衝動と理性と

 どれだけ時間が経った? 気の狂いそうな欲望を必死に抑え込みスマホの画面を確認するが経過しているのは僅か二分、その事実を知って愕然とした。もう数十分は耐えているような気分だった、もう今すぐにでも降参したい衝動に駆られる。それほどまでに自分の中で蠢く獣欲は抑え難い、俺はたった二分でこの賭けに乗った事を後悔し始めていた。そんな俺の内心を知ってか知らずかアスモデウスは余裕に満ちた笑みを湛え、誘惑するように組んだ腕に胸を乗せ揺すったり脚を組み替えながらこちらの様子を窺っている。俺はそれを振り払うように視線を床に向け凝視し続ける。早く終われ、早く終われ、俺の気が狂ってしまう前に終わってくれ!

「ボウヤ~? 随分と苦しそうじゃなぁい? こっちにいらっしゃいな、女の体に触れたいのでしょう? 貪るように求めたいのでしょう? いいわ、ボウヤの望むままに、望む以上の快楽を与えてあげる。そこの壁に掛かっている鍵を使ってここを開いてこっちに足を踏み入れるだけでいいの、そうすれば永遠の悦楽が待っているわ」

「黙れっ! 頼むから黙ってくれ、俺にかまうな」

 姿を見なくともその声すらも甘い誘惑を帯びていて耳から侵入して俺の理性を引き剥がしにかかる。こんなものをあとどれだけ耐えないといけないのか……まだ五十分もある、ようやく十分!? 分の悪い賭けに乗ったものだ。っ!? 俺は今何をしようとした? 意識なく立ち上がり鍵へと手を伸ばそうとしている自分に驚愕する。耐えているつもりで無意識に行動してしまうなんて……自分が信じられない、こんな状態で勝てるのか?

「どうしたのボウヤ、あとはそれを鍵穴に差し込んで回すだけ。早くいらっしゃい。たっぷり可愛がってあげる」

「俺は、負けない」

「うふふふふふ、そんなに息を荒くして何を言ってるの? もう我慢の限界なのでしょう? ボウヤはよく頑張ったわ。こっちに来て楽になりなさい、とてもいい思いをさせてあげる。きっと満たされるわ」

 この満たされない感覚が満たされる…………指が白む程に握り締めた鍵へと視線が固定されて動かなくなる。これを使えば、今まで感じた事のない快楽が味わえる。賭けの事を知ってるのは俺とアスモデウスのみ、もし行為がバレても協力と情報を得る為だったと言い訳はできる。俺は頑張った、出来る努力はした、それでももう限界なんだ。だから――。

「そう、いらっしゃい」

「……みんなを裏切ってたまるかっ!」

 鍵を差し込む直前にリオ達の顔が脳裏をよぎり欲望を振り払うように鍵を投げ捨てその場に座り込んだ。どうにか振り払ったが本当に頭がおかしくなりそうだ。この渇きを何かで誤魔化さないと次は止まれる自信がない、淫らに揺れる女体に背を向け目を閉じる。今の俺にはアスモデウスを感じ取れる感覚全てが毒だ。っ!? 目を閉ざした俺の僅かな理性を打ち崩そうと音による攻撃が始まった。ぴちゃりぴちゃりと何かをしゃぶるようないやらしい音が室内を満たし頭の中を妙な妄想が支配し始める。このままだと駄目だ。意を決して目を開き床に頭を叩き付けた。頭を揺さぶる痛みと共に一瞬妄想と欲望が消し飛ぶ。これは使えるかもな、そう思い全てを振り払う為に頭突きを繰り返す。俺は、何をやってるんだろうな……繰り返される頭突きで意識が朦朧とし始めるころには額から顔へと血が伝っていた。だが誤魔化せていた感覚が次第に戻り始め音を敏感に聞き取り渇きが更に強くなり始めてこれすらも無意味だと知り動きを止める。次は……何か他の事に意識を向けないと、時間……時間は? 残りニ十分、檻の方へ目を向けるとアスモデウスが用意した砂時計の砂も大分減っていた。

