トーキョーダンジョン

爆声

第一階層


 


 窓際最後列のぼっち席。

 春の日差しが心地いい。

 俺は机につっぷして、昼下がりの穏やかな時間を満喫していた。


 周囲から遠ざけられた机。

 あいさつする相手さえいない孤高の交友関係。

 昼寝には最適な環境だ。


 おっと、別にいじめられている訳じゃないぞ。

 いや、イジメられてはいないものの、

 少し、腫れ物のような扱いを受けているのは確かかもしれない。


 右目を隠す金髪に、剃りこみ。

 左右の耳と唇にはピアスのアウトローファッション。

 腕には去年入れたタトゥーがリングを描いている。

 見るからに関わったらヤバそうな見た目の男。

 ――これが俺、六麓荘ろくろくそう 仁羽 ひとはだ。


 こんな見た目の男を、イジメようと思う奴はいない。

 当たり前だ。

 周囲の席で弁当をつついている生徒たちも、チラチラとこちらを伺いつつも、わざわざ俺に絡もうとはしない。


 そもそも不良なんて本来入って来られない、優良な学校。

 生徒たちは、なぜ俺のような人間が平然とクラスメイトとしているのか分からないのだろう。

 中には、露骨に不快なものを見る目で見てくる者もいた。


 まさに針のむしろ状態だ。

 俺はクラスで、観測ブイ並に浮いていた。


 観測ブイって、ブイという割にはやたらスタイリッシュだよな……。

 そんなことを考えていると、腹から空腹を訴える音が聞こえてきた。

 そう言えば、朝から何にも食べてないな。

 購買にでも行くか。


 俺が椅子を引いて立ち上がると、周囲の生徒達はビクリと肩を震わせた。

 皆急に会話をやめ、露骨に視線を逸らす。

 まるで空腹の猛獣が檻から出てきたかのような反応だ。


 ……俺は別に、自分が良い奴だとか言うつもりはない。

 人種で言えば、見た目通り何の捻りもなく不良だし。

 実は優しくて真面目な性格、なんてオチもない。

 喧嘩もする。

 上記のように、クラスで少し……いや、かなり浮いていることは自覚している。

 だが、俺は普段そとではともかく、学校なかで問題を起こしたことはまだ無い。

 それなのに、ここまで露骨に警戒されると、少し傷つく。


 だがまぁ、ここでこんな格好をしている俺に、

「よう、昼過ぎまでお寝んねとはいい身分だな。将来は自宅警備隊希望かい?」

なんて、気軽に声をかけてくる奴がいれば、

ちょっとそいつの頭を心配してやった方がいいだろう。

 自分で言うのも何だが、自殺行為にしかならない。


 そう考えれば、生徒たちの反応は正しいのだろう。

 それに、俺は他人との繋がりを望んでいない。

 うん。これでいいのだ。


 そう考え、歩き出そうとした時。


「ろくろくそーくんっ! お昼すぎまで熟睡なんていいご身分だねっ、

 そんなんじゃニートになっちゃうよ」


 と、突然、背中にべちんと衝撃がきた。

 完全に予想外のことに、思わず前につんのめる。

 どうやら、誰かに背中を叩かれたらしい。

 クラスで完全に危険物扱いされている俺への凶行に、教室中がざわめく。

 「やべぇ」「あいつ殺されるぞ」と。


 いや、殺しはしないが。

 俺は、驚いて後ろを振り返った。

 まるで親しい友人に話しかけるようなテンション。

 不良である俺に、そんな態度で話しかけてきたのは誰なのか。


 すると、そこには一人の女子生徒が立っていた。

 ほんわかとした雰囲気の女の子だ。

 ニコニコと微笑む表情が可愛らしい。


 その女子の姿を見た俺は、苦々しい気持ちをかみ殺した。

 そうだった。

 このクラスには、ちょっと頭を心配されなければならない奴が一人いたんだった。


 彼女の名前は天和てんわ蘭奈らな

 入学当初から、何故か俺に普通に話しかけてくる女子生徒だ。

 柔らかで優しそうな雰囲気に、愛くるしい顔立ち。

 特待生としてこの学校に入学しているので、頭も良い。

 はず、なの、だが。

 ご覧の通り、彼女はやや独特な行動原理をもっていた。

 天然というやつだ。


「どうしたの、ろくろくそーくん? 目つきヤバイよ?」


 俺が無言で彼女を睨んでいると、天和はキョトンとした表情で首を傾げてきた。


 ヤバイのはお前の心臓だろ。

 なんで、唇ピアスの左腕タトゥーに睨まれて、そのセリフを口にできるのだろうか。

 

