リエル・ウェフダー
夢見る道具
私は道具だ。
気が付いた時には既にそうだった。混ざり者は
異世界の存在である異界者ですら奴隷人種という人間であるのに、混ざり者はそれ以下の使い捨てる為の存在だ。
種馬を使っていくらでも増やす、壊れても代用の利く、代わりは常に用意されている。私たちはそんな存在。
そんな混ざり者の中で異質だったのがフィオ・ソリチュード、そしてフィオには及ばないまでも代用とされていたのがアリス・モナクスィア……彼女たちは掃いて捨てるほどある混ざり者とは違いその頂点に立つ存在だ。
だから扱いも他とは少し違う――少なくとも私が目にしたアリスには僅かの自由が与えられているようだった。適当に支給され代えなど滅多に与えられない服、だが彼女のそれは裕福な人間が着るようなものを身に付けていた。
同じ血筋だというのに何故こんなにも私たちとは違うの?
彼女たちは私たちに見向きもしない。同じ血筋の存在があるなど知りもしない――でもそれだけじゃない。
彼女たちは他者から隔絶している。何者も見ていない……
ならその全てを譲って欲しい。
どうしてこんなにも違うの? 血反吐を吐くような訓練、練習と称した殺人、いくら繰り返しても
足りない、まだ足りない、お前たちは
特に私は酷い。
何故
そう言って男はその日の分の躾を行い気晴らしにもならないと去っていく。
必死にやっている。録な食事も与えられないまま、必死に――殺して、殺して、殺してッ! 泥水を啜り、ゴミを齧り、
そこに疑問の余地はない。生きるためなら何だってする、それが当然――そのはず……それでも私の記憶に留まり続ける殺した相手の不細工な顔が堪らなく不快だ。
それでもあんな、捻れば壊れてしまうような人間に服従し続ける。
怖いのはブスジマという覚醒者、混ざり者なら一度は目にするその圧倒的な力に恐怖し抗う意思を挫かれる。
私たちだってあんな死に方はしたくない。となれば彼らの逆鱗に触れぬよう、望まれた通りに動くしかない。
シエルはどうなのだろう? 私と同じ容姿を持つ双子の妹――無駄な会話は許されない。一度話してみたくて声を掛けた時には罰と称して手足の骨を折られて食事も抜かれた。
それでも得るものもあった。表情一つ変えない――フィオ以上に何も見ていないあの娘が私の言葉に反応して私を見た。
驚きに目を見開き他人は気付かないほどの微笑を見せた。可愛らしい私の妹……私は彼女と共に在りたい、そう思った。
あぁそうか……私は彼女と共に在りたくて死にたくないのだ。
でもそんな細やかな願いを人間は許さない。道具に願いは必要ない、感情は必要ない。消えるまで躾けてやろう。
引き離された私たちをたまに会わせてはどちらかがボロボロになるまで殺し合いをさせられる。
私は何度か彼女の骨を折った。嫌な感触だった、シエルが表情一つ変えなかったのが怖かった。
私は何度も骨を折られた。人間の罵倒が煩かった。
妹と私の処分をチラつかせて怯える私を見て嗤う人間が堪らなく嫌いだ。いつか殺してやる、殺してやる、殺してやる――。
こんな生活がいつまで続くのかと憂いた矢先にフィオが消えた。ドラゴン捕獲任務の失敗らしい。
大丈夫だろうと高を括っていた連中の慌てぶりったらなかった。
最強の座がアリスへと動き、私たちの存在はその代用品へと意味を変えた。過酷な訓練は変わらないけれど扱いが僅かに変わっていく。
それを感じ、成長を実感し始めた矢先に侵略戦争へと出向いていたアリスの戦死の報せが届いた。
自分たちの試行錯誤の結果の最高のカード二枚の消失に対する焦りは私たちへの期待に掏り替わった。
でも私たちは姉たちじゃない。同じ血筋でも彼女たちと同じようには出来ない。強く育つように宿命づけられていてもやはり同じではない、それぞれ母体からして違っているのだから優劣は出るかと嘆いていた男はやはり駄目かと嘲った。
フィオとアリスが居なくなっても私たちの扱いは結局大して変わらない。本当の最強になるまで変わらないんだ。
そう思っていたというのに何の気まぐれか、私たちは揃ってブスジマの護衛に付かされる事が増えていった。
そんなある日、愚行を繰り返す辺境の貴族の粛清を兼ねた視察に同行した時にその男を見つけた。
