指。

プロキシマ

指。


私には、力があります。


それは、生まれつき持っていた力ではありません。


いつの間にか、私に身についていたものです。


私は決して、その力を欲していたわけではありません。


この力は、とても弱い力ですが。


それが、他の「誰か」に作用すると、ひじょうに強力な力になります。


たとえば、私が指を一回「ぱちん」と鳴らすと。


世界のどこかの。


誰かの指が、一本増えます。


いやはや、可笑しいでしょう?


いや、私も実に可笑しなものだと思います。


だって、私が指を鳴らせば、誰かの指が一本増えるなんて、


こんな突飛な発想、誰にも思いつきません。


だからこそ、私の持っている力は。


誰にも、ばれていません。


私がそんなへんぴな力をもっているなどとは。


だれも、知りません。


本当かって?


それは、そうでしょう。


だって、誰が。


私が指を鳴らす、その行為が。


何かアイディアを思いついたときに、


無意識、または意識的に行う動作ではなく。


または、じぶんの存在を誇示するためにおこなうのでもなく。


「誰かの指を一本増やす」ために行っている動作だなんて。


誰が気付きますか?


誰も、決して気付かないでしょう。


私がなんとなく行っているその行為が。


誰かの人生をめちゃくちゃにしているだなんて。


誰に、分かるのでしょうか。


それに関しては、自信があります。


…。


では、ここで一度実演してご覧にいれましょう。


見ていてください。


私が指を一度だけ「ぱちん」と鳴らします。


その瞬間、世界のどこかの人の指が、一本増えます。


では、行きます。


「ぱちん」



……


さあ、どうですか?


え?分からないって?


誰の指が増えたかどうか、分からないって?


そもそも本当に、誰かの指が増えたのかって?


では、もう一度、おこなってみましょう。


よく、見ていてくださいよ。


「ぱちん」



……


たしかに、疑いたくなる気持ちも分かります。


私だって、最初はうそかと思いましたよ。


でも、気づいてしまったんです。


私が、最初はただの「くせ」で行っていたこの行為が。


「その行為をした瞬間」に。


いえ、正確には、指を鳴らしてからしばらくして。


必ず世界のどこかで誰かの指が増えて。


必ずそれが、ニュースになるからです。


私は、それが「私が指を鳴らしているからこそ発生している」ことに、


最近、ようやく気づきました。


なぜか、自分が指を鳴らしたきおくのあるその日は、


「必ず」、世界のどこかで、名前も顔も知らない人の。


指が一本増えるという、とっても奇怪な出来事がニュースになるからです。


それに気付いてから、私は試してみました。


一日に何回か鳴らすと。


その鳴らした回数と同じ人数だけ。


指が増えた人のニュースが、取り上げられるだろうと。


結果は、実に面白いものでした。


私が指を鳴らした回数と。


世界のどこかの誰かが。


奇怪極まりない、自分の『指が増える』という現象を経験した人数が。


完全に。


一致したのです。


それも、何度も。


面白いでしょう。


いや、実に面白いと思います。


実際に指が増えた方には、非常に申し訳ないことだと思っていますが。


私は、それがたまらなく面白いのです。


私だって、最初は怖かったのです。


考えてみてください。


もし、ある日、突然。


まったく突然、自分の指が一本増えたら。


あなたはどう思いますか?


