第42話
「蟲をけしかけて殺しかけておいて、やって欲しいことだと?まあ話だけは聞くとして、事と次第によっては……」
「そう、その事じゃ!」
言葉の途中で叫ばれると、なんとも具合の悪いものだ。少し顔をしかめた俺の事など無視して、老人は先程まで全く喋れていない鬱憤を晴らすかのように話し始めた。
「そもそも森を守るよう命じられていたが為に、クルナラであるブーンは森を、具体的にはこのエヌバラの樹を傷付けるモキノイを殺してきた。しかしそれがバーハナとなったのじゃのう。ダ、エヌバライオ、ノン、クルナラソエ……(あー、聞き取れておらんなら通訳してやろう。つまり森を守る為に森を傷付ける生物を片っ端から殺してたんだが、そうすると食料となる動物がいなくなってしまってな。契約者のうちの一人であるこいつと我を残して森の民は出て行ってしまった。だが契約だけは残っている。森に侵入する生物を殺す。そんな生活が約千年続いている)」
助かった。聞き取りするには早口な上に難しい単語ばかりで困っていた所をダ・ブーンが翻訳してくれた。だが、千年か。千年な。千年。
「ちょっと待ってくれ。千年とは何の冗談だ。それともこちらの世界と元の世界とでは、時間の流れが違ったりするのか。ほら、浦島太郎のような」
(そんなもの、単なる昆虫であった我が知るわけ無かろう。浦島太郎も知らん。それに千年は冗談でも何でも無い。暦は一年で約三六〇日。こいつはこの世界でもかなりの長命種で、その中でも高齢の部類に属するのだ。エルフ族という。なあに、噂では三〇〇万歳の魔女もいるという。さて、これで良いか。続きを話すぞ)
しまった、先程俺自身が苛ついたことをやってしまった。ダ・ブーンも若干苛ついてやがるな。
だが時間の流れはほぼ同じか。学などないから詳しくないが、時間の流れが大幅に違っていたらこうも元の世界と似た環境に成らないのではないか。本当に奇跡みたいな、夢の様な偶然だな。
そう思案していると、痺れを切らした老人が再び話を始めた。
「(では蟲以外の生物のいなくなった森では何が起こったか。蟲と森による生物循環が完成したのだ。最下層の蟲が落ち葉や枯れ木を食べ森を豊かにする。その蟲を別の蟲が食べ、さらに別の蟲が食べ、蟲は最終的に死骸となり森へと還る。ダ・ブーンを頂点とした食物連鎖だ)」
ふむ、そこは俺の予想通りだったな。
「(しかし問題が起きた。ここの蟲の多くが毒を持っている。毒は長い年月をかけてどんどん蓄積されてゆき、突然変異種が生まれてしまった。凶暴で、猛毒を持ち、巨大で、何よりもダ・ブーンの支配領域を奪おうとしている。このままだと
蠱毒というやつか。千年も蟲のみの生態系を形成した歪みが顕著になった訳だ。
それにしてもここの蟲が外へ出たら確かに大変だな。それにこの森を普通に通れるようになれば、国境にもなっているこの森を通って戦争が起こる。マリティの国なら間違いなく戦争をふっかける。
「(そこで頼みがある。
ついに本題が来たか。しかしあの化け物が、な。あれを倒すとなると……
少し思案する。頭によぎったのはポノラとメイだ。あの二人と別れて大分経つ。ポノラはかなり良い勘を持っているが、果たしてマレスティ・ブーンとやらに出会って無事でいられるだろうか。
「一つ聞きたい。俺と一緒に森へ入って来た二人は無事だろうか。ダ・ブーンなら分かると思うが」
俺の日本語ではない問いかけに、老人は大きく頷き答えてくれた。今度は俺も聞き取れる言葉だった。
「無事じゃ。ダ・ブーンが何とか抑えておる。だが、それもいつまでもつか。マレスティ・ブーンの動き次第と言ったところじゃな。幸い奴に感知機能は無い。が、見つかるのも時間の問題じゃろう」
少し安心した。ただ、これはあくまで現時点での事だ。となると答えは一つしかない。
言葉は間違えられない。今度は日本語で、ダ・ブーンの方を向き応えた。
「成る程な。一先ず御礼を言いたい。助かった、ありがとう。ポノラとメイを救出する為にもマレスティ・ブーンを討伐したい所存だ。ただ、はっきりと倒せる自信がない。病み上がりで体調も悪いし、何より地の利が悪い。相手が木の上から攻撃してくるのに対し、腐葉土で足場は悪く、木には登れず、得物は短い。ダ・ブーンよ、何か手はないか」
そう言うとダ・ブーンは老人の方を向く。すると一つ頷き、老人は森の奥へと消えていった。
(本当なら我も戦いたい所だが、生憎戦闘に特化していない。だが頼み事をしている以上タダとは言わない。まずは報酬の先払いといこうか)
報酬?そんなものがあったのか。果たして一体……
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