吹雪く都に木霊する咆哮

 七年という歳月は大きなものだ。人だけでなく世界だって変わっていく――。

 この町もその変化の一つだろう。クオリア大陸の端にある港町、陣があるといってもクロイツ以外は大きな要所を繋ぐ程度。ここのように未開だった土地には無い、だから物資を運ぶのは船が主だという。

 通りで地図の海岸沿いに町が増えていると思った。

 この港町はディア大陸が近い事もあって渡航にもよく利用されるらしい。もちろん人間だけでなくエルフも獣人も使う、彼らも広く外の世界に出ていくようになっている。

 それだけ人間への警戒がなくなり共存を望む人が増えてそれが実現している。問題だってあるだろうがそうして大勢が分かり合えるようになっていくのは大きな変化だ。


「如月様、船は準備が整っています。いつでも――」

「父しゃま見てー」

 娘たちは何かしら見つけると必ず俺に見せたがる。構ってもらいたいのか純粋に新しい発見を共有したいのか、どちらにしてもその行為は愛らしく俺の心を和ませてくれる。

「悪いけどもう少し待ってくれ、観光地じゃなくても他所の土地ってだけで物珍しいみたいだ」

 みんなが楽しめる時間を大切にしたい。俺にとってもこういう時間が何よりも大切なものだと思うから。

「そのようで……」

 エルスィはやや困ったように笑って船の方へと向かっていった。どうせシズネ達の貸し切り船だ、他の客に迷惑を掛けるでもなし、のんびり行こう。


「それで、何を見つけたんだ?」

「クーニャママの置物!」

 ルーシャとフィアが掲げるのは顕現したクーニャの木彫りの像だ。なかなか精巧だが……これ肖像権とかどうなってるんだろう?

「こんな所でも置いているのか」

 クーニャが自身の木彫りの像を見て唸っている。やっぱり自分の姿が売り物になっているというのは気分が悪いのだろう――。

「おぉー、もうここにも並んでいるんだな。流石秀麿、仕事が早いぞ」

「うむ、よい仕事だ。また印税が増えるな」

「ちょっと待て、もしかしてクーニャは売り出し中なのか?」

「英雄が消えた後の分かりやすい神輿として大きなドラゴンは色々都合がよかったのよ。大量の魔物を殲滅する姿は印象的だったでしょうし、今じゃクーニャの置物やグッズは魔除けとして大人気よ」

 ティナが指差す先には店の軒先にドラゴンの意匠があったり像が設置してある。

「……ということはまさか、クーニャって収入あるの?」

「無論だ。主、養ってやるぞ?」

 負けた……俺は限界を超えたボクサーのように崩れ落ちた。まさか手に職付けてないようなクーニャにも収入があるだと!? 俺ってば旅行している場合なのか!? これだけの家族を養うだけの仕事を早々に見つけるべきじゃないのか!? ……一度今の自分に疑問を持つと際限なく落ちていく。嫁の金で旅行して養われて……ひもじゃん! これではいけない、娘たちに憧れてもらうに相応しくない。

 そ、早急に職を見つけなくては――。


「どうした、の?」

 双子が屈んで不思議そうにじぃっと見つめてくる。そうだ、フィオ達は家事手伝いの無職だろ――って何を安心してるんだ…………。

「シエルも収入あるのか?」

「? あるよ。アディアでアマゾネスとか新兵育成の教育係をリエルとしてる」

 吐血して地面に這いつくばった。経験を活かして普通にお仕事してた。ヤバい、本当に俺ってば情けない。

「ワタル、そんなに気にしなくても私たちが一生養ってあげますよ?」

 そっと肩に手を置くリオの優しさにいたたまれなくなり再び地に伏せた。


「というのは冗談で、ワタルはクロイツの騎士としての籍が残ってますよ? 遠慮したんですけど毎月手当てとしてお給金分が支給されてるんですよ」

「え!? マジ?」

「はい、王様が世界の為に尽くした英雄の残された家族にくらい何かしたいと仰って。だからワタルも収入はあるんですよ? 旅行が終わった後に王様とお仕事について相談するといいですよ」