アドラは大きな国だ。目の行き届かない土地もある。国は異界者を有用な資源と見ているが民にとっては恐ろしいもの、昔暴走して能力を暴発させ町一つ潰した噂が広まってそれを払拭出来ずにこの状態だ。
「放せッ! 放せっつってんだろうがッ! てめぇらなんか俺が本気出せば――」
「っ! 殺せ! こいつが何かする前に殺すんだ。おいガウツ、お前異界者の奴隷を扱った事があるって言ってたじゃないか。早く息の根を止めてくれ! もし町が壊滅したらどうするんだ!」
変な……パンを頭にくっ付けたような髪の男が奴隷商らしき小太りの男と駐在の兵士に拘束されている。
このまま行けばあの男の運命は死しかないだろう――ほら来た。恐怖に掻き立てられた住人が農具を持って集まり始めた。
「う、ぐぅおぉぉぉっ――放せッ。俺の人生まだなにも――」
「武器を納めろ」
「あん? 何だあんたら、邪魔だから下がってな。今から異界者の解体だ。殺してもまだ使い道があるからな、黒い目玉と髪は珍しいから売れる」
「それに暴走覚醒者の討伐となれば恩賞もたんまりだ。みんな逃がすなよ、飯奢るからなー」
解体や討伐という言葉で……パンの男の顔色が曇る。この程度で怯えるなんて、異世界はさぞ楽で生温い世界なのだろう。
「シエル、資料を寄越せ……
シエルにかき集めさせた情報をブスジマが読み上げるとパン男を囲んでいた連中が黙り込み互いに視線を絡ませ始める。
「何だよあんた……それが何だってんだよ。どこの町でもやってる事だろ? それにこいつらは奴隷人種だ。奴隷にして何が悪いッ」
己の罪状を読み上げられた者達が殺気を帯びていたのは気付いていた。だから武器を握り直した瞬間に腕を切り落とした。
でもそれだけじゃ終わらなかった。パン男に武器を振り上げた駐在の兵士が弾け飛んだ。
「判断は悪くない。が、少し遅いし足りていない。それから今後敵が居る場合俺の視界に入るな、見分けるのが面倒だ。背後を警戒していろ」
血にまみれた私は淡々と返事をする。弾けた兵士の血と肉を浴びた民衆は目の前の現実が理解できずに唖然とブスジマを見ている。
そしてようやく理解して一人が尻餅をついた。それに合わせて虫を散らすようにして逃げていく。
「おい貴様」
「ヒッ!?」
「それは軍が回収する。代わりの駐在は後日手配する、今後報告義務を怠ればどうなるか理解したな?」
逃げ遅れた男は滑稽なほどに首を振って理解を伝える。パン男は未だに現状が理解できずに浴びた血を手で拭い見つめている。
「あ、あなた様のお名前は……?」
「毒島だ」
「ブスジマ!? あのブスジマ!? も、申し訳ありません。あ、あああ、あの、命だけは――」
男は頭を地面に擦り付けて血を滲ませながら懇願する。ブスジマの力はアドラでは知らぬ者など居ないほどに有名だ。例えその姿を知らなくても、その恐ろしさだけは知れ渡っている。
「今後のこの町次第だ」
「せっ、誠心誠意お国の為に尽くしますっ!」
「リエル、それを連れてこい」
それだけ言うとシエルと一緒に先に馬車まで行ってしまった。
パン男を連れ帰って数日後、男は覚醒者となった。素質があったのか随分と早い覚醒でその能力も殺傷に特化するようなもので上の人間は持て囃し利用しようとしていたけど男はブスジマに傅いた。
それから程なくして私たちはパン男に預けられる事になった。
ブスジマに重用されて好き勝手している男に付かされる事には不安しかない。ブスジマは恐ろしいけれど私たちに対する扱いは一番まともなものだったからだ。
「チッ……あの時のガキかよ。兄貴も部下を付けてくれるなら美人かもっと使えそうなのにしてくれりゃぁいいのに――にしても混ざり者ってのは汚いな、何だよその服あの時の血の染み残ってんじゃねぇかよ。変えろ、俺の傍に付くならきちんとしやがれ」
「代えなんてない」
「あ? 服もねぇのかよ。チッ…………金はもう娼婦に使っちまったぞ。そういうのは早く言えよ……ったくよぉ、ほら、これで布と糸買ってこい」
パン男は僅かな銀貨を投げて寄越すと娼婦と共に寝室へと入っていった。
残された私とシエルは銀貨を見つめ立ち尽くす。混ざり者は道具だ、買い物のやり方など教わらない。そもそも自由な買い物など許されないし店側も売らない。
