃなく調味料まで一式揃ってるし、しかも散らかってる荷物の中に米らしきものがある。王城出る前に渡されてたのはこれか?

 帰りがけに米渡すって……子供や孫の帰りがけの時のおばあちゃんかっ!? 王族がお土産に米って……俺たちゃ田舎に帰省したんじゃないっての。

「まぁいいか、米食えるし。あとは適当に獣を狩ってフィオに捌いてもらえば……お肉ごろごろ焼き飯とかにしようかな――い、猪鹿っぽいものが居るんだが……少し形が違うけど、こいつらって食われる為の動物だったんだな……美味しいけども」

 手頃な個体を仕留めてズルズルと持ち帰る途中水音を聞いた。少し懐かしいそんな音――リオと出会ってすぐの時を思い出す音だ。

 あの小屋に水の蓄えなんて無さそうだったし、子供達の水筒に少し汲んでいこう、米研ぎでも使うしな。


 そう思って音のする方へと向かうと――。

 そこには楽園が広がっていた――そう、ロリロリパラダイスがっ!

「な、なんじゃこりゃ……この島で知性があるのはあの人だけなはず――騙された?」

 いや待て、今はそんな事を言ってる場合じゃない。なんとか、俺が変質者じゃないと伝えなくては。

「お、落ち着けロリっ娘諸君、俺は別に覗きに来たんじゃない。飲み水と料理用の水が欲しかっただけなんだ!」

 おぉう……殺気を感じる。すぐに後ろを向いたが背中に叩き付けられているのは紛れもなく殺気――クーニャくらいの小さい娘たちなのに……ん? クーニャ? 神龍? ……あれ全部? ざっと十人以上居たが……いやでも知性があるのはジョシュアさんだけなんだよな……? てことは居るのはドラゴンだけなんじゃ――。

「まうーッ」

「まう?」

 まうって何?

「あの、俺不審者じゃない――」

 翼を生やしたロリが襲い掛かってきた!


 不完全で知性の無い神龍って聞いたからドラゴンの形態だけなんだと勝手に思い込んでたが違ったらしい。

 しかしまぁ……神龍って女の子だとみんなロリなのか!? 男のジョシュアさんは普通に大人だったのに――。

 襲い掛かってきたロリたちは回避行動を取った俺を無視して一心不乱に猪鹿を貪り始めた。

「うぇ……グロい…………なるほど、知性がない。というか野生過ぎる」

 肉に夢中になっている間に水を頂戴して退散する事にした。


 酷いものを見た……衝撃映像過ぎる。小さい娘たちが獣に群がり肉を喰い破って口の周りを血で染めて…………。

「忘れよう……そして捌いてもらうときは隠れていよう」

 小屋の近くまで戻った所でもう一度狩ってついでに卵も回収したが、ちゃんと調理出来る自信がなくなってきた。


「どうしたの?」

「いや、ちょっと衝撃映像が頭から離れなくて」

 まさかロリロリパラダイスから一転あんな……気持ち悪くなってきた。

 口を押さえて蹲る俺を心配するフィオに猪鹿を任せて少し休みながらさっきのロリたちについてジョシュアさんに尋ねてみた。

「彼女らの事はさっき言っただろう、スペリオルを生み出す過程の存在だ。だが知性が芽生えなかった。顕現が出来て姿がお前達と近しくなっても中身は普通の獣と大差ない」

「まうってのは威嚇のつもりだったのか」

「それだけではない、あの一言には怒り、拒絶、嫌悪なども含まれている。縄張り内の食料は全て自分たちの物だと認識しているようだからな、殺気はそのせいだ。獲物から敵へと認識を変えたのだろう」