 王様そんな話は少しもしてくれなかったのに……とりあえず就職活動しなくて済むのか。もういっそカマーズに入れてもらえないかと悩んでしまったぞ。


「父上ー! でっかい船だー!」

 見たことのないほど大きな客船に興奮気味の娘たちが船着き場を駆け回っている。

「乗るのはそっちじゃないぞ」

 こういう事だけでもはしゃいで、子供って無邪気だなぁ。あと何年くらいこのままでいてくれるだろう? その内パパ嫌いとか言うんだろうか……来るかもしれない未来を思い若干憂鬱になりつつ船を見上げているフィアとエリスを肩に乗せてシズネの船へと向かった。


 船に揺られて前回より短い船旅を終えると白い世界が一面に広がり肌を刺すような冷たさに震えが走る。

 クオリア大陸では海水浴が出来るほどだったんだがアディアの北は相当に冷える。

 それでもこんな寒さの中でも子供たちにとっては楽しい事のようで雪にはしゃいでいる。

「寒い……」

「生足出してるからだろ……」

 寒さに震えて身体を擦り寄せてくるフィオは何かこだわりがあるのか相変わらず片方だけのニーソだ。

「ともかくアディアの王都に向かいましょうか。ロフィアさんとの約束もありますし」

「約束?」

「はい、なんでも旅の途中で王都に立ち寄る事がお休みを貰う条件の一つでしたので」

 妙な条件だな……何事もなければいいが。


 王都に着く頃には雪が本降りになり辺り全てを純白の世界へと変えていた。降り続ける雪のせいで馬車は使えなくなり南下には陣を使う事になりそうだ。

 ここに来るのは七年ぶりだ……あれほど荒らされ蹂躙された廃墟は見る影もない。見事に新しい都として再生している。広がる白い都を見ているとこれがクロの七年間なんだと感嘆してしまう。


「しかしまぁ……これ子供が入っていい店なのか……?」

 王都での宿はアマにゃんカフェ併設の大きな所になったのだが……服装がヤバい! 外はあんなに寒いのに屋内のアマゾネス達ときたら際どい水着のような物にねこみみとねこしっぽだ。胸とお尻の部分がねこマークに開いているのがまた…………。

 なんかもう完全にそういう店っぽいんですが……でも普通の家族連れも食事してるんだよな(お父さん達の顔が若干ヤバいけど)俺が気にしすぎなのか?

「おぉ! クロエ様だ。クロエ様がいらしてるぞ! クロエ様今日はこちらなのですか?」

 一人の男性客がクロを見つけると興奮気味に歩み寄ってきた。

「今日は……? クロ、一体?」

「本当だ、クロエ様! やった! 今日は運がいいぞ」

 ま、まさかクロもここで働く事があるのか!? あの格好で!? 俺のクロが!? その姿を男達に晒すのか!? 頭はパニックで顔面蒼白である。


「ワタル様、何か壮大な勘違いをされていらっしゃるようですが、クロエ様と私はたまにここでラーメンを作る事があるだけですよ?」

 しれっとメイド服に着替えたシロが厨房へと入っていった。そういう事かと胸を撫で下ろしたが、一国の代表がそれはそれでどうなんだという疑問、家の店に出ている事は置いておいて。

「ラーメン?」

「はい! あの思い出の味を多くの方に知っていただきたくて、ここは寒い土地ですから温かい物はやはり人気が出てしまいますね」

 ラーメンを注文する客を見て破顔したクロはエプロンを付けて厨房に向かってしまった。人気があるのは確実にクロが作ってる事が原因だと思うがな。

 ご馳走したい物があるからと言われるままに訪れてみれば……ラーメン好きが高じて一国の代表がアマにゃんカフェでラーメン出してるのか……リオが言うにはカマーズとの共同開発でインスタントラーメンも販売していて馬鹿に出来ない額が入るという。

 もう俺嫁に収入で勝てる気がしない。


「そういえばクロは普段どこに住んでるんだ? 単身赴任なのか?」

「何を言ってるの、家族なんだから家に住んでるに決まっているでしょう」

 何を馬鹿な事を言っているんだとティナ達が揃って大きなため息を吐いた。そこまで呆れる程ですか……国の代表をしてるんだからアディアの王都に住んでると思うのが普通だろう。