「駄目駄目、困るよ! 混ざり者が入ったなんて噂が流れたら客足が減っちまう、さっさと出てってくれ!」
声を荒げて怯えながらも店主は私たちを追い出す。これでもう三軒目だ。
「駄目だった」
「そうね」
駄目だった。命令をこなせない。それでも私はシエルと二人だけで歩ける時間が嬉しかった。
「ここが最後」
これでこのおつかいも終わってしまう……それとも買えるまでは戻ってはいけないのだろうか? それなら別の町に行かなければならない。戻るのが遅ければパン男は怒り狂うだろう、あの男の能力への不安が表情を曇らせた。
「お前らその服は混ざり者だな? 出てってくれ、お前らみたいなのは客として扱わねぇ」
はぁ……どうしよう? 一旦戻って報告を――。
「ブスジマ、様のおつかいでも?」
「ブスジマ様!? ブスジマ様がうちの生地をご所望なのか? わ、分かった。好きに選んでくれ……だが次からは混ざり者を遣わせるのは遠慮してもらってくれ」
シエルの機転で店主は買い物を承諾した。そんな事を考えていたのなら一軒目で言うことも出来たのに、なんでシエルは――。
「リエル、これ、スベスベ」
私しか気付かない微笑、これを見られただけで疑問なんてどうでもよくなってしまった。
「そうね、こっちの白いのも綺麗よ」
私たちは束の間の初めての買い物を楽しんだ。
「おせぇぞッ! 生地買うだけで一体何時間掛けてんだ。ったく、さっさと脱げ」
「っ!?」
混ざり者は道具だ。そういう用途で使われる者も居るのは知っていたけれど――躊躇する私を置いてきぼりにシエルは感情もなく脱ぎ捨てていく。
男の手がくまなくシエルの身体を這い回る。その不快さに拳を握ったところで衝撃が頬を打った。
「さっさとしろよ。めんどくせぇんだよ……小せぇな。まぁガキならこんなもんか……いつまで突っ立ってんだ。俺はガキのストリップに興味ねぇぞ」
身体を撫で回すと男は私たちにシーツを投げてきた。
「もう今日はいい。寝てろ。明日には出来る」
意味が分からず私たちは寝室と押し込められた。襤褸でも身に纏っていないというのは落ち着かない。
そんな私の気持ちなど知らずシエルは寝息をたて始めた。
こういう動じないところはフィオに似ていると言われている。
「だから私より強いのかな……おやすみ」
一緒に寝るなんて生まれて初めてだ。不思議な気持ちに満たされながら眠りに落ちた。
「そらよ。久々だったが会心の出来だぜ」
叩き起こされて投げ渡されたのはひらひらした《服》……服、襤褸ではない私たちの服? 何故? 私の頭は疑問で埋め尽くされた。混ざり者に施しをするの?
「てめぇはいつまで素っ裸で居るつもりだ。それともあっちの襤褸の方が良いってのか?」
シエルは既に着替え終わって不思議そうに具合を確かめている。
「ひらひらじゃない」
「あ? 上はひらひらだろうが、お前ら動くんだろ? ガキのパンチラなんて興味ねぇんだよ。着替えたらそこの食い物の後片付けしておけ」
パン男は出ていってしまった。良い匂いをさせている料理に殆ど手を付けないままに……私たちはそれを綺麗に片付けた。
帝都周辺ではまだ安定しているが方々で奇病の患者と共に焼き払った国土焼失の影響が出ている。その打開の為に、支援との交換条件として五か国同盟が行っている魔物との戦争に参戦することが決まった。
見たこともない生き物と戦う見たこともない馬車に乗った異世界の戦士、スヴァログクラスの巨龍、あり得ない光景が目的の戦地に広がっていた。
だがそれよりもあり得ないものを見た。
「前は……怖くはなかった。でも、今は怖い。ワタル達と生きていけなくなることが怖い。死にたくない、死んでほしくない。だからあれには手を出さないで」
フィオが、アリスが、生きて男に縋っている。なんて目をしているの……あれが最強? あの男も、あんなもの
胸中に渦巻くこれは怒りか嫌悪か。
「おいッ、さっきから聞いてりゃあれだのあいつだの道具の分際で何様だオラァ! 兄貴に対して失礼千万だろうが!」
「おい、フィオに触るな」
長い黒髪の男は敵意を剥き出しにしてシルベの手を掴んだ。
「うっせぇ雑魚はすっこんでろ!」
それが合図だった。馬の背を蹴りシルベと男の間に割って入る。許せない、許せない、許せないッ!
