第79回【恋愛】君のキスで始まる
今は夏。今年は蝉の声も聞かないし、気温も上がらないものだから、あんまりにも季節感のなさに驚くところだけれど、暦は八月だと言っているのだから夏なのだ。
しかし、この流れる汗は、夏らしくはないがそれなりに汗ばむ暑さからきたものではない。これは過呼吸によって流れたものだ。よりはっきりと状況を付け加えるなら、その過呼吸は君のキスで起きたものだ。
責任を取れと言いたいところだが、この病状では喋れるはずがない。紙袋かせめてスーパーの袋でもあれば良かったのだけれど、そう都合よく下校中の僕が持ち合わせているわけもない。
うろたえている君は全く役に立たないので、通りがかりのおばさんに救急車を頼み、僕たちは病院に運ばれたのだった。
「盗んでもいい?その心をさ」
君は悪びれもせずに問う。
僕は君に冷たい視線を返した。
病院で処置をしてもらった帰り道。状況が状況なら夕涼みといった雰囲気になるだろうが、僕はどんよりとした気持ちを引き下げて夕焼けの街並みを歩く。
「君は僕に何をしたのかお忘れかな?」
僕が指摘すると、君は肩を竦める。
「過呼吸ってのを知らなかったんだからしょうがないじゃない。次からは紙袋を持ち歩くようにするから――」
「違うだろ。その前だ、その前」
君がはぐらかすようなことを言い始めるものだから、僕はつっこまざるを得ない。
「えっと……星が流れる理由を答えなさい?」
「戻り過ぎだ」
僕は痛む頭を抱える。
確かに君はキスをする前にそんな話を振っていた。その答えを考えていた僕に、君は突然背伸びをしてキスをしたんだ。
そのショックから、僕は過呼吸を起こして病院送りになったのだけども。
「まぁ、細かい話はいいじゃん」
「よくない。――そもそも、僕は君と付き合っているつもりはないんだ。過剰なスキンシップはやめてくれ」
「えー、キスしたのに。柔らかくておいしかったよ?」
頭痛がひどくなる。
君は楽しそうにけらけらと笑う。
「私をよく知らないから付き合えないっていうの、おかしいでしょ。知るために付き合うんだから。カノジョがいないなら、付き合おうよ」
「か、考えさせてくれ……」
家までついてこられると困るので、駅前で僕はタクシーに乗り込んで別れた。病院ですぐに乗るべきだったと多少の後悔はしたけれど、振り払えて良かったと、このときは感謝していたんだ。
***
「――で、その話はいつまで続くのさ?」
今は冬。冷やし中華の似合う夏はとうに過ぎて、季節は熱々のラーメンが美味しい頃となっている。
だからこうして行きつけのラーメン屋で、友人ののろけ話に付き合っているわけだ。
俺は替え玉も頼んで話に耳を傾けていたが、彼は自分が話すのにずいぶんと夢中だった。この調子だと、彼が頼んだラーメンはまだ伸びるのだろう。
「え、まだ話は始まったばかりじゃん。最後まで付き合えよ」
「あー……はい」
伸び続けるラーメンを不憫に思いながら、俺は頷く。
――そういうマイペースなところで、案外とカノジョさんと歯車が合うのかもしれないなぁ。
彼は俺があきれた視線を向けていることには意識が向かないようだ。適当に相槌をうちながら、俺は二回目の替え玉を頼む。
《了》
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