「陣があるのだから、毎日家から出勤なのじゃ」

 女王が他国からの出勤でいいのか? 共同でありロフィアが常駐しているからこそ実現している方法なのかもしれない。

 そう考えると俺からも礼を言いたい。家族と離れる事なくクロもクロナも寂しい思いをしないで済んでいたのだから。

「ロフィアに会いたいな――」


「ほほぅ? よく言った。復活の報せを聞いてから妾も会いたかったぞ」

 耳元で囁く女の声に飛び上がる。完全に気を抜いていたから気配を絶って傍に来られると気付かなかった。七年あってもロフィアは平和ボケしていないようだ。

「っていうかなんだその格好!?」

「見て分からぬか、アマにゃんだ。貴様の発案だろう?」

 いやねこみみとねこしっぽは俺だけど……そのむちむちのねこ水着は俺関係ないじゃん! 俺はもっとこう……メイド服っぽいのを思ってたよ……悪いとは言わないけどなっ!


「何故服を着ない…………」

「妾たちにはクロエ達のようにひらひらを着る習慣は無い」

 七年あったんだから習慣変えようよ……女王があの服装でいいのか…………。

「秀麿さんも最初はメイドカフェというもののようなお店を思っていたそうですよ。でもアマゾネスの皆さんから服にクレームがあって意見を擦り合わせた結果がこの衣装だそうです」

 リオの説明に頭が痛くなる。服じゃなくね? これほぼ下着……あぁ元々そんな感じの格好でしたねと諦めるしかないのか?

「だとしても服を着ろよ。外吹雪いてんだぞ!」

「ふん! 外に出る時の防寒は万全である!」

 もっこもこのマントとブーツを履いて自慢げなこの女王……獣感が増したな、しっぽとみみあるし。

 話を聞いてみると王都は二つあり普段は寒くない第二王都に居るからあの格好でも問題は無いのだという。

 女王が俗っぽい格好をしてるだけで十分に問題だと思うんだが……アマにゃんカフェでは女王の来訪は人気のようだ。何しろ女王がアマにゃんの格好で迎えてくれるのだ。そりゃある程度の人気も出よう。

 だが女王、注文を取ったりしない。全くしない、接客もしない。寧ろ客を使用人のようにこき使っている、だというのに客たちは幸せそうだ。ドMというものだろうか?


「俺には分からない世界だ…………」

「何を言っている、民草が王にかしづくのは当然だ。今日は祝いだ、酒を持ってこい」

「はい! ロフィア様、こちらの上物を献上したく――」

「芋焼酎か……後で踏んでやろう」

「ありがとうございますっ!」

 ありがとうございますなの!? あんたそれでいいのか!? チラッと見えた値札にゼロが大分並んでましたよ!?

「ロフィア様、こちらは七年前の復興開始時期に作られた復興記念ワインです。どうぞ今日の記念に!」

「ほほぅ? お前は踏まれる場所を選ばせてやろう」

「有り難き幸せですっ!」

 幸せなの!? 駄目だ……こんな場所に居て娘たちに変な影響が出たら……一瞬みんながアマにゃんな格好をしてにゃーにゃー言ってるのを想像して悶えてしまった。うちの家族は至高の可愛さ! これ絶対! ……今度嫁たちに着てくれないか頼んでみよう。


「さ~ぁ、ラーメンが出来ましたよ。ワタル様、今回は会心の――」

 激しい空気の振動が賑やかな店内を突き抜け静寂へと変えた。

「悪いなクロ、ラーメン少し伸びるかもしれない」

 響き渡ったのは獣の鳴き声、それも巨体を示すかのような、王都を飲み込む程の咆哮だった。これが報告にあった生物だというなら遺跡に関わった俺は対処しないといけない責任がある。


「またか、鬱陶しい奴め。貴様さっさと撃ち落としてこい」

「言われなくてもそのつもりだ」

 遺跡崩壊以来何度となく王都周辺に現れては咆哮するため住人の不安が高まっているらしく、少しでも安心させる為にとロフィアが出張って来ているのだという。

 ならどうにかしておけよとも思うが咆哮の響く時は何故かいつも吹雪いていて咆哮の主の姿が確認出来ないのだそうだ。

 天候を操作出きるような生物なのか? だとしたらクーニャクラスの生物の可能性だってある。咆哮はしても襲って来ない理由はなんだ?