「もう一度だけ言う、フィオを放せ」
「ハン、なんだその剣は? これはアドラの道具だ。盗人は黙ってろ、これは教育だ。なぁ? ――ムカつく目ぇしてるじゃねぇか、なめてんのかガキ」
「コートから手を放して、これは大切な人にもらった絆なの」
フィオが怒っている。何にも興味を示さなかった最強の道具が。身震いするほどの静かな怒り、ブスジマやシルベとは別の危険。
「絆ァ? そんなものねぇよ。忘れたのか? お前は道具だ。命令通りに人を殺して殺して殺して、使い物にならなくなったら別の道具に処分される。そんな存在に人間の絆なんてあるはず無い、そうだよなァ?」
……そうだ。私たちは道具だ。絆なんて……シエルの表情を窺ってみるけど変化はない。
「さっきから黙って見ておれば……誰も彼も勝手なことばかりぬかしおって……小僧、その手を放せ。儂の家族を侮辱するとは愚かな低脳め、万死に値する! フィオもアリスもこのような輩に従っておるではないわ!」
頭に妙な物を付けた子供が激情を露わにして殺気を放つ。何? これは……混ざり者じゃない。でも異界者でもない、金の瞳の子供。この異様な殺気に気付かずに振舞うアホが一人。
「あ゛あ゛? ガキが難しい言葉使って調子乗ってんじゃねぇぞ! てめぇの家族ごっこなんか知るかよ。家族ってんならここに本物が揃ってるじゃねぇか。全員もれなくアドラの所有物だけどな。不思議そうだな……ああそうか、てめぇらは妹が居るなんて知りもしなかったんだっけか。お前ら四人共同じ種で出来てんだよ、当然腹違いだけどな。面白いよな、せっかく覚醒者になったのに目覚めた能力は優秀な子孫を残す、だった。そんなの気付く訳ねぇっての! 虚弱で使い物にならねぇから双子の母親が孕んだ後に処分したらそいつのガキ共が頭角表し始めてやんの」
「同じ種……? 妹? アリスが?」
「フィオが、フィオがお姉ちゃん? そしてこっちが――」
シルベが話した事実に困惑している二人を私は睨み付ける。二人で逃げ出して良い思いをしていた姉たち、私たちは逃れられない。
それなら――。
「超兵最強フィオ・ソリチュード」
「それを継いだアリス・モナクスィア、あなた達を倒して私たちが最強を手にする」
シエルに目配せして混乱したままの二人に武器を振り下ろす。でも流石最強、前に目にした時よりも格段の速さで躱し武器を構えた。武器を交えるのは初めてだけどすぐに分かる強さ、これは――。
「やめよと言うておるというに貴様ら――」
次の一手を打つ刹那に戦場が弾けた。相変わらず恐ろしい能力だ。戦場全ての化け物が肉塊に姿を変えた。その光景に驚愕した男の動きが止まっている。
そこへ狙い澄まして方天戟を振るった。届かないなら届くようにすればいい。二人が縋る先を消してやる。
それに反応したアリスが男の手を引いて刃から逃がした。アリスもフィオと同程度の反応を……届かない、届かない、まだ届かない。
「小娘ッ!」
「クーニャ駄目、顕現しないで!」
子供が牙を剥き出しにして突っ込もうとしているのをフィオが抑えつけた。
外野が増えても私たちは止まらない。シエルとの連携で最強を追い詰め――ふざけているの? 二人は一度も武器を振るわない。流して躱して、私たちは戦うにも値しないというの?