私なら、発狂するでしょう。


きっとあなたも、発狂することでしょう。


そしてその人は、突然起こったその出来事を。


受け入れるか、受け入れられないかで。


いえ、どちらにしても。


その人の人生は、めちゃくちゃになるでしょう。


たった指が一本増えただけで。


しかもそれが誰か人の前で突然発生したものならば。


どうなってしまうか。


私には、想像したくありません。


私がそれを引き起しておきながら言うのもなんですが。


実に、とんでもないことだと思います。


…あっ、見てください。


今この瞬間、ある国の男性の手の指が増えたニュース速報が、入ってきましたよ。


さきほど、あなたに指を鳴らして見せた時の分でしょう。


確か、2回ほど鳴らしましたから。


世界のどこかの誰かの指が、一本増えているのです。


これが大々的にニュースに取り上げられるようになってから。


世界中の学者や識者が、その異常現象を取り上げて。


何の脈絡も、根拠もない空論をでっちあげて。


ある有名な学者は、新種のウイルスだと言って。


ある聡明な識者は、人間のさらなる進化過程だと言って。


しまいには指が増えた人数まで、テレビ局がカウントし出しました。


いやあ、滑稽ですね。


こんなことで優越感にひたる私も私ですが。


実は、この力について、一つ困っていることがあるのです。


それは、誰の指を増やすか、という点に関して。


私には、選択権が無いということです。


いわば、完全にランダムなのです。


ですから、私が私怨を持っている人の指を増やしてやろうと思っても。


それは、できません。


もしそれができたら、本当にすごい力だと思いますがね。


さあ、見てください。


今、ニュースで取り上げられているのは。


…ああ、今度はこの国の女性ですか。


いやあ、綺麗な人ですねえ。


なんとなく、罪悪感に似た何かというか。


その正反対の、何かというか。


そんな、なんともいえない感情が、湧き上がってきましたよ。


…まだ、あなたは信じていないようですね。


分かりました。


もっと、実践してご覧に入れましょう。


いえいえ、私もさすがに慣れてしまったものですから。


罪悪感のようなものは、すでに感じなくなってしまいました。


今は、ただあなたに信じてもらうためだけに。


指を、鳴らしてみましょう。


そうだ。


次は、あなたに決めてもらいましょう。


何をだって?


指を増やす人の、人数です。


正確には、私が指を鳴らす回数です。


どうでしょう。


犯罪行為の片棒を担ぐようで、気持ち悪いですか?


大丈夫ですよ。


あくまで力を持っているのはこの私であって。


あなたではないのですから。


あなたが責められるようなことは、何もありません。


さあ、何回鳴らします?


『1回』以外で、指定してくださいね。



                    【『  回』鳴らす。】



…分かりました。


では、行きます。





はい、あなたの指定した回数鳴らしました。


これで、あなたの指定した回数分の人数だけ。


世界のどこかの、誰かの指が。


一本、増えます。


どうですか、快感でしょう?


今まで味わったことのない感覚でしょう。


そうでしょう、そうでしょう。


いえ、そんな心配そうな顔をしないでください。


あなたは、人数を指定したからと言って。


あなたには、何の関係も無いのですから。


おっ、先ほどあなたに紹介する時に鳴らした2回目の被害者が。


判明したようですよ。


今度は、80代の女性だそうです。


いやはや、老い先短い人生に、酷なことをしてしまいましたかね。


あなたが指定した分の人も。


すぐにニュースになるはずです。


いえ、正確にはならないかもしれません。


それを、大々的に報道されたくない人もいます。


自分の指が増えたなんていう事実を。


隠して生きていきたい、と思う人もいるようです。


普通は、そうかもしれませんね。


そんなことを知られたら。


親しかった友人も、大切な家族や恋人さえも。


離れて行ってしまうかもしれません。


満ち溢れていたその人の希望を。


その人の有望な将来を。


その人が夢見ていた幸せな人生を。


狂わせてしまうからです。


いやあ、あははは。


ふふうふうあははははっはあは。


あははははっはっはっはははははははははは。


ははは、ふぅ。


いえ、すみません。


不謹慎ですね。


つい、可笑しくなってしまったものですから。


ふう。


おっと。


見てください。


あなたがさきほど指定した回数の一人目が判明したようですよ。


今度は、7歳の男の子ですね。


いやあ、申し訳ない。


本当に、気の毒に思います。


本人は、きっと周りに知られるのを、嫌がったでしょうね。


実は、これは本人がそれを広めるのを拒否しても。


今は、情報社会ですからね。


すぐに他の人によって、広められてしまうのです。


これは、とてもかわいそうなことですね。


いえ、私がおこなっておいて、言うのもなんですが。


ふふ。


ふふふ、ふひははっはははははは。


あははははははははははは


あはははっははははははははっはははははは。


いえ。


すみません。


今日は、ここらへんにしておきましょう。


きっと、あなたが指定した残りの回数も。


それと同じ分だけの人の指が。


一本ずつ、増えるはずです。


ふふ。


なに怖い顔をしているんですか?