「凄いわねボウヤ、ここまで耐えるなんて思ってもみなかったわ。でももういいでしょう? これだけ我慢したんだもの、今なら想像を遥かに超える快楽が得られるんじゃないかしら? その渇き、止めたいでしょう? 私なら止めるどころか全てを満たしてあげる、好きな相手が居たとしても一度の過ちくらい許されるわ。おいで」

 谷間を強調するように四つん這いになり手招きをしてくる。動くたびに緩やかに揺れる膨らみから目が離せなくなり、再びもういいだろうという葛藤が生まれる。全てを満たす、一度くらい、今の俺にはなんて甘美な響きだろうか。艶やかな微笑みを見ているともういいのではという感情が膨れ上がり遂には立ち上がってしまった。そして鍵を拾うべく踏み出し――踏み出した拍子にスマホが滑り落ちロック画面が解除され時計の表示だけだった画面にみんなの笑顔が。

「くっくっく、何やってんだ俺は。あとたった十二分だ、みんなが見てんのにこの程度耐えられなくてどうする? アスモデウスっ! 俺は絶対に負けない!」

 スマホを拾い上げその場に座り込む。視線はひたすら画面に注ぐ。みんなに助けられた、俺には大事なものがある。それを裏切る事は絶対にしたくない、みんなを裏切ったら俺は俺でなくなる。

「何があったのかは知らないけれど、息も切れ切れでよくもそんな事を言えたものね。なら耐えてみなさい! 荒れ狂う自らの情動に耐えられるものならね」

 アスモデウスの言葉と同時に渦巻く獣欲が更に強くなり息が荒くなって鍵の方へと向かいそうになる。それを必死に堪えながらスマホの画面へ目を向ける。みんなが居る、情けない所なんて見せられない。あと少しだ、あれだけ長かった時間を耐えてきたんだ、ここで動けばそれが水の泡になる。耐えるんだ!

「まさか……そんな、これに耐えきる人間が居るなんて極限まで昂ぶっていたはずなのにどうして?」

「言ったろ、好きな女が居るんだよ。どれだけ昂ぶろうがその気持ちはそっちに向くわ、それよりこれ解除しやがれ。気が狂いそうだ」

「ふっ、ふふふふふ、益々興味深い。こういう男を堕としたらどれだけの満足を得られるのかしら、快楽に溺れさせて私しか見えなくさせる、なんて楽しそうね」

「魔神が約束を違えるのか?」

「いいえ、今回はボウヤの勝ち。ほら、幾分楽になったでしょう? 昂ぶり過ぎだからすぐには落ち着かないでしょうけど明日には元に戻るはず。協力も情報提供もしてあげる、必要になったらここに来なさい。ボウヤの我慢する顔を見て私も昂ぶっちゃってたのに相手が居なくなっちゃったから熱を冷まさないと……じゃあね」


 解除されたというのに落ち着かない身体を引き摺って自室へと戻った。途中でもさを捕まえて抱っこしてみたりしたがもさが打ち消すのは降り掛かる力だけらしくその名残を打ち消す事は出来ないようだった。早々に寝てしまう事で誤魔化そうと思ったのだが疼く身体が邪魔をして一向に眠気がやってこない。

「あ~、今フィオがベッドに潜り込んで来たらヤバいな、絶対我慢出来ん」

 溺れて堕落しそうだから結婚するまでは~、なんて事を約束しているがこれはマズい。あの一時間を考えれば耐えられない事はないはずなんだが……好きな相手だとまた違ってくるよなぁ。冴えまくった目は落ち着く事なく暗闇に包まれた室内を見回す。一人で使うには結構広い部屋だよな……どうでもいい事を考えてみるが気が紛れる事はなく仕方なく疼きを抱えたまま目を閉じた。眠れる気配のないまま十数回目の寝返りを打った頃、部屋の扉が開き誰かが入ってきた。堂々と入って来たというよりそろそろと気配を消して物音を立てないようにしている、誰だ? 変なテンションなのも手伝ってこの夜這いのような状況を返り討ちにして逆に組み敷いてやろうなんて考えが擡げてきた。俺が起きているなどと思っていない侵入者は大した警戒をした様子もなくベットの傍にやって来てごそごそやっている。そこへ布団の中から手を出し一気に引き込んだ。

「にょわー!? 何じゃなんじゃ!? 旦那様起きて――ふぇえええええっ!? だ、旦那様触っておる、胸触っておるのじゃ!」

「ん~、程良い大きさだが良い揉み心地だな」

 引き込んだ時にミシャが相手だと分かった事もあって妙に強気に組み敷き胸元をまさぐる。

「だ、旦那様、いつも意地悪じゃが今日は度を越してるのじゃ。こういう事は結婚するまでしないというみんなでの約束――ふにゅぅ、ちゅ……んぅ…………うぅ、色んな事が急過ぎて頭がくらくらなのじゃ」

「なんでこんな時間に来た? 今日は誰も部屋に来ないでくれって手紙をもさに持たせたはずなんだが、読んでないのか?」

「それならナハトから聞いておるのじゃ、でもどうしてもすぐに旦那様に届けたい物があって……うぅぅぅ、妾の身体をまさぐるのをやめてほしいのじゃ」

「それはちょっと無理だな、気持ち良すぎる。嫌か?」

「その聞き方はズルいのじゃ……でも皆での約束が――ふにゃん!?」

 弄る度に表情がころころと変わり可愛い悲鳴を上げて顔を赤くしていくミシャを見ていると際限なく昂ぶっていくようで悪戯程度で止めるはずが手が止まらなくなっていく。

「それで、何を持ってきたんだ?」

「こ、これなのじゃ」

 身体を捩るようにしてベッドの脇へ手を伸ばして引っ張りよせたのはベルト、そしてそこには長剣が二本と短剣が二本掛かっている。最近はずっと鍛冶仕事に専念していて会う機会も少なくなっていたが、そうか、完成させてくれたのか。

「ミシャ、少し隈ができてないか?」

「寝る間も惜しんで作業しておったからの、短期間で四本というのは中々の大仕事だったのじゃ――あっ、疲れはあるが出来は完璧なので安心してほしいのじゃ……旦那様、こういう時に撫でるのは胸じゃなくて頭だと思うのじゃ」

 俺の為に休む間もなく作業して剣を完成させてくれたミシャのいじらしさに愛しさが込み上げてきて手が止まらなくなるが徐々にずらしていって頭を撫でる。疲れているのに無理をさせちゃいけないもんな。

「にゅふふ~、頭をなでなでしてもらえたのじゃ。これで頑張った甲斐があるのじゃ、意地悪をする旦那様は困りものじゃが頭を撫でてくれる時の旦那様はとても優しい目をするから大好きなのじゃ」

「剣ありがとうな、これでかなり戦いやすくなる、ミシャのおかげだ。ほら、疲れてるんだろう? 部屋に戻ってゆっくり休め」

「……ここに居ては駄目かのぉ?」

「今日は駄目だ」

「にゅ~、そう言われては仕方ないのじゃ。旦那様、おやすみなさいなのじゃ」

「ああ、おやすみ…………あっぶね~、ミシャの甘えた表情やっべぇ。よく我慢できたもんだ」

 ミシャの前ではどうにか堪えた俺だったがその後悶々として夜が明けて正午近くになりアスモデウスの力の名残が消えるまで眠る事が出来なかった。


 異常な経験をした反動からか丸一日眠った翌日、俺たちはアスモデウスの元を訪れていた。魔獣母体の破壊に参加するのは俺、フィオ、アリス、ナハトとティナ、それぞれが一つずつ担当して残りの密集している三つを上空から遠藤たち自衛隊がLAMで破壊という手筈となった。

「行くのね。あなた達人間が魔物側に勝てるのか見せてもらいましょう。透明化の時間は半刻よ、それ以降は可視状態になるから気を付けてね? さぁ、行きなさい」

「行きなさいって……全員透明だからどこに居るのか分かんないんだが。クーニャどこだ? 近くまでは運んでもらわないと」

「主、儂はここだ」

 声でおおよその位置は分かるんだが動いているのか捕まえられない。

「どこだよ? 手を握ってきてるのはフィオか?」

「ん」

 手を握られる感触と共にすぐ傍で声がする。流石はフィオ、見えなくとも簡単に俺を捕まえた。残りはどこだ?

「きゃぁあああああっ!? 誰か私の胸触った! ニシノって奴でしょ! 殺す!」

「ああ西野しかいねぇな」

「確定で西野だろう」

「ちょっ!? 遠藤宮園! お、俺じゃないっす! フィオちゃんの居場所もアリスちゃんの居場所も分かんないっすもん。それに、流石に許可なく触るなんて姑息な事しないっすよ!」

「馬鹿落ち着け、透明で暴れんな!」

 アリスの悲鳴が聞こえたかと思ったら剣を振り回すような音が聞こえ床や壁に傷が出来ていく。厄介な……透明で暴れ回ってるから取り押さえるのも難しい。暴れ回るアリスに右往左往していると隣でぼそりと呟く声が聞こえた。

「私よりあった…………」

「お前が犯人かい! アリス! 触ったのはフィオだ、女同士だからセーフだ――ん? なんか手の平にふにふにの感触が」

「きゃぁあああああ!? 触った! 今度はワタルが触った! ていうかまだ触ってる、掴んでる!」

「いや、なかなか感触がよくて、確かにフィオよりあるな。それにしても、掴む程はないぞ?」

「そそ、そういう問題じゃないでしょ!?」

「そうだワタル! 触りたいならここにたわわなのがあるだろ!」

 ここにと言われても何も見えないんだがというかそんな問題じゃないし……ん~、何やってんだか、まだアスモデウスの力の効果が残ってるのか? 僅かに後ろ髪を引かれるが迷うことなくアリスから手を離した。

「そうよ、大きい方が触る方も楽しいでしょう?」

「いや、二人は俺に対して抵抗がなさ過ぎる。あっさり受け入れるより少しくらい抵抗があった方がいい」

『分かる!』

「うっさいわよ三馬鹿!」

「ボウヤ……今そんな事をしている場合かしら? 時間は限られているのよ?」

「お、おう。出発だ」

 まさかアスモデウスに言われてしまうとは……クーニャを先頭にはぐれないよう前の者の肩に手を置いて一列になって外へと出てドラゴン化したクーニャの背に乗る。これは、何とも言えない不安感があるな。透明になっている互いは見えない、触れてようやく存在が分かるんだが視覚情報がないのがこんなに不安なものとは……透明なクーニャに乗っているからまるで空中に立っているようだ。

「全員乗ったか? 飛び立ってもよいか?」

「ああ、全員乗ってる。頼む」

「任せておけ、魔獣母体が近くなったら低空で飛ぶ、その間に飛び降りてくれ」

 地上から飛び立つと見る見るうちに地面が遠くなっていき足元の不安感がより強くなっていく。こりゃ結構な恐怖だな、飛ぶのも慣れたもんだと思ってたんだがマジで怖い。

「ひぃ~、何も無いのに飛んでる。こんなのでLAMぶっ放すのかぁ」

「宮園情けない声出すな、この程度何でもないだろうが」

「そう言う遠藤だって声が裏返ってるぞ」

「主、一つ目が近い。誰が行く?」

「よっし、一番手は俺が貰うな。降下担当が全員下りて攻撃の準備が整ったらクーニャの咆哮を合図に作戦開始で」

「ワタル、気を付けて」

「ああ、あとで会おう」

 勢いをつけて飛び降り犬のような魔獣を踏み付けて着地する。突然の衝撃に驚き周囲の他の魔獣を威嚇して噛み付いている。犬っぽいから鼻も良さそうなもんだが、この透明化の術匂いも消えてるんだろうか? 気付いていないようだし声さえ出さなければ見つかる事は無さそうだ。そうと分かればすぐに魔獣母体の元へ、悍ましい化け物たちの間を縫うように駆け抜け接近する。魔獣はどうにかなるがヘカトンケイルが並べた大岩を登る必要があるな、アスモデウスと戦った時のような速さで、足に力を込めて一気に地面を蹴る! うひょー、出来た。跳ぶ跳ぶ、めっちゃ跳んだ。大岩の半分ほどまで跳び上がりあとは傾斜を駆け上がり天辺へと到達した。

「久々に見るが、やっぱり近くで見ると気持ち悪いな」

 大岩で囲われた魔獣母体から魔獣が這い出し周囲にある穴へと入っていく。なるほど、大岩に隙間を作らない為に生まれた奴は岩の下を通って外に出ているのか。早く処理しないと同じ事を大防壁でもやりかねない、合図はまだか?

「――!」

「来た! 作戦開始だ」

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