上陸

 みんなが寝静まった深夜、嘔吐く様な嫌な音が聞こえて目が覚めた。

 スマホのライトで音のする方を照らすと紅月が吐いていた。誰のでも嫌だが女性のこういう状態を見るのはなんとも…………吐こうとしているのに吐けなくて辛いといった風に見える。

 とても辛そうで、見るに見かねて近付いて背中を下から上へさする。紅月は何か言おうとしたが吐き気が勝って何も言えない様だった。ん~、渡したビニール袋も限界が近付いてるな、どうにか改善しないとマズい。

「余計な事しないで、必要ないって言ったでしょ」

 吐き気が多少は治まったのかそう言うが、全く覇気がない。容赦なく人を消し炭にしてたやつとは思えない。

「っ!? 触らないでよ」

「効果が無かったら止めるよ、げーげーやられてたら俺が眠れない、それに女がこんな状態なのを見ているのも気分が悪い、少し我慢してろ。お前らにとって俺はロリコンなんだろ? だからお前に対して邪な気持ちは無いから安心しろ」

「っ!!」

 一度は振り払われたがそう言ったら大人しくなった、けどなんか少し震えてる? もしかして男嫌いとか男性恐怖症か? だとしたら申し訳ない…………でも紅月に言った通り、げーげーやられてちゃ眠れない。手早くマッサージをやってしまおう。紅月の隣に座って左手で頭を支えて、右手でうなじを揉んでいく。


「効果、あるか?」

「そんな直ぐに分かるわけないじゃない」

 ですよね。少し性急過ぎた。痛がらない様に加減して揉んでいく。

「頭痛はあるか?」

「…………少し」

「そうか」

 ならこめかみも押さえてやった方がいいな、左手でこめかみ、右手でうなじを揉んでほぐす。吐き気には効くのか分からないけど、頭痛時にこめかみを押さえるのはよく知っている。うつ病で頭痛に苦しむのはしょっちゅうだったから自然と楽になる方法をやるようになった。

「…………少し、楽、かも」

「そっか」

 効果があるならよかった。頭痛と吐き気が両方あるよりどちらかだけでも改善出来ればいくらか違うだろう。

「無理そうなら別にいいんだけど、出来れば水分獲って何か食べた方がいいぞ」

「…………ぅん」

 なんだろう、弱っているからか大人しい、普段触れない猛獣に触ってる気分……この考えは失礼だな。

「なんで……こういうの上手いのよ?」

「あ~、え~っと…………」

 引きこもってた頃は頭痛、吐き気は日常茶飯事で母さんが元気な時はこれをよくやってもらってた。母さんがバテている時は俺が母さんにやる事もあったから慣れている、でもこれを素直に話すとロリコンのレッテルにプラスしてうつ病と引きこもりが追加されてしまうが…………。


「なによ? 言えない事なの」

「…………うつ病で引きこもってる時に母さんによくやってもらってたんだよ。母さんが体調不良の時には俺がやる事もあったし、それで慣れてるんだ」

「あんたってロリコンの上にマザコンなの?」

 そういう見方をするのかよ。別にマザコンじゃない、と思うけどなぁ、ただ、母さんに悪い事をしたという強い意識がある。

 苦しめて死なせてしまった俺の罪…………。

「マザコンの基準が俺には分からん、それに母さんはもう居ないからこの場合マザコンってのは成立するのか?」

「そう…………」

 紅月は謝らなかった。こういう相手は楽でいい、離婚していて父親が居ないと言えば謝られ、母は他界したと言っても謝られる。俺にとって普通になっている事を謝られると正直不快だった。そうなんだ、で流してくれる方が気が楽だ。

「気分、楽になってきたわ…………」

「そりゃよかった、食えそうなら少しでも適当に食っとけ」

 荷物を漁って取り出した干し肉とビスケットの様な物を渡した。干し肉は知ってたけどビスケット? なんてあったんだな。

「あぁ、あと水も、吐いてるから水分が大分抜けてるんじゃないか?」

「もういいわ、あっちに戻って寝なさいよ。今夜はもう吐かないと思うから」

 水筒を渡したらしっしっと手を振って向こうへ行けと言われてしまった。まぁ、顔色も少し良くなったし、いいか。

 寝ていた場所に戻ってそのまま眠った。


「ワタル、ワタル、起きてください」

「んあ?」

 昨日夜中に起きたからまだ寝たりない、どうせする事なんてないんだからもう少し寝ていたい。

「まだ眠い」

「起きてください、陸が見えたみたいなんです」

 陸…………もう着いたのか? 地図上じゃあそんなに距離はなかったけど、こんなに早く着くものか?

「ふぁ~、本当に着いた?」

「さっき陸が見えたって声がした」

 フィオが起きている…………普段寝まくってるイメージのやつが先に起きてるとなんかムカつくな。

「まだ三日目だろ? 早すぎないか?」

「漕ぎ続けたんじゃない?」

 漕ぎ続けたって…………。

「そんなの普通無理だろ、交代でやっても絶対にバテるし漕いでたとしても大した速度にならないだろ」

「乗ってるのは全員混ざり者だから無理じゃない」

「え゛!? マジ?」

「エルフは人間より身体能力が優れてる、そんなものを捕まえに行くのに普通の人間が居るはずない。エルフは覚醒者と同じで超能力も持ってるから普通の人間じゃ捕まえるのは無理」

 エルフって身体能力も高いのかよ……ゲームとかだと魔法とか弓は得意だけど打たれ弱いって印象なのに。

「全員混血者だったとしても早くないか? それにエルフも身体能力が高いのなら能力がある分エルフの方が有利で捕えるなんて難しいんじゃないのか?」

「うん、成功した例はほぼないって聞いてる。それと早いのは、風を使える覚醒者が乗ってるのかもしれない」

 風使い、それなら受ける風も自在だから速度も上がるか。それにしても、成功率がほぼ無いのに上の奴らこんな事させられてるのか?