 なるほど……これで俺はこの島でここ以外は安全じゃなくなったと。


「ワタル、終わった。あと釜戸出来た。フライパンも」

「おう、ありがとう。流石にフライパンとか鍋は無ったから――うぎゃぁぁぁあああああっ!? 生首持ってくるなーっ!?」

 一頻りみっともなく取り乱したあと調理を開始する。

 騒いでる間フィオは呆れ顔をしていたが今は笑顔……というかニヤけ顔。

 準備してくれたフライパンはズィーヴァ種の鱗を簡単に加工して持ち手を付けてあるがなかなかいいかもしれない。

「どうした?」

「ワタルだなぁって」

「なんだよそれ」

「ワタルは分からなくていい、早く作って」

 フィオの笑顔を見てると落ち着く。そう、可愛い娘はこういう表情であってほしい。

 しかしリオ達起きないな……俺がばか騒ぎしても起きなかったし、獣の移動に巻き込まれたせいだろうか? ジョシュアさんも分からないって言うし……移動に関してはティナが目覚めないことにはどうにもならないんだが…………。

 交信出来なくなっているからエルスィが何らかの策を講じてステラに連絡が行けば迎えに来てもらえる可能性はあるか?


「その黒い水は不思議な香りがするのだな」

「あぁこれは――」

うち如月家自家製の醤油」

 自信満々にフィオがジョシュアさん威張っている。まさかフィオ作なのか?

「え、マジ!?」

「うん、リオ達が明里に習った」

 お前じゃないんかい。しかしなるほど、うちの味だから持ち歩いてたんだろうか? アマにゃんカフェでも荷物を持って引っ込んでたしなぁ。

 炊けた米を肉を煮込んでいるフライパンにぶち込む。

「よしフィオ薪追加、焼き飯は火力が命だ。ぼそぼそのが食いたくなかったらどんどん燃やせ」

 水気が飛び湯気と一緒に漂う自家製醤油の香りに頬が緩む。

 だがしかし、緩むを通り越して崩壊してる方が若干名――。


 ジョシュアさんそんなに良いですか……? そういえばここには調理をした形跡とか無いが、まさか料理初体験?

「この得も言われぬ香り、これだけで食欲を刺激されてしまう」

 乾燥のスライスニンニクのようなものを少し入れたからたしかに食欲を刺激するだろうが――是非鏡を見ていただきたい。

「だがその香りに釣られたのは私だけではないようだ。このテリトリーに侵入してくる愚か者が居ようとはな」

 草陰に小さな影が一つ、ジョシュアさんに対して怯えていたのに料理の匂いに釣られた娘が居るようだ。

 よく見てみると痩せ細っていて腹を鳴らしている。ここには食料が豊富なのに何故?


「あれはこの島で最下位に居る。ここに居るものは全く同じ種というのは少ない、それでも彼女らは良好な関係を保っているがあれだけは違うらしい。種としては古く、最も早く見切りを付けられたため力も弱いのだ」

「ワタル? ……いつもの? あれは獣同然」

 別にそんなつもりはない。

 でも放っておけるか? 小さい娘が腹を空かせてこっちを見てるんだぞ? 手元に飯があったら与えるだろ。


「ほれ、腹減ってるんだろ?」

 フィオが集めていた鱗を皿代わりに焼き飯を差し出してみるが拒絶を示してくる。

 下に置けば勝手に食べるだろうか――。

「まう゛ぅーッ」

「おいこら、俺の腕なんか喰っても美味くないぞ。こっち食え」

 腕に齧り付いている鼻先に皿を近付ける。

 さっき滝で見たのは肉を喰い破ってたが、こいつは空腹で力が入ってないんだろう、結構痛いが血が滲む程度だ。

「ほら――」

「まう゛ッ」

 湯気に驚いて俺を突き飛ばすと距離を取って威嚇をして震えている。野良猫みたいだな……世界から弾かれ、与えられた場所ですら弾かれた。その結果がこれなんだろう。


 警戒していても離れてはいかない、たぶん興味はあるんだろうと少しスプーンに掬って差し出してみる。

 俺と焼き飯を交互に見て唸る――警戒と拒絶を必死に示しながら――食い付いた。

 その時の表情と言ったら……困ってるような、初めて幸せを噛み締めているような、何とも言えない変な顔だった。

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