「私も行く」

「なら私たちも――」

「大勢行くと気配を気取られるかもしれない。来るのはクーニャだけ」

 アル・マヒクを持ち出そうとする姉に妹達がブーイングだ。それに合わせて娘たちも見学したいと言ってブーイングだ。大人しくしているのはミュウとアウラだけ、リオ達が我が子を宥めるのに忙しくしている隙にフィオとクーニャと共に外へ出た。


 雪が酷くなっている。視界が――。

「何をやっている?」

『寒い……』

「可愛いけど今はやめてくれ――空に居るのか?」

 俺のコートに潜り込み顔を出していた二人を追い出して空を見上げる。幾つもの雪の粒が視界を埋め尽くしていて生物の姿など欠片も見つからない。

 響く咆哮もどこから響いているのかいまいち分からない。王都全体に響いているのは確かだが……。

「フィオは分かるか?」

「……声は聞こえるけど実体を感じない――」

「そうなのです。この王都付近に現れる怪物はその姿を一度も確認出来ていない声だけの怪物のようです」

「……その格好は?」

「アマにゃんカフェに隣接する男の娘カフェの制服一式とコートですが?」

 言われて隣の店舗を見ると繁盛を示すようにアマにゃんカフェに劣らず大きな建物がある……日本人のせいでヴァーンシア人が変な方向に向かっている!?

 いや、今はヴァーンシアの男性の行く末は放っておこう。今は目の前の問題だ。


「姿が見えない理由は調査したのか?」

「感知能力等を使ったそうですが成果はなかったようです」

 感知出来ない程の遠方に居るか、それとも――。

「エルスィはティナを呼んできてくれ」

 日本でのゴブリンの時のようなパターンかもしれない。異空間に居ながらにして声を届かせている疑問は残るが、造物主絡みなら何があっても不思議じゃない。


「成る程ね、それならレヴィにも出来ない仕事ね、私の出番だわっ」

 移動に関してはレヴィの方が上位互換なのを気にしていたのか協力を求められたティナは俄然やる気だ。

「空間の狭間の気配を探せばいいのよね? …………クーニャちょっと飛んでくれるかしら?」

「まぁよいが、この吹雪だしっかり掴まっておくのだぞ」

 クーニャが吹雪の中を舞い上がるがこれはキツい……顕現している彼女は平気だろうが俺たちは一気に凍えそうな程の冷気が叩き付けられる。防寒をしていても耐えられないのかフィオは再び俺のコートに潜り込んできた。それを見たティナは随分と不満そうだ。

「小さいとそういう時ズルいわね……やっぱり私縮めてもらおうかしら」

「バカな事言ってないで探してくれ」

「あら、私は本気よ? そうやってワタルに包み込まれてるフィオを見てていつも羨ましかったんだから」

「分かったから――」

「静かにっ」

 表情は一転して真剣なものへと変わり白い世界に視線を巡らせている。そしてそれは次第に歪んでいく――。

「クーニャ、もう少し左前方……ええ、ここよ。ここに居る……たぶんとてつもなく巨大なものが――クーニャすら超えているかもしれない――」

「いつでもいい」

 俺の懐でアル・マヒクを構えて弾丸をセットしたフィオがティナに合図する。

 そしてティナはクーニャの首を駆け上がり――跳んだ。振るわれた剣が空間を裂き狭間を開く、その先には――。


『がぁっ!』

『…………』

 雀くらいのワイバーンっぽいものが怯えた様子で慌てて北の空へと飛び去った。

「ティ~ナ~?」

 あんだけ張りつめていたものがぷつりと切れてしまった。

「だってだって本当に凄い気配を感じたのよ! クーニャ以上の存在を前にしたような感覚だったわ!」

「あの雀が?」

 あまりの小ささに拍子抜けしてしまい俺もフィオも呆然と立ち尽くして見逃してしまった。

 雀ワイバーンが去ると咆哮は聞こえなくなっていた。あれが原因だとしても害は無いだろう、威嚇も攻撃も無しに怯えて飛び去るような生物だし……遺跡での事があるから大きな怪物を思っていたがこういうパターンもあるのか。

「もぅいいでしょ! 早く戻ってクロのラーメン食べましょ」

 釈然としないが被害が無くて良かったと無理矢理納得するのだった。

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