「おーい蘭奈! なにしてんのよ!?」

「あ、なうちゃん」


 俺が彼女の反応に呆れていると、

 教室の扉からショートヘアの女子が慌てて駆け寄ってきた。

 たしか、猫山ねこやま乃初なうといったはずだ。

 大慌てで走り寄ってきた猫山に、天和は軽い調子で返事をする。


「ちょ、ちょ、蘭奈なんで唇ピアス君と喋ってんの!? 」

「哲学的な質問だね」

「すごく論理的な質問だよ! ちょ、蘭奈危ないって、食べられちゃうよ!?」


 必死に俺から天和を引き剥がそうとする猫山に、

 掴みづらいテンションで返す天和。


 ってか、おい猫山。

 食べられるってなんだ。


「大丈夫だよ~。ほら、ろくろくそーくん寝起きだから」

「あ、確かに。あんたみたいなの食べたら胸焼けしちゃうね。――って上手くないよ!」


 綺麗なノリツッコミだった。

 いや、食わねーっつってんだろ。


「なうちゃん、ろくろくそーくんが怖いの?」

「怖いよ。あの唇ピアス、見るからに悪質そうだし。

 怒らせたら何されるかわかんないじゃん」

「じゃあ、ろくろくそーくんの目の前で悪口言っちゃって大丈夫なの?」

「はぁ? 大丈夫なわけない、で……しょう……」


 相当焦っていたのか。

 天和を引き剥がそうとするのに夢中で、周囲が見えていなかった猫山。

 天和の言葉に、ゆっくりと背後を振り返って頭上を見上げた。

 目がバッチリと合う。

 硬直する猫山。

 顔にやってしまったと書いている。

 見事な自爆だった。


 猫山は顔色を真っ白にしているが、

 俺は自分がどう見られているか自覚はある。

 特に気に障ったことも無かったので、無言で猫山を見つめていると、

 それを俺がキレたと勘違いしたのか、教室に緊迫した空気が流れる。


「ろくろくそーくん顔、目つき悪いよ? なうちゃんが怖いって」

「……うるせぇ」


 何となく、面倒なことになったなー、と思っていると、

 相変わらずマイペースな天和が平然と文句を言ってきた。

 寝起きだったため、自分でもビックリするほど低く掠れた声が出る。

 教室内の緊張度がさらに高まった。

 猫山が、洗濯機のように震えだす。

 顔色がブルーレイだ。


 天和はそれを見て、俺の方をむーっと睨んできた。

 いや今のはお前のせいだろ。

 しかし、見流石に猫山の怯え方が少し可哀想だったので、

 怒ってないことだけ伝えてやろうと思った。


「よう、猫山」

「ひいいっ、は、はい」


 とりあえず声を掛けてみたが、

 猫山のビビり方がすごい。

 声をかけただけで、悲鳴を上げかけられた。

 若干ブロークンハートだ。


 とにかく、安心させてあげなければ。

 どうすれば気にしていないと伝わるだろうか。

 何となく、そのまま言ってもよけい怖がらせてしまう気がする。

 そうだ。

 ほめ言葉だ。

 猫山を褒めて、俺は何も気にしてないぜ、と伝えてやればいい。


「……唇ピアスとは、いいアダナを付けてくれたもんだな」

「ひいいい、す、すいませんでした!」


 土下座された。

 何かを盛大に間違えた気がする。

 