「双子は武器を下ろせ」
間抜けな覚醒者が私たちの足を引っ張って……シルベはあの男に抑えられ首の側には剣が突き立てられている。見殺しにするわけにもいかず男に突貫しようとしたけど覚醒者にも関わらず私たちの動きに反応した事で止まらざるを得なかった。
「何をしているお前達……無様だな導」
冷めた声のブスジマが現れた事で争いは終了を迎えた。男は抵抗していたけれどフィオ達は自らアドラに戻ってきた。
二人は死んだ瞳でブスジマの言葉に従い、質問に答える。それもこれも全てあの男の為、それが堪らなく腹立たしい。
夜、シルベからあの男の暗殺命令を受けた。あの男の立場は結構なもので直接自分が手を下すのが憚られるからだろう。
でも丁度いいフィオ達から希望を奪ってやる。縋るものがあるなんて許せない、戻るなら私たちと同じかそれ以下になるべきだ。
けれどこの暗殺は失敗した。予想以上に男は強く、連れていた子供は異形だった。でも結果としてはこれで良かったのかもしれない。冷静になってみれば、成功していたならシエル共々ブスジマに殺されていたかもしれない。
失敗して戻るとシルベは烈火の如く怒ったけど、これを知ったブスジマの冷え切った殺気を浴びる事になった。
私は私の感情にシエルまで巻き込んでしまっていた。ブスジマの殺気が治まった後私はシエルが生きている事に心から安堵した。
男が、国を動かせる立場のエルフ達を連れてフィオ達を取り戻しに来た。その行為が私を酷く苛立たせる、何故
男の元に戻った二人は幼子のように泣きじゃくる。これが最強? こんなものに私たちは劣っているの? こんな……こんなの不公平だ。
同じようにして作られて、同じ環境で育って、それなのになんで彼女たちは自由を得られるの? どうして私たちは違うの?
シエルも今の彼女たちに呆れているのか目を見開いている。
「毒島、そこの双子も身請けする事は出来ないか?」
え……? この男は何を言い出すの…………? 身請け? 考慮する? あのブスジマが声を上げて笑っている。本当に引き渡すの? 自由になれる――違う。この男はハーレムだと言った。欲望の捌け口にされるだけだ、場合によっては今より悪くなる。
シエルをそんな所に連れて行くわけにはいかない、ブスジマに話してどうにか……どうにか? どうなるっていうの? アドラに居たって自由になれるわけじゃない。でもあの男の所に行っても――。
「リエル」
「なに?」
この娘が自分から話しかけてくるなんて珍しい。やっぱりショックを受けて――。
「いい子にしてたら迎えに来てくれるって」
なんで笑うの……? シエルはあの男と行くの? だったら私はどうすればいいんだろう。
「……シエルはあの男の所に行きたいの?」
「…………分からない。でもフィオ達、幸せそうだった」
「それはっ――気のせいよ。あいつも覚醒者だから力で従わせてるの、良い所なんかじゃない」
「ここより悪い所なんてあるの? ……リエルにもあげる」
色取り取りの粒を私に握らせるとシエルは眠ってしまった。
甘い匂い、これは何? ぷよぷよして不思議な感触、どうしてシエルはこんな物を? 奥ではシルベが荒れている。ブスジマは取り合っていないようだけど……この戦いを終えた時私たちはどうなるんだろう?
フィオ達への妬みとは違う思いに乱された心を抱えたまま私は魔物の根城へと足を踏み入れた。
私は自分が何故この場所に居るのか理解できない。ここに至るまでの記憶がない、周囲に居るのはシエル、ブスジマとシルベ、そしてフィオとアリス、残りはエルフらしき女二人と異界者の男が二人、全員が困惑顔をしている……少し違う、異界者の一人は酷く動揺している。
ブスジマから男を捕えろと命令が下る。どうなっているの? なんでフィオとアリスが居るの? ブスジマは疑問に思わないの? でもそんな疑問を口にする事も許されず私たちは返事をした。
髪の長い男が何かを叫んでいる。関係ない、ブスジマが見ている前で失敗は許されない。失敗すれば即、死が待っている。況してや
どちらの男も尋常じゃなく強い。私とシエル、フィオとアリスが連携しているのに崩し切れない。異界者にすら身体能力で負けてしまったら本当に
髪の長い男がフィオ達を家族だとほざいた。どういう、こと? なんでフィオ達にはそんなものがあるの?
