八章~臆病な姫と騎士の盟約~

式典開始

 少し甘い香りと雪の、冬の匂いを含んだ肌に染み込む様な冷たさの風が頬を撫でる。本来ならこんな寒さは避けたいものだが、今はこの風も心地いい。今は怪樹の――いや、今は聖樹か……人間に無害になり魔物を大幅に弱らせる花粉を生成する巨大樹は今や聖樹と呼ばれるようになっている。俺は今、地上と頂上の中間辺りにある太い枝の上から町を眺めている。外法師とディアボロスを倒してから十か月が過ぎた。町の建物は修復され、廃墟や瓦礫だった面影は無い。それに、聖樹の花粉のおかげで魔物の駆逐は驚くほど順調に進んだ。この十か月は魔物を追い回す日々だった。主要都市だった場所との移動を容易にする為に結城さんに付いて都市を回りつつ周囲の魔物を殲滅、復興が始まれば更にその周囲を山狩り、休む暇なく移動と討伐を繰り返した。それでも全て狩りつくしたとは言えないが、町の周囲、街道、田畑、人の生活圏内での目撃情報はここ三か月間報告されていない。復興は順調に進み、都市間の移動も結城さんのおかげでかなり便利なものになり、流通の便を利用して商売を成功させた人も居るそうだ。資材搬入もスムーズに進み、エルフや覚醒者の能力もあって荒れた田畑も蘇り、国中が短期間でまた人が暮らせる水準になっている。

 俺はこの国の、この町の元の姿を知らないけど、ここで逝った人達が帰って来てもいいと思える位にはなっただろうか?

「少なくとも元の状態とは言えないだろうな…………」

 雪と桜が舞う幻想的な景色の中、眼下に広がる町の建物には建物を覆う様にして全ての建物にミスリル製の仮設テントが設置してある。花びらも常に大量に舞っているせいで問題になっているが、それの比じゃないのが遥か上空にある枝に積もった雪だ。強度のある聖樹の枝が耐えられない程に降り積もった後に地上に一気に降り注ぐ、落下してきた大量の雪で屋根が突き抜け倒壊した建物だってあった。それの対策として軽くて丈夫なミスリル製の覆いが国から配布されている。

 日本への帰還についても、復興がある程度進んだ頃には国内外へとその情報を伝播し、既に第一陣を送り届けた。少し驚いたのが、受け入れをしている国が把握している異界者の四割程度しか帰還希望が出ていなかった事だ。理由としてはこちらに家族ができて、異世界人を連れて行く事は制限されるから帰還より家族を選んだという形だ。異世界人だけでなく特異な能力を持つ可能性があり、混乱を招く可能性がある混血者も制限の対象となった。その他にもこちらの生活に慣れ、戻りたくないという人も居たらしい。戻った人は戻った人で色々あったが……ヴァーンシアに来て日が浅い人たちには帰りを待っている人が居たが、七年を超えている人たちなんかは死亡届が出された上、恋人なんかは新しいパートナーが出来ていたりと、浦島状態で結構悲惨だった。それを理由にヴァーンシアに戻る事を希望する人も居たくらいだ。当然却下となったが…………。

「いてっ――上から何か…………なんでこんな物が? これって、アレだよな?」

 上から降ってきたのはエルフの土地に在ったナルの実、ナニに似てる果実、なんでこれが上から……はっ!? 慌てて他の枝を見回した。聖樹からは、聖樹が取り込んだ果実や根野菜が採れる。

「まさか、誰かがこれを取り込ませたんじゃ――あったよ……他にも在っちゃったよ。これもう聖樹じゃなくて性樹じゃんかっ!? 誰だよこんな馬鹿な物取り込ませたのは」

「エルフ何人かが持ち込んでた。お酒作るって」

「フィオ……よくここが分かったな」

「捜してないのがここだけだった。式典始まるよ?」

 フィオが言っているのは死者を悼み、そして復国を祝う式典。魔物討伐に参加していたこともあって列席するように言われてはいるが――。

「出たくないんだが……勲章なんて欲しくないし…………そうだ、フィオが代わりに貰えばいいんじゃないか? ディアボロス倒したのお前みたいなもんだし」

「ダメ。倒したのはワタルとワタルの友達、アリシアは騎士の称号も授けるって言ってた。ワタルが出ないと駄目」

 それが特に嫌だな。俺はそんなの貰っていい人間じゃないぞ。この国の魔物は大方片付いたから次は他の国を回ると言ったら式典までは居るようにと引き留められて残ってたらこんな事態だ。さっさと逃げておけばよかった。

