銀の水面

 ミンクシィを出発して十二日、今は巨大な湖のこの辺りらしい。

 道中は野宿が嫌だとぼやく者が多いので極力出発したらその日の内に次の集落に辿り着く様にと結構な強行軍だった為、歩いて旅をするという事になれてない日本人組は疲れ切ってしまったから、湖の側で一泊か二泊野宿するという事になった。

「情けない」

「そう言うなよ、今の日本人で長距離歩いて旅するなんてのに慣れてるやつはかなり稀だと思うぞ?」

「だが普通の人間で女のリオは平気そうにしているぞ? それを考えるとコウヅキとミズハラは仕方ないとしても、ワタルとユウヤは男として情けないと言われてもしょうがないと私は思うぞ」

「そんなの男女差別だよ~、それに僕より先に航の方がバテてたんだから一緒にしないでよ」

 そんな事言われても結構歩いたぞ? 地図上では大した距離に見えないが、王都までの道程のほぼ半分位だから実際はかなりの距離を歩いているはずだ。

「確かにワタルにはもう少し体力をつけてもらいたいな」

「なんで?」

 俺もこのままでいいとは思わないけど、ナハトに言われるとは思わなかった。

「だって体力がないと困るだろう? 子作りの時に」

「しねぇよ、だからそんな心配不要だ」

 聞いた俺が馬鹿だった。まだ道程の半分なのにバテていては心配だ、みたいな事かと思えば、親があんなだからこういう話題に抵抗が無いのか、それともダークエルフ全体がそうなのか…………。


「ワタル、どこ行くんですか?」

「水浴び」

「なら私も一緒に――」

「来んな、リオ、ナハト捕まえといて」

「あ、あははは…………」

 水浴びをするためにみんなが居る場所からそれなりに距離を取る。

 まったく…………道中も始終あんな感じで正直疲れる。両親程ではないけどやっぱり下世話な単語が不意に飛びててくるからびっくりする。ナハト自体は嫌いではない、悪い人ではないと思うし、でも、ああもグイグイ来られると疲れる、それに俺は誰かとそういう関係になりたいとは思っていない。だから早く諦めてくれないかなぁ、素直に誰かと関わるのが怖いからってのを話したとしても、あの調子だと意味がなさそうだしなぁ。

「水、綺麗だけど風呂に入りたいなぁ」

 エルフも獣人も水浴びはするけど風呂に入るという文化はないらしく、集落にももちろん風呂なんてなかった。あの村の温泉が懐かしい…………。


 湖に潜ってみても水が透通っていてかなり先まで見通せるし底も見え――っ!? なんだ? 水の中に大きな物が落ちた様な音がした。

「な、なにをやってんだ?」

「水浴び、ワタルが毎日しろって言った」

 慌てて水面から顔を出すと素っ裸のフィオが居る。言った、確かに言った、捕まってフィオと話してた時に、面倒だからそんな事しない、とか言いやがったから、可愛いんだから綺麗にしてろって言いました。言ったけど…………。

「なんでわざわざ俺の居る場所でする? 別の場所でしたらいいだろ。恥ずかしくないのか?」

「別に、なんでワタルは後ろを向いてるの?」

 恥ずかしいのと見ない為だよ! そしてなんでここに来たのか、って質問にはスルーか。

「どうでもいいだろ、とりあえず水浴びするなら俺の居ない所でやれ」

「面倒」

 なにが!?

「移動くらい別に面倒でも何でもないだろ、お前が移動しないなら俺が移動するからこっち見るなよ」

「それは困る。それと面倒なのは髪を洗うの、だからワタルがやって」

 …………自分で髪洗えないって、お前は子供か! うっ、相変わらず凄い勘だ、後から威圧感を感じる。

「髪くらい自分で洗えよ、今まではどうしてたんだよ?」

「リオに会うまでは自分でやってたけど、リオに会ってからはリオが洗ってくれるようになった」

 お母さん! 甘やかせ過ぎです! 確かにフィオの髪は長い、洗おうとすれば手間も掛かるんだろうけど…………この娘十八ですよね?