あなたが決めたんですよ?


確かに私が力を使いましたが。


うふっふふふ。


何回鳴らすか。


いえ、何人の指を一本ずつ増やすか。


あなたが決めたんですよ。


あなたが。


その人たちの。


人生を。


めちゃくちゃに。


したんですよ。


ふふ。


ふふふうははははは。


すみません。


冗談ですよ。


ただ、ちょっとからかってみたくなっただけです。


さて、次の人の速報が出る前に。


ちょっと、違う話をしましょう。


あなたは、「因果応報」、「自業自得」ということばを、知っていますね?


自分が行った何らかの行為は。


いつか必ず、自分に返ってくる。


自分に降りかかってきた不幸は。


自分が招いたものである。


そんな、ことわざです。


実は私は、それはうそだと思うのです。


確かに、自分が他人に何か悪さをしたら。


その人との関係を損なうという「結果」を招きます。


逆に、自分に何かの不幸が降りかかったとき。


それを他人のせいにすることもできますが。


もともとは、自分が引き起した不幸であると。


考えることもできます。


これが、世の常。


絶対的な、世の理とされてきました。


でも、考えてみてください。


私がこうやって。


誰にも知られずに。


誰かの指を一本ずつ増やすとして。


私には、どんな不幸が降りかかってくるでしょうか。


何も、ありません。


本当に、何も、無いのです。


ですから、「因果応報」なんていう言葉は。


うそっぱちです。


そう思うでしょう。


ああ、それは理解していただけるのですね。


ありがとうございます。


なんだか、心強い仲間ができたようです。


ところであなた。


なんで、さっきから片腕を隠しているのですか?


転んで怪我をした?


そうですか。


まあいいでしょう。


そうだ、一つ面白いことを教えてあげます。


…おおっとその前に、新しい被害者が出ましたね。


今度は、40代の女性のようです。


これはあなたが指定した回数のうちの一人なのか。


または私がさっききまぐれに鳴らしたうちの一人なのかはわかりません。


それにしても。


お気の毒に。


心痛お察しします。


ふふ。


ふふふ。


おほん。


すみません、面白いこと、でしたね。


実は、私は自分のこの力に気付いてから。


いくつか実験をしてみたんです。


例えば、増やす指の本数をどうにかして調整することはできないか。


どうにかして、任意の対象を指定して、力を行使することはできないか。


といったことです。


いくつもの実験を重ねて。


いくつもの失敗を重ねて。


ようやく、新しい発見をしたのです。


興味がおありのようですね。


そうでしょうそうでしょう。


実は、さきほどこの力に関して。


力が行使される対象は完全に「ランダム」だという話をしました。


世界のどこの国のどこの州のだれ、を指定するということはできませんでした。


しかし。


とある方法を用いれば。


それが、可能であるということに。


気付いたのです。


ふふふ。


知りたいですか?


特別に、お教えしましょう。


あなたは、地球に「磁場」というものが存在することを知っていますか?


ええ、学校で習いますからね。知っているでしょう。


難しいことは説明しませんが。


ようは、地球はある意味で一つの大きな磁石になっているのです。


私は、とある実験を行って。


自分の力が、その「地球の磁場」内に効果が収束する、ということに気づきました。


簡単に言えば、私の力は地球内にしか影響を及ぼさないのです。


宇宙の、違うどこかの星に、生命体がいたとして。


私はその生命体の指を増やすことはできません。


なぜそれが分かったかって?