「だって嫌なんだよぉ。俺ってば正装似合わないんだもん、数回だけ着た中高の制服だって服に着られてるみたいだったし、葬儀の時に着てた礼服だって俺だけすんごい浮いてたし、そもそも勲章貰うような事してないし」

「ワタルが私たちの代表、ちゃんとして」

 リオの教育の賜物か、最近こんな事をよく言われたりする。ドレス着てるのに髪跳ねてて木登りしちゃう娘に言われたくありません。

「髪跳ねてるぞ、こっち来い」

「ん」

「櫛は?」

「ある」

 そう言ってポーチを差し出して来た。こんな物持ち歩くようになっちゃって……成長したのな。ちょっとしみじみしてしまった。渡されたポーチから櫛を出して髪を梳かしてやる。相変わらずのサラッサラヘアー手櫛で梳かすとこっちもなんか心地いい。

「お前その恰好寒くないの?」

「寒い。ワタルのせいだから温めて」

 髪を梳かしていた俺の手を掴んでそのまま自分の前に持っていって俺が後ろから抱き付いたような格好にさせる。

「あのなぁ、軽々しくそういうのしたら駄目だってリオが言ってただろ」

「ワタルにしかしてないから問題ない……ワタルは、いや?」

 顔を少しだけこちらに向けて窺ってくる。意識的にやってるんじゃないだろうけど、そういうのを理解したら男を手玉に取りそうだな。

「さぁな、ほれ、整った」

「ん、なら出発」

「うぇえええ!?」

 櫛をポーチにしまい、渡そうとしたら腕を引っ掴んで走り出した。

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、こんな勢いでどうする気だ!?」

「下りる」

「うおっ!? ちょ、待て、加減しろ。スカイダイビングみたいに身体浮いてる」

 幹に設置してある滑車から伸びるロープを掴んで落下するかのように地上へ下りた。

「はぁ、はぁ、はぁー……殺す気か!?」

「? ワタルは死なせない」

 いや下手したら死んでたから、へしゃげて死んでたから……急速に地面が近づいてくる恐怖と言ったら……滑車使わなくても幹を彫って作った階段で下りてくれればよかったのに、高所恐怖症じゃないのに高い場所が怖くなりそうだ。

「っ! 急ぐ」

「うわっ、ちょ、俺の格好どうすんだ? 普段着だぞ」

 式典開始の鐘が鳴り響いた事でフィオがまた駆け出した。疾走するフィオに引っ張られるというのは妙に懐かしい感覚だな、最近では滅多にないし。

「正装は嫌って言ったからそのまま」

「ふざけんな、みんな正装してる会場に俺一人で普段着で出席とかいじめか!?」

「時間無い、ワタルが悪い」

「ならもういいじゃん。行くのやめよう、それが良い。勲章授与とか目立つ場所に行きたくない」

「駄目」

「そうだフィオ、日本に戻った時に土産としてグミを買ってきたん――」

「ありがとう、グミは貰う。でも駄目」

 この娘最近俺の言う事聞いてくれない…………。


「ワタル、ガチガチでカチカチ」

 それってどっちも同じじゃないの? ――そりゃそうだろ、復国を祝う為に同盟国の王様や代表者、その他大勢が正装で列席している中俺は普段着なんだぞ。その上会場に飛び込むように入ってきたせいで既に目立っている。会った事がないお歴々なんかは、なんだあの場違いな奴は、ってな感じの鋭い視線を送って来てる。

「フィオ、俺場違いだから帰る――」

「ワタル様、お席へどうぞ」

 悪目立ちしている俺をどうにかしようとシロが案内に来てくれたが、ここはお引き取りくださいって言って追い返してくれた方が良かったよ。結局シロに連れられて席に着いた。

「今日という日を迎えられた事を皆に感謝する。助力を惜しまず共に戦ってくれたこの場に居る皆と、全力で復興に取り組んでくれた全ての民に感謝を。そして、無念にも散って逝った命に哀悼の誠を捧げる。皆も失われた命の為に祈りを捧げてくれ」

 クロイツ王の言葉で全員が黙祷を捧げた。

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