「てか、それならリオに頼めばいいだろうが」

「リオ今日はもう水浴び済ませたって言ってた」

 それでなんで俺の所に来る?

「他の、紅月とか瑞原、ナハトとかに頼めばいいだろ、なんで俺なんだよ」

 わざわざ俺に頼まなくてもリオ以外にも同性が居るんだからそっちに頼めばいいじゃないか、紅月だってフィオの事を気にしてたりしたから頼めば断らないかもしれないし。

「私が知ってるのはワタルとリオだけ、他の人は知らないから嫌」

 知らないから嫌、か…………だからって小さい子供じゃないんだから洗髪の世話をするのは如何なものか。

「自分で――」

「面倒」

 自分でやってみろと言おうとしたら間髪入れずにこの返答…………その面倒な事を俺にやれと?

「少しくら――」

「嫌」

 こいつ…………洗髪を自分でしたくなくて世話してもらうとか姫かお前は!

「あのな、そういうのを世話してもらうのは子供か自分で自分の事を出来なくなった年寄りくらいだ。それを頼むって事はフィオはガキってことでいいのか?」

 こう言えば大人しく引き下がるだろう。


『…………』

 何この無言状態…………もういいや、ほっといて服とタオルを回収して移動しよう、こんなところを見られたらまたロリコンだなんだと騒がれる。フィオの方を見ない様に岸に上が――。

「…………なにをする」

 岸に上がろうとしたら髪を掴まれて、グイッっと引っ張られて水の中に引き戻された。なんか、わしゃわしゃされてる。

「ワタルの髪は私が洗った、だからワタルも私の洗って」

 なんつぅ屁理屈を…………。

「断ったら?」

「ワタルは私に髪を洗ってもらった子供って言う」

 脅してきたよ!? 全員に批難されてる状況が簡単に想像出来る。元々印象はそんなに良くないのに、そんな事言われたら完全な変質者扱いになる…………。

「…………今回だけだぞ、次はやらんからな」

「ん」

「はぁ、後ろを向いたら言ってくれ」

「向いた」

 はぁ、なんでこうなった? …………考えても仕方ない、さっさと済ませてしまおう。水浴びをするって言って来たから誰も来ないとは思うけど、もし来たりして目撃されたら終わる。


「綺麗なもんだな」

 フィオが肩まで水に浸かる場所に居るからフィオの銀色の髪が水面に広がってゆらゆらと揺らめいている。

「なにが?」

「お前の銀色の髪の事、銀色の水面って感じで少し神秘的だ」

「…………そう」


 あれからフィオは完全に黙り込んだので、俺はひたすら髪を揉み洗い、綺麗な髪が傷まない様にと気を遣ってかなり疲れた。

 水から上がって服を着て終了!

「どうにか誰かに見つかる前に終わったか」

「…………」

 ずっと黙ったままだな、俺なんか悪い事言ったか?

「お~い、ちゃんと髪拭かないと駄目だぞ?」

「知ってる、やって」

 それも俺がやるんかい…………もうどうでもいいや。座り込んでるフィオの後ろに回り込んで髪をタオルで挟んで押さえて水気を取っていく。こんだけ長いと確かに毎回これをやるのは大変な作業だな、かといってせっかく長く綺麗な髪なんだから切ってしまうのも、もったいない気がする。リオもこんな感じで世話をしてたんだろうか?

「ほれ、終わったぞ」

「ん…………ありがとぅ」

 ボソッとお礼を言われた。

「手間かもしれないけど自分でやるようにしろよ。子供じゃないんだから」

「…………そのうち」

 そのうちかぁ……水浴びもしてなかった事を考えると進歩してる、のか?


「随分長く水浴びしていたのだな」

「え゛!? ああ、まぁ俺長風呂好きだし、久しぶりだったから?」

 だよな、確かに普通に水浴びするだけならもっと早く戻ってただろうし変に思われても仕方ないかもしれない。

「長風呂……風呂とはそんなに良い物なのか?」

 おぉ、注意が風呂の事に逸れた、ラッキー。

「ああ、日本人なら――」

「フィオちゃん一人で水浴びしてきたんですか? 髪はちゃんと洗えました?」

「ワタルにやってもらった」

 なんで言うんだよ!?