それは実験の過程で、かなり偶然に発見しました。


私は、とある条件下で、任意に作った空間内において。


その効果が、同一空間内に限定化されないかどうか。


それを実験していた時のことです。


気温。湿度。重力。引力。


密度。酸素濃度。窒素濃度。


それら一つ一つの条件を洗っているうちに。


偶然、『地球の磁場』を想定した同一条件下で密閉の空間を作ったところ。


その効果が、その中だけに限定化されることが分かったのです。


ちなみに、実験対象はもちろん生身の人間です。


でないと、正確な結果が分かりませんからね。


その実験対象となる人物を私と同一の磁場空間内に閉じ込め。


そこにおいて私が指を鳴らした時に。


「その人」の指だけが、増えたのです。


こんな偶然、起こるはずがありません。


世界の何十億もいる人口の中で。


ピンポイントで「その人」だけが。


力の結果を被るなんてことは天文学的確率ですから、普通はあり得ません。


もちろん、仮定を実証するために。


3回ほど、指を鳴らしました。


なんと、3回とも、成功しましたよ。


「その人」の指を、一本ずつ、増やすことにね。


いやあ、感動しました。


やっと自分の努力が、報われたと思いましたね。


実験の対象となった「その人」には申し訳ないですが。


おかげで、私の力を特定の空間内に限定させる方法が。


私の力を、任意の対象に及ばせる方法が。


判明、したのです。


その装置はどこにあるのかって?


いえいえ、装置ではなくて、空間です。


私はこの大きな建物を丸ごと借りて、その空間を作り出しました。


そうです、今私達がいるこの空間こそが、そうなのです。


もちろん、今は『磁場モード』はオフにしていますがね。


すごいでしょう、そうでしょう。


ええ、そうです、あなたが今予想しているように。


「その人」の実験を行ったのが、まさにここです。


まさにここで、世紀の実験が行われたのです。


私の能力を完璧にする、


まさに最高の用い方です。


本来ランダムである対象を、


一人に絞ることに成功したのです。


どうですか、これはすごいことだと思います。


個人的に恨みのあるひと、不幸を味わってほしいと願うひと。


その人を上手くここへ連れてくることができれば。


あなたの嫌いな人の。


私の嫌いな人の。


指を増やすことができるのです。


いやあ、凄いことですね。


もう「何度も」やっていますが、考えるだけで興奮しますね。


え?「その人」以外にも実験はやったのかって?


ふふふ、そうですよね、そこが気になりますよね。


「指を増やした後、その人をどうしているのか」、ということが。


もちろん、殺したり埋めたりはしていませんよ。


それは、私のポリシーとは反しますからね。


まあ、当人にとっては?


死ぬよりも辛いことかもしれませんが?


あはふふふうはあはははははは。


あはははは。


ああ、いえ。


そう、私はね。こんなふうに、交渉を持ちかけるのです。


このことを公にしないかわりに、『共犯者』になろう、とね。


いいえ、交渉ではなく、脅しですね。


なぜなら、その人の手足を縛った状態で、あなたがその交渉に乗らないと。


もう一本、指を増やしますよ、と言います。


共犯者、が何を意味しているのかは、既にあなたは分かっておられると思います。


あはは、そうですよね、そうですよね。


さすが私の唯一無二の親友、あなたは素晴らしい人だ。


いやあ、実はね。


私も、この話を誰かにしたくてしたくてたまらなかったんです。


最初に実験を行った「その人」は、この能力と愉しみに関して。


全く理解してくれなかったんです。


あなたはおかしい、頭のオカシイ人だ、とね。


あなたは罪を償って死ぬべきだ、ともののしられました。


いろいろな罵詈雑言を浴びせられましたが、私にとっては鳥のさえずりです。


え? 


ええ、その人ですよ。


その写真に写っている。


そう、その右に写っている。


ええ、左にいるのが私です。


笑ってますね、そうですね。


あの笑顔が歪んでいくところを見るのは、実に…いえ、何でもないですよ。


ふうっふふっ。


ああああははは!


ああああははははあああああああああああああああああ!


…。


ええ?なんですか?


ああ、気付かれましたか。


確かに、そうですよ。


確か、3か月でした。


そのことを知った時。


「その人」はたいそう喜んだんです。


ようやく、できた、と。


もちろん私もよろこびました。


新しい、家族ができるってね。


「その人」の笑顔は、今でも忘れられません。


お腹の中にいるであろう、新しい命を愛しく思って。


いつもいつも、お腹の中の子どもに、話しかけていました。


私も、一緒になって話しかけていました。


幸せになるんだよ。


私達と一緒に、幸せになるんだよ。


お母さんも、お父さんも。


ずっと、一緒だからね、と。


愛している、と。


私は、本心で、そう思っていました。


まだ、首も据わっていない、


いや、生まれてすらいない子どもを、愛していました。


「私たち夫婦の子ども」を、本当に、愛していました。


そうそう。名前ももう、決めていたんですよ。


これから辛いことがあっても、悲しいことがあっても。


家族で乗り越えていこう。


そして、楽しかったことも、嬉しかったことも。


少しだけでも良いから、大切にしていこうと。


それも本心で、思っていました。


夫婦の幸せ、家族の幸せは、


私のしあわせ。


私のしあわせは、


夫婦の幸せ、家族の幸せ。


そう、思っていました。


でもね。


ちがったんです。


そんな幸せ、ただの妄想、幻想だったのです。


その子は、確かに無事生まれてきてくれました。


妻の腕の中で、元気な産声を上げてくれました。


でもね。


あの、何て言うんですか、


あの生まれたばかりの子どもを入れておく透明な部屋。


そこにね、ほとんど時を同じくして生まれた子どもがいたんです。


もちろん、その子は健康体でした。


ということは、気付いてしまったんです。


私はね、何度も見比べましたよ。


そのケースの中に入っている子どもと。


妻のおなかの中から出てきた、私達の、子どもを。


いや、最初は気が付かなかったんです。


でも。


今、生まれてきた、私達の子どもが。


決定的に、おかしい部分があることに。


そう。


そうなんです。


その写真に写っている子ども、それがまさに私達の子どもです。


その写真は、まさに生まれた直後に私が撮ったものです。


それ、を知った時。


いえ、それ、に気付いたとき。


妻は、壊れてしまいました。


あんなに優しかった妻が。


あんなに子どもの幸せを願っていた妻が。


子どものために、できることをたくさん考えていた妻が。


子どもができたと知った時、一緒に泣いてよろこんだ妻が。


それ、を知った時。


妻は、張り裂けんばかりの大声を上げて。


生まれたばかりの子どもの首を。


首を。


うう。


ううううっ。


うううううああああああああああ!


…。


…。


…。


ちょっと、お話しますよ。


ええ、あなたが嫌がっても、勝手に話します。


妻はね、名の知れた音楽家だったんです。


彼女は、天才でした。


彼女のピアニストとしての才能は、世界に知られていました。


コンサートのために、いつも世界を飛び回っていました。


彼女の 指 が紡ぎだす旋律は、私を心から、虜にしました。


こんな私でさえ、その音を聞いただけで。


涙が出てくるような、彼女のピアノ。


私は、ただそんな彼女を、


遠目から見ているだけの、存在でした。


私と彼女が出会ったのは、


私がとあるコンサート会場で仕事をしていた時です。


そうです、その会場はこれから彼女がピアノのコンサートを行う会場でした。


私は、彼女がコンサートを開くと知った時。


どうにかして彼女と話したい、少しでも良いから、彼女と触れ合いたい。


そう、思っていました。


でも、当日になって、私がそう意気込んで。


本来の仕事も手につかなくなっていたのに。


彼女の方から、話しかけてくれたんです。


「ピアノさんの調子、どうですか?」とね。


私は、彼女の方から話しかけてくれたことと。


ピアノに「さん」を付けた彼女の言い方が可愛らしくて。


もし、会えたら言おうと思っていた言葉もすっかり忘れて。


「ええ、ピアノさん、今日はとても調子が良いみたいです」


…。


彼女は、ただ単にこれから使うピアノのことを気にかけて。


調律師である私に、話しかけてきたのかもしれません。


もちろん、彼女のコンサートは最高でした。


私は特別に、最前席で、


彼女のピアノを聴かせてもらえたのです。


ですからその後彼女と、「そんな」関係になるとは、思ってもみませんでした。


いつの間にか、彼女と打ち解けて、仲良くなって。


そして、「彼女」が、「妻」になって。


いつしか将来の話をしたときに、


妻はあることを打ち明けてくれたのです。


もし子どもができたら、その子を立派なピアニストにしたい、と。


私は大賛成でした。


もし彼女の才能を子どもが受け継ぐことができたら。


それはきっと彼女と同じ、最高のピアニストになるだろう。


そう、なってほしい、と思っていました。


でも、だからこそ、私は、


たとえ、生まれてきた子どもがたとえ「そう」だったとしても、


かまわなかった。


ぜんぜん、かまわなかったんです。


なぜ、って?


そんなの、あたりまえでしょう。


生まれてきてくれたからです。


私達を親だと認識して、わらってくれたんです。


ただ、ただ、ただ、それだけなんです。


私は、


少なくとも私は、それだけで幸せだったんです。


ええ、ええ、本当に。


だって、だって、あんなにかわいいのに。


あんなに、オギャーって泣いていたのに。


あんなに、かわいい子どもが生まれてきてくれたなら。


たとえ、なにかのアドバンテージがあったとしても。


いえすみません、


私はこのアドバンテージって言い方が好きではないので、


訂正しますね。


たとえなにか「他人と明らかにちがうところ」があったとしても、


あの子は、幸せになれたはずなんです。


いえ、あの子がどのように生まれてくることが、幸せかなんて、


私達に決める権利なんか、なかったんです。


誰にも決める権利なんか、なかったんです。


だって、だって、だって、


だってだってだって


あんなに、かわいかったのに。


あんなにげんきに、オギャーって泣いてくれていたのに。


あんなに、げんきに。


あんなにかわいく。


わたしの、 ゆび をにぎって。


それなのに。


うっ。


うううううううううううっ。


…。


…。


…。


…。


ああ、


ああああ、


またまた私は私は取り乱してしまいましたね。


すみません。


すみません。


すミません。


あの、最期に、ひとつだけ聞かせてくれますか。


えっ、


なんで「最期」かって?


いやいや。


それは、あなたがいちばんよく分かっていらっしゃるでしょう。


だからその前に、あなたの意見を聞きたかったのです。


いえいえ、すぐに済みますよ。お時間は取らせません。


ええ、本当です。私は決して嘘はつきません。


…。


…。


あなたは、


あなた自身は。


「右手の 指 が一本足りない状態で生まれてきた」、


私のこどものことを、


かわいそうな子だと、思いましたか?


…。




…。


あなたは、


あなた自身は。


「私の力によって、 指 を一本増やされた」、


名前もしらない誰かのことを、


かわいそうな人だと、思いましたか?


…。




…。


そうですか。


それが、あなたの答えですか。


もしよければ、その理由を教えていただけますか?


はい、そうです。


あなたが、「そう」思った理由です。


…。




…。


そう、ですか。


それが、あなたの答えなんですね。


…。


…。


…。


これは、あなたが質問にどう答えたか、に関係はないのですが。


ヒトっていうのは、みにくい生き物です。


自分たちが以外を排斥しようとする、


かわいそうな生き物です。


そして、この能力を偶然手に入れてしまって、


いろんなヒトの指を「」と思ったわたしも、


同類、なのかもしれません。


…。


あっ。


ええ。


そうでした。


さきほど、あの質問が「最期」、と言いましたね。


すみません、言ったそばから約束を破りそうになりました。


心から、お詫び申し上げます。


ごめんなさい。


ふふ。


ふふふふふっふっふふふ。


あははあははああははハははははっっははっはっは。


…。


…。


良いですよ。


ええ、良いです。


もう、終わりにしましょう。


私が話したいことは、


ぜんぶ話しましたから。


私はもうすでに、完全に。


おカしく、なってしまいましたから。


…。


ありがとウございます。


最期まで聴いてくダさり、ありがとうございます。


そんな姿で。


そんな手で。


…。


隠さなければいケないほど、


私が、


この私ガ、


 指 を一本増やシた、その手デ。


だカら、どウぞ。


こロしてください。


…。


あなタが今、包帯でカくしている、


その右手と、スタンガンで。


わたシを、こロしてください。


…。


おねがいです。


おねガいです。


ごめんなさい。


ごめんなサい。


ごめンなサい。


ありがとう。


あリがトう。


こロシてくれて、あリがトう。


…。


…。


…。


…。










えッ。




な二を、しテいるんですか。




なんデ、わたシのことを、


だきシめるんですか。






やめテくだサい。






なんデ、




わたシと、カのじょしかシらないはずの、


あのなまエを、なのるんデすか。




なんデ、わたシのことを、


「そんなふう」に、ヨぶんですか。




なんデ、あなたも、


ないてイるんですか。




やめテくだサい。


やめテください。


やめてください。








































おわり

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指。 プロキシマ @_A_

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