第80回【TL】転生令嬢の憂鬱
《今宵貴方を攫います》
お茶会への招待状の裏に書かれた文字を見て、あたしはこの世界が前世でやり込んでいた乙女ゲーム『なごり雪~白雪姫のお茶会~』の世界なのだと気づいた。
――どうしてこのタイミングで……。
あたしは大きくため息をつく。
――分岐点は過ぎてしまったから、あたしはこの手紙の主に抱かれなきゃいけないわけね。
憂鬱な気分になる。
手紙の主は侯爵家嫡男のイケメンだ。人柄の評判は上々。文武両道で、王家との繋がりも強い。だが、親密になればなるほど束縛してくるタイプであり、ゲーム内で攻略したヒーローたちの中では一番苦手に感じていた。
――彼のフラグを立てる行動はしていたかしら?
思い返せど、思わせるような言動をした記憶はなかった。どこで気に入られたというのだろう。
「大きなため息をついていかがされました、マルガリータ様」
侍女に問われて、あたしは気持ちを切り替える。マルガリータ・サンティレールとして生きている以上、どうにか伯爵令嬢らしく振る舞ってやり過ごそう。彼に攫われるのだけはごめんだ。ゲームの知識は思い出せるようなので、これはどうにかかわせるだけかわしていこうではないか。
「いえ、ちょっと嫌なことを思い出してしまって。お茶会は来週でしたよね。何を着ていくか悩んでしまいますわ」
笑顔を作ると、あたしは招待状を封筒にしまったのだった。
ついていない。
あたしは暗いお部屋の中で次の行動を考える。
回避するはずのイベントは、どう足掻いてみてもかわせなかった。言い訳をしていつもの自分の部屋以外で寝ようと試みたがダメで、今は彼――ギルバートが部屋に忍び込んでくるのを待っている。
――このままゴールインの道を選ぶしかないのかしら?
リセットボタンを押してやり直せるなら、真っ白な世界の優しさに安堵できるというのに。現実にはリセットボタンなんて存在しないんだから、仕方がない。
鍵をしっかりかけていたはずの窓が不自然に開いて、人影が月光を携えて入り込んできた。
――覚悟を決めるしかないか……。
性的指向に難ありの案件ではあるが、マルガリータの両親が一番喜んでくれる相手だ。彼のいうことをきいてさえいれば、悪いようにはならない。他のキャラクターを選択した場合、死亡ルートもあるわけで、これが最悪のルートというわけではないのだ。
――あたしの好みの問題というだけ。
ベッドで眠った振りをしていたら、彼はあたしに気づいたらしく足音を忍ばせて近づいてきた。
――せめて、お茶会イベントまでは進みたかったなぁ。
一週間後のお茶会イベントは《気違いのお茶会》とユーザーに誉め言葉として言われるほどの愉快なイベントなのだが、ここでギルバートに攫われてしまうとしばらく監禁されることになるので参加できない。
――諦めるから、彼には優しくしてもらおう……。
足音が止まる。
「マルガリータ。予告した通り、貴方を攫いに来ました。貴方に危険が迫っているのです。どうかご了承を」
前世では個人のライブにまで足を運ぶほどに熱を入れていた声優さんの声でそんな台詞を告げられると、さすがに胸がときめいた。あたしは目を開けて彼を見る。
月明かりに照らされるギルバートの顔はとても美しい。太陽の光を思わせる明るい金髪、深い森を想起させる緑色の瞳。上背もあるし、スマートながら鍛え上げているだろう体躯も服を着ていながら伝わってくる。
趣味さえ悪くなければ、本当に申し分ない男だ。
「……あたしに危機が?」
危機が迫っているというのは、のちに彼の思い違いだったと判明するはずだ。だが、あたしはゆっくりと上体を起こして首を傾げてみせた。
「はい」
「こんなことをせずとも、ふつうにお誘いくだされば良かったのに」
「なにぶん、他の人に知られたくなかったもので。強硬手段を取っている自覚はあります」
真面目に答えられると、嫌がる気も失せてくる。彼はあたしのことを真剣に考えて、こんな危険を犯してくれたのだ。それは評価してもいい。
「いきなりのことだったので驚きましたが……あたしのことを想ってくださってのことならば」
あたしはそっと手を差し出す。ギルバートはあたしの手を恭しく取ると指先に口づけをした。
優しいキス。胸がときめいた。
「はい。貴方を必ず守り通します」
掴まれた手を引かれ、気づいたときには抱きかかえられていて。
あたしは彼と部屋を出る。彼の屋敷に着くなり激しく愛されることになるのだろうけども――それも悪くないかなと思えてしまうくらい、指先のキスであたしは落とされていた。
《了》
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