『…………』

 場の空気が凍った。うわぁ~他人の視線ってこんなに冷たくなるものなんだ。

「死ね、ド変態」

「やっぱり航ってロリコンなんだ…………まぁ私は他人の趣味にどうこう言わないけど、ちょっと引く」

 紅月と瑞原からは白い目で見られ。

「まぁ好みは人それぞれだもんね、自分じゃどうしようもないんだろうし、しょうがないよね。僕は差別しないよ」

 優夜からは同情され。

「やはり小さい者の方が良いんじゃないか! 次の集落で物の大きさを変えれる者が居たら小さくしてもらわねば」

「ワタルがフィオちゃんに甘いのは知ってますけど、一緒に水浴びするのはどうかと思いますよ?」

 ナハトには変な勘違いを与え、リオにはジト目で見られた。


 次の日の朝になっても全員の態度は微妙なままだった。

「よし、王都目指してがんばろ~」

「勝手に頑張れば?」

「私まだ休んでたいなぁ~」

「僕はもう野宿は嫌かな、背中痛いし」

「小さくならねば、小さくならねば、小さくならねば…………」

「フィオちゃんまだ眠いの?」

「眠い…………」

 見事に全員に無視された。フィオめ、暢気にうとうとしやがって、お前のせいなんだからこの状態どうにかしてくれよ。


 出発してからも空気は重い、フィオ以外は俺と顔を合わせない様に俺より先を歩いている。原因の一端であるフィオはもさを構っていて、この空気はお構いなしって感じだ。これが王都まで続くのか? 凡そ半分の地点まで来るのに十二日掛かったんだから単純に考えても後十二日かそれ以上…………最悪だ、王都に着けば変わるってものでもないだろうし、いつまで続くんだこの針の筵状態。

「ワタル」

「うわっ、リオ、いつの間に……先を歩いてたんじゃ?」

「少しお話しようと思ったので、フィオちゃんに変な事をするつもりじゃなかったのは分かりますけど、フィオちゃんは今までの生活のせいで色んな事に疎いみたいですから気を付けてあげないと駄目ですよ? 子供じゃないんだから恋人でもない男の人と一緒に水浴びするなんて駄目だって教えてあげないと」

 いや、一人でやれとは言ったんだけどね…………。

「リオが甘やかしてるのも原因の一つなんだけど」

「え?」

「普段はリオにやってもらってるけど昨日はリオが先に水浴び済ませてたから俺の所に来たって言ってたんだけど? 普段から誰かにやってもらうのが当たり前になってるのも問題なんじゃない?」

「…………あはは、だってしょうがないじゃないですか。フィオちゃんせっかく綺麗な髪をしてるのにかなり乱暴に洗ってたんですよ? あれを見たらやってあげないと、って思っちゃいますよ」

 それが甘やかしです、お母さん。昨日フィオに対して甘いって言われたけど、リオも甘々じゃんか。

「そんな目で見ないでください。ワタルだってフィオちゃんにはかなり甘いでしょう? お菓子をあげたり、膝枕をしてあげたり、食事の時フィオちゃんがワタルの脚に座っても何も言わないですし、他にも色々」

 そんなに甘いだろうか? 普通だと思うんだけど、ヤバい時に助けられたり無茶な頼みを聞いてもらったりしてるから多少は甘いのかもしれないけど。

「そんなに?」

「そんなにです、他人と関わりたくないって言ってたのに、フィオちゃんは特別って感じがしますし、娘を溺愛してるお父さんみたいですよ」

 そんなに酷いか? というかお父さんって…………いや、俺もリオをフィオの母親っぽく見てるけど、親ばかっぽい感じなんだろうか? だとしたら痛いな、リオも俺もフィオを子供扱いし過ぎてるって事だよな、気を付けよう。

「とりあえずお互いフィオの扱いを気を付けよう」

「そうですね…………」

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