「……麗奈、乃初なう……なにしてるの」

「あ、りゅーきちゃん。あれ? 食堂行ってたんじゃないの?」

「……麗奈も、呼びに行った乃初も来ないから……見に来た」


 土下座しながらも震え続ける猫山に、俺が反応に困っていると、

 黒髪を一つに結った長身の女子が教室に入ってきた。


 彼女は神撫じんぶ竜姫りゅうき

 口数が少なく、クールな印象の女子だ。

 天和と仲が良いらしく、大体いつも一緒に行動している。


 清楚な見た目で、男子からの人気を天和と二分しているが。

 実家が武術道場で、本人も剣道の有段者らしく。

 告白した瞬間、

 道場の人間に血祭りにあげられるという、

 まことしやかな噂のために、あまり浮いた話は聞かない。

 なんでも、竜姫という凄い名前も、強い女になるようにと師匠である父親につけられたらしい。


「あーごめんね待たせちゃって。今、なうちゃんがろくろくそーくんに土下座してるからもうちょっと待ってくれる?」

「……そもそも何故、乃初は土下座してる?」

「ろくろくそーくんの目つきが悪いから」

「……おい、六麓荘仁羽。……お前、乃初に何をした」


 土下座して震える猫山を一瞥し、

 神撫がギロリと俺を睨んできた。

 誤解である。

 

 天和の言い分を丸呑みした神撫が、殺気を出してきた。

 俺は何もしていないが、

 猫山が泣いてしまったのが俺のせいなのは間違いないので、

 何とも言えず黙っていると、神撫が。


「……この腐れ不良。……今まで、特に無害だったから見逃してやっていたが……私の友人に手を出すなら……切る」

「りゅ、竜姫~」


 教室の後ろに立て掛けてあった竹刀を取り、切っ先を俺に向けてきた。

 切る、の所がめっちゃ凛々しい。

 猫山が感極まって神撫に抱きついた。


 いや、何だこの展開。

 竹刀を構えて俺を睨む神撫に、泣きながらその後ろに隠れる猫山。

 教室中から刺さる視線が痛い。

 どう見ても不良が女子生徒をイジメて、神撫がそれを庇っているようにしか見えない。

 俺完全に悪者じゃねーか。

 

 恨みがましい目でこの状況を作り出した元凶を見ると。

 天和はニコニコした顔で、ん? と首を傾げてきた。

 俺は溜め息をつく。


「おーい竜姫、蘭奈と乃初は……って何この空気?」

「……雅虎」


 一色触発だった教室に、間の抜けた明るい声が響いた。

 声の主は、教室に入った途端ピリピリした空気に気づき、たじろぐ。


 「え? 俺なんかやらかした」と不安そうにキョロキョロしているのは、赤髪のイケメンだ。

 赤穂あこう雅虎やこ

 いつも天和達とつるんでいるグループの男だ。


「え、なんなの? 修羅場か何か?」

「……違う。……今から、六麓荘仁羽を断罪するところ」

「六麓荘くんを?」


 赤穂はそこでやっと神撫に竹刀を向けられている俺に気づき、

 次に泣いている猫山、ニコニコしている天和を見た。


「えっと、六麓荘くんが乃初に何かしたのか?」

「……知らない。……でも、麗奈が乃初が泣いてるのは六麓荘仁羽のせいだと言っていた。だから、……切る」

「麗奈、乃初は何でないてるんだ?」

「ろくろくそーくんの目つきが悪いから」

「なるほど。麗奈が原因か」

「え、私!?」


 納得したようにぽんと手を打つ赤穂。

 天和はビックリしているが、

 どう考えてもこの状況はお前のせいだろ。


「乃初、多分だけど、べつに六麓荘くんに何かされたわけじゃなんだろ?」

「ぐすん。……う、うん。私が六麓荘くんのことを唇ピアスって言っちゃって、それで……」

「なるほど……。竜姫、竹刀をおろせ。六麓荘くんは悪く無い」

「……でも、麗奈は六麓荘仁羽が悪いって……」

「麗奈の言うことを頭から信じるなっていつも言ってるだろ? 悪いな六麓荘くん。うちのアホ共が迷惑をかけた」

「いや、別にいいさ」


 ペコリと頭を下げる赤穂に、軽く手を振って返す。

 どうすればいいのかと困っていたので、むしろ助かった。

 それにしても、赤穂の男気のある対応。

 頭が真っ赤なので少し偏見を持っていたが、根は良い奴なようだ。


 え、俺?

 不良だから金髪でもいいんだよ。


「えっと、なんか私のせいみたい。ごめんね? ろくろくそーくん」

「……麗奈、謝る必要なんてない。……六麓荘仁羽が乃初を泣かせたのに違いはない」

「りゅーきちゃん、こういう時は取り敢えず謝っておけばいいんだよ」


 本当にとりあえずという感じで頭を下げる天和。

 神撫はその天和を庇うようにして俺を睨んでくるが、

 お前が一番謝るべきだろ。


「はは……。ところで天和、用事はもういいのか? 何か忘れ物がどうとか言っていたけど」

「あ、そうだった! 

 ねぇ、ろくろくそーくん。いっしょにお昼食べようよ」

「「「はい?」」」


 ぱちんと手を合わせて言い放った天和の言葉に、

 三人の疑問符が重なった。


 俺の意図がつかめない疑問と。

 神撫の静かな殺気と。

 猫山の絶叫のような悲鳴だ。


「ほら、ろくろくそーくんっていっつも一人でお昼食べてるじゃん? きりくんと仲いいみたいだけど、きりくん最近は私達とお昼食べてるから、気になってたんだよね。ろくろくそーくん他に友達も居なさそうだし」


 己励きりとは、俺の幼馴染だ。

 己励も少し変わった奴で、

 最近はなぜか天和たちとよく一緒にいる。


 しかし、天和の提案は全くもって余計なお世話だった。

 俺は出来る限り人と関わりたくない。

 その為に、髪を染め、タトゥーを入れ、誰とも会話しないようにしているのだ。

 こいつの気まぐれなんかでかき回されたくはなかった。


「余計なお世話だ。俺に構うな」

「えー、ろくろくそーくん友達いないでしょ?」

「己励がいる。それ以上はいらねぇよ」

「寂しくない?」

「……麗奈、違う。……恐らく六麓荘仁羽は己励と……ゴニョゴニョ」


 神撫が天和の耳に顔を近づけて何か囁いた。

 天和はそれに驚いた表情をして、

 その後、俺の方に向かってソワソワと言ってきた。


「あっ、ろくろくそーくんときりくんって、そういう関係だったんだ……。

ご、ごめんね。私たちがきりくん取っちゃって」

「おい待て。どういう意味だ。神撫に何を吹きこまれた」


 頬を赤く染めて言う天和。

 激しく誤解を招いている気がしてならない。

 天和の後ろで赤穂も「そうだったのか」と驚いた顔で呟いているが。

 違うからな?


「あ、でも、それならやっぱり、ろくろくそーくんもいっしょに食べない? 

りきくんもそっちの方が嬉しいだろうし」


 恥ずかしそうに悶々としていた天和が、本来の目的を思い出したように言ってきた。

 天和の言葉に神撫は「ちっ」と舌打ちしているが、猫山は……震えてるな。

 赤穂は凄く複雑そうな顔をしていた。

 肯定的な奴一人もいないじゃねぇか。


「え、麗愛、本気で唇ピア……六麓荘くん誘うの?」


 怯えきった顔で天和の裾をちょいちょいと引っ張る猫山。

 今、また唇ピアスって言おうとしたよな。


「うん、駄目かな? 私たち悪いことしちゃったみたいだし。お詫びも兼ねて、みたいな?」

「ああ、それはいいかもな。六麓荘くんがいいなら今日は俺が昼飯おごるよ」

「ちょ、雅虎まで何いってんの!?」


 天和の言葉にうんと頷いてそう言う赤穂。

 さっきからやたら男前だなコイツ。

 

 だが、天和たちの気遣いは俺にとって不快でしかない。

 そろそろ昼休みも終わってしまうので、ここらでキッチリ断っておく。


「悪いが、俺は一人で食う。気持ちだけ貰っておく」

「え? あ、待って――!」


 俺はそう言って足早にその場を去ろうとした。

 しかし、天和の横を通りすぎようとしたところで、バッと腕を掴まれた。

 天和はどこか焦ったように早口で俺に語りかけてきた。


「ろくろくそーくん、何でそんなに他の人を拒もうとするの?」

「俺は他人ひとと関わりたくないんだよ」


 俺は乱暴に腕を振るが、天和はよろめきつつも、その手を離そうとはしない。


「やこくんも、りゅーきちゃんも、……なうちゃんは怖がってるけど、私はろくろくそーくんのこと怖いって思ったりしないよ?」

「関係ねーよ」

「ろくろくそーくんは見た目怖いけど、仲良くなりたいって思ってる人はいっぱいいるんだよ」

「俺が仲良くなりたくないんだよ」


 天和が必死に語りかけてくる。

 なぜコイツは、俺にここまで構おうとするのか。

 いい加減煩わしい。

 俺は掴まれた腕をギロリと睨むが、天和はぷくっと頬を膨らましつつ睨み返してくる。


「何でそんなこと言うの? 私には、ろくろくそーくん、無理してるように見える。本当は皆と仲良くしたんでしょ?」

「……うるせぇよ」


 思わず、低い、怨嗟のような拒絶の声が喉から出る。

 天和の、俺の内心を見通すような物言いが、無性に苛立たしかった。

 お前が俺の、何を知っている。

 周囲で成り行きを見守っていた赤穂や神撫が、俺の声に驚いた顔をした。

 憎悪すら含んだ声音に、天和も思わずビクリと後ずさる。

 

 ほら、お前だって俺を怖がってんじゃねぇか。

 今度こそ手を振り払い、歩き去ろうとすると、天和は気丈に涙を拭って。


「もうっ! そんなことしてたら、本当に誰も近づいてこなくなるよ!」

「――っ!?」


 天和の言葉に、思わず硬直する。

 ――『仁羽、そんなこと続けてたら、本当に誰もいなくなっちまうぜ?』

 脳裏に、昔あの人に言われた言葉がフラッシュバックした。

 くそっ、今更あの人みたいなことを。


「――ねぇ、ろくろくそーくん!」

「っ!? 俺に触んな!!」

 

 俺が固まっていると、天和がまた俺の手を掴んできた。

 さっきまでも掴まれていたはずなのに、

 その手が、俺の中の大切なものを握ろうとしてくるように感じて、

 思わず強く拒絶してしまった。


 しまった!

 天和に叫んでからハッと我にかえった。


「え? ――きゃあああ!!」


 ドンッ。

 という音と共に、天和がまるで見えない手で投げ飛ばされたように空を舞った。

 赤穂と神撫の頭上を超えて、紙のように教室の外に吹っ飛ぶ天和。

 ガシャァン! という音が教室の外から聞こえたところで、

 俺は強い後悔と共に顔を歪めた。


 

 …………俺は、昔から人には無い力を持っていた。


 その力に気付いたのは、小学校に上がったばかりの頃。

 上級生に虐められていた友達を庇いに入った時だった。

 小学生にとって、一歳の差というのはとてつもなく大きい。

 ましてや相手は三つ上の上級生だった。

 しかも、一人ではなく、五人もいた。


 俺は子供の時から喧嘩が強かったが、

 いくら同級生の中では強くても、五人の上級生に勝てるはずもない。


 それでも、背後には泥だらけで泣く友達。

 俺は無我夢中で上級生たちに立ち向かって行った。


 当たり前のように殴り倒され、蹴り飛ばされた。

 お互い子供。

 喧嘩の加減なんて分かるはずもない。

 蹴り飛ばされた拍子に肋骨が折れ、痛みに頭が割れそうになった。

 

 ズタボロになった俺を放おって、また友達を嬲ろうとする上級生達。

 上手く息もできない喉で必死に叫ぼうとした時、――それは起きた。


 まるで俺の怒りを体現するように、上級生たちが吹っ飛んだ。

 窓を割り、外に弾き落とされる上級生たち。

 突然のことに、周囲でみていた子供たちも、俺も、唖然とした。

 だが、どうしてか、俺がやったんだという奇妙な実感だけは手に残っていた。


 その日から、俺の力は急に顔を出すようにになった。

 俺が起こった時。

 何かに悲しんだ時。

 気に食わず、癇癪を起こした時。


 俺の感情が高ぶると、その力は相手を例外なく弾き飛ばした。

 俺は理不尽に起こったり、あたり構わず癇癪をおこすような人間ではなかった。

 だから、理由もなく力で人を傷つけてしまうことは無かったが。

 しかし、子供にとって、そんなことは関係なかった。

 彼等にとって、“違う”ことは恐怖だ。

 そして、恐怖に対して子供たちは、残酷なまでに正直だった。


 今まで仲良くしていた奴らが、突然話しかけてこなくなった。

 俺が助けた筈の友達も遠ざかっていった。

 力のせいで虐められはしなかったが、

 露骨に仲間外れにされるようになった。


 年齢を重ねるごとに強くなり、制御できなくなる力。

 次第に大人たちも俺を不気味に扱うようになり、

 どんな場所でも同じようなことが何度もおこった。


 両親さえも俺の機嫌を伺い、他人行儀に接するようになった時。

 俺は、己励以外の他人と関わることを諦めた。


 髪を染め。

 ピアスを開け。

 タトゥーを入れて。

 できるだけ、人との間に壁を作った。


 俺に関わるな。

 俺の感情をかき混ぜるな。

 俺に、人を傷つけさせるな。


 

 ザワザワとざわめく教室。

 生徒たちの目に映るのは、あの、異物を見る色だ。


「……クソっ!」


 油断していた。

 最近は力が発動するような場面に合うことも無く、

 平穏に暮らせていた。


 それなのに、これだ。

 俺の内情を掻きむしるような天和の言葉に、思わず感情を露わにしてしまった。


「……っ! 麗奈!」


 神撫の叫びに、固まっていた赤穂と猫山が、ハッとして駆け出す。

 向かうのは教室の外。

 天和が飛ばされた方向だ。


 しかし、神撫が教室の入り口に到着する前に、

 教室の扉が内側に吹き飛んだ。


「……己励」

「おうっス」


 扉を蹴飛ばした片足を上げたまま、駆け寄った神撫に眠そうに返すのは、2mを超える巨体。

 清荒神(きよしこうじん)・己励きり

 俺の幼馴染だ。

 彼の手には、キョトンとした表情で猫のように丸まっている天和が収まっていた。

 吹き飛んだ天和を受け止めてくれたようだ。

 俺は思わず安堵の溜め息を吐いた。


「仁羽、またやったッスか」

「ああ……。悪い」

「全くッスよ。女の子は丁寧に扱わなきゃ駄目ッスからね」


 そう言って天和の首根っこを掴み、

 ヒョイと近くの机に座らせる己励。

 いくら天和が軽くとも、人を片手で軽々と持ち上げた巨漢に周囲が仰け反った。


 己励は、俺の唯一の友達だ。

 理由は、己励のあまり他者と深く関わろうとしない性格と、

 あの巨体と馬鹿力だった。


 大型トラックをも弾き飛ばした俺の力を受けてもケロリとし、

 場合によっては普通に耐える。


 俺の力と同じように、飛ばされた人間もかなりのエネルギーを持っており、

 普通なら受け止めようなどとすれば大怪我では済まないのだが、

 己励はまるでボールでもキャッチするように天和を受け止めて見せた。


「……六麓荘……仁羽っ!」


 天和に怪我が無いことを確認した後。

 神撫は壮絶な殺気を俺に向けてきた。

 空気がビリビリと振動しているように感じる。


 俺は湧き上がってくる恐怖を必死に抑えこんだ。

 この感情が解き放たれれば、今度は神撫が力の犠牲になってしまう。


「……貴様……殺して「待って!」」


 神撫が俺に飛びかかろうとした寸前。

 天和が神撫に向かって叫び声を上げた。

 今まで一度も聞いたことのない天和の大声に、神撫が静止する。


「ろくろくそーくん」


 天和はキッと気丈な顔で俺の方に歩いてきた。

 今まさに吹き飛ばされたのに、その目に恐怖の色は無い。

 俺は思わず後ずさるも、天和はズカズカと俺の目の前まで来ると。


「お昼、いっしょに食べるよ」

「……はっ?」

「ずっと言ってるでしょ。私はろくろくそーくんのこと、怖いって思ったりしないの。いっしょにお昼ごはん食べに行こうよ」


 絶句した。

 何を言ってるんだコイツは?

 今、俺の力で吹き飛ばされたんだぞ?

 それなのに、コイツは今、怖くないと言ったのか?


 俺は困難のあまり思考が固まった。


「早く食堂いくよー。お昼休み終わっちゃう」


 俺の手を引き、ズカズカと食堂へと歩き出す天和。

 神撫はまだ納得出来ないという顔をしていたが、

 渋々といった感じで竹刀を置いた。

 猫山はビビっているというか、もう何がなんだかよく分からなくなってる感じだ。

 相変わらず眠そうな己励。


 呆然と引っ張られていく俺に、赤穂がやれやれと首を振り。

 歩き出した一行を追おうとした時。



 ピンポンパンポーン。



《“だんじょん”さんがお越しになられました。生徒の皆さんは教室で待機していてください》




 という放送がスピーカーから流れてきた。

 最悪の始まりを告げる、放送が。

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