「今までエルフを攫いに来た成功してない奴らってどうなったんだ?」

「全滅」

『…………』

 話を聞いていた一同唖然、なにこれ? 俺たち特攻船に乗ったのか!?


「全滅する様な事を上に居る奴らは黙って従ってんのか? 無駄死にじゃないか」

「生まれた時から従うのが当然って教え込まれてるから疑問に思う事もない」

 バッチリ洗脳済みって事か、あの国を出る方法が他になかったとはいえ、ヤバい船に乗ってしまった。

「こんな事を何回やってんだよ?」

「定期的に、あまり使い物にならない混ざり者の処分を兼ねてやってる。成功すれば珍しい奴隷が手に入って、失敗しても使えないって判断されてるから口減らしになる」

 定期的にこんな事やってんのかよ、だとしたらエルフ側は相当警戒してるだろうな、人攫いに来ている連中の船に乗ってる俺たちも敵視されるよな、絶対に……。


 はぁ、今更考えてもしょうがないか、乗ってしまって陸に近付いてる以上行くしかない、着いたらどうにか上に居る奴らの仲間じゃないって信じてもらわないと。

「そういえば紅月の体調はどうだ?」

「……昨日より楽になってるわ、食事も出来たし」

「そうか」

 上陸したらすぐに混血者の集団から離れるべきだろうから出来るだけ体調を戻しておいてもらいたい。

 戦えるのはフィオと俺と紅月、でもエルフが混血者並みか以上の身体能力で、更に能力まで持ってるとしたら対処なんて出来るんだろうか?

「とりあえず上陸してからの方針を決めよう」

「方針って言われても僕と瑞原さんは航たちみたいに能力がないから何も出来ないよ?」

「エルフに敵じゃないって分かってもらう為には何も出来ない方が却っていいかもしれない。とにかく俺たちは戦いに行くわけじゃないんだから、こっちからは絶対に手を出さない事! 特に紅月、いきなり消し炭とかは勘弁してくれよ。エルフの土地でエルフを敵に回したら俺たち全員終わるぞ」

 害意がないと信用してもらわないといけないんだからこっちからの攻撃は絶対に駄目だ。

「そんな事言ったって、敵視してあっちが襲ってきたらどうするのよ? 身体能力だってエルフの方が高いんでしょ、黙って殺されろって言うの?」

「相手の攻撃を防ぐなり脅して退けるなりあるだろ、なんで能力を使うイコール殺るなんだよ」

 物騒過ぎだ、消し炭になんてしたら確実に追われる身だ。リオ、優夜、瑞原は抵抗もろくに出来ないんだからそんな事になったらどうするんだよ。

「やられる前にやる、なんて普通でしょ? それにむこうの方が強いなら尚更でしょ、逃げ回ってたってジリ貧じゃない」

 お前はヤンキーかよ…………不安だ。

「なら攻撃される様な状況になったら俺とフィオで気絶させるから、お前は防御に徹してくれ、俺なら電撃で気絶させられるし、フィオも大丈夫だよな?」

「エルフを見たことがないから分からない」

 …………こんな状態で俺たち大丈夫なんだろうか? 不安しかないな、はぁ、最悪の状況になったらどうしよう? よく考えたらキノコみたいな能力を持ってるエルフもいるんじゃないか? その場合まともに動けるのはフィオだけになってしまうし…………。

「うぅ~」

「うーうー言ってても仕方ない、行くって言ったのはワタル」

 そりゃそうですけどね。能力を奪われてまた為す術なく叩き潰される様な状況になったら、って考えると呻きたくもなる。


「っと」

「きゃっぁ」

「何!?」

「うわっ」

「いった~」

 急に船が揺れた、何かにぶつかった……? 違うか、船底を擦った様な感じだった。

 俺は倒れそうになったリオを支えて、フィオは動じず、紅月は壁にもたれて座っていたから無事、優夜は倒れかけて膝を突いてる、酷いのは瑞原で、音楽を聴きながらごろごろしていたから揺れで更に転がって檻に顔をぶつけたみたいだ。

「リオは平気か?」

「はい、ワタルありがとう」

「いや――」

「もー! いきなりなんなの? 檻に思いっ切りぶつかってたんこぶ出来たんだけど!」

 話に参加せずにごろごろしてたんだから自業自得な気がする。

 もしかして浜に乗り上げたのか? もう北の大陸に着いたって事になるんだろうか?

「っ!? 今のって爆発音か?」

 紅月が収容所を襲撃した時の様な音が複数聞こえるし、怒鳴り声みたいなのも聞こえる。何かが戦っている?

「っておい、どこに行く気だ?」

「少し見てくる」

 それだけ言ってフィオが出て行ってしまった。

「ちょ、ま、ああクソっ、俺も見てくる、紅月、ここ頼めるか?」

「誰か入ってきたら燃やすわ」

 いや、もっと穏便に…………笑ってるから冗談なんだろうけど、消し炭になった人たちを見てるから全然笑えない。

「俺かフィオが戻った時に燃やすなよ!」

 それだけ言って俺も船室を出た。

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