焦りと酷い動揺をする自分を感じながら背の高い男をシエルと挟撃するも私たちを上回る動きで捌かれてしまう。
ブスジマから髪の長い男を殺せと指示が飛ぶ。駄目だと思われた、敵わないと判断された。
あとがない、殺さないと……フィオ達よりも先に――私がっ――シエルよりも迅く私が殺さないと死が待っている。
エルフが邪魔だ。エルフを撥ね上げて男と間合いを詰める、私が殺す。役に立つと証明する。私が一番になる。そうしなければ生きられない――。
「リエルやめろ、こんな事したって幸せになんかなれやしない」
「ッ! そんな事言われなくたって知ってる! 混ざり者は使い捨ての道具、幸せは人間だけのもの。だから私は命令通りにあんたを殺す! 殺して殺して殺し抜いてボロ屑のように死ぬのよ」
男の言葉が、表情が、行動が、何もかもが私を振り乱し苛立たせる。
「そんな事はさせない。お前たち混血者だって人間だ。幸せになる権利くらいある、それを否定するやつがいたとしても俺が捩じ伏せる、俺が幸せにしてやる! だからやめるんだ。この戦いを終わらせたらお前たち双子も身請けする。そしたらフィオ達とも本当の家族として暮らして――」
やめてやめてやめてッ! これ以上私を乱さないで! こんなの嘘だって分かる。私の動きを止める為の嘘だ。それなのに精彩を欠く自分が許せない。
「あり得ない妄想を語るな異界者ッ! あんたになんか私の――道具の苦しみは分からない。身請け? 本当の家族? そんなもの無い。あるのは殺しの命令と使えなくなったら訪れる死だけよ」
そうだ、そうなんだ。ちゃんと分かってる、でもこいつを殺してフィオ達より使えるって証明できれば――少しは何かが――。
「そんな事は絶対にさせない」
なんで、そんな事言うの……どうして私は見知らぬ男の言葉にこんなに乱される。
「今信じられなくても必ず俺が信じさせてやる。お前たちの幸せってやつを」
「黙れぇえええええッ! くだらない言葉を吐くな、何も知らないくせに、人間のくせに! 全部持ってる奴が上から偉そうにほざくなッ! そんな言葉で私を惑わせて笑ってるんだ! そうやって苦しめて楽しんでるんだ。使えない使えない使えない、お前は姉よりも妹よりも使えない。お前が一番
そうだ、もう戻りたくない。こいつさえ殺せば変えられるはずなの。真っ直ぐに私を見る男の顔目掛けて戟を振り下ろす。これで終わる――ッ!? 突然現れたエルフに絶妙な角度から打ち込まれて撥ね上げられる。
あぁ……やっぱり私は駄目なんだ。私が一番使えない。
「リエル、ちゃんと迎えに行くからな。少しだけ、待ってろよ」
私を見る男は悲しそうで酷く……そう、たぶんあれが優しいってものだと思う。こんなのは初めて、こんな死に方なら怖くないし……いいか。
そう思って死を受け入れた。
そのはずだったのに私は生きてた。気がつくとブスジマ達は倒されて男が更なる戦いに一人で向かおうとしていた。
そんな事はさせられない――何故? さっきまで殺そうとしていた私が、おかしな話だ。でもあの男は死なせたくない。
「……目が覚めたら幸せくれるって言った」
シエルも、信じたんだ。姉妹揃ってこんな男に縋るなんて……。
「そうね、確かに言ってた。私たちの幸せはどこにあるのよ?」
「え、えーとな、言った時の気持ちにも言葉にも嘘は無いんだが今は魔王が起きそうでな……ちょっと時間がない。帰ったら、帰ったら必ず――」
「行く」
「それしかないわね。死なれたら約束も何もないし……これはあんたの為じゃない、自分の為よ」
言っていて頬が熱くなる。そうよ、自分の為なんだから恥ずかしい事なんてあるはずないんだから……私やシエルの中に新しい期待や願いが生まれてしまったのを感じる。
アドラで生きるには不要なこれを植え付けた男、フィオ達への妬みよりも今の私にはこの男を死なせない事が重要に思えた。自分の為にも、シエルの為にも――だからこの選択にはきっと後悔しない。そう信じて私たちは男の背中を追った。
手に入るかもしれない自由を夢見て――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます